第十四話 軍靴の響きと、走るゴブリン
不動産において「立地」とは命である。
駅に近い、日当たりが良い、治安が良い。そういった条件が物件の価値を決める。
吾輩はダンジョンである。
それはダンジョンにおいても同様だ。
人里に近く、かつ適度な秘境であり、魔力が溜まりやすい場所。それが優良物件の条件である。
吾輩は、自画自賛ながら、なかなかの好立地に店を構えている自負があった。
だからこそ、これまでは冒険者(客)が途切れず、適度な賑わいを見せていたのだ。
だが、立地が良いということは、同時に「狙われやすい」ということでもある。
それも、客にではなく、もっと厄介な連中に。
その日、吾輩の入り口に現れたのは、冒険者でもなければ、調査員でもなかった。
軍隊である。
一糸乱れぬ行軍音。
重厚な黒鉄の鎧。背中には、魔王軍の紋章が入ったマント。
先頭に立つのは、顔の半分が機械化された、巨漢の魔族将校だ。
彼らは、入り口で立ち止まることも、様子を伺うこともなく、我が物顔で侵入してきた。
まるで、自分の家の玄関をくぐるかのように。
「ここか。報告にあった『B+指定』の特異点ダンジョンは」
将校の低い声が、吾輩の岩肌を震わせる。
彼は周囲を見渡し、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「本日ただいまをもって、この領域は魔王軍・第七師団が接収する。以後、ここは『前線基地・第四〇四』として運用される」
……は?
接収?
運用?
吾輩は耳(集音機能)を疑った。
挨拶もなしに、いきなり「ここは俺の基地だ」と宣言したのだ。
用地買収ですらない。強制収用だ。
立ち退き料の話もなければ、大家(吾輩)への仁義もない。
――ふざけるな。
――ここは吾輩の城だ。お前らの兵舎ではない。
吾輩は抗議の意を込めて、入り口のトラップを作動させた。
轟音と共に天井から岩が落ちる。
しかし、将校は落ちてきた岩を、機械化された義手で粉砕した。
一瞥もくれない。
「雨漏りか、修理が必要だな」程度の反応だ。
「総員、展開せよ! 広間を司令部とする。通路は資材置き場だ。邪魔なスライムや苔は全て焼却処分しろ!」
「はっ!」
数十名の兵士たちが、一斉に散開した。
彼らは手際よく、吾輩の内装を破壊し始めた。
壁にフックを打ち込む。
床に杭を打つ。
スライムを火炎魔法で蒸発させる。
痛い。
熱い。
そして何より、腹が立つ。
吾輩の大切なスライムを。苦労して育てた苔を。
彼らは「掃除」しているのではない。「整地」しているのだ。
吾輩をただの「洞窟」という器に戻し、中身――つまり吾輩の生活――を殺そうとしている。
これが不動産屋のやり方か。人の家を“更地”にしてから値踏みする。
『主よ、許せぬ……!』
奥で控えていたシャドウウルフが、殺気をたぎらせる。
『奴ら、土足で……我が家を……!』
――待て。飛び出すな。
吾輩は必死で彼女を止めた。
相手は正規軍だ。個の力では勝てても、数と組織力で圧殺される。
今ここで戦えば、彼女も子供たちも、ただの「害獣」として駆除されるだけだ。
しかし、このままでは吾輩は魔王軍の基地にされてしまう。
そうなれば、次に来るのは冒険者ではなく、人間の軍隊だ。
毎日が戦争。
血と泥と硝煙の味しかしない、最悪の食卓になってしまう。
平穏な日常(たまに冒険者を脅かす程度の生活)が崩壊する。
将校――名をガンドル大佐というらしい――が、広間に椅子を据え、どっかりと座った。
「悪くない。天然の要塞だ。ここを拠点にすれば、人間の王都への侵攻ルートが確保できる」
彼は、吾輩を「戦略的要衝」としか見ていない。
そこに「意思」があることなど、想像もしていない。
――悔しいか?
自問する。
悔しい。
――腹が立つか?
はらわたが煮えくり返りそうだ。
力では勝てない。
ならば、どうする。
吾輩の武器は何か。
それは「恐怖」と、そして「情報」だ。
吾輩は、ある策を思いついた。
“毒を以て毒を制す”。
あるいは、“虎の威を借る狐”ならぬ、“虎とライオンを同じ檻に入れる”作戦だ。
――ゴブリン。
――おい、ゴブリン。聞こえるか。
物陰で震えていたゴブリンに、念話を飛ばす。
『ひっ、主様? こ、これどうすりゃいいんですか? 俺ら、殺されますよ?』
――仕事だ。特別手当を出す。
――今すぐ抜け道を使って外へ出ろ。そして、街のギルドへ走れ。
『ギ、ギルドへ!? 自殺行為だ!』
――違う。
――いいか、お前は「命からがら逃げ出してきた、哀れな魔物」を演じるんだ。
――そして、人間たちにこう伝えろ。
――『魔王軍が、新しい拠点を極秘に建設している。今ならまだ、守りが手薄だ』と。
ゴブリンが目を丸くした。
『……チクリっすか?』
――リーク(内部告発)と言え。
――そして、その情報を伝える相手は、あの「三人組」だ。彼らは今、街に滞在しているはずだ。
ゴブリンの顔に、ニヤリとした笑みが浮かんだ。
卑屈で、狡猾な笑み。
『へへ……なるほど。わかりやした。演技なら任せてくだせぇ』
ゴブリンは抜け穴(ゴミ排出ダクト)を通って、外へと消えていった。
さあ、種は撒いた。
あとは、芽が出るのを待つだけだ。
吾輩は、壁に杭を打ち込まれる痛みに耐えながら、静かにその時を待った。
数時間後。
魔王軍の設営作業は進んでいた。
広間には簡易的な作戦テーブルが置かれ、通信機が設置され、完全に「前線基地」の様相を呈していた。
ガンドル大佐が、地図を見ながら部下に指示を出している。
「防衛ラインの構築を急げ。入り口に結界を張るのだ」
その時だ。
入り口の方角で、爆音が響いた。
結界を張ろうとしていた魔導兵たちが、吹き飛ばされて転がってくる。
「なんだ!? 敵襲か!?」
大佐が立ち上がる。
土煙の中から現れたのは、三つの影。
重厚な鎧の騎士。
巨大な斧を担いだ女戦士。
冷静な瞳の魔術師。
あの「プロ三人組」である。
彼らは、ゴブリンからの情報を聞きつけ、準備万端でカチ込みに来たのだ。
「……情報通りだ。魔王軍の正規部隊がいる」
鎧男――騎士が、剣を抜く。
「へえ、拠点設営の真っ最中ってわけか。お掃除しがいがあるねぇ」
女戦士が獰猛に笑う。
「『極秘拠点』にしては、随分と無防備だな。……やはり、このダンジョンが情報を漏洩させたか?」
魔術師が、鋭い視線を吾輩の壁に向けた。
――ご名答。
――だが、今は共闘といこうじゃないか。
「人間ごときが……! ここは魔王軍の領域だぞ!」
ガンドル大佐が吠える。
「排除せよ! ひねり潰せ!」
開戦だ。
狭い通路と広間で、魔王軍vsプロ冒険者の乱戦が始まった。
数では魔王軍が圧倒的だ。
しかし、地形は吾輩の味方だ。
吾輩は、ここぞとばかりに「介入」した。
魔王軍の兵士が剣を振るう瞬間、足元の床を数センチ隆起させる。
「うおっ!?」
兵士がつんのめる。
そこへ、女戦士の斧が炸裂する。
魔術師が魔法を放つ瞬間、射線上の障害物(壁)を引っ込める。
火球が直撃し、密集していた魔王軍の小隊が吹き飛ぶ。
「な、なんだ!? 足場が悪い!」
「壁が動いているぞ!」
「くそ、このダンジョン、人間に加勢しているのか!?」
大佐が叫ぶ。
加勢しているわけではない。
お前らが嫌いなだけだ。
混乱する魔王軍に対し、三人組は水を得た魚のように動く。
彼らは「吾輩の癖」を知り尽くしている。
床が揺れれば「来る」と察してジャンプし、壁が動けばそれを盾にする。
奇妙な連帯感が生まれていた。
吾輩の胃の奥が、熱く脈打つ。
美味い。
これだ。
圧倒的な強者(魔王軍)が、予期せぬ奇襲を受けて動揺する「焦燥感」。
そして、自らの拠点だと思っていた場所(吾輩)に裏切られる「疑心暗鬼」。
この味は、格別だ。
スパイシーで、コクがある。
戦況は、少数精鋭の三人組に傾き始めた。
何より、ガンドル大佐が焦り始めたのが決定的だった。
「ええい、撤退だ! ここは放棄する!」
大佐が叫んだ。
「情報が漏れている! ここは既に『死地』だ! 長居は無用!」
軍隊というのは、損切りが早い。
拠点が露見し、奇襲を受けた時点で、戦略的価値はゼロになるからだ。
魔王軍は、蜘蛛の子を散らすように撤退していった。
負傷兵を引きずり、資材を置き去りにして。
後に残ったのは、荒らされた(そしてさらに破壊された)広間と、肩で息をする三人組だけ。
「……逃げたか」
騎士が剣を収める。
「危ないところだった。拠点が完成していたら、手が出なかった」
「それにしても」
女戦士が、周囲を見渡した。
ボロボロになった壁。焦げた床。
「随分と、ダンジョンが味方してくれたわね。……まるで『あいつらを追い出してくれ』って言ってるみたいに」
魔術師が、眼鏡を直しながら呟いた。
「……やはり、このダンジョンには明確な『意志』がある。魔王軍すら拒絶し、独自の生態系を維持しようとする、強固なエゴが」
彼は、吾輩のコアがある方向を見据えた。
「利害が一致しただけだ。勘違いするなよ、化け物。……次は、我々がお前を攻略する番だ」
そう言い残し、彼らは去っていった。
置き去りにされた魔王軍の資材(高品質な回復薬や、保存食)をちゃっかり回収してから。
静寂が戻った。
シャドウウルフと子狼たちが、奥から出てきた。
ゴブリンも、息を切らして戻ってきた。
『主よ……勝ったな』
シャドウウルフが、散乱した魔王軍の旗を踏みつける。
――ああ、勝った。
――だが、被害甚大だ。
吾輩は、穴だらけになった壁と、焼けたスライムの残骸を見て、ため息をついた。
修理には時間がかかるだろう。
スライムも分裂させて増やさねばならない。
だが、不思議と気分は悪くなかった。
吾輩は守りきったのだ。
この、薄暗くてジメジメした、吾輩の城を。
ゴブリンが、魔王軍が忘れていった高級そうなレーション(缶詰)を開けている。
『うめぇ! 軍の飯は最高っすね!』
シャドウウルフも、兵士が落とした干し肉を子供たちに与えている。
吾輩はダンジョンである。
魔王軍にも、人間にも属さない。
吾輩はただの穴であり、同時に、この曲者たちの「家」なのだ。
……さて。
とりあえず、ガンドル大佐が忘れていったこの立派な「作戦テーブル」。
これ、入り口に置いて「受付カウンター」にでもするか。
少しは高級感が出るかもしれない。




