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吾輩はダンジョンである。腹も立つが、腹も減るのだ ~恐怖を主食にする迷宮管理職のトホホな日常~  作者: 真野真名


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第三話 苔の景気と、安っぽい靴底




 吾輩は近頃、入口付近の調子がすこぶる悪い。

 人間で言えば、口内炎ができたような不快感だ。噛むたびに当たる。しかも舌で確かめてしまう。あれである。


 理由は簡単、足音が多い。しかも軽い。

 重厚な鎧の響きではない。安っぽい革靴やサンダルの、ペタペタとした軽い足音だ。自分が誰かの腹の上を歩いているとは思っていない。


 吾輩はダンジョンである。


 山腹に空いた穴であり、魔物の職場であり、そして悲しいかな、管理職でもある。

 管理職は、部下の離職を嫌う。

 苔が勝手に剥がされていくのは、やる気のある社員がヘッドハンティングされていくのに似ている。いや、苔にやる気はない。あるのは湿気だけだ。だが気分の問題である。


 そもそも、苔というものはオフィスの観葉植物みたいなものだ。

 普段は誰も気にしないが、なくなると急に殺風景になる。壁が寒々しくなり、貧相になる。

 観葉植物が無くなった部屋は、途端に「長く人が住んでいない」感じがする。吾輩の場合は「長く魔物が住んでいない」感じがする。


 その貧相な壁を作る原因が、最近の「苔ブーム」だ。


 火種は、あの宝箱だった。

 宝箱の苔は、冒険者の期待と欲を吸って育つ。いわば高級食材だ。

 対して、通路の苔はただの湿気たカビである。

 味で言えば、前者が高級料亭の漬物だとすれば、後者は雨に濡れた古新聞だ。


 しかし、金に目が眩んだ人間は、濡れた新聞紙でも「熟成されている」と言って食いかねない。

 そして、食った者が腹を壊しても、たいてい「自分の体調が悪かった」と言い訳する。実に便利な生き物である。


 事の発端は、一人の小娘である。


 その日、入口に現れたのは「採取屋」だった。

 名は、樋口フタバという。

 年は二十そこそこ。身なりは軽装。荷は小ぶり。そして何より、靴底が薄い。


 吾輩は靴底で人間の生活水準を測る。

 底が薄い人間は、金がないか、経験が浅いか、あるいはその両方だ。

 彼女の場合は「金はないが、度胸と計算高さはある」タイプだった。足裏から伝わる振動が、妙にふてぶてしいのだ。

 薄い靴底は、痛みもよく伝える。痛みがよく伝わる人間ほど、普通は慎重になる。だがフタバは違う。痛みが伝わるほど、腹が据わる。面倒くさい性格である。


 彼女は入口の壁を撫で、苔を指でつついた。


 ――おい、触るな。


 吾輩の内側で、ざわりとしたものが走る。

 敏感肌なのだ。他人の手垢がつくと、そこから痒くなる。

 痒いのに掻けない。掻けないのに意識は向く。管理職の悩みはだいたいそうである。


「……やっぱり。ここも湿ってる」


 フタバは独り言を言った。誰かに聞かせるための、演技がかった独り言だ。

 すぐ後ろには、カモ……ではなく、荷車を引いた商人の爺さんがいた。爺さんは耳が良い。儲け話の音だけは若返る。


「お嬢ちゃん、何かあるのかい」


「これですよ、苔」


 フタバは振り返り、営業用の笑みを浮かべた。

 営業用の笑みというのは便利だ。誰にでも同じ顔で貼れる。魔法の仮面である。


「最近噂の“宝箱の苔”。あれと同じ成分が、入口にも出てるんです」


 嘘をつけ。

 吾輩は叫びたかった。成分などない。あるのは水分だけだ。

 だが、吾輩には口がない。管理職の弱点は、責任だけあって発言権がない点にある。


「へえ、これが……薬になるって噂の?」


「ええ。傷薬にもなるし、美容にもいいとか」


 美容。

 吾輩の苔を顔に塗るのか。やめたほうがいい。それはコウモリのフンと地下水の混合物だ。

 ただし、人間の美容法はだいたい怪しいので、そう言われると逆に信じそうな気もする。恐ろしい。


 フタバは手際よくナイフを走らせた。

 カリカリ、と壁を削る音が、吾輩の神経――具体的には歯の根っこあたり――に障る。


 苔は剥がされる。ぺり、ぺり、と薄皮を剥ぐように。

 吾輩の入口が、あからさまに寒くなる。壁の一部が裸にされるのは、妙に恥ずかしい。


 彼女は剥がした苔を布に包み、商人に渡した。


「おじいさん、これ、街の薬屋に持っていけば値がつきますよ。私は採取料だけいただければ」


 転売ヤーだ。

 吾輩の敷地内で、勝手にビジネスモデルを構築している。

 テナント料を請求したいが、請求先も口座もない。領収書も切れない。吾輩の会計はずっと赤字だ。


 商人は苔を指でつまみ、目を細めた。

 目が細くなるとき、人間は半分もう儲けている。


「お嬢ちゃん、いい目をしてるねえ。……樋口、だったか」


「はい。樋口フタバ。覚えてください。今度、もっといい“場所”も案内できますよ」


 場所。

 言うな。案内するな。

 職場の奥を“いい場所”と呼ぶな。そこは会議室でもなければ、休憩所でもない。


 その日の夕方から、地獄が始まった。


 噂は足が速い。特に「楽して儲かる」という噂は、風より速く駆け抜ける。

 風は時々気まぐれで止まるが、儲け話は止まらない。人間の脳内で増殖する。


 翌日、入口には長蛇の列ができていた。

 冒険者ではない。主婦、子供、老人、日雇い労働者。いわゆる「素人」だ。

 うかつに「素人」とも呼べない素人は怖い。

 彼らには「ダンジョンへの敬意(恐怖)」がないからだ。敬意がないのに図々しさだけはある。最悪の組み合わせである。


「ママー、ここ暗いー」


「パパが苔採るまで待ってなさい。ほら、そこでお菓子食べていいから」


 通路にシートを広げるな。

 壁に寄りかかって弁当を食うな。

 子供よ、そこで用を足そうとするな。水洗ではないぞ。……いや、そもそもトイレではない。


 吾輩の胃――入口付近――は、常に消化不良の状態になった。

 炭酸ガスが充満したように、苦しくて落ち着かない。

 泡が胃壁を押し上げ、げっぷも出ない。

 人の話し声が胃酸みたいにじわじわ溜まっていく。最悪だ。


 足音、話し声、咀嚼音。

 ダンジョンの静寂は死んだ。

 今はただの湿った商店街だ。

 いや、商店街の方がまだ清掃員がいる。吾輩のところはスライムがいるが、待遇が悪い。


 そして、滑る。


 苔が剥がされた床は、湿った粘液でつるつるになる。

 そこへ薄い靴底が踏み込む。


「うわっ!」


「きゃあ!」


 あちこちで悲鳴が上がる。子供が転び、大人が尻餅をつく。

 普段なら、その悲鳴は吾輩の栄養源(恐怖)になるはずだ。

 だが、今の悲鳴は質が悪い。


「いったーい! ママ、ここ滑る!」


「もう、管理がなってないわねえ」


 管理。

 お前らが勝手に剥がしたんだろうが。

 恐怖ではなく、クレーム。

 これほど不味いエネルギーはない。吾輩は精神的に胸焼けを起こした。

 胃が空っぽなのに、胃もたれする。これが現代病というやつか。


 ──おい、コウモリ。


 吾輩は天井に意識を飛ばした。

 コウモリたちは梁の影で縮こまっている。人が多すぎて、飛ぶスペースがないのだ。

 普段なら「キーッ」とひと鳴きしただけで、冒険者の肩はすくむ。

 だが今は違う。素人は“肩をすくむ”という文化がない。


 ──行け。脅せ。追い払え。


 コウモリが一匹、意を決して飛び出した。

 黒い影が主婦の頭上をかすめる。


「あら、コウモリ」


「やだ、菌とか持ってそう」


 バシッ。

 主婦が持っていた買い物カゴで、コウモリが叩き落とされた。


 ……強い。

 剣を持った冒険者より、特売日の主婦の方が強い説がある。

 コウモリは涙目で天井に戻った。労災認定レベルだ。慰謝料も出ない。


 ──スライム。お前しかいない。


 床を這う掃除係のスライムに命じる。

 彼らは、散らばるゴミ(パンの包み紙、鼻をかんだ紙、折れた棒)の処理に追われ、過労死寸前だった。

 スライムの動きが鈍いとき、吾輩の腹はさらに重くなる。職場の滞りは、管理職の内臓に直結する。


 ──滑らせろ。もっとぬるぬるにして、全員入口から滑り台のように排出せよ。


 スライムが決死の覚悟で分裂し、床を覆う。

 ぬるり、と粘度が増す。

 まるで胃の中に粘液が増えるような、気色の悪い安心感。

 効果はてきめんだった。


「わーい! 滑り台だー!」


 子供たちが歓声を上げて滑り始めた。

 尻で滑り、腹で滑り、キャキャッと笑う。

 ダンジョンが、アミューズメントパークになった瞬間だった。


 吾輩は、天井を見上げた。

 自分自身を見上げるというのは、なかなか虚しい。

 ――完敗だ。


 恐怖の迷宮としての威厳は、子供の笑顔と主婦のたくましさの前に敗れ去った。

 しかもこの敗北は、誰も責めてくれない。責めてくれるのはクレームだけだ。


 夕暮れ時。

 ようやく人が引けた入口に、フタバがいた。

 焚き火をしている。勝手に火を焚くな、煙たい。

 火の匂いが吾輩の内側に染み込み、口内炎がさらに疼く気がする。

 彼女の横には、薬屋の親父が立っていた。


「樋口、これ、本当に効くのか?」


 親父が、濡れた新聞紙のような苔を見て言う。


「効きますよ。……プラシーボ効果くらいは」


 フタバが悪びれもせず言った。

 プラシーボ。吾輩は新しい単語を覚えた。

 「気のせい」を高く売る技術のことらしい。人間は、技術の方向性を誤りがちである。


「お前、いい性格してるな」


「生きる知恵ですよ。……それにほら、ダンジョンだって掃除されて喜んでますよ」


 喜んでいない。

 断じて喜んでいない。


 吾輩は抗議の意を込めて、天井から水滴を落とした。

 ポタリ。

 それがフタバの鼻の頭に命中する。


「つめたっ」


 フタバは鼻をこすり、天井を見上げてニッと笑った。


「あ、怒った? ごめんごめん。また来るね」


 また来る。

 その言葉が、呪詛のように響く。

 彼女は知っているのだ。ここが「安全で、金になる場所」であることを。

 冒険心などない。あるのは計算だけ。

 計算だけの人間が、最も厄介だ。


 吾輩は、荒らされた入口と、過労でしぼんだスライムを見つめた。

 腹は減っているのに、胃はもたれている。


 苔ブームは、まだしばらく続きそうだ。


 プロの冒険者が「あそこは観光地だから」と敬遠し始めるのが先か、苔が全滅するのが先か。

 あるいは――吾輩が別の“稼ぎ方”を思いつくのが先か。


 吾輩はダンジョンである。


 近頃の悩みは、コウモリの治療費と、入口の補修工事についてだ。

 どこかに、静かで礼儀正しい、本物の冒険者はいないものだろうか。


 できれば、怖がり方の上手い奴がいい。






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