第八話 魔狼の採用面接と、扶養家族の食費問題
吾輩はダンジョンである。
世間ではダンジョンというものを「魔物が巣食う危険な穴」と認識しているようだが、それは一面的な見方に過ぎない。
吾輩から言わせれば、ここは「職場」であり「住居」であり、そして何より「避難所」でもある。
世知辛いのは人間社会だけではない。野生動物の世界もまた、弱肉強食と絶滅が日常の修羅場だ。
そんな過酷な外界から逃れ、安住の地を求める者が現れるのは、不動産としての魅力が増した証拠と言えるだろう。
その日、吾輩の喉元(入口)に飛び込んできたのは、三つの影だった。
ハッ、ハッ、ハッ、と荒い息遣い。
血の匂い。
そして、張り裂けそうなほどの「焦燥」と「恐怖」。
――美味い。
不謹慎を承知で言えば、その切羽詰まった感情は、実に芳醇なアペリティフ(食前酒)だった。
だが、その味わいには、どこか悲痛な雑味が混じっていた。
影の正体は、狼だった。
それもただの野犬ではない。銀色の毛並みを持つ、魔獣の一種だ。
親が一匹、子が二匹。
親狼の腹は赤く染まり、左足を引きずっている。致命傷に近い。それでも二匹の子狼を庇うように、壁際へと身を寄せ、入口の方角へ牙を剥いている。
直後、下品な足音がドカドカと踏み込んできた。
「おい、こっちだ!」
「血痕が続いてる。まだ遠くへは行ってねえぞ」
「毛皮を傷つけるなよ、高く売れるんだからな!」
男が四人。
装備は粗末だが、目つきが悪い。あの「プロ三人組」のような洗練された緊張感は皆無だ。
彼らが発散しているのは「強欲」と「加虐心」。
吾輩が最も嫌う、脂っこいジャンクフードのような感情である。
――また「素人」か。しかもガラの悪い。
吾輩は、管理職として眉(天井の亀裂)をひそめた。
ダンジョンは無法地帯だが、最低限の美学は必要だ。弱った親子を多勢でなぶり殺しにするような三流の茶番劇を見せられるのは、胸糞が悪い。
男たちが狼を見つけ、ニタニタと笑いながら包囲網を縮める。
親狼が、低く唸った。
グルルル……。
だが、その足は震えている。失血が酷すぎるのだ。
子狼たちは「キュウ」と鳴いて、親の腹の下に潜り込んでいる。
「へへッ、親子丼といくか」
先頭の男が槍を突き出した。
――あー、もう。
――うるさい。臭い。目障りだ。
吾輩は、業務命令を下した。
――スライム、出勤だ。
――あの男たちの足元を、全力で掬え。
床の目地に潜んでいたスライムたちが、一斉に染み出した。
男が踏み込んだ瞬間、その摩擦係数はゼロになる。
「うおッ!?」
ズデン!
見事な転倒。槍が手から離れ、壁に当たってカランと鳴る。
「なんだこれ、ヌルヌルして……!」
「おい、立てねえぞ!」
慌てる男たち。そこへ、吾輩は第二の矢を放つ。
入口付近の床を、奥から入口に向かって、急角度で傾斜させたのだ。
名付けて『強制退去スロープ』。
「うわああああ!」
ヌルヌルの床と急勾配。
男たちは成す術もなく、悲鳴を上げながら入口の方へ滑り落ちていく。
ボッシュート。
ゴミ出し完了である。
静寂が戻った。
残されたのは、呆気にとられた狼の親子だけ。
親狼が、警戒心を解かずに周囲を睨んでいる。
だが、その体力は限界だったのだろう。
ガクッ、と膝を折り、その場に崩れ落ちた。
「クゥーン……」
子狼たちが親の顔を舐める。起きろ、と急かしている。
だが、親狼の瞳から光が消えかけている。
腹の傷が深い。内臓まで達しているかもしれない。
吾輩は、少し迷った。
ここで見殺しにすれば、明日の朝には骨となり、吾輩のインテリア(装飾)の一部になる。それはそれで悪くない。
だが、この親狼の「眼」は良かった。
死に際してもなお、子供を守ろうとする強烈な意志。恐怖に屈しない気高さ。
――欲しいな。
吾輩の人事センサーが反応した。
今の吾輩に必要なのは、こういう「気骨のある現場リーダー」だ。
権利ばかり主張するゴブリンや、意思疎通のできないコウモリではない。
忠実で、強くて、群れを統率できる人材。
吾輩は、宝箱から「例の苔」を運ばせた。
スライムが苔を運び、親狼の傷口に貼り付ける。
じゅわっ。
傷が少し塞がる。
だが、足りない。出血は止まったが、生命力そのものが漏れ出している。
これは、ただの治療では間に合わない。
ならば――「構造改革」しかない。
吾輩は、親狼の意識に直接語りかけた。
――聞こえるか。狼よ。
親狼の耳がピクリと動く。
――お前は死ぬ。このままでは助からん。
――だが、吾輩と契約するなら、話は別だ。
契約。
それは、ただの住人から「ダンジョンの一部」になること。
肉体を魔力で再構成し、吾輩のシステムに組み込むのだ。
――条件を提示する。
――一、吾輩の部下となり、侵入者を排除すること。
――二、このダンジョンから出ることはできない。
親狼の意識が、問いかけてくる。
『子供たちは……?』
――子供は契約対象外だ。弱すぎて魔力に耐えられん。
――だが、居住権は認めよう。家賃はタダだ。
親狼が、かすれた目で子供たちを見た。
自分が死ねば、この子たちも野垂れ死ぬ。
だが、ここで魔物となれば、少なくとも守ることはできる。
『……わかった。魂を、売ろう』
交渉成立。
吾輩は、ダンジョンの核にある魔力を、惜しみなく注ぎ込んだ。
カッ!
通路が青白い光に包まれる。
親狼の体が光の粒子に分解され、そして再構築されていく。
傷ついた肉体は捨て去られ、ダンジョンの闇と魔力で新たな肉体が形作られる。
光が収まると、そこには一匹の、巨大な狼が立っていた。
毛並みは闇夜のように黒く、瞳は鬼火のように蒼い。
傷はない。
腹も減っていない。
なぜなら、吾輩から供給される魔力が、今の彼女の血肉だからだ。
『……力が、溢れる』
彼女――これからは「シャドウウルフ」と呼ぼう――が立ち上がる。
その威圧感は、今までの比ではない。
これなら、中堅の冒険者相手でも十分に渡り合えるだろう。
「ワン! ワン!」
子狼たちが、変わってしまった母の姿に戸惑いながらも、その匂いを嗅ぎ、尻尾を振り始めた。
見た目は怖くなったが、母は母だとわかったらしい。
シャドウウルフは、優しい目(蒼く光っているが)で子供たちを舐めた。
そして、天井を見上げて、深く頭を下げた。
『感謝する、主よ。この牙は、貴方のために』
――うむ。期待しているぞ。
――とりあえず、福利厚生の説明をしておく。
吾輩は管理職モードで伝達した。
――お前はダンジョンの一部となった。
――よって、たとえ肉体が滅びても、一定時間が経過すれば、吾輩の魔力がある限り復活できる。
――つまり、死なない。無敵だ。
――食事も不要だ。魔力だけで生きられる。究極のエコだ。
シャドウウルフは感嘆の声を上げた。
『死すら超越するとは……なんと素晴らしい』
だが、問題はそこからだった。
グゥ〜……。
可愛らしい音が響いた。
子狼たちだ。
彼らは契約していない。つまり、生身のままだ。
生身ということは、腹が減る。
子狼たちが、母の乳を探して潜り込む。
だが、シャドウウルフの体は魔力でできている。乳は出ない。
母狼が困惑した顔をする。
『主よ……子供たちの飯は……?』
――……あ。
吾輩は計算ミスに気づいた。
契約社員(母)は給与(魔力)で養えるが、その扶養家族(子)には現物支給が必要なのだ。
魔力では腹は膨れない。肉が必要だ。
――ゴブリン!
――おいゴブリン、いるか!
吾輩は、休憩中のゴブリンを呼び出した。
奥から、あくびを噛み殺したゴブリンがのっそりと現れる。
『なんだよ、また残業か? 超過勤務手当は……うおッ!?』
ゴブリンは、目の前に聳え立つ巨大な黒い狼を見て、腰を抜かした。
捕食者と被捕食者の本能的な上下関係が、一瞬で成立した瞬間である。
――紹介しよう。新任の警備部長だ。
――お前の上司にあたる。
『じ、冗談だろ……? こんな化け物……』
ゴブリンが震えている。いい気味だ。
――業務命令だ。
――ネズミ、トカゲ、あるいは迷い込んだ小動物を捕獲してこい。
――この子狼たちの食料だ。
『お、俺が? こいつらの世話係?』
――嫌なら、お前がエサだ。
シャドウウルフが「グルル……」と喉を鳴らす。
『い、行きます! 喜んで!』
ゴブリンは脱兎のごとく駆け出した。
やればできるじゃないか。
やはり恐怖によるマネジメントは効率が良い。
こうして、吾輩のダンジョンに新たな戦力が加わった。
不死身の守護者、シャドウウルフ。
その扶養家族、子狼二匹。
そして、その世話係に降格したゴブリン。
子狼たちは、まだ小さい。
通路をキャンキャンと走り回り、スライムをつついて遊び、苔を掘り返している。
正直、邪魔だ。
だが、彼らが無邪気に遊ぶ姿を見ていると、不思議と胃の痛みが和らぐような気もする。
――まあ、いい。
――いずれ彼らも育てば、立派な戦力になるだろう。
――それまでは「先行投資」だ。
吾輩は、子狼が転んで壁に鼻をぶつけたのを見て、通路の角を少しだけ丸くしてやった。
優しさではない。
壁が傷つくのを防ぐための、あくまで保全措置である。
シャドウウルフが、入口の方角を睨み続けている。
その背中は頼もしい。
これでようやく、あの「プロ三人組」が来ても、少しはまともな「おもてなし(戦闘)」ができそうだ。
吾輩はダンジョンである。
家族が増えると、食費(魔力コストとネズミ捕獲の手間)がかさむ。
世のお父さん方が「残業が辛い」と嘆く気持ちが、少しだけわかったような気がする今日この頃である。




