三
フォスター二等兵の報告が上層部にも伝わったのだろうか、川畔の防塁は次第にあわただしくなっていた。バーレンの駐屯部隊が、帝国の襲撃に備えて陣を整え始めたのだ。
ウォーレン曹長には、彼女とマックス准尉にも状況を伝えるためにバーレンに走ってもらっている。じきに、彼女もこちらに来るだろう。
俺は防塁の西の端、丘と森の境目を川向うに見る場所で、弩弓を構えて待機している。防塁の高さは一メール程だが、足元を掘り下げているので腰を屈めるとちょうど頭が隠れるくらいにはなる。敵の矢から身を守るには十分だろう。
西日で長く伸びた森の木々の影が、丘を徐々に覆いつつある。日没まではあと一時間ほどだ。
「帝国は、ここまで来るだろうか?」
「さあな」
ガトー軍曹は隣で丘を見上げている。
「だが、俺が帝国の将なら、兵を進めておくだろうな」
「敵は戦ったばかりだ。被害も出ているだろうし、いったん兵を退くかも知れない」
「それはないな。帝国軍は、ほとんど無傷だろう」
そうなのか? 俺の表情に気づいたのか、軍曹は言葉を続けた。
「少尉は近衛騎士団の装備を見たのだろう?」
「ああ。全ての兵が円盾を使いこなしていた。見事なものだった。あれなら帝国の短弓も防げただろう。馬の装甲も徹底していたし、敵もそう簡単には手出しできなかったんじゃないかと思う」
「普通はそう考えるのだろうな。では、帝国の騎兵の装備はどうだ? 少々遠かったが、ホーク砦で見ただろう?」
「鐙と鞍以外はほとんど裸馬同然だったかな。兵も短弓と矢筒を持っているだけだった」
「ああ。奴らはたいてい、平服と変わらない出で立ちで戦場にやってくる。そこが帝国騎兵の怖いところだ」
どういうことだ?
「ケガを減らそうとして防具を手厚くすると、当たり前だが重くなる。馬も人も生き物だ。重い物を担いでいては動きが遅くなるし、疲れるのも早い。それに……確か、近衛騎士団は丘の上に陣を張っていたのだな?」
「そうだ。森と丘に挟まれた狭い平地を見下ろす位置だ。近衛騎士団の騎兵が二千。それに加えて、森には弩弓と槍を持った歩兵五百が伏せてあった。敵の騎兵を挟み撃ちにするためだ」
ガトー軍曹は「そうか」と小さくうなずいてザグモを振り返った。
「あの辺りの地形は、もしかするとすり鉢状になっているんじゃないか?」
「ンだなァ。丘が森を囲ンで、いくつか並ンでた気がすらァな」
すり鉢状の地形?
「奴らは最初、わざと負けてみせることがある。重騎兵相手のときは特にそうだ。相手が勢いに乗って追撃してくるのを待っている。それを知らずに突っ込むと、いつの間にか低地に誘い込まれる。重騎兵はどうなる?」
「坂を駆け上がろうとしても、速度は出ないだろうな……そういうことか」
「そうだ。帝国は安全な高い位置を維持し、縦横に移動しながら矢を撃ってくる。すり鉢状の地形だと、奴らにつけ込む隙がない。もちろん、矢を防ぐことはできる。だがだんだんと馬の脚は止まり、人の腕は上がらなくなる。疲労で身動きが取れなくなる。逃げようとしても囲まれている。運良く抜け出しても追いつかれる。あとは時間の問題だ」
「森の歩兵部隊は? どうなるんだ?」
俺の問いに、軍曹は答えなかった。不意に、周囲がざわめいたからだ。皆、一様に丘を指差し、目を見開いている。
「来たぞ。帝国の騎兵だ」
ガトー軍曹の視線の先に、土煙を上げる騎馬の一団が現れていた。その数五十余り。西に傾いた赤い日射しを浴び、その姿は不気味な影を帯びていた。
しかし、なんだろう。
「軍曹、敵の動きが妙だ」
ガトー軍曹も、俺の言葉にうなずく。フォスター二等兵は、丘を一気に駆け下りてきた。それと比べると、敵の足取りは用心深く、遅い。
「警戒しているのだろうか」
「こちらの様子は見えているだろうからな。それもあるだろう。だが……あれは……」
「あいつらァ、森ン中を気にしてンじャねェか?」
ザグモが右手を額に当てながら目を細めている。
「森? 森に何かあるのか?」
そのとき、水しぶきの跳ねる音が響いた。森の中から、次々と川に人が飛び出してきたのだ。
「あれは……防衛部隊の歩兵じゃないか!」
森の中を逃げてきたのだろうか。皆一様に泥だらけで、傷を負っている。浅瀬とはいえ、膝くらいまでの深さはある。疲れ切っているのだろう、川の流れに足を取られて転ぶ者もいる。しかし、それを助け起こす者はなく、誰もが必死に前へ前へと進んでいる。
『渡れ、渡れ、渡れっ! 友軍は目の前だ! 後ろを振り向くな! 敵が来るぞ!』
川の北の岸、森の中から激を飛ばす声が響く。その声に混じって、剣を打ち鳴らす金属音が聞こえる。森の中では、戦いが続いているようだ。
「射ち方用意!」
俺の隣で、ガトー軍曹が防塁に片足を掛けて叫んだ。急な事態に一瞬気を取られていた周囲が、いっせいに我に返る。
「友軍が川を渡り切るのを援護する! 丘の敵騎兵を狙え!」
軍曹の声で俺も気がついたのだが、いつの間にか帝国の騎兵が川岸の近くまで来ていた。短弓を構え、川を渡る者を狙っている。
「射てっ!」
軍曹の号令で、弩弓から矢が放たれる。川の上を山なりに飛び越え、敵の騎兵めがけて百を越える数の矢が襲う。しかし、敵の騎兵はそれを気にも止めない様子で、軽やかに川岸から離れた。矢が、彼らの居なくなったあとの地面に突き刺さる。
逆に、川を渡っていた兵の何人かが倒れて水しぶきが上がる。こちらが矢を放つのと同時に、敵も矢を放っていたのだろう。川面が赤く染まり、力を失った身体が川に流されていく。
「矢を途切れさせるな! すぐにまた来るぞ! 急げっ!」
軍曹の声が荒々しく響く。連射式とはいえ、弩弓の射撃には準備のための時間が掛かる。その間にも、敵は短弓で射ってくる。こちらの射程のぎりぎりの位置で矢をかわしながら、隙があれば狙ってくる。馬と人がまるで一体化したような見事な身のこなし。
「くそっ、当たらない」
「気にするな少尉。牽制するだけで十分だ」
敵の矢はこちらにも飛んでくる。いくつかの矢が防塁に刺さる。そんな中でもガトー軍曹は、平然と立ったまま号令をかけ続けていた。
そして、日没が来た。敵騎兵は悠然ときびすを返し、退いていく。
だが結局、俺たちは敵を一騎も討ち取ることができなかった。
◆
川を渡り切った味方はわずか二十人ほど。そしてそれが、防衛部隊の生き残りの全てだった。
「最後まで、ベルト少佐が撤退を指揮していたらしい」
防塁に灯された松明の明かりが、ガトー軍曹の表情に暗い影を落としている。あの、森から聞こえてきた激が少佐の最後の声だったのだろうか。我が軍と同じように、帝国も森に歩兵を伏せていた。生き残った者が、そう語っていた。近衛騎士団が全滅したあと、撤退する歩兵部隊は森と丘から挟み撃ちにされたらしい。
夜の闇が星空を連れてくる。だが、川の畔から見上げる空には、不気味な影が立ちふさがっている。
丘の上。帝国軍の布陣だ。
「……ざっと三千くらいだろうか?」
「騎兵が一千騎だからな。兵站と歩兵を含めれば、それくらいになるだろう」
それに対し、防塁の兵は三百。バーレンの中の守備部隊を合わせてようやく一千だ。
「こうなると、バーレンに立て籠もるしか手はなさそうだな……」
「それは下策だぞ少尉。例の新大砲のことを忘れたのか?」
そうだった。いくらバーレンで守備を固めても、大砲で壁を壊されてしまえば何の意味も無い。それに、そもそも帝国はバーレンを素通りし、南に向かう可能性もある。
「だが、ここで守り切るのは無理だろう。川と防塁で一時的には追い払えるかもしれないが、敵は防塁の無い下流を迂回してくることもできる」
そうなると、ここは一日も持たないだろう。主力が壊滅した今、戦局はもう決しているのかも知れない。
「だったら、今夜中に追い払えばいいじゃない?」
暗い夜空の下の暗い陣地の中に、妙に明るい声が響いた。
いつの間にか、笑顔の彼女がそこにいた。後ろには、マックス准尉とウォーレン曹長の姿も見える。
「お待たせ、トール。ホーク砦の奪還作戦が、了承されました!」




