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吾輩はダンジョンである。腹も立つが、腹も減るのだ ~恐怖を主食にする迷宮管理職のトホホな日常~  作者: 真野真名


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第二十七話 地上のパラダイスと、地底湖の主




 建物の増築という行為は、単に居住空間を広げるという物理的な意味合い以上に、その主の精神的な余裕あるいは切迫感を如実に表すものである。


 庭先にプレハブ小屋を建てる父親は書斎という名の逃げ場を求めているのであり、地下室を掘り進める富豪は核戦争への恐怖か、あるいは他人に見せられぬ趣味の隠蔽を目論んでいるに違いない。


 いずれにせよ、見えぬ場所へと空間を広げようとする衝動には、現状の閉塞感を打破したいという切実な願いが込められているのが常である。



 吾輩はダンジョンである。


 現在、吾輩の体内――正確には第七階層の倉庫区画のさらに奥深く、岩盤の未踏領域において、大規模な掘削工事が進行中である。


 施工主は吾輩。施工業者は「施設管理部・土木課」のコボルトたちだ。

 目的は、吾輩のコアから溢れ出る過剰な魔力を逃がすための「バイパス手術」である。


 もちろん、先日第三階層の管理を任せた木霊コダマの働きにより、状況は幾分マシにはなっている。


 彼が作り上げた「魔の森」の植物群が、スポンジのように余剰魔力を吸い上げ、毒々しい果実や薬草へと変換してくれているからだ。

 だが、植物による消費にも限界がある。

 B+ランクに昇格し、さらにドラゴンという熱源を抱えた吾輩の代謝熱(魔力生産量)は、一階層分の植物ごときで相殺できる量ではない。

 これ以上吸わせれば、第三階層がジャングルを通り越して「樹海」となり、他の階層まで根が浸食してくる恐れがある。


 魔力を抑え込むだけの「節電経営」は限界であり、植物頼みも綱渡りだ。

 内部圧力を下げ、健全な魔力循環を取り戻すためには、新たな風穴、あるいは物理的な「魔力の捨て場所」を確保する必要があったのだ。


 コボルトたちの仕事ぶりは、感嘆に値するものであった。

 彼らは人間のような設計図を持たない。だが、長老の指示一つで、十数名の作業員が一糸乱れぬ連携を見せ、硬い岩盤を豆腐のように切り崩していく。


 ツルハシが岩を噛む音が、リズミカルな音楽のように響く。

 崩落を防ぐための支柱も、現場で調達した石材を巧みに組み合わせて作り上げる。その手際は、魔術的な補助など不要と言わんばかりの職人芸であった。


 工事は順調に進んでいた。


 当初の予定では、地下水脈に接続し、魔力を水に溶かして下流へと流す計画であった。

 だが、地下数百メートルの深部において、事態は急変した。


 先頭で掘り進めていた若手コボルトのツルハシが、何か硬質な、しかし岩とは違う響きを立てた。

 直後、掘削面が崩れ落ち、猛烈な湿気と冷気、そして濃密な魔力の奔流が吹き出したのである。


「ちょ、長老! 空洞です! とてつもなくデカい空洞が出ました!」


「狼狽えるな! 全員、退避! ガスかもしれん!」


 現場は一時騒然となった。


 吾輩は、意識を掘削現場へと集中させた。

 そこにあったのは、単なる空洞ではなかった。

 広大なる闇。

 吾輩の全階層を合わせたよりも広いかもしれない、巨大なドーム状の空間。そして、その底を満たす、黒く、静謐な水。


 地底湖である。


 長年の間に、吾輩の魔力が地下水脈に溶け込み、比重の重くなった「魔力水」が、地殻の底に溜まってできた、天然の貯水池だ。

 その水面は、天井から垂れ下がる鍾乳石の発光現象を反射し、星空を映した海のように神秘的な輝きを放っていた。


 美しい。


 吾輩の中に、こんな絶景が隠されていたとは。

 これなら、魔力の捨て場所として申し分ない。いや、ここを「第九階層」として開放すれば、新たな観光名所になるかもしれん。

 吾輩が、新たなフロアの活用法に胸を躍らせていた、その時である。


 静寂だった水面が、泡立ちながら不気味に隆起した。


 地震ではない。何かが、水底から浮上してきているのだ。

 小山ほどの大きさがある。

 水が滝のように流れ落ち、現れたのは、ぬらりと光る巨大な軟体質の頭部と、無数に蠢く太い触手。

 そして、皿のように大きな二つの瞳が、工事現場の穴から漏れる光を睨めつけていた。


 クラーケン。


 深海に住まうはずの海の魔獣が、なぜかこんな地下の淡水湖に鎮座していた。


 ――侵入者か?

 ――いや、この気配。相当長い間、ここに住み着いている。


 吾輩が警戒レベルを引き上げようとした矢先、その怪物は、恐ろしく低い、そして陰鬱な念話を飛ばしてきた。


『……眩しい』


 殺意ではない。苦情だった。


『誰だ……我が安眠を妨げる無礼者は。……ただでさえ湿気で頭が痛いというのに、光を当てるな』


 巨大な触手の一本が、まるで頭痛を堪えるかのように、自身の頭部をぺしぺしと叩いている。

 覇気がない。

 伝説の海の魔獣としての威厳が、湿気でふやけてしまっているようだ。


 吾輩は、交渉人ネゴシエーターとしてリッチのパープルを派遣した。

 彼女は、コボルトたちが開けた穴から湖畔へと降り立ち(今日の頭は、コダマが作った「カボチャのランタン」である)、優雅に一礼した。


『お初にお目にかかりまする。当ダンジョンの管理代行、色部パープルと申す。……して、ぬし殿は、如何なる経緯でこのような場所に?』


 クラーケンは、気だるげに触手を揺らした。


『……我か? 我はクラーケン。かつて海で暴れすぎて、勇者とかいう小賢しい人間に追われ、海底の裂け目から地下水脈を通ってここに逃げ込んだのが、かれこれ三百年前か』


 亡命者だった。

 しかも、三百年も引きこもっている筋金入りだ。


『ここは静かでいい。外のように騒がしい船も来ないし、もりを撃ち込んでくる漁師もいない。……だが、いかんせん環境が悪い』


 彼は、長い触手を持ち上げ、先端をさすった。


『見ろ、この肌を。ふやけておるだろう。ずっと水に浸かりっぱなしだ。関節――我に骨はないが――の節々が痛むのだ。いわゆるリウマチというやつだ』


 ――軟体動物がリウマチになるのか?

 ――というか、水棲生物が水に浸かっていて文句を言うな。


『それに、この水だ。魔素が濃すぎる。まるでシロップの中を泳いでいるようだ。身体が重い。息苦しい。……ああ、憂鬱だ。死にたい。いや、もう半分死んでいるようなものだが』


 彼の言い分はこうだ。

 吾輩から漏れ出した魔力が、この湖に高濃度で蓄積し、その影響で彼の身体に不調(魔力中毒による倦怠感と関節痛)をきたしているらしい。

 つまり、吾輩は知らぬ間に、床下の住人に健康被害を与えていたことになる。

 これは、大家としての責任を問われかねない。


 パープルが、同情したようにランタンの光を揺らした。


『さりとて、外へ出れば人間に追われましょう。……何か望みはあるのですか?』


 クラーケンは、水面から顔を出し、遥か上空の岩盤を見上げた。


『……日向ぼっこがしたい』


 ――は?


『乾いた風に吹かれたい。太陽の光を浴びて、このじめじめした皮膚をカラッと乾燥させたい。……スルメになる一歩手前くらいまで、カリカリに焼かれたいのだ』


 彼は切実だった。

 三百年間の地下生活が、彼を極度の「乾燥渇望症」に追い込んでいたのだ。

 だが、クラーケンは巨大すぎる。

 彼が地上に出るには、地盤を大きく破壊せねばならず、そうなれば人間たちに見つかって討伐されるのは目に見えている。


 出たいが出られない。

 乾きたいが濡れていたい(死ぬから)。

 そのジレンマが、彼を陰湿な引きこもりに変えてしまったのだ。


 吾輩は思考した。

 問題点は二つ。


 一つ、吾輩の魔力が逃げ場を失っていること。


 二つ、このクラーケンが魔力過多の水質に苦しみ、日光浴を求めていること。


 ……待てよ。


 この二つ、同時に解決できるのではないか?

 吾輩の中に、画期的な土木計画が閃いた。

 名付けて『魔力排出・兼・直通ウォータースライダー計画』である。


 吾輩は、コボルトたちに新たな指示を出した。

 地底湖から、垂直に地上付近まで伸びる「縦穴」を掘ること。

 そして、その穴に、吾輩の石材操作能力で、滑らかなパイプ状の通路を形成する。


 原理は単純だ。

 地底湖の水圧と、吾輩の魔力による揚水ポンプ機能を使って、湖の水を地上付近まで汲み上げるのだ。

 

 地上――入り口から離れた、森の中に隠された岩場に隠蔽の結界を張り、大きな「露天風呂プール」を作る。

 そこへ、地底湖の魔力水を循環させる。

 クラーケンは、そのパイプを通って高速で地上へ移動し、プールで日光浴を楽しむ。

 身体が乾きそうになったら、またパイプを通って地底湖へ戻ればいい。


 これなら、吾輩の余剰魔力は大量の水に希釈され、循環する中で少しずつ放出されて行く。合わせてクラーケンの健康問題も解決する。


 完璧だ。

 自画自賛したくなるほどの名案である。

 吾輩はこの案を提示した。


『……ほう? 我専用の、直通通路だと?』


 クラーケンの目に、三百年間失われていた生気が戻った。


『地上へ……太陽の下へ行けるのか? 誰にも邪魔されずに?』


 ――そうだ。

 ――ただし条件がある。

 ――お前には、この地底湖の「水質管理責任者」になってもらう。

 ――普段はこの第九階層に留まり、侵入者を排除しつつ、魔力水の循環ポンプを触手で回すのだ。


 労働の対価としての、日光浴。

 ホワイト企業的な福利厚生の提案である。


『……悪くない。いや、魅力的だ』


 クラーケンは、太い触手を一本持ち上げ、吾輩の方へ差し出した。握手のつもりらしい。


『契約しよう、大家殿。……我は働くぞ。カリカリになるために』


 交渉成立である。


 そこからの工事は、まさに突貫作業であった。

 コボルトたちは「巨大なイカ様のためだ!」と叫びながら、垂直トンネルを掘り抜いた。

 吾輩は全魔力を動員し、岩盤を加工し、水漏れのない強固なパイプを構築した。


 地上のプールは、コダマが担当した。

 「リゾート風にしたるわ」と言って、周囲に南国風の巨大な葉を持つ植物を植え、目隠しと雰囲気作りを完璧に行った。


 そして、完成の日。

 

『行くぞ……! 我が夢の、乾燥ライフへ!』


 クラーケンは、地底湖の取水口に身を躍らせた。

 凄まじい水圧と共に、巨体がパイプの中を上昇していく。

 

 数分後。

 地上のプールに、巨大な水柱が上がった。


 打ち上げられたクラーケンは、プールの水面に浮かび上がり、そして空を見上げた。

 そこには、眩いばかりの太陽があった。


『ああ……! 暖かい……! 乾く……! 我が皮膚のぬめりが、パリパリになっていく……!』


 彼は、プールの縁に触手をだらりと垂らし、至福の表情(口はないが目が笑っている)で日光を浴びた。

 森の鳥たちが驚いて逃げていくが、彼は気にしない。

 ただひたすらに、紫外線を吸収している。


 一方、地下では。

 クラーケンが水を押し上げたことで、地底湖の圧力が下がり、吾輩の魔力循環が劇的に改善されていた。

 詰まっていた配管が通ったような爽快感。


 節電モードで鬱屈していた空気が晴れ、適度な魔力がダンジョン全体に行き渡る。

 照明の発光苔が、再び明るく輝き出した。


 罠の威力も、即死級に戻った(これは冒険者には内緒だ)。

 温泉の温度も上昇し、ヴォルグが香箱座りを解除して、偉そうに伸びをしている。

 万事解決である。

 ただ、一つだけ誤算があった。

 

 第九階層、地底湖エリア。

 ここを開放したことで、冒険者たちが新たな攻略に乗り出したのだが、難易度が跳ね上がってしまった。

 水中戦など、普通の冒険者には不可能だ。

 しかも、ボスであるクラーケンは、天気の良い日は地上で日向ぼっこをしているため、不在のことが多い。

 

 冒険者たちは、空っぽの地底湖のほとりで、首を傾げることになる。


「おかしいな、ボスがいないぞ」

「レアモンスターなのか?」

「いや、見ろ。あそこに置き手紙がある」


 湖畔の岩には、パープルが書いた達筆な看板が立てられている。


『本日の階層主は、有給休暇を頂いております。次回出現予定は、雨天時となります』


「……ホワイトかよ!」


 冒険者のツッコミが、広大な地底湖に虚しく響く。



 吾輩はダンジョンである。


 組織が大きくなれば、悩みも増えるが、解決策もまた多様になるものだ。

 陰湿な引きこもりも、環境さえ整えれば、陽気なリゾート満喫者に変わる。

 

 ……しかし、クラーケンよ。

 日焼けして赤くなった体を、「茹でダコみたいで美味しそう」と言ってブランカが狙っているぞ。

 あまり焼きすぎるのも考えものだ。





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