七
何か……何か俺にできることはないのか?
天空から雷が地上に降り注ぐたび、一瞬だけ統合軍の本隊を白く照らす。何かを破壊するときに起きる音が、まるで森の木々のざわめきのように繰り返し繰り返しこだまする。
そして西からは死人が続々と本隊を襲う。青い燐光の群れが統合軍のいる場所を呑み込み始めている。
もう戦いは始まっているだろう。混乱と迷走。驚きと苦悶と恐怖の叫びに覆われた、血と炎と腐臭が交じり合う戦場。恐ろしい光景が俺の脳裏に浮かんでくる。
すぐにでもあの戦いのただ中に飛び込んで行くべきなのだろうか。
いや。
俺は心の中でその甘い考えをすぐさま否定する。ガトー軍曹とあそこに向かえば、死人の群れを一時的に足止めすることはできるだろう。数十人、いや数百人を撤退させるための時間稼ぎくらいにはなる。だが空からの雷はどうする? いくら軍曹が手練だとしても、稲妻の荒れ狂う中、無数の死人と戦い続けることはどう考えても無理だ。いつかは限界が来る。
考えろ。俺が今できることはなんだ? 手持ちの切り札はどうなっている?
俺はウルバンの魔砲を振り返った。
魔力で砲弾を打ち出す魔道具。絶大な破壊力と圧倒的な射程。あれを死人の群れに撃ちこめば……いやダメだ。意味が無い。無数の死人の群れに向けたとしても、その全てを砲撃で退けることはできないし、そして何よりもあの混戦の中では味方にも被害が出る。
俺は上空の黒雲を見上げた。本隊の頭上に渦巻く不気味な雷雲。まるで意思を持つかのように幾筋もの稲妻を地上に放つ、魔性の雲。
振り返ると、レダ二等兵はまだ地面にうずくまり、震えている。あの雷雲は、あのバーレンで起きた出来事と同じものなのだろう。二等兵はそのときのことを覚えていない。だが二等兵の怯え方はただごとではない。その場にいたものだけが感じ取れるもの、そういうものがあると考えるべきだろう。
ウルバンの率いる魔砲部隊三百騎を壊滅させた謎の稲妻、渦状に森を破壊した謎の現象。
その中で二等兵だけが無事だった。それが意味しているのは、何だ?
あのとき、二等兵はウルバンの魔砲のすぐそばに倒れていた……そうだ、魔砲だ。ウルバンの魔砲に備わっている魔道的な何かに、二等兵は守られていたんじゃないか?
だとしたら、魔砲を使えば何とかなるのかもしれない。あの稲妻から二等兵を守ることができたのなら、魔砲はあの雷雲に有効なんじゃないか?
「軍曹、あの雷雲は魔法によるものだと思うか?」
軍曹はうなずいた。
「戦いの最中、都合よく雷雲が発生するなど考え難いからな。それに昼間ならともかく今は夜だ。雷雲が急に現れるのはおかしい。何らかの魔法的な力で呼び起こされたと考えるべきだろう」
「もしそうだとして、雷雲を呼ぶ術者はどこにいる?」
「そうだな……」
軍曹はじっと雲の渦を睨みながら答えた。
「あまり離れた場所ではない。あれだけ強力な魔法を、遠くから操るのは容易ではないからな。それと、地上でもない。稲妻の動きを完全に操ることは難しいはずだ。術者が地上にいては、巻き添えになる可能性がある」
「だとすれば……」
あの、雲の中か。
「ニクソン一等兵! あの雲を魔砲で狙えるか?」
「雲ですか? 射程内ですが……いったい何を撃てばいいんです?」
「あの渦の中心を撃ち抜いてくれ」
一等兵は不思議そうな顔をしながらも、ウルバンの魔砲の砲口を上空に向ける。狙いをつける。
「準備終わりました。いつでもいけます!」
俺はすぐさま魔砲を起動した。魔砲の表面の紋様が透き通った光を放つ。青白い魔力の光が砲身を覆い、次の瞬間辺りの空気が一気に弾ける。
魔力を帯びた青白い弾道。夜の闇と雷雲の黒を切り裂くようにそれは飛び、一条の光路となって地上と天空を結ぶ。
そして渦が弾け飛んだ。
弾道の衝撃が雷雲の厚みを吹き飛ばす。黒々とした雲の渦はその中央を起点として穿たれ、回転の勢いのままに周囲へ散った。そして消えた。
「やったのか?」
「そのようだ……」
しかし軍曹の視線はいまだ鋭いままだ。
「……だが、術者は健在のようだっ!」
軍曹がその言葉を言い終えるかどうかの、その瞬間だった。
消え去った黒い渦のあった空、そこから一筋の電光が俺たちに向かって走ってきた。
同時に、耳を破らんばかりの雷鳴が俺たちを襲う。稲妻は地上に降り立ち、そのままうねるように地を這いながら、恐ろしい速さで向かってくる。
「伏せろ!」
軍曹の鋭い声が俺たちに飛ぶ。軍曹の足元、あの靴の魔道具が白銀の輝きを放つ。
瞬きする間もなく、軍曹の姿が風を切り稲妻に飛びかかる。襲い来る稲妻を軍曹の振るう剣が斬り裂く。
硬い金属同士が互いを弾きあう、鋭く甲高い音。
ウルバンの魔砲から約十メールほど東。魔砲のための囲いのその端で、軍曹の剣撃が何かを捉え、そして弾き返していた。
何者かが軍曹の剣から逃れるように後ろへ飛び退くのが見える。
そう。稲妻と見えたあの雷光は、一人の人物の放っていたものだったのだ。
雷雲の術者。
だが、俺はその人物に見覚えがあった。
ボロボロの服にボロボロのマント。頭からつま先まで、土埃かなにかで薄汚れた風貌。バーレンの北の森、そこで別れたきり行方の分からなくなった老傭兵。
「エル爺さん……なのか?」
やはりバーレンで帝国の部隊を屠ったあの稲妻は、エル爺さんの仕業だったというのか?
「俺たちを助けに来てくれたのか?」
「いや……どうやらそうではないようだ……」
軍曹がゆっくりを両手の双剣を構える。
その動きに合わせて、エル爺さんもまた、右腕を肩の高さまで上げる。
右腕……? いや、それは見慣れない何かだった。
黒々とした金属のような太い円柱。その表面にはウルバンの魔砲と同じような、魔道のものと思われる紋様が刻まれている。
そして紋様は青白い光を放ちながら回っていた。いや肘のあたりを起点として円柱のような腕部そのものが回転している。見ている前で、だんだんとその回転数が上がる。
パリパリという乾いた音を上げて、爺さんの身体のあちらこちらから小さな稲妻に似た光が走る。
「黒巫女に飼われたかっ!」
軍曹が一気に間合いを詰める。焔の双剣が真っ赤な炎を吹き上げる。右手のそれが爺さんの頭部を真上から、左手のそれは爺さんの足元を逆手から襲う。
再び、甲高いあの金属音が夜闇に響く。爺さんの回転する右腕が真上からの剣先を弾き返す。同時に爺さんの右脚が地面を跳ね、軍曹の左の剣を交わす。中空を前のめりになりながら、爺さんの右腕が軍曹の顔面目がけて打ち下ろされる。
空振りした左剣の勢いをそのままに、軍曹の身体が軽快なステップを踏んで爺さんの右腕を交わす。
振り下ろされた爺さんの右拳は止まることなく、勢い余って地面を打ち付ける。
瞬間、地面がえぐられるようにして裂け、その割れた隙間から何条もの稲妻が周囲に飛び散った。
稲妻のひとつが、俺の頬をかすめる。斬り裂かれるような痛みと熱。爺さんのあの右拳の直撃を受ければ、ただではすまないだろう。
「こんな形で戦うことになるとはな……」
破壊の衝撃で舞い上がった土煙の中で、軍曹が再び両手の剣を構える。
その視線の先には、地面にめり込んだ右腕をゆっくりと引き上げる爺さんの姿があった。
「いや……むしろこういうことでもなければ本気のあんたとは戦えないか……」
軍曹の靴が再び一瞬のきらめきを放って地を蹴った。
瞬間、立ち上がったばかりの爺さんの喉元を焔の双剣が襲う。
「今夜はとことんまで相手をしてもらうぞ爺さん。いや……師匠!」




