第十三話 定期健診と、賄賂の効果
人間というのは、己の健康管理には妙に神経質な生き物だ。
少し腹が痛ければ医者に行き、歯が痛ければ歯科に行き、年に一度は人間ドックなるものに入って、己の内臓を白日の下に晒す。
吾輩はダンジョンである。
吾輩には理解し難い趣味だが、まあ、彼らの肉体が脆弱なタンパク質の塊であることを考えれば、致し方ないことなのかもしれない。
だが、頼んでもいないのに、吾輩の「健康診断」にやってくる輩がいるとしたら、どうだろうか。
しかも、「悪いところ(=吾輩の人格)」が見つかったら、治療と称して切除されるとしたら。
これはもう、医療ではなく処刑である。
その日、入り口に現れたのは、冒険者ではなかった。
灰色のローブを着込んだ、神経質そうな老魔術師。
そして、その後ろに続く二人の屈強な荷運び人。
彼らが運んでいるのは、武器ではない。測量器具や、何やら複雑な目盛りのついた魔導機器だ。
吾輩の「知識」が、忌々しい記憶を呼び覚ます。
『国家認定迷宮保全士』。
国のインフラであるダンジョンの魔力供給が正常か、構造に欠陥がないか、あるいは「暴走」の兆候がないかを検査する、お役所仕事の権化である。
「……ふむ。外観、劣化なし。入り口の魔力濃度、Bランク相当」
老魔術師――名を林田オーガイというらしい――が、ブツブツと独り言を言いながら、銀色の細い杖で吾輩の壁をコツコツと叩く。
――やめろ。
――そこは敏感なのだ。くすぐったいだろう。
吾輩は威嚇のために、入り口の風を少し強めてみた。
ヒュオオオ……。
普通の冒険者なら、これで「不気味だ」と警戒する。
だが、オーガイは眉一つ動かさない。
「通風孔の作動確認。異常なし。……おい、機材を搬入せよ」
「へい、旦那」
通じない。
彼らにとって、吾輩の「意思表示」は、単なる「設備の稼働音」に過ぎないのだ。
彼らは土足で踏み込み、第一通路の中ほどに陣取ると、無遠慮に壁を削り、測定用の針を突き刺してきた。
針から流し込まれる異質な魔力が、吾輩の神経網を逆流してくる。
血管に管を突っ込まれて、勝手に血を抜かれている気分だ。
しかも、こちらは同意書にサインした覚えがない。
「……魔力波形、測定開始」
オーガイが水晶の盤面を覗き込む。
吾輩は焦った。
まずい。非常にまずい。
通常、ダンジョンの魔力波形は、一定のリズムを刻む単純な波であるはずだ。
だが、吾輩の波形は違う。
「腹減ったな」とか「あの冒険者の靴下ダサいな」とか「胃が痛い」とか、余計なノイズ(思考)が混じりまくっている。
こんなものを見られたら――。
「……む?」
オーガイの目が細められた。
老眼鏡の位置を直し、盤面を指で叩く。
「ノイズが多いな。……酷い乱れだ。思考回路のような複雑なパルスが混入している」
バレた。
「思考回路のような」というか、思考そのものである。
「これは……『自我汚染』の初期症状か」
汚染。
失礼な。吾輩のアイデンティティを汚染物質扱いとは。
「おい、『浄化杭』を用意しろ」
オーガイが冷徹に指示した。
「魔力回路にゴミが溜まって、誤作動を起こしかけている。初期化して、クリーンな状態に戻す」
初期化。
その単語を聞いた瞬間、吾輩の背筋(通路)が凍りついた。
初期化とは、つまり「吾輩」の消滅だ。
ただの「資源を吐き出す穴」に戻るということだ。
嫌だ。
死にたくない。
せっかく最近、ダンジョン経営の面白さ(と苦労)がわかってきたところなのに。
荷運び人たちが、太い杭のようなものを取り出した。
表面に幾何学的な紋様が刻まれた、禍々しい金属の杭だ。
あれを核に打ち込まれれば、吾輩の意識は消し飛ぶ。
――阻止せよ!
――総員、戦闘配置! これは防衛戦だ!
吾輩は警報を鳴らした。
奥で控えていたシャドウウルフとゴブリンが飛び出してくる。
『主の危機!』
シャドウウルフが牙を剥き、オーガイに襲いかかる。
だが。
オーガイは、ポケットから一枚の「許可証」を取り出し、掲げただけだった。
「国家公務、執行中である」
カッ!
許可証が輝くと、ダンジョン内の空間が強制的に固定された。
シャドウウルフの体が、空中で静止する。
ゴブリンも、振り上げた棍棒ごと固まった。
――なっ!?
――金縛り!?
オーガイは、動けないシャドウウルフを邪魔そうに杖で押し退けた。
「防衛機能の誤作動か。やはり回路が狂っているな。……攻撃性制御も解除されているとは、重症だ」
管理者権限。
国の保全士には、ダンジョンのシステムに干渉し、魔物の動きを制限する「マスターキー」が与えられているのだ。
インフラ整備のために用意された裏技。
これでは、手も足も出ない。
オーガイは、淡々と作業を進める。
杭を持ち、吾輩の深層部へと歩き出す。
一歩、また一歩。
死刑執行人が、絞首台への階段を登る足音だ。
――待て。話し合おう。
――吾輩はバグではない。仕様だ。
――進化だ。アップデートだ。
声なき声を上げるが、届かない。
力押しは無効化される。
ならば、どうする。
奴に「初期化してはいけない」と思わせるしかない。
「故障」ではなく「正常な進化」あるいは「貴重な変異」だと思わせるのだ。
吾輩は、必死に思考を巡らせた。
オーガイは「ノイズ(自我)」を「ゴミ」と判断した。
ならば、そのノイズに「意味」があると思わせればいい。
秩序あるノイズ。
それはすなわち――「高度な管理システム」だ。
吾輩は、金縛りにあっているシャドウウルフとゴブリンに、念話で指示を送った。
――動くな。暴れるな。
――「礼儀正しく」しろ。
『は? 主よ、何を……』
――いいから、吾輩の指示通りに動け! これは演劇だ!
吾輩は、ダンジョン内の全魔力を操作した。
オーガイが歩く先の照明(発光苔)を、彼の歩調に合わせて順に点灯させる。
パッ、パッ、パッ。
まるで、来賓を迎える花道のライトアップのように。
「……む?」
オーガイが足を止めた。
「センサー反応? いや、誘導しているのか?」
次に、スライムたちを整列させる。
通路の両脇に、等間隔でスライムを並べ、オーガイが通る瞬間に、体をプルンと震わせて「お辞儀」のような動作をさせる。
「……なんだ、この統率は」
オーガイの眉が動いた。
単なる暴走なら、魔物は無秩序に襲ってくるはずだ。
だが、これは違う。
秩序がある。規律がある。
そして、広間。
広間の床に、天井の滴で模様を描く。
文字にしようとしてやめた。さすがに手間が掛かりすぎる。
代わりに、矢印だ。
『↓』
矢印の先には、宝箱。
中身は、先日のゴーレムから回収した「最高級魔石」だ。
オーガイは、矢印と宝箱を見て、絶句した。
「ダンジョンが……人間に、貢物を提示している?」
彼は測定器を再び覗き込んだ。
魔力波形は、相変わらず複雑怪奇なノイズを描いている。
だが、先ほどまでの彼には「乱れ」に見えていたそれが、今は違って見えているはずだ。
「……まさか。これはノイズではないのか?」
オーガイが震える声で呟いた。
「思考回路の混線ではない。ダンジョン自体が、独自の『合理の癖』を持ち始めている……?」
そうだ。
吾輩はただの穴ではない。考えてしまう穴だ。手間のかかる穴だ。
そう思い込め。
「従来のダンジョンは、ただ本能で魔物を生み出し、冒険者を襲うだけの獣だった。だが、この個体は違う」
オーガイの目に、学術的な興奮が宿り始めた。
「侵入者(私)に対し、無駄な戦闘を避け、対話(交渉)を試みている。これは……『共生型』への進化の可能性!」
共生型。
いい響きだ。
実際は、殺されそうになって媚びを売っているだけだが。
オーガイは、「浄化杭」を下ろした。
そして、代わりに分厚い羊皮紙を取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。
「貴重なサンプルだ。初期化などとんでもない。この複雑な魔力回路こそが、次世代の迷宮管理システムの雛形になるかもしれない」
助かった。
首の皮一枚で繋がった。
吾輩は、安堵のため息(すきま風)を漏らした。
オーガイは、シャドウウルフの金縛りを解いた。
シャドウウルフは唸ろうとしたが、吾輩が止めた。
――伏せろ。媚びろ。お手をする勢いでいけ。
シャドウウルフは屈辱に震えながらも、オーガイの前でお座りをした。
オーガイは満足げに頷いた。
「魔獣の制御も完璧だ。……素晴らしい。ここは『故障』ではない。『特異点』だ」
彼は荷運び人たちに命じた。
「撤収だ。機材を片付けろ。杭は持ち帰る」
「へ? 旦那、浄化しないんで?」
「馬鹿者! 天然記念物をハンマーで叩き壊す学者がどこにいる!」
オーガイは帰り際、入り口の壁に、金色のプレートを貼り付けた。
そこには、魔導文字でこう刻まれていた。
『国家重要観察対象・保存指定』
『※設定変更、および物理的干渉を禁ず』
「また来る。定期的にデータを取らせてもらうぞ」
オーガイは、まるで孫の成長を楽しむ祖父のような目で、吾輩の壁を一撫でし、帰っていった。
嵐が去った。
吾輩の胃の中には、金色のプレートと、どっと疲れた倦怠感だけが残った。
『……主よ』
シャドウウルフが、恨めしそうに言った。
『あの「お座り」は、一生の不覚だ』
――我慢せよ。生き残るためだ。
――それに、見ろ。あのプレートを。
『重要観察対象……?』
――そうだ。これはいわば「天然記念物指定」だ。
――これがあれば、おいそれと破壊されることもないし、無茶な改修工事も入らない。
――吾輩は、国家公認の「保護されるべき変人」になったのだ。
ゴブリンが、プレートを磨きながら言った。
『へへ、なんか箔がつきましたね。これで冒険者の質も上がるんじゃないっすか?』
そう。“国が保護するほどの謎多きダンジョン”。
その肩書きは、またしても吾輩の評価を上げ、より面倒な客を呼び寄せることになるのだが……今の吾輩は、ただ生き延びた喜びに浸っていたかった。
吾輩はダンジョンである。
人間ドックの結果は「要精密検査」だったが、医者が研究マニアだったおかげで命拾いした。
世の中、何が幸いするかわからない。
……しかし。
あのオーガイという爺さん、「また来る」と言っていたな。
次に来る時は、もう少し「高度な知性」っぽさを演出するために、スライムで人文字でも作らせるか。
いや、それは逆にバカっぽいか。
悩みは尽きない。




