最後の踊り手
熱狂の渦巻く闘技場から、ロブは一度控室へと戻された。短い休憩時間だ。
控室の入り口で、ロタリオが待ち構えていた。
彼は興奮冷めやらぬ様子で、ロブの背中をバシバシと叩いた。
「すごいぜ、ロブ! お前は最高だ! あんなに簡単にモンスターを倒すなんて、見たことがねぇ!」
ロタリオの声は上ずっている。
「今夜はここ最近で最高の夜だ! 観客も大興奮だぜ! 頼むから、次で負けないでくれよ!」
「誰に言ってんだ」ロブは笑い飛ばした。
その顔には、疲労よりも、次の相手への期待が浮かんでいる。
ロブは腰から煙草を取り出し、火をつけた。
紫煙をゆっくりと吐き出しながら、闘技場へと続く通路へ向かう。
ロタリオは後ろから何か叫んでいるが、ロブはもう聞いていない。彼の意識は、次に現れる『踊り手』に集中していた。
闘技場に入ると、観客の期待に満ちたざわめきが一段と大きくなった。
ロブは中央に立ち、反対側の暗い通路を見据える。
ゴゴゴゴ……
通路の奥から、重く、地面を揺るがすような音が響いてくる。一歩ごとに、闘技場の土台が微かに震えるのが足裏に伝わってきた。
今までの相手とは明らかに違う、巨大な存在が近づいているのが分かる。
暗闇の中から、まず壁を掴むように、巨大な腕が伸びてきた。
黒光りする長く鋭い爪。
腕全体を覆う、分厚い毛皮。それは、獣の腕だ。
ゴリゴリ、と壁をむしり取るような音を立てながら、巨大な身体がゆっくりと姿を現す。
それは、三メートルはあろうかという、巨大な熊型のモンスターだった。全身を黒い毛皮に覆われ、その顔には獰猛な牙が剥き出しになっている。
【ライブベアー】その名を聞いたことがある。
森の奥深くに生息する、非常に危険な魔物だ。まさか、こんな賭場にいるとは。
「おいおいおい、こいつは……」
ロブは思わず呟いた。
驚きと同時に、彼の左眼が、獲物を見つけた捕食者のように輝いた。
ライブベアーは、全身を現した瞬間、ロブ目掛けて全力で突進してきた。
巨体に似合わぬ驚異的な速度だ。地面が揺れ、轟音を立てながら、黒い塊が迫る。
ロブは、咥えていた煙草を落とした。
そして、最初のヌマガエルを避けた時と同じように、いや、それ以上の速度で、その場から跳躍した。
ドォンッ!
ライブベアーは、ロブがいた場所を通り過ぎ、闘技場の壁に激突した。
石造りの壁が大きく揺れ、埃が舞い上がる。
ロブは空中で身体を捻りながら、反対側へと回避した。
ライブベアーは、壁から身体を離すと、再びロブに襲いかかった。
巨大な爪を振り回し、噛みつこうとする。
その攻撃は、どれも一撃必殺の威力を持っている。
まともに食らえば、ロブの細い身体など、簡単にミンチになってしまうだろう。
しかし、ロブはそれを全て避ける。
最小限の動きで、ライブベアーの攻撃をいなす。
身体を傾け、ステップを踏み、時には地面を転がるようにして、巨大な爪や牙から逃れる。
彼の動きは、まるでライブベアーの猛攻に合わせて踊っているかのようだ。
ロブも反撃を試みる。
手に持った片手剣で、ライブベアーの身体を斬りつける。
だが、その刃は、分厚い毛皮と筋肉に阻まれ、まともに通らない。キン、キン、と甲高い音を立てて弾かれるだけだ。
「硬っけぇな、おい!」
ロブは文句を言う。沼地の牙も硬かったが、こいつはそれ以上だ。
ライブベアーの攻撃は続く。
ロブはそれを避け続け、反撃を試みる。
攻防が繰り返される。ライブベアーは攻撃が当たらないことに苛立ち、さらに猛攻を仕掛けてくる。
ロブは、その猛攻の中で、ライブベアーの攻撃パターンを読み解いていく。
何度目かの爪の攻撃を、片手剣で受け流した、その時だった。
キンッ! パキィン!
甲高い金属音と共に、ロブの手に持っていた片手剣が、根元から折れた。
ライブベアーの爪の硬さと、繰り返される衝撃に耐えきれなかったのだ。
ロブは、折れた片手剣の柄を握りしめたまま、驚愕の表情でその切っ先を見た。まともな武器ではなかったとはいえ、まさか折れるとは。
しかし、驚いている暇はない。ライブベアーは、ロブの隙を見逃さず、再び突進してきた。
ロブは、地面に落ちた折れた刃の方に視線を向けた。
そして、突進してくるライブベアーを、最初の時と同じように、跳躍して回避した。
その瞬間。
ロブは、地面に落ちていた折れた刃を、素早く拾い上げた。そして、跳躍して回避するその勢いのまま、折れた刃をライブベアーの顔目掛けて投げつけた。
シュッ!
折れた刃は、正確にライブベアーの左目に突き刺さった。
「ガァアアアアッ!」
ライブベアーは、激痛に苦しみ、咆哮を上げた。
片目を潰され、怯む。
ロブは、その勝機を見逃さなかった。
ライブベアーが怯んでいる隙に、一気に距離を詰める。そして、再び跳躍し、ライブベアーの顔の近くに躍り出た。
ライブベアーは、片目を押さえながらも、本能的にロブを排除しようと、巨大な腕を振り回し、ロブをはたき落とそうとした。
ロブは、その攻撃を逆手に取った。
振り下ろされる巨大な腕に向かって、手に持っていた折れた片手剣の柄を差し出す。
ドォンッ!
ライブベアーの巨大な腕が、ロブではなく、ロブが差し出した折れた片手剣の柄を叩いた。
そして、その柄は、ライブベアー自身の顔、ちょうどもう片方の目に向かって、勢いよく突き刺さった。
ズブリ!
ライブベアーは、自らの攻撃によって、もう片方の目も潰してしまったのだ。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
ライブベアーは、自らの目玉に折れた片手剣を突き刺し、大きく身体を震わせた後、ピクリとも動かなくなった。
ロブは、ライブベアーの上に立ち、ため息とともに煙草に火をつけた。紫煙が、闘技場の照明に照らされて立ち上る。
観客席からは、割れんばかりの大歓声が響き渡っていた。ロブは、その歓声を聞きながら、ゆっくりと煙草を吸い込んだ。
「ふぅ……」
最高の『ワルツ』だったぜ。