森の奥の円舞曲
商都エルドリアを出て、二人は馬車を走らせた。リーゼが示唆した森の奥。
彼女の話では、商人が襲われた痕跡、そして、もしかしたら他の行方不明者もいるかもしれないという。
数時間後、彼らは森にたどり着いた。
馬車を森の入り口に隠し、二人は徒歩で森の中へと入っていく。
木々は鬱蒼と茂り、昼間でも薄暗く、空気は湿気を帯び、土の匂いが濃い。
リーゼが言っていた場所。
ロブは、左眼の予見の力を使って、周囲の気配を探る。
特定の場所を示す明確な情報は得られないが、漠然とした違和感、あるいは、何かが潜んでいるような気配を感じ取る。
しばらく森の中を進んでいると、道の脇に、不自然な横穴を見つけた。
それは、自然にできたものというよりは、何者かによって掘られたように見える。
周囲には、特に目立った痕跡はない。
ロブは、その横穴の前で立ち止まった。
彼の左眼が、微かに光を宿す。
予見の眼が、この場所が重要だと告げている。
「ここだ」
ロブは確信したように言った。
「ここが、あの商人が襲われた場所か?」
ハンスが尋ねる。
「多分な……もしくはここまで連れてこられたか。中にゴブリンがいるだろう」
ロブは答える。予見の眼でも、中の正確な状況までは分からない。
だが、ゴブリンの気配は感じ取れる。
「入るのか?」
ハンスが尋ねる。
「ああ。ここまで来て、引き返すわけにはいかないだろう?」
ロブはニヤリと笑った。
二人は馬車から持ってきた松明に火をつけ、横穴の中へと入っていく。
中は薄暗く、湿った土の匂いが充満している。足元はぬかるんでおり、慎重に進まなければならない。
時折、通路の奥から、ゴブリンの鳴き声や足音が聞こえてくる。二人は警戒しながら進む。
最初のゴブリンが現れた。
汚れた皮鎧を纏い、歪んだ剣を持ったゴブリンだ。
ロブはダガーを抜き、素早くゴブリンの懐に潜り込んで一撃で仕留める。
ハンスはメイスを構え、後続のゴブリンに備える。
いくつかの横穴に分かれている場所に出た。それぞれの横穴を覗き込む。
一つの横穴には、壊れた馬車や木箱の残骸が散乱していた。
商人が襲われた時のものだろうか。ハンスは警戒しながら探索するが、目ぼしいものは特に見当たらない。
別の横穴には、動物の死骸が転がっていた。
そして、その中に、明らかに人間のものであると分かる、真新しい男女の遺体があった。
服は引き裂かれ、見るも無残な姿だ。
ハンスは静かに祈りを捧げた。
ロブは、遺体には目を向けず、周囲の気配を探っている。
さらに別の横穴には、まだ新しい馬の死骸や、腐っていない果物、布製品などが置かれていた。
これも、襲われた旅人の荷物だろう。
奥に進むにつれて、空気が変わっていくのを感じた。湿った土の匂いに加えて、獣臭と、そして何とも言えない熱気が混じり合っている。
通路の先に、広い空間がある気配がした。
二人は松明の火を消し、音を立てないように静かに覗き込む。
広間の中は、松明の明かりで薄暗く照らされていた。その光景に、二人は息を呑んだ。
広間には、数えるのが面倒になるほどのゴブリンがひしめき合っていた。
彼らは円になり、興奮した様子で何かを見ている。
その円の中央では、巨大な何かが、別の何かと戦っているようだった。
それは、ホブゴブリンよりもさらに巨大で、筋肉質な身体を持つ、ゴブリン族の王のような存在だ。
ゴブリンチャンピオン。
ロブは、その巨大な姿を見て、口元に笑みを浮かべた。
広間の奥には、あからさまに何かありそうな、少し高くなった部屋が見える。
その部屋から、数匹のゴブリンが、三人の人間を引きずり出してくるのが見えた。彼らは、手足を縛られ、抵抗する力もないようだ。
一人は若い女性、二人は男性だ。
引きずり出された三人は、円の外にいる別のゴブリンたちに囲まれた。
ゴブリンたちは、下卑た鳴き声を上げながら、三人に襲いかかろうとする。
縛られながら2人の男は女性を守ろうと必死にもがいている。
その時、円の中心で戦っていたゴブリンチャンピオンが、突如、目の前の相手を投げ飛ばした。
投げ飛ばされたのは、別の巨大なゴブリンだった。
そのゴブリンは、勢いよく円の外に飛び出し、人間たちを凌辱しようとしていたゴブリンたちにぶつかった。
ゴブリンたちは混乱し、人間たちへの攻撃を止めた。
ロブは、その光景を見て、静かにハンスに言った。
「ハンス。ここから、誰も逃がすな」
「分かった」
ハンスはメイスを構え、通路の入り口を塞ぐように立った。
ロブは、手に持っていたダガーを握りしめた。
そして、迷うことなく、ゴブリンの群れに向かって、たった一人で突っ込んでいった。
それは、狂気とも思える行動だった。
数えるのも嫌になるほどのゴブリン、そして、あの巨大なゴブリンチャンピオン。
しかし、ロブの顔には、一切の恐怖はない。
あるのは、これから始まる『円舞曲』への、純粋な期待だけだ。
暗闇から飛び出した一人の男が、ゴブリンたちの群れに斬り込んでいく。それは、まるで嵐の中に飛び込む一葉の木の葉のようだった。