賭場のワルツ
公衆浴場で身体の汚れを落とし、予備の服に着替えた二人は、街の食堂で遅い夕食を摂っていた。
湯上がりでさっぱりしたせいか、ロブの機嫌は少しだけ良くなっている。
ハンスは、残ったわずかな報酬を気にしながらも、温かい食事を口に運んでいた。
「あー、やっぱり美味い飯は最高だな」
ロブは、目の前のシチューを頬張りながら満足そうに言う。
「当たり前だ。これでもう少し金があれば、もっと良いものが食えるんだがな」
ハンスは、報酬の件を蒸し返す。
「まあまあ、そう言うなって。次があるさ」
ロブは呑気なものだ。
食堂は、夕食時ということもあり賑わっていた。
様々な客が食事をしたり、酒を飲んだりしている。その中で、一人の酔っぱらいが、ふらふらと二人のテーブルに近づいてきた。
「お、お前ら……沼地の牙を倒したって奴らか?」
酔っぱらいは、二人の顔を覗き込むようにして尋ねた。
どうやら、ギルドでの報告や、街での噂で、彼らのことが知られているらしい。
「ああ、そうだが」
ハンスが警戒しながら答える。
「へっへっへ……すごいじゃねぇか! 化け物を倒したんだろ? さぞかし儲かったんだろうなぁ?」
酔っぱらいは、下卑た笑みを浮かべながら、ロブの肩に手を置こうとした。
ロブは、その手を払いのける。
「触るなよ、汚ねぇな」
「なんだと、てめぇ!」
酔っぱらいは逆上しそうになるが、ハンスの巨体と強面に怯んだのか、それ以上手は出さなかった。
「残念だったな。俺達は金がない」
ハンスは冷たく言い放つ。
「報酬はほとんど経費で消えた。お前なんかに恵んでやる金は一銭もねぇよ。さっさと失せろ」
ハンスの威圧感に、酔っぱらいはすごすごと引き下がっていった。
「ったく、面倒くせぇな」
ロブが呟く。
「だから言っただろう。目立つ真似はするなって」
ハンスはため息をつく。
すると、別のテーブルにいた酔っぱらいが、二人に声をかけてきた。
先ほどの男とは違い、どこか人懐っこい雰囲気の男だ。
「兄さんたち、金がないって? それなら、いい場所があるぜ」
男はニヤニヤしながら言った。
「いい場所?」
ロブが興味を示す。
「ああ。この街には、小さいが賭場があるんだ。腕に覚えがあるなら、そこで一攫千金も夢じゃねぇぜ」
男は、まるで秘密を打ち明けるかのように声を潜めた。
賭場。その言葉に、ロブとハンスは顔を見合わせた。そして、二人の顔に、同じような悪巧みをする時の、独特の笑みが浮かんだ。
「賭場か……」
ロブが呟く。
「ギャンブルか……」
ハンスが続く。
「へっへっへ……いいじゃねぇか。どうせ金はねぇんだ。一発当てて、次の街までの旅費を稼ぐってのも悪くない」
ロブは、先ほどの落胆を忘れたかのように、目を輝かせた。
「そうだな。どうせなら、大きく当てて、美味い飯と良い宿で贅沢したいもんだ」
ハンスも、乗り気だ。彼の頭の中では、既に賭けに勝って得た金で、ロブの浪費癖を補填する計画が始まっているのかもしれない。
「賭場の定番なら、カードだろう? カードなら、俺は負けないぜ」
ロブは自信満々に言う。彼の左眼が、一瞬だけ光ったような気がした。
「そうか。なら、お前が稼いでこい」
ハンスも笑う。
二人は、賭場に誘ってきた酔っぱらいに連れられ、食堂を出た。男はロタリオと名乗った。
「こっちだ、兄さんたち。ついてきな」
ロタリオは、街の裏通りへと二人を案内する。薄暗く、人通りの少ない道だ。
「本当に賭場なんてあるのか?」
ハンスが少し不安そうに尋ねる。
「あるとも! この街の知る人ぞ知る場所さ。腕試しにはもってこいだぜ」
ロタリオは自信満々に答える。
路地裏を進み、古びた建物の裏口のような場所に着いた。
ロタリオが合言葉を言うと、重い扉が軋みながら開いた。
中からは、熱気と喧騒が漏れ出してくる。
「さあ、どうぞ」
ロタリオに促され、二人は中へ入った。
しかし、彼らが予想していた光景とは、全く違っていた。
そこは、カードテーブルが並ぶ静かな賭場ではなかった。
目の前に広がっていたのは、円形の小さな闘技場だった。
観客席には、野次を飛ばしたり、賭けに興じたりする男たちがひしめき合っている。
闘技場の中心では、二人の男が殴り合っている。
「……は?」
ロブは呆然とした。
「賭場って、カードじゃなかったのか?」
ハンスも驚きを隠せない。
ロタリオは、二人の驚いた顔を見てニヤリと笑った。
「へっへっへ、カードもあるが、こっちの方が盛り上がるんだよ。特に、最近は腕自慢の奴が少なくてな」
ロタリオは、観客席を見上げながら、大声で言った。
「おい! みんな! 聞いてくれ! こいつらだ! あの『沼地の牙』を倒したっていう、ロバート・レッドグレイヴとハンス・ラーベだ!」
ロタリオの声に、闘技場の観客たちの視線が一斉に二人に集まった。ざわめきが起こる。
「沼地の牙を倒しただと?」
「あの化け物を?」
「すげぇのか、そいつら?」
ロタリオは、そんな観客たちの反応を楽しみながら、ロブに近づいた。
「どうだ、ロブ。お前さん、腕に覚えがあるんだろう? この闘技場に出てみないか?」
ロタリオは、闘技場の中央を指差した。
「ここで勝てば、大金が手に入るぜ。沼地の牙を倒したってんなら、楽勝だろう?」
ロブは、闘技場を見下ろした。血と汗と、そして興奮の匂いが充満している。彼の左眼が、再び奇妙な光を宿した。
ハンスは、ロブの隣で、既に目を輝かせていた。
「おい、ロブ! いいじゃねぇか! お前が出ろ! 俺は、お前が勝つ方に全部賭けてやる!」
ハンスは、残ったわずかな報酬を握りしめながら、興奮気味に言った。
彼の頭の中では、既に報酬が何倍にも膨れ上がっている。
ロブは、ハンスの言葉を聞き、そして闘技場を見下ろす。彼の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かんだ。
「へっへっへ……いいぜ。どうせ金はねぇんだ。一発当ててやるか」
ロブは、闘技場に足を踏み出す準備を始めた。
「任せろ、ハンス。この賭場で、最高の『ワルツ』を踊ってやるよ」
闘技場の熱狂が、二人を飲み込もうとしていた。