七
「へうぅ……。死ぬかと思ったですっ」
「無事でよかったわ、レダちゃん」
ホッとした顔でため息をつくレダ二等兵を、彼女はぎゅっと抱きしめた。
司令部塔が砕け散ってすぐ、俺たちは兵舎の食堂に退避した。遅れて食堂に姿を現したニクソン一等兵とレダ二等兵は、頭からつま先まで、土まみれになっていた。
「全弾打ち終えて司令部塔を出た直後、敵の砲撃を受けました。塔は崩れ、周囲の兵舎にも被害が出ています」
ニクソン一等兵は暗い表情でうなだれている。
「それにしても、砲撃は予想よりも早かったな」
俺は窓から太陽の角度を確認した。まだ、正午にもなっていない。想定では俺たちが攻城兵器を破壊したあと、敵が大砲を移動する、それが時間稼ぎになるはずだった。
「攻城兵器と大砲を同時に移動させていたのかも知れないが……そうだとしても早すぎる気がする。移動時間の見込みが間違ってたんだろうか?」
「そうね……日が沈むまで、あとどれくらい?」
「八時間ちょっとだね」
「んー……城壁は、それまで耐えらないのよね?」
彼女がマックス准尉を振り返る。准尉は小さく首を横に振った。
「あくまで直撃を受けた場合の試算ですが、城壁は五回、城門は二回の砲撃で破壊されるかと。現在、敵の砲撃間隔は二十分前後。どこを狙っているかによりますが、早ければお昼すぎにも突破されるでしょう」
「砦の中での足止めは一時間がやっとだし……あと五、六時間、なんとかならないかしら?」
食堂が重く静まり返る。
沈黙の中、食堂の窓が細かく震えて音を立てる。帝国の砲撃の余波だ。この食堂は司令部塔よりも南、民間人の居住区に近い場所にある。兵舎の中では城壁から一番遠いが、それでもあの圧倒的な衝撃は地鳴りのように伝わってくる。
「もう、ダメなんじゃないですかね……」
ニクソン一等兵の声は小さい。
「こんな少人数であの大軍を足止めするっていうのが、そもそも無理だったんですよ」
「代行殿」
ウォーレン曹長が手を挙げた。
「ここは撤退すべきと考えます。我々がこれ以上抵抗しても、それで敵を足止めできる時間はわずかです」
「だが曹長、それでは先行して撤退している部隊が敵騎兵の追撃を受ける。民間人への被害も出かねない」
「お言葉ですが准尉。それはあくまで最悪を想定した場合の話です。砦の突破後、敵がすぐに追撃を始めるとは限りません。先の我々の砲撃で、敵軍にも多少の被害は出ているはずです」
「我々の任務は、日没までの足止めだぞ曹長」
「准尉……失敗は失敗と認めるべきです」
曹長の意見が冷たく響く。マックス准尉は険しい表情で床に目を落とした。
「おいおい。もう逃げる算段か? 気が早いな」
そのとき、重くて硬い足音が、食堂の入り口にやってきた。ガトー軍曹だ。
「偵察してきたぞ。どう考えても、敵は照準魔法を使っているな。おい、二等兵。代行殿に報告だ」
ガトー軍曹はなぜか楽しそうに笑っている。その後ろで、フォスター二等兵が敬礼する。
「報告いたします! 敵砲撃三回、全て城門を正確に狙っております。しかし我が城門は健在。事前に設置しましたこむ、こむぎ……」
「小麦粉だ。水をぶっ掛けて重くしておいた小麦粉の入った袋だ」
「はっ! 小麦粉による防塁により、被害は今のところ最小限で済んでおります!」
「まあ、弾避けも時間の問題だがな。あと二、三回もてばいい方だろう……そういえば代行殿が気にしていた白馬だがな。確かにいたぞ」
彼女が「ほらね?」と言いたげな表情を俺に向ける。まだこだわってたらしい。
「砲撃が始まって、敵騎兵の大部分は後方に退いたんだが、白馬とその護衛が数騎、残っていた。あれは何だろうな?」
「そりャあ、おめェ、隻眼の魔女に違ェねェよ。知らねェのか? あんちゃん」
食堂の一番奥、ガトー軍曹とは反対側から、聞き慣れない声がした。荒々しく野太い、声だ。
俺たちが振り向いた先、そこには大柄な男が床に座っていた。両手を木の拘束具で固定され、不自由そうに背を丸めている。
「誰だ?」
ガトー軍曹の問いに、マックス准尉が答える。
「山賊のザグモだ。我々に協力してくれることになっている。代行殿の指示で、今朝、牢からここに移ってもらっていた」
「魔女は帝国の手先でよォ。あやしげな魔法を使いやがるんでェ。おれっちの村もこっぴどくヤられたことがあらァな」
「隻眼の、魔女? ふむ……」
ガトー軍曹が一言一言、ザグモの言葉を呑み込んで黙った。何か、引っかかるのだろうか。
魔女は魔法を使う……帝国は正確に城門を狙っている……魔女は城壁の近くにいる……照準魔法……。
何かが、俺の中で一つにつながった気がした。俺はニクソン一等兵を振り返った。
「ニクソン一等兵。照準魔法の使い手はどういうところにいる?」
「そうですね。砲弾を誘導するので、目標を視認できる場所ではないかと」
「つまり今回は、城門が良く見える場所、ってことか」
ガトー軍曹が、パチンと指を鳴らした。
「それだ。目立つ白馬がどうしてわざわざあんなところに突っ立っているのかと思ったが、照準魔法の使い手と考えれば辻褄が合う」
「使い手が分かっているなら、それを止めさせればいい」
「ああ。正確な砲撃ができなければ、敵も突破に手間取るはずだ」
「しかし少尉、軍曹。大砲をもっと近くに配置すれば、魔法を使わなくても城門を撃ち抜くことは可能です」
ニクソン一等兵の暗い声を、ガトー軍曹が笑い飛ばした。
「それはむしろ好都合だろう? 敵が大砲を移動するなら、日没までの時間が稼げる」
「あとは魔法をどうやって止めさせるか、だ」
魔女には護衛がついている。近づくのは難しいだろう。
「城壁から弩弓で魔女を狙撃する、とか?」
「いや、それは無理だな」
ガトー軍曹が首を振る。
「魔女は弩弓の射程外にいる」
「なら、エル爺さんに頼むしかないか……」
「あー……すまん。爺さんは、いまダメだ」
「?」
「ちょっと失敗してな。ははっ。ははは」
なぜか、ガトー軍曹は笑いを抑えきれないようだ。
「おれっちに任せてくれねェかな?」
ザグモがゆっくりと立ち上がった。食堂の天井に頭が付きそうなくらいの巨躯が、俺たちを見下ろす。
「おれっちの長弓で、魔女に一泡吹かせてやらァな」