協力者
どれくらいの間、自室の闇に沈んでいただろうか。腹は減らず、喉も乾かない。ただ、心の奥底で焦燥感だけが黒い染みのようにじわじわと広がっていく。
このままではいけない。このまま、見えない誰かの筋書き通りに朽ち果てていくのは、ごめんだ。
他に頼れるあてなど、どこにもない。
ユウキは、まるで亡霊のような足取りで夜の街へ出ると、あの路地裏へと向かっていた。藁にもすがる思いだった。
からん、とドアベルが鳴る。店の主、カエデはカウンターの奥で、静かに文庫本を読んでいた。ユウキの憔悴しきった姿を認めると、彼女はわずかに眉を寄せたが、何も言わずに視線で先を促した。
ユウキは震える手で『プロット』をカウンターの上に置く。どさりと、重い音が店内に響いた。
「……全部、この通りになった」
途切れ途切れに、ユウキは語り始めた。電車の遅延、こぼれたコーヒー、書類のミス。そして、自らの意志で抗おうとした結果、より大きな力で元の筋書きに引き戻された一部始終を。
カエデは、ユウキの必死の訴えを、表情一つ変えずに聞いていた。その泰然とした態度は、この異常な事態をすべて理解しているかのようだった。
ユウキが話し終えると、彼女はゆっくりと本から視線を上げ、重い口を開いた。
「人生設計士……という者たちがいる」
その言葉は、まるで古いおとぎ話の冒頭のように、静かに紡がれた。
彼らは、人々の人生をより良い方向へ導くための設計図、『プロット』を作る能力を持つ。元々は、互助組織のようなものだったのだという。
しかし、その強大な力は、やがて組織を歪ませた。
「力を、他人を支配するために使おうとする者たちが現れた。私たちは彼らを『支配派』と呼んでいる」
カエデの瞳の奥に、静かだが消せない怒りのような光が宿る。
「あなたのその『プロット』は、十中八九、その支配派の仕業でしょう。あなたの自由意志を奪い、管理された箱庭の中で飼い殺しにすることが目的の……悪質な脚本よ」
すべてが仕組まれていた。自分の人生は、見知らぬ誰かの悪意ある脚本だった。
その事実に、ユウキは怒りよりも先に、深い、底なしの無力感に襲われた。何をしても無駄だ。抵抗すればするほど、彼らの思う壺なのだ。
ユウキはカウンターに突っ伏し、か細い呻き声を漏らした。
その時だった。
「でも」
カエデの静かな声が、ユウキの意識を引き戻す。
「あなたはここに、自分の意志で来た。それも『プロット』に書かれていたの」
その言葉は、鋭い針のようにユウキの心に突き刺さった。
そうだ。古書店に来ることも、彼女に助けを求めることも、『プロット』には書かれていなかった。これは、筋書きにはない、俺自身の行動だ。
脳裏で、あの拙い手書きの文字がフラッシュバックする。
『人生は自分で決めるものだ』
無力感の底で、チリッと小さな火花が散った。それはやがて、熱い怒りの炎へと変わっていく。
自分の人生を、知らない誰かの思い通りにされてたまるか。失敗も後悔も、退屈な日々さえも、すべて俺が選んできた、俺自身のものだったはずだ。
ユウキは勢いよく顔を上げた。その目には、数時間前までの絶望の色は消え、決意の光が灯っていた。
「俺は、俺の人生を取り戻したい」
カエデは、カウンターの引き出しに手をかけ、何かを探すように中をかき回していたが、ユウキの言葉を聞くと、その手を止めて彼をじっと見つめた。引き出しの隙間から、古びた万年筆と一冊のノートがちらりと見えた。
「……誰かの物語を読まされるのは、もううんざり」
彼女は、まるで自分に言い聞かせるように、そう小さく呟いた。
ユウキは、椅子から立ち上がると、カエデに向かって深く、深く頭を下げた。
「どうか、力を貸してください」
沈黙が落ちる。古時計の秒針の音だけが、店内に響いていた。
やがて、カエデは静かに、しかしはっきりと頷いた。
「……気が変わらないうちに、やるべきことをやりましょう」
二人の間に、静かだが確かな協力関係が成立した瞬間だった。
灰色の世界に、反撃の狼煙が、今、上がった。