第六話 新入社員の権利主張と、管理職のブラックな本音
組織というものは、拡大すればするほど、末端の統制が利かなくなる。
これは人間界の真理らしいが、どうやらダンジョン界においても例外ではないらしい。
吾輩はダンジョンである。
そして近頃、深刻な人手不足――正確には「魔物不足」に悩んでいた。
現在の従業員(住人)は以下のとおり。
一、コウモリ。数は多いが、脳みそが小さい。命令を「飛べ」か「寝ろ」でしか理解しない。
二、スライム。勤勉な清掃員だが、戦闘力は皆無。冒険者の靴底を溶かす程度の嫌がらせしかできない。
三、苔。ただの壁紙である。
これではいけない。
先日、あのプロ冒険者三人組が来た時、吾輩は痛感した。「脅威」が足りないのだ。
床を滑らせたり天井を低くしたりは、所詮演出だ。
本質は「襲ってくる何か」が要る。
そんな折、吾輩の求人(ただの魔力放出)に反応した者がいた。
緑色の肌。子供のような背丈。薄汚れた腰布。
ゴブリンである。
迷い込んできたのではない。「住まわせろ」という顔で、入口から堂々と入ってきた。
吾輩の胃(広間)が、期待で高鳴った。
ようやく、手足がついたまともな魔物が来た。これで「ダンジョン運営」ができる。スライムと苔だけの「湿った地下室」から、名実ともに「迷宮」へと昇格できるのだ。
吾輩はさっそく、入社手続き(支配の念)を行った。
――歓迎する。
――今日からここが貴様の家であり、職場だ。
――侵入者を排除し、恐怖を撒き散らせ。
威厳たっぷりに伝えたつもりだった。
だが、ゴブリンは棍棒を地面に置き、ふんぞり返ってこう言った(ように感じられた)。
『条件は?』
――……は?
条件。
今、こいつは条件と言ったか?
『飯は出るのか。寝床はドライか。一日の拘束時間はどれくらいだ』
ゴブリンの思考が、驚くほどクリアに伝わってくる。
その思考パターンは、野生の魔物というより、「権利意識の高い新卒」そのものだった。
――飯だと?
――侵入者を喰えばいいだろう。ここは成果報酬型だ。
『不安定すぎる』
ゴブリンは鼻を鳴らした。
『客が来なきゃ飢え死にか。そんなブラックな職場、今どき流行らないぞ。最低保証として、ネズミかトカゲの定期供給を要求する』
ブラック。
吾輩のトラウマを刺激する単語が、胸に突き刺さる。
ダンジョンとは本来、漆黒の闇に包まれた場所だ。ブラックで何が悪い。こちらは闇が本業だ。
だが、このゴブリンの態度はなんだ。
吾輩は家主だぞ。管理職だぞ。
――……わかった。ネズミはスライムが集めた死骸を回そう。
――その代わり、24時間体制で警備を……
『24時間?』
ゴブリンが目を剥いた。
『無理だ。俺は夜行性じゃない。日が落ちたら寝る。残業するなら、夜食と“やる気”が出る魔力バフをよこせ』
吾輩は、こめかみ(第一通路の曲がり角)がピキピキと音を立てるのを感じた。
なんだこいつは。
魔物にも労働基準法があるのか。
誰が定めた。魔王か。魔王の差し金なのか。
だが、背に腹は代えられない。吾輩は渋々、ゴブリンの要求を呑んだ。
かくして、吾輩のダンジョンに初の「正社員」が誕生したのである。
翌日。
さっそく「実戦」の機会が訪れた。
足音が三つ。
あの「常連」たちだ。
鎧の男、女戦士、眼鏡の魔術師。
彼らはまた来た。前回の「精神的嫌がらせ」が余程気に入ったらしい。変態なのかもしれない。
「……空気が変わったな」
先頭の鎧男が呟く。
「ああ。殺気がある。今までの、環境的な悪意とは違う……生物的な殺意だ」
女戦士が斧を構える。
鋭い。さすがプロだ。
吾輩は腹の底でほくそ笑んだ。
そうだ。今日は違うぞ。
吾輩には「部下」がいるのだ。
――行け、ゴブリン。
――第一通路の角で待ち伏せし、不意打ちをかけろ。
吾輩は指令を出した。
ゴブリンは影に潜んでいる。位置取りは完璧だ。
さあ、悲鳴を上げろ。恐怖しろ。
吾輩に極上の「驚き」を食わせろ。
三人が角に差し掛かる。
緊張が極限まで高まる。
今だ!
……シーン。
何も起きない。
三人は警戒しながら、素通りしていく。
――おい。
吾輩は焦った。
――何をしている。なぜ飛び出さない。
ゴブリンの思考が、あくび混じりに返ってきた。
『今、休憩中』
――は?
『太陽が真上だ。昼休憩だ。契約書(口約束)になかったか? 休憩中に働かせると、事故る』
ゴブリンは岩の陰で、懐から取り出した干し肉(どこで拾ったんだ)を齧っていた。
――ふざけるな!
――客が来ているんだぞ! 接客業に昼休みなどあるか! 交代で取れ、交代で!
『交代要員がいないのは、経営者の責任だろ』
正論。
ぐうの音も出ないほどの正論パンチが、吾輩の胃壁を直撃した。
胃が痛い。キリキリと痛む。物理的な攻撃より、コンプライアンス遵守の主張の方がダメージが大きいとは。
そうこうしている間に、三人は通り過ぎてしまう。
このままでは「何も起きないただの穴」だと思われてしまう。
それはダンジョンの名折れだ。
「……おかしいな」
魔術師が立ち止まる。
「確かに気配があったはずだ。なのに、攻撃してこない」
「罠か?」
鎧男が周囲を警戒する。
「あるいは……我々を“無視”するほどの上位種か」
違う。
サボっているだけだ。
干し肉を食っているだけだ。
だが、彼らの深読みを裏切るわけにはいかない。
吾輩は管理職として、部下の不始末をカバーせねばならなかった。
これぞブラック企業の店長ムーブである。
吾輩は、誰もいない空間の天井を、激しく振動させた。
ズズズズ……ッ!
小石を落とし、あたかも「巨大な何かが移動した」かのような音を演出する。
「ッ! 頭上か!?」
「いや、壁の中を移動しているのか?」
さらに、床板をランダムに隆起させる。
ゴブリンが飛び出すはずだったタイミングに合わせて、地面を揺らす。
「くっ、足場が悪い!」
「姿が見えない! ステルス(透明化)能力持ちか!」
女戦士が何もない虚空に向かって斧を振るう。
ブンッ!
――危ない。
もう少しで吾輩の壁(脇腹)が削れるところだった。
吾輩は必死だった。
ゴブリンが干し肉を咀嚼している間、吾輩は一人で音を立て、床を揺らし、風を起こし、必死に「激戦」を演出し続けた。
虚しい。
実に虚しい一人相撲だ。
やがて、休憩時間が終わったらしいゴブリンが、ようやく腰を上げた。
『よし、食った。やるか』
遅い。
もう客はヘトヘトだ。
ゴブリンが飛び出す。
「グギャー!」
その声は、あまりに間の抜けたタイミングだった。
だが、極限まで神経をすり減らしていた三人組には、それが決定打となった。
「出たな!」
「姿を現したか、強敵め!」
鎧男が盾でゴブリンを弾き飛ばす。
ゴブリンは一発殴られただけで「やってられるか」という顔で逃走した。
だが三人は追わない。
「……深追いは禁物だ」
「ああ。今の奴、ただのゴブリンに見えたが……あの『見えない攻撃』の正体がわかるまでは危険すぎる」
見えない攻撃。
それは吾輩の尻拭いだ。
三人は撤退を決めた。
彼らはボロボロになりながら、しかし充実した顔で帰っていく。
「やはり、ここは油断ならない」
「進化しているな、このダンジョンは」
違う。退化している。組織としては崩壊寸前だ。
静寂が戻った通路で、ゴブリンが戻ってきた。
たんこぶを作っているが、悪びれる様子はない。
『殴られた。危険手当を要求する』
吾輩は、深く、深く、ため息をついた(洞窟内に風が吹いた)。
――却下する。
――代わりに来月、苔の美味しいエリアへのアクセス権をやろう。
『……交渉成立』
ゴブリンはニヤリと笑い、闇の奥へ消えていった。
吾輩はダンジョンである。
腹は減るが、それ以上に気苦労で胃に穴が開きそうだ。
一人でやっていた頃の方が、楽だったかもしれない。
だが、組織とはこうやって大きくなっていくものなのだろうか。
……いや違う。
誰か、人事部の人を呼んでくれ。




