表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/23

『沼地の牙』はどんな踊り?


酒場を出て、夜の冷たい空気に晒されながら、二人は街の石畳を歩く。

ハンスは相変わらずロブの首根っこを掴んだままだ。


「ったく、お前は……! 少しは金のことを考えろってんだ!」

「へっへっへ、大丈夫だって。俺には『勘』がある」

「その『勘』とやらで、何度俺達の財布が空になったと思ってるんだ!」


ハンスの怒声は、夜の静けさに吸い込まれていく。

ロブは掴まれたまま、どこ吹く風といった様子だ。


目指すは冒険者ギルド。街の中心部にある、石造りの堅牢な建物だ。

夜遅くにもかかわらず、ギルドの中は活気に満ちていた。依頼掲示板の前で腕を組む者、カウンターで酒を煽る者、奥のテーブルで地図を広げる者。様々なランクの冒険者たちが、それぞれの目的のために集まっている。

汗と鉄、そして安酒の匂いが混じり合った、独特の空気だ。


ハンスはロブを解放し、受付カウンターへ向かう。

ロブは解放されるやいなや、壁にもたれかかり、既に脱力した姿勢に戻っていた。


「すまない、この手配書について聞きたいんだが」

ハンスは先ほどの『沼地の牙』の手配書を受付嬢に差し出した。

受付嬢はまだ若い女性で、少し疲れた顔をしている。


「ああ、『沼地の牙』ですね。最近、問い合わせが多いんです」

受付嬢は手配書に目を落とし、少し顔を曇らせた。

「この依頼は、難易度が高いですよ。既に何組かの冒険者パーティーが挑んで、戻ってきていないか、重傷を負って帰還しています」


カウンターの周りにいた他の冒険者たちも、その言葉に反応する。

「沼地の牙か……あれはヤベェらしいな」

「沼に引きずり込まれたら、もうおしまいだよ」

「報酬はいいが……命が惜しいね」

諦めや恐怖を含んだ声が、あちこちから聞こえてくる。


ハンスは真剣な顔で受付嬢に尋ねる。

「詳しい情報を教えてくれないか。特徴、出現場所、被害状況……」


受付嬢は端末を操作し、情報を読み上げる。


「『沼地の牙』。体長は不明、沼地に潜んでいるため全身を見た者は少ないです。目撃情報によると、巨大な顎と鋭い牙を持つ姿らしいです。非常に素早く、沼地の中でも自在に移動し、獲物を一瞬で引きずり込みます。主な出現場所は、街の南西にある『嘆きの沼地』周辺。最近、街道から少し外れた場所で、旅人や行商人が襲われる被害が多発しています」


ハンスは頷きながら、その情報を頭に叩き込む。

沼地の牙、嘆きの沼地。


その間、ロブは壁にもたれたまま、腰のダガーを抜き、指先で器用に回したり、刃先を爪で弾いたりして手慰みをしていた。口元には、いつもの気だるげな笑みが浮かんでいる。

そして、煙草に火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出した。


ハンスが受付嬢から情報を聞き終えようとした時、彼はふとロブの方を見た。


目線で、沼地の牙が出現するという南西の方向を示す。

ロブの左眼が、一瞬だけハンスの目線を受け止めたように見えた。

しかし、ロブはすぐに首を横に振る。遠すぎて、予見の眼でも正確な場所までは捉えられないらしい。

ハンスはそれ以上何も言わず、再び受付嬢に視線を戻した。


「……なるほど。嘆きの沼地、か」

ハンスは情報を整理する。沼地での戦闘は不利だ。特に、相手が沼地を自在に動けるなら。


ロブは煙草の煙を細く吐き出しながら、ニヤリと笑った。

「へぇ……沼地の牙、ね。どんな『踊り』で俺達を楽しませてくれるのか、楽しみだぜ」

その言葉には、危険への純粋な好奇心と、どこか挑発的な響きが含まれていた。

他の冒険者たちが顔を顰める中、ロブだけがこの状況を楽しんでいるようだった。


ハンスはロブの言葉を聞き流し、受付嬢に依頼の受注を告げる。

「この依頼、受けます」


「承知いたしました。くれぐれもお気をつけください」

受付嬢は心配そうに言った。


ギルドを出て、二人は馬車が置いてある宿屋の馬小屋へ向かう。


「まったく、お前は……! あんな危険な依頼、もう少し考えろってんだ!」

ハンスは再び小言を始める。

「それに、報酬が入っても、また何かやらかして弁償代で消し飛ばすんじゃないだろうな? 今回の報酬は、馬車の修理代と、次の街までの食料、それに宿代でほとんど消えるんだぞ!」


「大丈夫だって。今回はちゃんとやるさ」

ロブは適当に相槌を打つ。


馬小屋に着くと、ハンスは手際よく馬車を点検し始めた。車輪の緩み、車軸の油差し、幌の破れ。長年の旅で培われた、彼の職人的な一面だ。


ロブは傍らで煙草をふかしながら、それを眺めている。


「ほら、お前も手伝え!」

ハンスが言うが、ロブは動かない。

「俺はこういうのは苦手なんだよ。お前がやった方が早いし、正確だろ?」

「誰がやってると思ってるんだ!お前のためだろうが!」


いつものやり取りだ。結局、ハンスが一人で馬車の整備を終えた。


「よし、行くぞ」

ハンスは馬の手綱を握る。


「へいへい」

ロブは気だるげに馬車に乗り込んだ。


街の門をくぐり、二人は南西へと向かう。


街道は夜の闇に包まれ、静寂が広がっている。馬車の車輪が、乾いた土の上をゴトゴトと音を立てて進む。


「沼地の牙、か……」

ハンスが呟く。


「ああ。どんな奴だろうな。沼地で踊るってんだから、さぞかし面白いんだろうぜ」

ロブは窓の外を見ながら、どこか遠い目をして言った。


街道から外れ、道が次第に湿気を帯びてくる。空気には、草木と泥の匂いが混じり始めた。遠くから、カエルの鳴き声や、得体の知れない水音が聞こえてくる。


嘆きの沼地は、もうすぐそこだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ