六
夜明けとほぼ同時に、谷間に砲撃が響き渡った。残っていた二つの詰所が続けざまに崩れ落ち、砕けたガレキが山肌を転がる。
俺たちは何もできず、ただそれを城壁の上から見ていた。予想していたとはいえ、実際にありさまを目の当たりにすると、なんとも言えず不安だ。
「さて。ここから帝国がどう出てくるのか、でしょうね」
朝日を浴びながら、マックス准尉が目を細めている。
「いつもならまず、騎兵が短弓で牽制してくるのですが」
「そのときはこちらも弩弓で応戦する」
城門の上、城壁のほぼ中央では、ガトー軍曹が谷の彼方を睨む。
「砦がもぬけの殻というのを悟られるのは、さすがに不味いからな」
「城壁に対し、短弓での攻撃は無意味ではないでしょうか。帝国がその手段を採用するとは思えません」
フォスター二等兵が口にした疑問に、ガトー軍曹が答える。
「帝国の短弓騎兵を甘くみるな。奴らはこちらの射程のぎりぎりを、騎馬で移動しながら矢を射ってくる。撃退は難しいし、油断すると被害も出る」
マックス准尉も口を合わせる。
「あれは偵察も兼ねているようですからな。それに今回は攻城兵器を城壁近くまで運びこむ間の、援護射撃の意味もあるでしょう……おや、来たようです」
「お馬さんが一、二、三……あら、たくさん」
彼女が城壁の上から谷間をのぞき込む。数十の騎兵が見るまに谷間を駆け、城壁に迫る。
「くるぞ! 頭を引っ込めろ!」
ガトー軍曹の声が飛ぶ。
「各自、手近な弩弓で応戦! 狙わなくていい、とにかく壁から顔を出すな!」
小さな、それでいて耳障りな風切り音が頭上をかすめていく。続いて、周囲にバラバラと矢が転がり、散らばる。
俺は近くに据えつけてあった弩弓を闇雲に打つ。連射式の弩弓だが、いくら射ってもまるで手応えがない。
敵からの矢が止んだところで、ガトー軍曹が手鏡を城壁の上にかざす。すると、またバラバラと矢が飛んでくる。手鏡には、城壁から少し離れたところで波打つようにして駆ける騎馬の一団が映る。そしてその背後、谷間の入り口の辺りに、大きな箱のようなものが三つ、並んでいる。
攻城兵器だ。
「破城槌が一つ、攻城櫓が二つ、か」
「白いお馬さんは、どうしてじっとしているのかしら?」
「白い馬? どこに?」
「私って、目がいいのよね……んー? 女の人だと、思うのだけど」
彼女が何か妙なことを気にしているが、とりあえず今はそれどころじゃない。
「軍曹。ニクソン一等兵への合図は?」
「まだだ」
ガトー軍曹は、手鏡の中を睨み続けている。
「まだ、射程に入っていない」
砲撃担当のニクソン一等兵とレダ二等兵は、司令部塔の砲台で待機している。彼らへの事前の指示は二つ。合図があったらありったけの砲弾をなるべく早く撃ち尽くすこと。撃ち終えたらすぐに塔を離れること。
結局、明け方までに砲身をちゃんと取り付けることはできなかった。無理矢理に固定しただけなので、狙いをつけたりはできない。
あとはエル爺さん次第……俺はガトー軍曹の横で座り込んでいるエル爺さんを見る。爺さんは、ぼんやりとただ空を眺めているようにしか見えない。
本当に、大丈夫なのか?
◆
始まってから、どれくらいの時間が経っただろう。一時間、いや、二時間かも知れない。
騎馬の蹄の音はひっきりなしに谷に反響し、ときおり矢が降り注ぐ。こちらの弩弓はだんだんと矢も尽き、弓自体が壊れてきてもいる。いつもは後方任務を担当しているマックス准尉やウォーレン曹長の顔に、前線での緊張感からだろうか、疲れの色が浮いてきている。
はじめは遠かった太く低い打音が、今ははっきりと聞こえてくる。単調で一定の拍子を繰り返す不気味な音。攻城兵器を押す人夫の足並みを揃えるための、太鼓の音だろうか。
「よし」
ガトー軍曹は一言つぶやくと、持っていた手鏡をくるくると回す。日の光が反射し、塔の最上階を照らす。
砲撃開始の、合図だ。
短く、力強い爆発音が頭上を走り抜ける。次の瞬間、木材の砕ける鈍い音が、城壁の向こう側で鳴る。引き裂かれるような嫌な響きに混じって、驚きのどよめきが谷間に広がる。
城壁の向こうがどうなっているのかは分からない。分からないが、張り詰めていた谷の空気が、急にぐにゃりと溶けてしまったような、そういう肌ざわりが伝わってくる。
そして、司令部塔からの砲撃が続く。肩から腰を震わせる頼もしい破裂音が響くたび、帝国軍から悲鳴が上がる。いつの間にか、騎兵からの矢も途絶えている。俺は恐る恐る城壁の上から谷間をのぞき見た。
城門のちょうど真上を砲弾が通り過ぎ、帝国の破城槌を襲う。そしてもう一発、もう一発。
司令部塔からの砲弾は、全て的確に標的を捉えていた。
俺はもう一度、エル爺さんを振り返った。エル爺さんはいつの間にか立っていた。いや、跳んでいた、という方が正確かも知れない。砲撃に合わせて、エル爺さんは城壁から高々と空へ跳ねていたのだ。
もしかして、砲弾を蹴っている、のか?
塔からの弾道、エル爺さんはその真下にいる。爺さんが跳ねるたび、まっすぐだった軌道が曲がり、破城槌や攻城櫓に吸い込まれていく。破壊の音が谷に響く。
俺の様子に気づいた軍曹が、無言でこちらに視線を向けてきた。いかにも「ほらな?」と言っていそうな表情だ。
……いや、でもあれは魔法とかそういうモノでは、ないんじゃないのか?
俺が呆気にとられていたそのとき、谷間もまた妙な静けさに包まれていたのだろう。司令部塔からの砲撃と、敵からの攻撃がどちらも止んだ、不思議な瞬間。なぜか敵も味方も動きを止め、一瞬だけ息を呑む、そういうごくごく短い無言の時。
その静寂を貫くように、桁違いの爆音が谷に反響する。司令部塔からのものではない、圧倒的で巨大な衝撃波。それは俺のほほを叩き、風を巻き上げ、周囲に金切り声をまき散らしながら、頭上を駆け抜けた。
驚きの声を上げる間もなく、俺の目の前で司令部塔が弾け飛んだ。砕けるとか、崩れるとか、そういう生やさしい壊れ方ではない。粉々に飛び散る、そして煙のように吹き飛ぶ。
帝国の超長距離砲撃。俺たちが想定したよりも早く、それはやってきた。