五
深夜の司令部。その塔の最上階。
さえぎるものがないからだろうか、谷間を吹きぬけていく風が涼しい。見下ろす谷は真っ暗で、その向こうにいるはずの帝国の気配もなく、静まり返っている。
「こ、ここが、砲台。ですっ」
「ありがとうレダ二等兵。使えそう?」
「はいぃ。大砲があればっ。大丈夫、かとっ」
昔、砦の砲台はこの司令部塔のものだけだったらしい。帝国の攻城兵器に対抗するための詰所ができてからは、使われなくなったようだ。
司令官代行様からの指示は、こうだ。帝国が攻城兵器を出してきたら、それを破壊すること。……どうやって破壊するのかまでは考えてなかったみたいだが。
この司令部塔の最上階の旧砲台を利用してみてはどうかというのは、マックス准尉の提案だ。予備の大砲があるので、それをここに設置すれば、城壁外の敵に向けて砲撃できるようになるはず、ということらしい。
「確かに、ここからなら城壁の向こう側にも砲弾が届きそうだな」
「ここは、詰所より低いのでっ。射程四百メールくらい、かとっ」
塔から城壁までは百メールもないから、十分だ。
「しかしまあ、それもこれも帝国の大砲次第なんだけどね……」
帝国の新大砲、そのせいで砦の駐屯部隊は撤退するはめになっている。しかし、俺たちはその新大砲の弱点を利用するつもりでいる。
「向こうのは、凄く大きいのでっ。重いはず、なのでっ」
レダ二等兵の南方系の濃い瞳は、どことなく犬っぽい。
「代行殿のお話は、その通りかとっ」
「大砲の移動に時間がかかっているんじゃないか、って話?」
「は、はいぃっ」
それはそうなんだが……。
昨日の正午に始まった砲撃、最初に東西二つの詰所が破壊されてから、次の詰所が破壊されるまで、五時間くらいの間があった。最初の二つと、その次の詰所は少し離れている。帝国が射程ぎりぎりの場所から砲撃しているとすると、その五時間というのは、砲台を移動させるのにかかった時間、ということになる。
つまり、俺たちが時間を稼ぐには、帝国が大砲を移動しなければならないように仕向ければいい。帝国になるべく大砲を使ってもらう、できれば何度も。それがこの足止め作戦の基本方針だ。
◆
「トール少尉。大砲を持ってきた」
司令部塔を登ってきた足音は三つ。ガトー軍曹とエル爺さん、それと……はじめて見る青年。俺の表情に気づいたのか、ガトー軍曹がその青年の背中を押した。
「少尉とははじめてだったか?」
年の頃は俺と同じくらいだろうか。どことなく暗い表情のまま、青年は俺に敬礼した。
「北部方面大隊第六ホーク砦駐屯中隊第三砲兵小隊所属、ニクソン一等兵であります。よろしくお願いします」
「こちらこそ。ニクソン一等兵」
「さっそくだが一等兵。こいつを砲台に取り付け、使えるようにして欲しい」
ガトー軍曹が、エル爺さんが担いでいるものを指さした。
「そこのレダ二等兵に手伝わせていい」
「その大砲を、ですか? ここに?」
「ああ」
「できなくはないですが……時間がかかると思います」
「早急に、だ。明け方には使いたい」
「それは困難です。これから明け方までですと、固定するのでやっとです」
「構わん。弾が打てれば良い」
いやいや、それではダメだろう。
「軍曹。敵の攻城兵器を破壊するのが目的のはずだ。当たらなければ意味がない」
「当てる方は照準魔法でなんとかなる」
「照準魔法?」
「ああ。たぶん帝国も使っているんだろう。そうでないと、あの超長距離から砲弾を命中させるのは難しいはずだからな」
そういえば、帝国からの砲撃は、一度も外れていない。全て詰所に命中している。砲兵の力量にもよるだろうが、四回の砲撃が一度も失敗しない確率はどれくらいだろうか?
「ですが」
ニクソン一等兵の声は変わらず、暗い。
「魔法の使い手がおりません」
「そこは爺さんになんとかしてもらう」
ガトー軍曹がエル爺さんを振り返る。エル爺さんが担いでいた大砲を降ろすと、砲台との間で重い金属音が響く。
「見ての通り、爺さんは普通じゃない。普通の人間は二百ケルグの大砲を担いだりできないからな」
「エル殿は、魔法も使えるのですか?」
「それは俺も知らん」
ガトー軍曹の声はぶっきらぼうだった。
「だが、爺さんには相応の金を渡してある。それに見合う働きはしてくれる。爺さんはそういう奴だ」
「……わかりました」
納得はしていない様子だったが、ニクソン一等兵は作業に取り掛かった。
◆
「軍曹」
少し離れた場所から、ニクソン一等兵とレダ二等兵の作業を眺めながら、俺は軍曹に声をかけた。エル爺さんは、砲弾を取りに行ったので、ここにはいない。
「なんだ?」
「さっきの話、大丈夫なのか?」
「さっきの話? 爺さんのことか?」
「ああ」
「少尉は、魔道大戦の話を知っているか?」
もちろんだ。それは歴史で習う、百年前の戦いだ。
「爺さんは、そのときの生き残りらしい」
「まさか」
「俺も本当かどうかは知らん。ただ、爺さんがタダモノでないことはこの目で見て知っている。各国の王家が大金を払って雇う最強の傭兵……エル爺さんが、それだ」
「どうして、そんな人が、ここに?」
「むしろ問題はそこだ」
ガトー軍曹の目が険しくなった。
「爺さんを雇えるだけの誰かが、この戦いに関わっている。そういうことなのだろう」
そして、夜が明け、戦いの一日が始まった。