第十話 業務監査と、過大評価のメカニズム
世の中には「藪蛇」という言葉がある。余計なことをして、かえって災いを招くことの喩えだ。
だが、何もしなくても勝手に藪から大蛇が出てきて、勝手に神格化されていく場合は、一体なんと言えばいいのだろうか。
「棚から牡丹餅」ならぬ、「棚から魔王認定」とでも言うべきか。
吾輩はダンジョンである。
先日の「キッズスペース開設」の件。
あれはあくまで、子狼たちを隔離し、職場環境(罠の稼働率)を正常化するための苦肉の策であった。
しかし、あのプロ冒険者三人組が残した「あそこは魔獣の育成施設だ」という妄言が、どうやら尾ひれをつけ、背びれを生やし、最終的には翼まで生えてギルドの上層部まで飛んでいったらしい。
“未成熟な魔獣を組織的に育成し、将来的な戦力として保有している疑いあり”
そんな物騒な報告書が回った結果、吾輩の元に「彼ら」がやってきた。
冒険者ギルド監査部・特別調査班。
彼らは、剣や魔法で襲ってくる無礼者たちとは一線を画していた。
揃いの灰色のローブ。手には武器ではなく、分厚い羊皮紙の束と、計測機器(魔力計)。
そして何より、目が死んでいる。
感情の一切ない、事務的かつ冷徹な「査定」の目だ。
――嫌な連中が来た。
吾輩は直感した。
彼らは「恐怖」も「興奮」も発しない。ただ淡々と事実を確認し、チェックリストにレ点を書き込むだけだ。
飲食店に保健所の抜き打ち検査が来たような、あの胃の痛くなる緊張感である。
「……深度一、入り口付近。魔力濃度、規定値内」
「トラップの配置、古典的だがメンテナンス状況は良好」
「清掃(スライム)の稼働率、高め。衛生管理よし」
先頭の男が、ブツブツと独り言を言いながら進んでくる。
反応がない。驚きもしない。
落とし穴を見ても「ああ、深さ3メートルか。致死性低いな」とメモるだけ。
面白くないことこの上ない。
やがて、彼らは問題のエリア――『キッズスペース』へと足を踏み入れた。
そこには、今日も今日とて無邪気に遊ぶ子狼二匹と、それを遠巻きに見守る母親(シャドウウルフ)、そして世話係のゴブリンがいた。
「……報告にあった『育成室』か」
監査官の眼鏡がキラリと光る。
子狼たちは、見慣れない灰色の集団に興味津々だ。
キャンキャン! と鳴いて近づこうとする。
監査官の一人が子狼の方に手をかざした。
「障壁強化しますか?」
「構わん。接触反応を見る。……魔獣の警戒心レベル、極めて低し」
「人間に慣れているな。これは餌付けされている証拠だ」
「記録せよ。『冒険者への親和性を高め、懐に入り込む訓練が施されている可能性あり』」
――違う。
――ただ甘やかされて育っただけだ。
吾輩の心の叫びは届かない。
彼らは「子狼が尻尾を振った」という事実を、「高度な擬態行動」と解釈してメモを取っている。
頭が良すぎる馬鹿というのは、始末に負えない。
その時、監査官のリーダー格である男が、壁に手を当てた。
そこは、吾輩の「核」に近い、神経が集中している壁面だった。
「……ふむ。ここの魔力回路はどうなっている?」
男は、あろうことか小槌のような道具で、コンコンと壁を叩き始めた。
さらに、鋭利な杭のような魔道具をねじ込もうとする。
「構造サンプルの採取を行う」
――痛ッ!
――やめろ、そこは敏感なんだ!
――いきなり身体検査をするな! 令状を見せろ!
吾輩の内部に、不快感と微かな痛みが走った。
叫び声を上げたいが、ダンジョンには口がない。
吾輩は身をよじり、天井の砂を落として抗議した。
その瞬間である。
「ヴゥッ……!!」
低い唸り声が響いた。
母親ではない。
子狼の一匹だ。
彼は、いつも吾輩の壁に体を擦り付け、温かい場所を探して寝ている、あの一匹だ。
彼は感じ取ったのだ。
自分の「家」であり「揺り籠」である吾輩が、不快な思いをしていることを。
子狼の全身の毛が逆立った。
まだあどけない瞳が、一瞬だけ、鮮烈な深紅に染まる。
――静寂。
そして。
ギャンッ!!
それは咆哮というより、赤子の泣き叫ぶ声に近かった。
だが、その声に乗っていたのは、空気の振動だけではない。
純粋で、圧縮された、生の魔力だった。
それは、監査官の足元で、小規模な魔力爆発を起こした。
子狼の感情に、吾輩の魔力が共鳴し、増幅されて噴出したのだ。
一種の「事故」である。漏電みたいなものだ。
「うわぁッ!?」
リーダーが吹き飛んだ。
羊皮紙が宙を舞い、眼鏡が飛ぶ。
幸い、怪我は軽い。前髪がチリチリに焦げ、尻餅をついただけだ。
だが、その場の空気は凍りついた。
子狼は「やってやったぞ」という顔で、プンスカと鼻を鳴らしている。
母親のシャドウウルフが、慌てて子供を咥えて後ろに下がった。
――あーあ。やったな。
――これは公務執行妨害だ。営業停止処分待ったなしだ。
吾輩は観念した。
これできっと「危険な魔獣を管理できていない」として、駆除命令が出るに違いない。
さらば、子狼たち。短い付き合いだったが、楽しかったぞ。
しかし。
立ち上がったリーダーの顔に浮かんでいたのは、怒りではなかった。
「戦慄」だった。
「……見たか?」
震える声で、彼は部下たちに問うた。
「は、はい。確認しました」
部下たちもまた、青ざめた顔で頷く。
「詠唱なしだ。動作もなし。ただ『吠えた』だけで、魔力障壁を貫通した」
「あの個体、生後数ヶ月ですよね? 通常なら魔力の制御など不可能なはず……」
「……これが『教育』の成果か」
リーダーが、煤けた顔でゴクリと唾を飲み込んだ。
「ダンジョン本体が攻撃したのではない。ダンジョンの意思を察知した『眷属』が、自律的に防衛行動をとったのだ。しかも、殺さない程度の手加減付きで」
――いや、手加減というか、単にまだ力が弱いだけで……。
「恐ろしい……。なんと完成された防衛システムだ」
彼らの解釈(妄想)は、加速していく。
「一見すると無害な幼体。冒険者を油断させ、懐に入り込む愛らしさ。だが、ひとたびダンジョンに害をなそうとすれば、即座に牙を剥く」
「アメとムチの使い分けですね」
「物理的なトラップよりもタチが悪い。これは、冒険者の『心理』を逆手に取った、高度な精神攻撃型迷宮だ」
メモを取るペンの音が、カッカッカッ!と早まる。
彼らの目には、もう可愛い子狼は映っていない。
「可愛らしい外見をした生体兵器」として映っている。
リーダーが立ち上がり、厳かに宣言した。
「調査終了。撤収する!」
「評価は?」
「『Dランク・初心者向け』の看板は撤去だ。ここはそんな生易しい場所じゃない」
彼は、吾輩の天井(顔だと思っているらしい)を見上げ、敬意すら滲ませて言った。
「見事な育成手腕だ。……だが、我々もプロだ。この危険性、見過ごすわけにはいかない」
彼らは逃げるように、しかし隊列を乱さず去っていった。
嵐が去った。
残されたのは、キョトンとしている子狼と、オロオロしているゴブリンと、わけがわからず呆然としている吾輩だけである。
数日後。
ダンジョンの入り口に、新しい看板が立てられた。
ギルド公認の、真新しい警告板だ。
『危険指定区域』
『指定ランク:B+(推定A)』
『特記事項:知能を持った魔獣の組織的運用あり。精神干渉への耐性がない者の入坑を禁ず』
『※初心者、および観光目的の立ち入りを固く禁ずる』
……B+。
一気に三階級特進である。
入り口には、頑丈な柵まで設けられ、ギルドの監視員が定期巡回することになった。
これまで来ていた「お弁当カップル」や「家族連れ」は、入り口の看板を見て、顔を引きつらせて引き返していく。
「ここ、そんなにヤバい場所だったのか……」
「知らなかった。可愛いワンちゃんがいるって噂だったのに、あれが『精神干渉』の罠だったなんて」
「危ないところだった。魂を食われるところだったぜ」
客足は激減した。
だが、代わりにやってくるのは、
「Bランクと聞いて腕試しに来た」
「噂の『精神支配ダンジョン』を攻略してやる」
という、目つきの鋭い、本物の手練れたちばかりになった。
彼らは強い。
彼らが発する「緊張感」と「殺気」は、濃厚で、極上の味わいだ。
スライムは踏み潰され、ゴブリンは殴り飛ばされるが、それでも彼らが落としていく「恐怖」と「絶望(全滅した時の味)」は、以前の比ではないほど高カロリーだ。
――美味い。
――美味いけれど、重い。
最近の吾輩は、常に胃もたれ気味である。
高級フレンチを毎日食べさせられているようなものだ。たまにはジャンクフード(初心者の悲鳴)も恋しい。
夜。
静かになったダンジョンで、例の子狼が、また吾輩の壁に寄り添って眠っている。
あの一撃以来、彼は自分の力に自信を持ったのか、少しだけ胸を張って歩くようになった。
吾輩は、そっと天井から埃を落とし、彼の頭を撫でてやった(つもりになった)。
何も計画していない。
何も説明していない。
ただ、成り行きに任せていただけだ。
それなのに、吾輩はいつの間にか「魔王軍の戦略拠点」みたいな扱いを受けている。
評価経済社会とは、なんといい加減で、滑稽なものなのだろう。
入り口の方で、監視員がボソボソと話しているのが聞こえる。
「……静かすぎる。これは、嵐の前の静けさだぞ」
「ああ。中の主は、今頃我々をどう料理するか、策を練っているに違いない」
練っていない。
今はただ、明日の献立(どの冒険者をどう脅かすか)を考えているだけだ。
吾輩はダンジョンである。
実力以上に評価されるというのは、悪い気分ではない。
だが、背伸びをした分だけ、足元が留守になるのではないか。
そんな一抹の不安を抱えながら、吾輩は今日も、暗闇の中で口を大きく開けて待っているのである。
……あ、コラ。子狼。
そこでオシッコをするな。
「聖水」だと思われて、また変な噂が立つだろうが。




