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018.三条家

「ごめんなさいね、何度も呼び出しちゃって」

「いえ、構いません。俺たちも話したいことは沢山ありますから」

「……」


 康太はしっかりと応えるが、梨沙はショックが大きいのか、口も開かない。静かに縮こまっている。だが涙の跡が残っている。恵麻を思って泣いてくれていたのだろう。

 香織は二人をまたいつものホテルに呼び出したが、二人の様子はいつもと違っていた。康太は陰のある表情をしている。やるせないのだろう。梨沙は塞ぎ込んでいる。


「まずは部屋に移動しましょう」


 ホテルのラウンジやロビーでする話ではない。香織は二人をいつもの部屋に案内し、しかし食事はキャンセルした。何も喉を通る気分ではなかったし、二人もそうだろう。

 飲み物と軽食だけ置いてくれるように頼んだ。サンドイッチとフルーツの盛り合わせとフルーツジュースの入ったボトル。そしてコーヒーの入ったポット。紅茶を淹れる茶器。それだけが部屋に残されている。呼ばれなければ誰も通さないようにと香織はホテル側に厳命した。


「これが私の雇った探偵が寄越した最終報告書よ。後で読みたければ読んで頂戴。データでも送るわ。二人がデートに行っていた証言や、どこから手に入れたのかドラッグストアの監視カメラの映像データなんかもあるわ。流石探偵ね。プロに頼んで良かったと思うわ。私たちだけじゃどうにもならない部分を補完してくれているわ」


 バサリと香織は書類の束を机の上に放り出す。原本からコピーしてきた物だが、当然データでも貰っている。監視カメラでのデータすら送ってきたのだ。

 大金を取るだけはある。必要経費は香織が思っていたよりも高かった。報酬もだ。だがそれだけの金を掛ける価値があると香織は思う。探偵を雇うと言う選択は間違いではなかったのだ。

 妊娠検査薬が残っていたので結果的には康太たちとだけでも結論に辿り着いただろうが、残っていなければ恵麻がそれを買ったと言う証拠を掘り起こした鹿島の功績は大きい。少なくとも香織はドラッグストアの動画データを手に入れる伝手はない。


「はい、ありがとうございます。少し落ち着いてから読もうと思います。あと篤のスマホのパスがわかりました。母親と三条さんの誕生日を足し合わせた数字でした。中には三条さんの写真が多く入っていました。そちらも後で送らせて頂きます。二人のやり取りのデータも残っていました。ただ決定的なやり取りはありませんでした。二人はメッセージで時間だけ決めて、電話で話をしていたみたいです」


 香織はそういえば篤のスマホは康太が管理していたのだと思い出した。そしてそこにも当然手掛かりはあるだろうと思っていた。

 だが恵麻と篤はそんなところにも証拠は残さなかったらしい。実際恵麻のスマホにも通話記録や何時に通話しようなどと言うメッセージ履歴は残っていたが、決定的な証拠は残されていなかった。


(恵麻のスマホにも通話記録なんかはあったけれど決定的な証拠は残っていなかったものね。特に恵麻は交友関係が広いので桐生くんとだけ通話やチャットをしていた訳ではなかったわ。桐生くんの写真も二人で撮った一枚だけ。それもシークレット設定にされていたわ。あれだけは消せなかったのね。流石私の妹ね)


 二人はそれほど慎重に行動していたのだ。おそらく恵麻が三条家の事情を詳らかに話していたのだろう。

 二人が付き合っている事が家にバレたら強制的に別れさせられると話していたのだと思われる。


 香織ですらもし男性とお付き合いをするのならばそうする。恵麻も当然そうする。そして篤はそれに付き合える男だった。故に噂にはなっても、決定的な証拠が残っていない。

 高校生にしても慎重が過ぎる。故に香織たちも恵麻たちの行動を追うことが難しかった。だがその慎重さも恵麻の性格故だ。篤も同様に慎重な性格をしていたのだろう。


 そしてその原因は厳しい父にある。父が寛容な人間性を持っていたのであれば、恵麻も篤も堂々と付き合いを公言し、デートしていたであろう。そして二人は幸せに結ばれるのだ。それが香織の考える本来のあるべき恵麻と篤の未来だった。歪めたのは父の人間性だ。

 香織もその呪縛から逃れられるとは思っていない。故に二十歳になっても彼氏一人作っていないのだ。だが今回の件で、香織は父に反抗することに決めた。三条家を乗っ取るのだ。

 父は気にしないかも知れないが、小さな傷は入れられるだろう。それが香織の復讐だ。


「ありがとう。恵麻の写真ならば一枚でも欲しいわ。全部送って頂戴」

「わかりました。後で個人的に送らせて頂きますね」

「……わ、私にも頂戴!」


 梨沙が初めて口を開いた。康太は梨沙の心情を考慮して梨沙に送るとは言わなかったのだ。だがそれは梨沙が許さなかった。康太に縋り付くように梨沙は康太の袖を摘んで、大きな声で叫んだ。


「あ、あぁ。三宅さんにも送らせて貰うよ。別に俺だけが独占しようとする気はない。もちろん誰にでも配るつもりはないけれどね」

「そうね、恵麻の記録は私たちだけが持っていれば良いことだわ。梨沙ちゃんもうちのアルバムとか見たければいつでも見に来て良いのよ。恵麻の部屋も元のまま残してあるわ。私もまだあげていない恵麻の写真を沢山持っているわ。子供の頃からつい最近のまでね。全部データにしてあるからあげるわ。大切にして頂戴」

「……わかりました。ありがとうございます。恵麻は私にとっては天使のような子で親友でした。私は一生恵麻の事は忘れません。今度お時間を合わせてお邪魔させて頂きます。そして私の持っているデータもお姉さんに全部渡そうと思います。色々と思い出の詰まった写真です」

「あら、それは嬉しいわ。ありがとうね」


 梨沙は小さく、しかし意思をはっきりと伝えた。香織もそれを許した。元々恵麻が本邸に連れてくるような子だったのだ。香織が梨沙一人連れ込んだ所で文句を言う者など居ない。

 恵麻の部屋に入れば梨沙は少し前の香織のようにわんわん泣くだろう。バスタオルを用意してあげなければと思った。



 ◇ ◇



「原因はわかりましたが、なぜ二人は飛び降りなどという選択をしたのでしょう。それだけが俺はわかりません」


 梨沙が少し落ち着き、フルーツを齧っている時に康太は香織に問いかけた。香織は何かしら納得しているようだ。だが康太はその事情を知らない。故に聞くしかない。


「えぇ、いいわよ。説明してあげる。少し長い話になるかもしれないけれど良いかしら」

「何時間でも付き合いますよ。親友の話です。俺に取っては人生の岐路と同じくらい大事な話です」


 香織はゆっくりと頷き、ぶどうジュースを一口くぴりと飲んだ。恵麻の飲み物の飲み方に似ていると思った。いや、違う、恵麻が香織の飲み方の真似をしていたのだ。

 香織の至る所に恵麻の匂いが残っている。梨沙は香織に会うだけで辛い思いをすることだろう。

 だが梨沙もこの場に居て、静かに話を聞いている。立ち去る気配はない。梨沙も本心では知りたいのだ。どうして恵麻が死を選ばざるを得ないのか。


「三条家はね、凄く厳しい家なの。あ、勘違いしないでね。本家の当主様は凄く良い人よ。厳しいのは私の、私と恵麻の父ね」

「一代で大企業を創業したというあの方ですか」


 香織はゆっくりと頷いた。そして厳しい表情をした。こんな表情は見たことがなかった。


「そうよ。傍目から見たら凄い男に見えるかも知れないけれど、うちの父親は最低よ。家庭は顧みない。母を愛しているかどうかすらわからない。何せ見合いの釣書の中から一番従順そうな相手を選んだそうよ。娘たちにも家庭教師をつけていれば良いと思っていて使用人や教師に教育は丸投げしていて、一緒に遊んでくれた記憶なんて欠片もないわ。それでいて独善的。私にも見合い相手の釣書を持ってくるし、上流階級の人たちしか参加できないパーティの相手しか選ぶことは許されないわ。例え溟海の高等部や大学の同級生ですら交際相手に選ぶと言えば、必ず相手の家の事を調べて、三条家に利益がなければ別れさせられるでしょうね」


「そんなっ!」

「わかります。そういう家も稀にありますよね」


 梨沙が三条家の実情を聞いて青褪めて声を上げる。だが康太はそういうことがまだあることは知っている。

 康太も聞いていて気分が悪くなった。明治や昭和の時代ではないのだ。もう令和だ。時代錯誤も甚だしい。だが事実としてそういう事は行われているし、そういう家もある。そして三条家がそういう家だと言うだけのことだ。


 康太の知っている話の中ですら政略結婚は未だにある。実際叔母や叔父は見合いで結婚したと聞いた。父と母は恋愛結婚だが二人とも医者で医学部時代からの付き合いだ。母の実家も医師の家系できちんと身元が保証された相手だ。それで今も仲良く夫婦生活を送っている。


 康太ですらおかしな女性を家族に紹介したらおそらくやんわりと「あの娘は辞めておきなさい」と言われる事だろう。

 康太の場合は医学部に進学することがほぼ決定しているので、結婚は大学卒業後になる。故にそれほど急いでいない。父親も母親も彼女を高校で作るくらいなら許してくれる筈だ。

 妊娠さえ気をつけていれば問題はない。ただそういう機会がなかっただけだ。あまり康太は女性と付き合うと言うことに憧れを抱いていなかった。日常が忙しかったと言うのももちろんある。女子と遊ぶよりかは篤と遊ぶ方が楽しかったのだ。


「それで篤は俺にも誰にも言わず、三条さんと隠れて交際していたんですね」

「えぇ、そうよ。恵麻の日記にははっきりと書かれていなかったけれど『今日はとても嬉しい事が起きた。記念日としてしっかりと覚えておかなくちゃ』っていう記述があったわ。おそらく桐生くんに告白されたんでしょう。去年の二月の事よ」


 その言葉に康太は驚いた。付き合っていたとしてももっと後だと思っていたのだ。


「約一年も隠し通してきたのか。流石だな、篤。俺は全く気付きませんでした。三条さんと篤は学級委員に生徒会、それに文芸部と言う接点が多かったし、学年上位層で一緒に勉強会をすることもあったから、彼らが仲良くしていることは皆当たり前のことだと思っていました。特に三条さんは当たりが柔らかくて良い子だったから、篤とだろうが他の男子とだろうが普通に仲良くしていて疑念が湧きませんでした。篤だけが特別だとは誰も思わなかったと思います。篤も他の女子生徒と普通に仲良くしていました。三条さんと一緒にいる時間は長かったけれど、あいつもクラス内で人気者でした。だからこそ、噂こそあれ誰もそれが不自然だとは思わなかったんだと思います」


 香織がりんごに手を伸ばして咀嚼する。食べ方すら綺麗だと思った。

 康太は香織を嫁として家に連れていけば両親は大歓迎するだろうと思った。

 三条家の令嬢で教育もしっかりしており、康太をしっかり支えてくれるだろう。所作も教養も十分だ。そういう相手を選べと言われているし、実際所作が汚い相手など目にも入らない。


(あいつは努力で乗り越えたからな。三宅さんも自信がないように言うけれど十分なマナーを持っているし、知性もあって話しやすい。今は考えられないけれど付き合うならやっぱりそういう人と付き合いたいな)


 篤はそういうのは得意ではなかったが、向上心があった。

 康太の食べ方や所作が綺麗なことを見て、教えてくれと縋ってきたのだ。当然教えた。綺麗に歩く方法や立ち姿。食事時のマナーや話の転がし方。上位者への敬語の使い方など細かく丁寧に指導した。

 それでもかなり厳しい事を言ったと思う。康太は教え方が下手だ。自覚もしている。だが篤は泣き言一つ言わずについてきた。

 将来の自分に必ず必要だと思っていたのだ。そしてマナー本などで基礎はできていた。足りないのは実践と練習方法だけだったのだ。


 事実、篤は二年時に入った時には溟海の特進で浮いていることはなくなった。他の長い事躾けられている大企業の令息や令嬢と同レベルの所作を身に着けていた。

 たった一年足らずの、しかも拙い康太の教えで同レベルの所作を身に着けた篤を康太は驚きと尊敬の念を抱いた。

 篤は康太たちを見ていれば真似すればいいだけだと笑っていた。そんな簡単に真似できるなら教師など要らない。


 通常幼い頃から叩き込まれる物を、真似事とは言えたった一年足らずでほぼ完璧に物にしたのだ。篤を馬鹿にするものなど誰も居ないだろう。

 篤が片親で、貧乏な生まれなどと篤の所作を見て誰も思わないだろう。それほど完璧に近い所作を篤は身につけていた。


「なるほどね。まぁうちの事情はざっくり言っちゃうとこんな感じよ。どこの明治時代の名家かしらってくらい頭がおかしいの。やんなっちゃうわよね。おかげで私は未だに彼氏すら作ったことがないのよ。お見合いの釣書は山程届くけれどね。興味なんて一銭もわかないわ。だって両親の事をずっと見てきているんだもの。反面教師にはできても、尊敬は一欠片たりともできないわ。幸せな結婚? そんなものは犬にでも食わしておけば良い。それが三条家の現状よ」


 香織は吐き捨てた。それほど両親が嫌いなのだろう。

 そしてその両親のせいで、恵麻は自殺を選んだ。恵麻を愛する香織に取って両親は、特に父親は恵麻の仇なのだ。

 香織が包丁を持って父親を殺したとしても全くおかしくないと思った。それほどの憎しみが籠もった眼差しをしていた。

 梨沙は香織のその見せたことのない表情に怯えていたが、事情を聞いて眼の前に香織や恵麻の父が居れば康太も殴りかかっていただろうと思った。


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