002.葬儀と出会い
三日後、恵麻の葬儀が厳かに行われた。大きな会場を貸し切り、有名な僧侶が呼ばれている。
香織は黒の着物を着て参加していた。母も同じだ。
流石の父もアメリカから飛んできた。友人の社長のプライベートジェットを出して貰ったらしい。
娘に対する愛情はあるのだろうか。娘の死に何を考えているのかむっすりとしていて全くわからない。母と違って涙一つ見せない。
だが娘の葬儀に参加しない父親などあり得ない。周囲の評判を気にする父はそんなスキャンダラスな行動は取らないだろう。
(何を考えているのか全く理解できないわ)
母は泣いている。あれでも愛情はあったのだろうか。だが心の弱い女だ。悲しいと言う感情に酔っているだけかも知れない。
恵麻の遺体はぐちゃぐちゃで、頭から落ちたらしく、死に顔も見ることもできない。遺書は残されていたので自殺とされている。警察の捜査は自殺と言う線で進められていると聞く。
二人の死のニュースは世間をセンセーショナルに飾った。何せ名門校の高校生が心中をしたのだ。あっという間に二人の死はニュース番組やネットなどを席巻した。特にネットでは未だ火は消えていない。
僧侶が御経を唱え、皆が恵麻の死を悲しんでいる。恵麻のクラスメイトたち、ピアノ仲間たち、バレエ仲間たち。書道仲間たち。みんな泣いている。それほど妹は愛されていたのだ。
(あれっ、あの娘は?)
そしてその中で知った顔を見つけた。
三宅梨沙と言う可愛らしい女の子だ。恵麻が幾度か家に連れてきたこともあり、香織も会った事がある。恵麻から親友だと紹介されたことがあり、幾度か話もしたことがある。ピアノの腕はプロ級であり、既に海外の音大に誘われていると言う俊英だ。
葬儀が終わり、皆で料理を食べる。それぞれのグループに分かれて恵麻の事について語り合っている。
香織は梨沙に近づいていった。
「三宅梨沙ちゃんよね。ちょっと良いかしら」
「あぁ、確か香織さんでしたね。恵麻のお姉さん。幾度かお会いしたことがありますね。今回はご愁傷さまでした。私も悲しくて涙が止まりません。なんであの恵麻が死ななくてはならないのか全く理解できないのです」
梨沙の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。化粧も可愛い顔も台無しだ。だが恵麻の為に泣いてくれているのだ。美しい涙だと感じた。
梨沙は香織の事も覚えているようだった。良かったと思った。
「私もそうよ。悪いけれど連絡先を交換してくれないかしら。そして恵麻の事について何でも良いけれど教えてくれない?」
「構いませんよ。私もなんで恵麻が死んだのか、未だに信じられません。ただこの二月ほど何かに悩んでいた様子はあります。しかし何度聞いても答えてくれませんでした。やせ我慢しているのは明白でした。でもその前までは普通で、むしろ幸せそうでした」
香織は梨沙と連絡先を交換した。これでいつでも連絡が取れる。恵麻の死の真相を知りたいのは梨沙も同じなのだ。
「そういえば一緒に死んだ男の子が居るのよね。詳しくは知らないけれどニュースで見たわ」
「あぁ、桐生篤くんですね。彼とも私は仲良くして貰いました。今頃葬儀が行われているかもしれませんが、彼は特待生で両親共に亡くしているので葬儀すら行われないかも知れません。少なくとも私たちに葬儀の案内は来ませんでした。彼について知りたければ木島くんが良いと思いますよ。親友でライバルでしたから」
梨沙が視線で指した先には背の高いメガネを掛けたイケメンが居た。制服ではなくちゃんと喪服のスーツをピシッと着込んでいる。ちなみに梨沙は高校の制服だ。彼女の家は中流階級だと聞いていたので制服なのだろう。
だが溟海はお金持ちの子女が通う学校だ。故にちゃんとした喪服を着た高校生も多い。香織のように着物で来ている女子まで居る。流石溟海だと香織は思った。
香織は梨沙に言われ、康太に近づいていった。男子たちの中心人物のようで多くの男子生徒に囲まれている。幾人かには涙の跡も見える。
彼らも恵麻の死を悼んでくれているようだ。妹がどれだけ慕われていたのかそれだけでわかる。
(梨沙ちゃんは良い子ね。それに木島くんは話で聞いたことがあるわ。桐生くんの名前も記憶にあるわね、確か凄い子が入ってきたって恵麻が言っていたかしら)
香織は康太の名前は聞いたことがあった。
妹の恵麻が同じクラスに凄い人物が居ると絶賛していたのだ。
何せ中学の時から不動の一位を常に確保し、三年間譲らなかったという。全国模試でも三桁上位の順位か二桁の順位を保持していたと聞く。
そしてそれを脅かす唯一の存在が篤だった。外部生であるのに内部生の俊英を薙ぎ倒し、康太と同等の点数を叩き出したと聞いたことがある。
(私の時代だったらどうだったかしら。三傑といい勝負をしたかしら。それともやはり不動の一位を維持したかしら)
香織も溟海高校に通っていたが一位など一度も取れたことはなかった。一位は常に三人の俊英たちで占められていて、誰が一位になるのか毎回賭けが行われていたくらいだ。彼らは三傑と呼ばれ、周囲から一目も二目も置かれていた。
康太のことも恵麻から最低限の情報は得ていた。
木島病院の跡取り息子で、溟海大学の医学部進学は確実だと目されていると聞いたことがあった。木島病院は梨沙ですら知っている大病院だ。その跡取り息子の頭が悪い訳がない。
ただ篤については謎だ。頭の良い子としかわからない。彼も恵麻と一緒に死んだのだ。関係がないなどとはありえない。
「ちょっと良いかしら。木島くんに用事があるのだけれど」
「あ、はい。俺です。なんですか」
香織が男子たちに声を掛けると康太が手を上げて、周囲に手で合図をし、香織の近くに寄ってくる。
背筋が伸びていてしっかりと所作が洗練されている。親御さんの教育が良いのだろう。だがそんな男子女子は溟海には山程いる。名門とはそういう所なのだ。
「私の名は三条香織。お察しの通り恵麻の姉よ」
「初めまして、木島康太と申します。確かに三条さんのお姉さんと言われると納得が行きます。面影がありますね。今回はご愁傷さまでした。本気で悲しいです。なぜ彼らが死ななくてはならなかったのか不思議で仕方ありません。それで、俺に何の御用でしょうか」
康太はしっかりと礼をして問いかけてきた。
「恵麻と一緒に死んだと言う男子生徒と一番仲が良いのが木島くんだと三宅梨沙さんに聞いたの。だからその男子生徒の話を聞きたいと思ったのよ。ねぇ、悪いけれど連絡先を交換して貰えないかしら。恵麻がどうして死んだのか、私はどうしても知りたいの」
康太もゆっくりと頷いた。気持ちは同じなようだ。
「奇遇ですね。俺も篤や三条さんが死んだ理由を知りたいと思っていたのです。俺で良ければ幾らでも協力致します。なんでも聞いてください」
梨沙は康太とも連絡先を交換した。これで少なくとも情報源が二つになる。
まだ恵麻がこの二月何かに悩んでいたとしか情報は得られていない。だがこの件には必ず一緒に死んだ桐生篤が絡んでいることは間違いがない。
まずはそこから調べて見ようと思った。
◇ ◇
「香織さんか、確かに三条さんの姉と言われてもおかしくない美しさだったな。三条さんが成長すればああいう美人になるんだろうと感じた。俺は弟しか居ないからそういうのはわからないが、それでも俺たちが並ぶとやはり似ていると言われる。似たようなものか。それにしても三条さんのお姉さんと知り合いになれたのは大きいな。しかも彼女も三条さんの死の真相を知りたがっている。俺も篤の死の真相が知りたい。俺達の目的は違うが、一緒に飛び降りたんだ。二人の死の原因はほぼリンクしている。協力して解き明かして行くしかないな」
康太は少し離れた場所で一人呟いた。
他のクラスメイトたちはまだ現実感がないようで、泣いている女子もいればバカ話をしている男子も居る。こんな場だと言うのになぜ笑っていられるのか康太は信じられなかった。
だがそういう人間も居るのだと言うことを康太は知っている。そっと康太はあいつらとは今後深く付き合わないで行こうと決めた。
「木島くん」
「あぁ、三宅さんか。どうした」
梨沙は中学から同じ特進クラスに通っているのでもう約五年間の付き合いになる。特進クラスは定員が三十名。成績が落ちれば一年に一回入れ替わりがある。
だが康太は当然として恵麻と梨沙もずっと同じクラスだった。故に関わりも深い。
仲が良いと言うほどではないが、お互いの顔は知り、見かければ挨拶はする。授業や行事の時には一緒に協力し合ったりもする。そういう仲だ。
「さっき恵麻のお姉さんに話しかけられたの。それで桐生くんと一番仲が良いのは木島くんだって紹介しちゃったの。ごめんね」
梨沙が謝ってくるが康太は気にしないで良いと答える。
実際香織と知り合えたことは僥倖なのだ。むしろ礼を言うべきだと思った。
「いや、いい。俺も気になっていたんだ。三条さんのお姉さんと知り合いになれたことは渡りに船だよ。むしろよく紹介してくれた。感謝する」
「え、いや、そんな。まぁいいわ。私も気になるしね。何かわかったら教えて。相談にも乗るわ。恵麻の事ならほとんどなんでも知っていると言っても過言ではないんだから。……ただなんで自殺したのかはわからないけれどね」
梨沙は悲しそうに顔をそむけて言う。目元は泣きはらしていたのか腫れている。まだ表情に陰がある。振り切れていないのだ。
康太は梨沙のこともそれなりに詳しい。何せ彼女は別の意味で有名人だからだ。
梨沙のピアノの腕は凄まじく、中学でも高校でも校歌などを歌う時の伴奏は必ず彼女だ。二年生も三年生も押しのけて一年生である梨沙が選ばれる。中学に彼女が入学してからずっとだ。
実際小学生の頃から国内のコンクールを幾つも制覇し、中学では国際コンクールに招聘され、入賞したと言う経歴を持つ。高校でも公欠を取ってドイツのコンクールに行ったらしい。欧州でも梨沙のピアノの腕は認められ、様々な誘いが梨沙に来ていると言う。
梨沙は勉強だけでなく、ピアノの世界では日本でも知らない人が居ないと言うくらい有名人なのだ。何度か新聞やニュースに取り上げられたこともある。
「俺たち、長い事一緒にいるけれどクラス内ラインでしか繋がっていないだろう。俺は篤の死の真相が知りたい。三宅さんは三条さんの死の真相は知りたくないか? 意見交換をしたいんだが、登録してもいいか」
「いいわ。私も知りたいもの。胸にぽっかりと穴が空いたようよ。こんな状況じゃピアノすら弾けない。三日もピアノのレッスンをサボったのは三歳の頃から初めてよ。私にも協力させて貰えるかしら」
康太はゆっくりと頷いた。学年どころか溟海で最高の頭脳と呼ばれる康太が味方になるのだ。これほど頼りになることはないと梨沙は思った。
そして康太は最も恵麻に近い梨沙の協力が得られた。そして恵麻の姉である香織の協力も得られる。
康太ですら勉強に手が付かなかったのだ。梨沙の言い分はよく分かる。同じ悲しみを分かち合う同志なのだ。
康太は篤に、梨沙は恵麻の死を悲しんでいる。
もちろん康太は恵麻の死を悲しんでいない訳ではない。ただ比重として親友でありライバルである篤の死の方が大きいと言うだけだ。
篤は調べさせた所、葬儀すら行われないと聞いた。両親共に死んでおり、親族は連絡もつかない。そんな男が死んだのだ。どこかの寺の共同墓地に埋葬されるのだろう。そんなことは許せない。
康太は役所に連絡して篤の遺骨をきちんと埋葬してやろうと決心した。
「はぁ、篤。お前の居ない高校生活なんか考えられないよ。三条さんもだ。彼女のピアノがもう聞けないと思うと泣けてくるな。思っていたよりも俺は三条さんを大切に思っていたらしい」
葬儀は終わったが康太も、香織も、梨沙も全く気持ちに決着がつけられていない。故にこの三人は篤と恵麻の死がどうして起きたのか。きちんと知りたいと思った。何を思って死んだのか。何が起きたのか。それを知らずして一歩進めることはできない。
三人共全員今は立ち止まってしまっている。どこにも行けない袋小路のようだと康太は思った。
「時間って本当に止まるんだな。篤、俺はどうすればいいんだ? 教えてくれよ、なぁ、篤」
康太は恵麻の葬式であるというのに親友の篤の死を悼んで涙を流した。