016.香織の決意と鹿島の発見
「ふむ、ちゃんと調べているわね。情報量が格段に上がったわ。どうやって手に入れたのかしら。コンビニやスーパーの監視カメラの映像もあるわね。裏の世界は詳しくないけれど長年探偵をしているのでしょう。私の知らない抜け道があるのでしょうね。そこは流石にプロだわ。私でも手が出せない領域よ。グレーゾーンと言うやつね」
香織は新しく提出された報告書を見て満足した。このくらいやってくれなくてはわざわざ探偵を雇った意味はない。
「でもそれは悪い事とは思わないわ。実際私が桐生くんや恵麻の情報を得るには最適だもの。多少法に触れていても、私は気にしないわ。それよりも重要なことだもの。清濁併せ持つのが次期当主には必要だわ。綺麗事ばかり言って言ってもこの世の中は渡りきれないわ。流石に暴力団などに頼るつもりはないけれど、鹿島と言う男は優秀ね。恵麻と桐生くんが八景島や江の島、サンシャイン水族館などに二人で遊びに行っている事実が載っているわ。どうやって調べたのかしら。でもこれで確定ね。推定では恵麻たちは隠して付き合っていたけれど確定よ。あの二人が付き合っていないなどあり得ないわ。そしてそれが悲劇の原因となった。恵麻は桐生くんと出会わなければ死ぬことには成らなかったと思うけれど、桐生くんと出逢えたことで恵麻の人生は何倍も豊かになったのが日記を読んでいればすぐわかるわ。幸せの絶頂で死ぬのと、長生きして老害になるのだったら私でも幸せの絶頂で死にたいわ。ただままならないものね。私達のように残された者たちは堪らないわ」
香織は鹿島が寄越した報告書を見て鹿島を見直した。最初の中間報告書は表向きの話だけで、何の役にも立たなかったのだ。
それこそ素人の香織ですら調べられる。佐藤たちも恵麻の事を調べている。
三条家の使用人たちは優秀だ。基本的には分家の中から数人雇っている。佐藤も分家の一人だ。
彼らは三条グループの社員もしているが、使用人の仕事もきちんと熟し、更に三条家を支えている。皆優秀なのだ。
溟海大学医学部を卒業して、きちんと溟海大学附属病院勤務を経て侍医になった者までいる。三条家はそれほど恵まれているのだ。
篤の境遇など信じられない。もし彼が同級生で、香織が助けを求められたら必ず助けただろう。
「私の時代にはそういう子は居なかった物ね。梨沙ちゃんも中流とは言っても上澄みに近いわ。そうでないとピアノをあれほど続けられる訳がないもの」
そして執事である佐藤や使用人たちも当然独自に動いている。恵麻を愛していた使用人たちは多いのだ。香織ほどではないだろうが、恵麻の死の真相を知りたいと言う者は多い。
香織はそういう者たちには、仕事に影響が出ない程度に調べるように命じている。命じられた使用人たちは張り切って様々な情報を取捨選択し、香織に報告書を送ってくる。
「これだけの人数が動いていて解明できない事件なんかないわ。警察なんて当てにならないわね」
恵麻の遺書もとても簡潔で、祖父や祖母、香織に謝り、そして自身は篤と死ぬことにすると言うことしか書いていなかった。父と母には一言もなかった。
遺書からは死ぬ意思が確固たる物であると言うことは伝わってきたが、理由がわからないのだ。その理由に香織たちは迫ろうとしている。
「木島くんも梨沙ちゃんも優秀ね。二人のおかげで色々とわかったわ。そして恵麻が、桐生くんが学校内でも愛されていることがわかって私も嬉しいわ」
ほんの数ヶ月だが康太や梨沙も積極的に調べてくれている。梨沙は外部生や普通クラスの人たちや、一年生たちにまで恵麻や篤たちの動向を知らないかと調べてくれていて、メッセージで報告してくれている。
恵麻たちは余程うまく隠していたようだ。ほとんど二人が付き合っていたという情報は得られない。だが彼女たちが全校生徒のほとんどに好意的に見られていたことは証言から窺える。恋人同士だと確信していた生徒が思っていたよりも多いが、本人たちからはやんわりと否定されていたようだ。
なぜ彼女たちが死ななければならなかったのか、溟海学園に通っている者たちは、学年に関わらず気になってはいるのだと言うのだが梨沙や康太の調べでもわかっている。
「恵麻、貴女は視野狭窄に陥って仕舞っていたのね。それでいて桐生くんを本気で愛していたのね。そうでなければ心中など選ばないわ。それには父の性格が関わっているのでしょう。桐生くんは天涯孤独だわ。しかしそれを乗り越えた。全国模試で一桁の順位を取った。運動も一時期辞めていたけれどまた続けていたと言うのよ。恵麻や木島くんや梨沙ちゃんが必死に説得したと言うけれど私は何かを失った事などないわ。例え今両親が死んだとしてもそれほどのショックは受けないでしょう。むしろ三条家を継ぐ契機になるわ。特に父は邪魔だわ。裏で手を回して父のスキャンダルを暴いて上げましょう。そのくらいは天罰よ。自業自得だと思って世間に叩かれるのね。まぁ本人はマスコミや株主の追求など全く気にしないでしょうけれど、慌てふためいている姿を一度で良いから見てみたいわ」
香織は父と母の顔を思い浮かべたが全く感情は動かなかった。
恵麻とのアルバムの写真は大切に保管されている。この写真たちを見ながら就寝し、夢に恵麻出てくれることを祈った。
◇ ◇
「明日ですね、わかりました。中身は触らないでください。鍵だけ開けば良いのです。はい、はい。ありがとうございます。すぐさま取りに行かせますのでお待ちください」
康太は鍵屋から解錠が終わったと連絡を受けた。康太の部屋にあったあの似つかわしくない大事そうな箱。あそこには何が入っていたのだろうか。
鍵屋に聞くのが一番早いが、明日には手元に届くのだ。
ゆっくり開き、中身を自身で検めたいと思った。何せ時間は有限ではあるが、篤や恵麻の時間は止まっている。急ぐ必要などないのだ。急いでいるのは二人が死んだ理由を知りたいと言う自分たちだけだ。
例え真実を知ったとしても二人は帰ってこない。故に焦る必要はない。康太は自分に言い聞かせた。
香織は恵麻の日記を見つけたと聞いた。康太は篤の大事にしていた鍵付きの箱を手に入れた。鍵は結局見つからなかった。どこにあるのだろう。
篤の遺品もすでに家の倉庫に移せるように一部屋開けてある。後でゆっくりと整理しよう。そして大事にするのだ。
何せ篤は康太の親友で、一番のライバルだったのだから。
「はぁ、人生に張り合いがないってのはこういう事を言うんだな。篤と居た二年弱は俺の人生で最も良かった時間だった。忘れられそうにないな。いや、絶対に忘れない」
例え医学部に進学できても彼ほどのライバルは現れないだろう。すでに康太は篤の存在を知ってしまった。自分よりも上の人間が現れたとしても、篤ほど認められるだろうか。篤ほど執着できるだろうか。
どう考えても無理だ。康太に取って親友とは篤一人。他は全て友人か知人だ。
時間が何年も経てば変わるのかもしれない。だが一年や二年でこの気持ちが変化するとは思えない。
「香織さんと三宅さんに連絡を入れて置かないと」
情報の共有は大事だ。康太はすぐさまスマホを手に取り、二人にメッセージを送った。
◇ ◇
「こっ、これはっ」
鹿島は部下たちから編集された映像を見ていた。桐生篤の近所のドラッグストアのカメラの映像だ。上に話を通して貰ってようやくここ数ヶ月分の監視カメラ映像を全部貰い、部下たちを総動員して、桐生篤、または三条恵麻が映っている場面だけを切り取らせた。
しかしそれでも膨大だ。特に篤はこのドラッグストアを愛用していたらしく、普通にティッシュやトイレットペーパー、風邪薬、スポーツドリンクなどをドラッグストアで購入している。篤がドラッグストア内で動いている動画を見るのは苦痛だった。
だが早回しにして何かを見逃す訳には行かない。むしろ篤が現れた場面はスロー再生にして何を買っているのかまでチェックしていた。
今回のクライアントは本気だ。目を見た瞬間わかった。下手な仕事など出来ない。必ず二人が死んだ手掛かりを見つけ出す。
鹿島も本気だった。元々興味を持っていた事件だったのだ。それを追えと言われたのだから探偵業をやっていて良かったと思う。
もうマスコミもあの事件は追っていない。政治家の汚職や俳優の不倫や隠し子騒動に押しやられて、すでに世間に忘れ去られている。
「これは、コンドーム、だよな?」
篤がいつも行く棚と違う棚でうろちょろしている。手に取っているのはコンドームに見える。だが映像でははっきりしない。
鹿島は自分で動くことにした。簡単に言えばそのドラッグストアに足を運ぶことにしたのだ。
ちなみに店員からの話は聞いている。彼がどういう人間だったのか。レジのおばちゃんにもきちんと挨拶する良い少年だったようだ。
頭の出来が良く、名門溟海高校に首席で入学し、生徒会長をやっている。家が貧乏なことを除けば完璧な少年だ。むしろその貧乏な境遇だったからこそ、それをバネに頑張れたのだろうか。
一般の中流階級の生まれだったならば篤はこれほど頑張れただろうか。いや、鹿島はそうは思わない。普通の中学生活を過ごし、普通の高校生になっていたのだと思う。
努力すれば超一流なのだ。普通の高校生と言っても一流か一流半には成れただろう。そのくらいのポテンシャルがなければ、どれほど努力してもこうは成れない。
だが才能を眠らせてしまっている人間なんて山程いる。
鹿島の部下にもなんでこんな所で働いているんだと文句をつけたくなるような俊英が幾らでもいる。そして居た。すでに探偵業からは離れてしまったが、事業を起こして成功した奴すらいる。独立して新しい探偵事務所を開いた者すらいる。
「あいつももっと鍛えてやらんとダメだな」
鹿島の部下はまだ若手で、高校時代に甲子園にも出場し、プロからの誘いもあったと言う。だが彼は高校生で野球は燃え尽き、プロからの誘いも断って大学に進学し、大学を途中で中退して探偵業に入ってきた。
燃え尽きてしまってもプロで頑張るなり、大学野球をやるなり幾らでもやりようはあったと思う。もったいないと思う。
だがそいつは探偵業でも頭角を現した。体力があり、我慢強さもある。十二時間の張り込みを命じても全く意に介さずしっかりとやり遂げる。集中力が切れないのだ。
故に鹿島も重宝している。どんな事情があろうと鹿島の部下になったのだ。ならば伸ばしてやらない理由はない。
「鹿島さん、これ、三条恵麻じゃないですかね」
「はぁ? 三条家の令嬢がドラッグストアなんて行くか? しかも桐生家の近所のドラッグストアだぞ」
渡された動画データに恵麻の姿はなかった。基本は篤ばかりだったのだ。
「でもほら、一緒にコンビニに行っている動画とかありましたし、見間違いじゃないと思うんですよ」
その部下が鹿島に話しかけてきた。確かに恵麻に見える。しかしこの棚は何だ? 何を手に持っている? 日付は彼女たちが死ぬ三週間前の映像だ。
「おい、すぐそのドラッグストアに行くぞ」
「はい」
鹿島は部下と共に篤や恵麻が何を買いに行ったのか調べる為に車を出した。
改装などしていなければ棚の位置は変わらないだろう。まだほんの数ヶ月前の映像だ。
万引き防止のカメラ映像では残念ながら恵麻が何を探していたのか、何を買ったのかはわからなかった。
おそらく生理用品か何かだとは思うが、確認が大事だ。何もないならないで良い。だがこの映像に何か確信的な事があると鹿島の勘は言っていた。