014.続・恵麻の日記と康太の回想
「ふぅ、少し落ち着いたわ。ダメね。涙もろくて嫌になっちゃうわ。女の涙は武器として使う以外は一人で流す物よ。使用人たちは私が恵麻の部屋に入って目が腫れぼったくなっているのはわかっているだろうけれど、やっぱり他人に知られたくないものだわ。冷たいタオルを取ってきましょう。きっとまた私は泣くわ」
香織は冷たいタオルを使用人に用意させ、桶に氷水まで準備して貰った。
これで続きを読む覚悟が決まった。
高等部の日記の続きを読むことにする。篤の事が書いてある日を選んで熟読する。
五月◯日 今日は球技大会があった。競技はバスケ、バレー、サッカー、テニスの四つから選ぶ。その部活に入っている人はその種目に参加できない。私はテニスを選んだ。文芸部なので何を選んでも関係ない。テニスは幼い頃からやっているので得意だが、同じような子たちは幾らでも居るし、クラブにまだ通っている子も居る。流石にその子たちには敵わない。何せプロを目指している子まで居るのだ。
幾つかの勝利を得て、強い子に負けて、梨沙に連れられて男子の球技大会を見る事になった。体育館ではバスケとバレーが行われている。
ふと桐生くんの姿が見えた。バスケをやっているらしい。だが本人は鍛えてはいるが球技は苦手だと言っていた。実際彼の動きは拙く、チームメイトとの連携も取れていない。残念ながら彼のチームは負けてしまった。
だがいい汗を掻いたとタオルで汗を拭く桐生くんを見てドキリと胸が高鳴った。この気持ちは何だろう。
ちなみに桐生くんは足が速い。短距離はそうでもないのだが、長距離は陸上部と遜色ない走りを体育で見せていた。体操服の上からでもしっかり鍛えているのがわかる肉体美をしている。木島くんが驚いていたのが印象的だ。
陸上部に入らないかと勧誘を受けていると桐生くんは後で聞かせてくれたが、私や佐々木先輩との約束があるので文芸部は辞めないとはっきりと言ってくれた。勉強時間や読書時間が運動系部活動に入ると取れないと言うのも理由だそうだ。
佐々木先輩はホッとしていた。私もホッとした。実際彼の長距離走はどれだけスタミナがあるのだと思えるほどスピードが落ちないのだ。本気で長距離走を練習すれば県でも上位に行けるかも知れないと陸上部の友人が言っていた。もしかしたらインターハイすら叶うのにもったいないと溢していた。
五月◯日
私たちに生徒会からの誘いが来た。桐生くんや木島くんにもだ。他にも何人か候補者は居た。皆成績の良い子ばかりだ。とりあえず庶務としてやらないかとの事で、同じく誘われた木島くんは断っていた。忙しいらしい。塾や家庭教師、生物研究会に医学や薬学の最新の論文まで読んでいると言うのだ。生徒会の仕事までやる時間はないのだろう。
私は普通に入ることに決めた。中等部でもやっていた。生徒会の仕事はきついが楽しい。生徒会をやっている先輩は中等部時代から知っている尊敬できる先輩たちだ。刺激を受けることも多くある。
桐生くんは迷っていたようだが私が誘うと「じゃぁやってみる。でも無理そうだったらすぐに辞めるよ」と言って生徒会に入ってくれた。
押しに弱いのだろうか。いや、学級委員は自分から手を挙げていた。本人も生徒会に入るかどうか本気で悩んでいただけだろう。
これからは生徒会でも桐生くんと一緒だ。学級委員、文芸部、生徒会。彼とは縁があるらしい。
彼とは話していて全くストレスがない。違う世界を生きてきたと言うのに彼は卑屈にも成らず、尊大でも傲慢でもない。ニュートラルなのだ。自分の目標を叶える為には何でもする。それ以外の事に構っている暇はないんだとはっきりと言っていたことを思い出される。彼の目標とは何だろうか。私と彼はまだそれほどの仲ではない。そのうち教えて貰えるように頑張ろうと思う。
桐生くんは木島くんに続いて溟海の特進で二位なのだ。どんな目標でも叶えられるだろう。ただ桐生くんは努力を辞めるつもりは毛頭ないらしい。木島くんにもいつか勝つと言っていた。
その姿勢に憧れる。私は木島くんに勝とうなどと思った事がない。ピアノでも梨沙に敵わないと思い知らされている。バレエはあれから趣味にしてしまったし、唯一書道だけは本気で取り組んでいるが、私よりも上手い人は沢山いる。世の中は広い。上を見ればきりがないと思う。でも私は私だ。三条恵麻として堂々と生きれば良いといい切れるようになりたい。
私はなんてちっぽけなんだとたまに思うが、大半の人は同じなのだ。むしろ私は恵まれている方だ。幼稚舎から溟海に通い、送り迎えは車でして貰える。家も大きいし欲しい物は大概が買って貰える。パーティは面倒だがそれも三条家に生まれた義務の一つだ。得る物もある。仕方がない。
私とは全く違う生涯を生き抜いてきた桐生くんの半生を知りたいと思った。だがまだ早い。もう少し仲良くなってから聞こうと思った。
「恵麻、貴女そんなことを思っていたのね。でもわかるわ。私も敵わないと思う天才に打ちひしがれたことなど何度もあるもの。三傑に勝とうなんて思ったことがなかったわ。日本舞踊の先生の美しさに届くとも思えない。でも努力を辞めてはそれで終わりだものね。恵麻、貴女も強い子よ。大丈夫。その強い貴女がなんで素晴らしい未来のある桐生くんと一緒に死ぬことを選んだの?」
香織は五月分の日記を読み終え、またタオルで目元を拭いた。そして冷たいタオルを顔に乗せ、恵麻のベッドに寝転がり、目元と頭を冷やす。そうしないと哀しみに打ちひしがれ、わんわんと泣いてしまうからだ。
だが続きを読まないと言う手はない。恵麻と篤が付き合っていた、もしくは愛し合っていたと言うのはもう確定だろう。
五月の時点ではその兆候は見られない。少し気になっていたくらいだろうか。即座に惹かれ合っていた訳ではないのだ。やはり一年時の後半に篤の母親が死んだことが契機だろうか。そこの日記を先に読むべきだろうか。それとも二人が飛び降りた二年時の十二月まで飛ばして読むべきだろうか。じっくりと二人の物語を恵麻の心情を通じて読むべきだろうか。答えはでないし、存在しない。
とりあえず六月の日記に手を付けてみようと思った所、ピロンとスマホが鳴った。メッセージだ。発信者は康太だった。
協力者である梨沙と康太、香織の三人でグループを作っている。
内容は単純で篤の部屋から見つかった箱を開ける手立ての準備が出来たと言う。だが案外複雑な物で、一週間は掛かると鍵屋は言ったと言う。それほど複雑な機構なのだろう。
今はネット通販があれば様々な物が簡単に手に入る。篤もそれを駆使して手に入れたのであろう。もしくは母親が客からプレゼントされたのかも知れない。
綺麗な箱だった。篤が持っている物の中で最も高価な物だろう。あの質素倹約を絵に書いたような篤の部屋にあるには似つかわしくない物だ。母親の遺品とは別の場所に置いてあったのが印象的だ。母親が貰った物ならば一緒に段ボールに保管されていただろう。
余程大事な物が隠されているに違いない。
香織は恵麻の日記と言う手掛かりと、篤の部屋で発見された鍵の掛かった小さな箱に必ず謎が潜んでいると確信していた。
◇ ◇
「篤、あの箱の中身はなんだ? お前が買うような箱じゃないだろ。美麗で、職人の技が籠められた箱だった。あんな物を持っていたなんて知らなかった。篤らしくない、つまり母親や三条さんと関係のある箱なんだろう。手掛かりが入っていてくれるといいな。いや、入ってなくてもいい。篤が何を大切にしていたのか、それが知りたい。母親以外で篤が大切にしていたのは俺の勘違いじゃなければ俺と三条さんだろう。文芸部の先輩も大事にしていたと聞いている。生徒会でも皆と仲が良かった。実際あいつは外部生なのに生徒会長になった。凄い奴だ」
生徒会長になれと背中を押したのは康太だ。康太が篤の応援演説をし、篤なら必ず溟海を良くしてくれるだろうと信じてのことだった。恵麻も当然のように応援していた。
そして恵麻はまた副会長になった。篤を助ける為だろう。中等部でも副会長をやっていたのだ。慣れない篤のサポートなどお手の物だろう。
ピロンとメッセージが届く。香織からの返信だ。中身がわかったら教えてくれと簡潔に帰ってきた。康太も余程プライベートな中身でなければ公開すると返した。
香織は恵麻の日記を見つけたらしい。必ずそこに手掛かりはあると香織はメッセージに書いていた。康太もそう思う。
彼らが死ななければいけなかった理由、それを知りたい。恵麻の日記にその手掛かりがあることに期待をした。
「日記か、結構つけているやついるよな」
クラスメイトにも日記を習慣付けているものは多くいる。なぜならば小等部の先生から日記を付けることと新聞を読む習慣をつけた方が良いと教わったからだ。
康太は日記をつけていない。類まれなる記憶力に寄って、ほとんどの事柄は思い出そうと思えば思い出せるからだ。
小等部のクラスメイトに誰がいたか。どんな奴だったか。何があったか。思い返せばすぐに顔も名前も浮かんでくる。当時の感情までも再現される。故に康太は日記に残すと言う作業の必要性を感じなかった。
だが篤との事は記録に残して置こうと思った。思い返せるとしても、文字として残しておくのだ。彼の写真を貼るのも良いだろう。良い思い出になると思った。
「そういえば篤はボーリングもビリヤードも凄かったな。カラオケは酷かったけれど」
康太は篤を遊びに誘ったことを思い出した。そして少し笑う。
篤はカラオケもボーリングもビリヤードもダーツもやったことがないと言う。それを聞いた時は驚いた。
基本的に小学生の頃から図書館に通い、本を読み、借り、家でも読んでいたと言う。ただ体力作りだけは熱心で、中学生からは毎日朝夕にジョギングをして、家では腕立て腹筋スクワット、そしてストレッチは欠かさなかったと言う。
康太も篤に触発されて家にトレーニングルームを作って貰った。専門の器具で体を鍛えるのは楽しい。ひょろっとしていた康太も今ではしっかりと筋肉がついていた。
篤をカラオケに連れて行った時は酷かった。何せ篤はクラシックしか知らなかったのだ。古い名曲や今流行りの曲なども全く知らなかった。ただピアノバージョンなどは図書館などでも流れていたらしいので、「あぁ、この曲の原曲はこれなんだな」と納得していた。
スマホと百円で買えるイヤホンの存在で、康太たちが色々教えることによってようやく追いついたと言うから驚きだ。中学生の時はどうしていたのかと聞くと友人たちに誘われても断り、図書館に通うか家で勉強していたと言う。
ボーリングに誘った時は物凄く驚いた。初心者で最初はガーターばかりであったのに、篤は簡単に投げ方などを教えるとすぐに中央に球を投げることを覚えた。五ゲーム目にはストライクを何回も取っていた。
何度目かに誘った時にちょうど隣にプロかセミプロの人が練習していた。その人のフォームを真似、ダブルやターキーも取るようになった。ハーフの取り方もうまくなった。
篤はまだ数回しかボーリングの経験がないのに百八十以上のスコアを叩き出した。
隣のお兄さんの真似をしてボールを曲げることも覚えた。隣のお兄さんはその様子を見て驚き、篤に声を掛けた。ボーリングを真面目にやってプロを目指して見ないかと。
篤は聞いた。「ボーリングのプロ選手になればどのくらい稼げますか?」と。
そしてお兄さんは少し俯いてトッププレイヤー以外の平均年収を教えてくれた。そこで篤は見切ったようだった。篤なら他の手段で幾らでも稼ぐことができる。ボーリングは日本ではそれほどメジャーなプロ競技ではないのだ。
それに練習するには金が掛かる。康太が誘う時は当然康太の奢りだ。数人で篤の料金も纏めて払っていた。
色々な遊びも知っておいた方が後々役に立つと説得して連れて行ったのだ。実際話題の幅が広いことに損はない。
「ビリヤードも凄かったな。初心者とは思えなかった。俺は家にビリヤード台があると言うのにすぐさま勝てなくなった」
ビリヤード場に行くと専属プロが居て、せっかくなので金を払って教えて貰った。キューの構え方からボールの突き方。マッセやジャンプボールなどの技術。素晴らしい腕前だった。教え方も上手かった。
そして篤はそれをすぐさま吸収した。ビリヤードは物理や数学に通じる物がある。しっかりとボールの中心を突けばボールはまっすぐ飛ぶし、少し突く場所を選べばバックスピンやトップスピン、カーブをする。そして手玉を次の狙いの球を狙える場所に置くのだ。
最初は苦労していたが、フォームをきちんとすると篤はすぐさまビリヤードも覚えた。後半になると回転させてラシャの壁に当て、上手いこと邪魔なボールを避けて狙いの球をポケットに入れた。
趣味として嗜んでいた康太などすぐさま相手にならなくなった。ナインボールでもエイトボールでもルールを理解すると即座に康太は勝てなくなった。驚きの才能だ。
だがやはりプロの年収を聞いて冷めてしまったようだ。
ただ競技としては面白く思ったようで康太たちが誘えば篤はついてくるようになった。ボーリングもビリヤードもどんどんと上達していった。その上達を見るのを康太は羨ましく思って見ていた。天は二物も三物も篤に与えている。
ダーツは苦手なようだった。全てが完璧であれば康太も打ちひしがれてしまう。ダーツは全て康太の圧勝だった。だが篤は楽しんでくれていた。それで十分だった。
「ビリヤードで金を稼ぐにはアメリカや欧州に行かないとダメみたいだ。それなら僕は日本で勉強して弁護士や会計士になる。ボーリングもビリヤードも楽しいからまたやりたいと思うけれどね。趣味で十分さ」
そう言っていた。篤ならボーリングでもビリヤードでもプロになれたかも知れない。そう思わせられた。だがどちらの競技もトッププロに為らなくてはなかなか生活に厳しいのが現実だ。
もっとメジャーな競技である国に渡らなければ金を稼ぐことはできないだろう。そして篤にとって日本から離れると言うことは母親と別れることを意味する。そんな選択肢を篤は取らないだろう。
篤の母親愛を知っていた康太は確信し、篤の才能と未来を惜しんだ。