消えた金貨のワルツ
闘技場の熱狂から離れ、ロタリオに案内されて賭場の奥へと進む。
そこは、闘技場の喧騒とはまた違う、独特の空気が漂っていた。
薄暗い照明の下、カードテーブルやルーレット台が並び、人々が真剣な、あるいは陶酔した表情でゲームに興じている。
金貨や銀貨がやり取りされる音、ディーラーの声、そして客たちの低い呻き声や歓声が混じり合い、一種独特の音楽を奏でているかのようだ。
「さあ、好きなところで遊んでくれ」
ロタリオはそう言って、二人にいくつかのテーブルを示した。
「まずはカードだな」
ロブは迷わず、一番賑わっているカードテーブルへと向かった。ハンスもそれに続く。
テーブルには、洗練された手つきでカードを配る女性ディーラーがいた。
黒いドレスに身を包み、無表情だがどこか魅惑的な雰囲気を持っている。
彼女の長い指が、カードの上を滑るように動く。
二人はテーブルに着き、早速ゲームに参加した。
最初は順調だった。ロブの鋭い観察眼と、ハンスの冷静な判断力が功を奏し、彼らの前に積まれた硬貨は少しずつ増えていった。
「へっへっへ、やっぱりカードは俺の得意分野だぜ」
ロブはニヤリと笑う。
「調子に乗るなよ。まだ始まったばかりだ」
ハンスはそう言いながらも、増えていく硬貨を見て、内心では喜んでいた。
しかし、ゲームが進むにつれて、潮目が変わってきた。
女性ディーラーの手つきは相変わらず滑らかだが、どういうわけか、彼らの手札は次第に悪くなり、ディーラーの手札は強くなっていく。
ロブは、途中から左眼の予見の力を使って、相手の手札や場の流れを読もうとした。
しかし、なぜか上手くいかない。予見の眼が捉える未来は、常に曖昧で、決定的な情報をもたらさないのだ。
まるで、何かに阻まれているかのように。
「くそっ……」
ロブは小さく舌打ちをした。
「どうした? 流れが悪くなってきたな」
ハンスも気づいていた。彼らの前に積まれた硬貨は、増えるどころか、減り始めている。
カードテーブルでの負けが続いたため、二人はルーレットテーブルに移ることにした。
ハンスがルーレットに挑戦する。彼は数字や色に賭け、一発逆転を狙う。
ルーレットテーブルには、先ほどのカードテーブルにいた女性ディーラーが、客として座っていた。
彼女は、二人が来たことに気づくと、微かに口元を歪めて笑ったように見えた。
ハンスは、ルーレットの玉が回るのを見つめる。
彼の額には汗が滲んでいる。しかし、運は彼らに味方しなかった。
賭けた場所とは違うところに玉が落ちる。
赤に賭ければ黒、奇数に賭ければ偶数。
まるで、彼らの賭けを嘲笑うかのように、金は減っていく一方だった。
「くそっ! なんでだ!」
ハンスは悔しそうにテーブルを叩いた。
ロブは、ハンスの隣で、減っていく硬貨を眺めていた。
彼の左眼は、ルーレットの回転や玉の動き、そして周囲の客たちの表情を捉えようとしている。
しかし、やはり決定的なものは見えない。
「ハンス、そろそろ辞めるか?」
ロブが言った。
彼の声には、諦めと、そして少しの苛立ちが混じっている。
「いや、まだだ! 次こそ当たる!」
ハンスは意地になっている。
せっかく手に入れた大金を、こんなところで失うわけにはいかない。
しかし、流れは変わらなかった。
彼らの手元にあった金貨や銀貨は、見る見るうちに減っていく。
最初に手に入れた大金の、半分、いや、それ以下になってしまった。
「……もういいだろう、ハンス」
ロブは、ハンスの肩に手を置いた。
ハンスは、ロブの言葉に、はっと我に返った。
目の前のテーブルには、わずかな硬貨しか残っていない。彼は、自分の手元にある革袋の中身を確認した。
最初にロタリオから受け取った、あのずっしりとした重みは、もうない。
「……ああ」
ハンスは、力なく頷いた。彼の顔には、落胆の色が濃く浮かんでいる。
二人は、残ったわずかな硬貨を革袋に詰め、賭場を後にすることにした。
闘技場での熱狂とは違い、彼らの足取りは重い。
賭場の出口に向かう途中、先ほどの女性ディーラーが、二人の横を通り過ぎた。
彼女は、二人に気づくと、立ち止まり、微かに微笑んだ。
「勝たせてくれて、ありがとう」
そう言って、彼女はそのまま賭場の奥へと去っていった。
その言葉は、まるで彼らの負けを確信していたかのような、あるいは、彼らから金を巻き上げたことへの感謝の言葉のように聞こえた。
ロブとハンスは、その場に立ち尽くした。
「……イカサマだったのか」
ハンスが呟いた。
「だろうな」
ロブは答える。彼の左眼は、あの女性ディーラーの背中を追っていた。
予見の眼が効かなかった理由。それは、彼女の持つ何らかの能力か、あるいは賭場全体に仕掛けられた魔術的な仕掛けか。どちらにしても、相手の方が一枚上手だったということだ。
「くそっ……せっかく稼いだのに……」
ハンスは悔しそうに革袋を握りしめる。
「まあ、仕方ねぇさ。これもギャンブルだ」
ロブはそう言ったが、その声には、隠しきれない落胆が滲んでいた。
賭場を出ると、外は既に明け方だった。
空は薄明かりに染まり、街はまだ静まり返っている。二人は、重い足取りで宿へと向かった。
街の石畳を歩きながら、二人は言葉少なだった。
時折、ハンスがため息をつき、ロブが煙草に火をつける音が響くだけだ。
手元から、あっという間に無くなってしまった賞金。沼地の牙を倒し、ライブベアーと戦って手に入れた、あのずっしりとした金貨の重み。
それが、たった一晩の賭場で、ほとんど消えてしまった。
「はぁ……」
ハンスが、深く、長いため息をついた。
ロブも、それに続くように、煙草の煙と一緒にため息を吐き出した。
宿に着くと、二人はそのまま部屋へ戻った。疲労と落胆が、身体に重くのしかかる。
「明日から、どうするかな……」
ハンスが呟いた。
「……とりあえず、寝るか」
ロブはそう言って、ベッドに倒れ込んだ。
報酬でワルツを踊っているはずだった。
しかし、踊り終えてみれば、手元にはほとんど何も残っていなかった。鉄屑は、金貨で踊り損ねた。