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001.衝撃

「はぁっ? 今何ていいました? もう一度言ってくださる?」


 ある冬の日だった。十二月も後半に入っており、東京ももう十分に寒い。だが周りがうるさいので三条さんじょう香織かおりはコートも羽織らずに外に出て電話に向かって怒鳴った。冬の風は冷たいが気にならなかった。

 香織は大学のサークルでコンパを行っていた。その時に実家から連絡が届いたのだ。しかしその内容はとても看過できる物ではなかった。


「ですから、恵麻えまお嬢様が飛び降り自殺を致しました。今警察が集まっていて、現場検証をしているご様子です」


 何度聞いても信じられない言葉だった。だが嘘を言う相手ではない。事実なのだ。何せ実家の執事からの連絡だ。飲み込めない。飲み込められる訳がない。香織は周囲の目を気にせずに叫んだ。


「なんですって。あの子が飛び降りなんてする訳がないでしょう。どれほど良い子だと思っているの? 私の最高の、自慢の妹よ?」


 連絡をしてきた執事に香織は怒鳴るが現実は覆らない。実際に香織の愛する恵麻は本当に高校の屋上から飛び降りたのだろう。どうやって屋上に登ったのかはわからない。

 幼稚舎から続く名門の同じ高校を卒業しているが、屋上には鍵が掛かっていて立入禁止なのは覚えている。だが鍵も職員室から借りれば良いだけだ。コピーを作るのも容易だ。

 鍵が掛かっているのでフェンスはそれほど高くは作られていない。乗り越えようと思えば簡単に乗り越えられるだろう。


「パパとママは?」

「旦那様はアメリカに仕事で出張中でございます。時差もあり、ご連絡は入れておりますがまだ電話が繋がりません。商談中なのでしょう。メッセージを入れて置きました。奥様はお帰りになられましたがお酒を召して居て、既にお休みになっておりましたが使用人たちが連絡をしています。まだ頭がはっきりしていないご様子ですが、事情を理解されれば青ざめるでしょう。あぁ、なんという事。あの恵麻お嬢様が自殺を考えるなど一体何が起きたのでしょう」


 執事はさめざめと泣きながら通話をしている。だが泣きたいのは香織の方だ。何せ家で恵麻を最も可愛がっているのは香織だった。

 父は仕事人間で家は顧みない。しかも厳格で成績が悪かったりすればかなりの叱責が飛ぶ。更に自由に彼氏を作るなど考えられない。束縛が激しいのだ。


 母は父の言いなりで娘たちの教育にも関与して来ない。放任と言って良い状況だ。愛情があるのかすらわからない。

 だが家庭教師は付けられていたので育児放棄とまでは言わない。乳母に育てられ、使用人たちから文字や音楽を学び、幼い頃から礼儀作法などの教育を専門の教師から受けるのだ。

 それは香織も恵麻も同じだった。

 香織は通話を切って空を見上げる。自然と涙が溢れてくる。周囲の人間など気にせず大声で泣き出したかった。だが毅然として立ち、涙が頬を伝う。


「はぁ、意味がわからないわ。この前のパーティは最悪だったけれど、そんな悩みなんて吹き飛んじゃうわね。恵麻、貴女に何があったと言うの?」


 父に付き合う相手は不定期に開催されるパーティで出会う男性の中で選べと厳命されている。

 もしくは釣書が幾つも届き、大企業の社長の息子や代々土地を管理している大地主の次男などと見合いが香織にも山程来ている。香織は長女なので婿を取るのが前提だ。


 父は一代でIT企業を年商数百億円を超える企業を作ってしまった俊英だ。ビジネス雑誌の表紙などを何度も飾っている。元は埼玉県のある地域の大地主の家系で、今も多くの土地を持っているが、再開発があり、一部の土地を売り払って大金を手に入れた。そして三条グループと言うグループを明治の代に作り上げ、東京に幾つも不動産を持っている。働かなくとも不労所得で一家全員が贅沢な暮らしができる。そんな家だ。

 母親の実家も大きい。例え父の会社が潰れたとしても、三条家は全く困らないだろう。他にも幾つも大きな事業を抱えているのだ。父のIT部門はその一つでしかない。


「パパは当てにならないし、ママもさっぱりだわ。私が調べなきゃ」


 香織はまだ結婚するつもりはないと突っぱねているが、それもいつまで持つかわからない。いつ父が「この男と結婚しなさい。文句は認めない」と言い出すかと戦々恐々としているのだ。

 だが大学生活を謳歌している香織にとってそんな問題など吹き飛んでしまった。まだ高校二年生にしかならない可愛い可愛い妹の恵麻。香織から見ても美しく、芯の強い妹で知性も理性も、そして教養もしっかりと躾けられている。香織と同じく幼い頃から専門の家庭教師がついていて、叩き込まれているのだ。


(……恵麻)


 最近ビデオ通話で話した時の恵麻の顔を思い出す。スマホを取り出して恵麻と一緒に取った写真を見た。

 実際恵麻はピアノやバレエ、書道などはセミプロと言って遜色ないレベルだ。ピアノやバレエはコンクール入賞の履歴があり、留学の誘いの話もあったらしいが、父がそんなことは許さないと断言した。

 その時恵麻はかなり落ち込んでいた。香織も慰める術を持たなかった。父には何を言っても通じないのだ。母も父が言うことに盲目的に従っている。

 香織が居る三条家とはそういう家だ。よくも悪くも上流の家で、その分昭和か明治かと思うくらい家長制が強い。三条家当主はまだ祖父ではあるが、次の当主は父になるだろうともっぱらの評判だ。本家の長男であるし、それだけ成功しているからだ。


「ちょっとごめん、急ぎの用事入っちゃって私もう行くね。今日の分のお金置いていくからみんなは楽しんでね」

「香織、どうしたのっ。泣いた跡があるわよ」

「気にしないで。急用なの。貴方たちに構っている暇はないわ」


 香織はスマホをポーチに仕舞うと、一万円札を置いて行った。釣りは皆の飲み代にでもしてくれれば良い。おそらくまだ数千円も食事や酒も飲んでいないが酔いも覚めたし、何かを食べる気分ではない。まず事実を確かめなければならない。


「タクシー、ここよ」


 スマホでタクシーを拾うと恵麻の通っている高校を指定する。有名な高校でそれなりの距離もあるのでタクシー運転手はホクホクだ。


(ほんとに一体何があったの。恵麻。なんでお姉ちゃんに相談してくれなかったの?)


 タクシーが夜の街を飛ばす中、香織はずっとその事ばかりを考えていた。

 現場にはついたが当然警察が見張っていて、高校には入ることすら許されていなかった。



 ◇ ◇



 木島きじま康太こうたは朝学校に登校すると学校の一部が閉鎖されていることに気付いた。青いビニールシートが張ってあって、何かを隠しているように思える。黄色い帯の「KEEP OUT」と書かれたテープがあって、警察が見張っている。一体何があったと言うのだろう。


 その答えは当日の朝礼にあった。

 特進クラス担任の鈴木が珍しく険しい表情をしている。康太はそんな鈴木を見たことがなかった。

 常に自信があり、教育にも熱心で、実際頼りになる担任だ。学年主任も兼任しており、忙しい中部活動の顧問も熟している。

 パリッとした清潔感のあるスーツを着こなしており、さすが溟海高校の教師だと思える担任だ。康太も他の生徒も鈴木を信用している。


 しかしその鈴木が見たことない表情をして、かなり落ち込んでいる様子が見て取れる。何があったと言うのだろうか。

 誰もが不安な表情をしている。何かなければ鈴木があのような表情をする筈がない。

 そう言えば学級委員と生徒会を努めている親友の桐生きりゅうあつしと幼稚舎からずっと一緒の三条恵麻の姿がない。

 そして鈴木から衝撃の言葉が飛び出した。クラスは一瞬で静まり返った。


「あ~、非常に言い難いんだが、隠し通せることじゃぁない。だから敢えて報せる。昨日の夜、三条と桐生の二人が屋上から飛び降り、死んだ。警察も理由を捜査しているが、他殺などではなく自殺だと判断していると聞く。まだ昨日の今日だ。俺も夜中に警察から学校に連絡が有って初めてその情報を知ったくらいだ。だからお前たちとそう知っていることは変わらない。だが落ち着いて欲しい。お前たちの気持ちを考えれば落ち着けないと思うが、騒いでも何にもならない。まず彼らの冥福を祈るんだ。黙祷」


 鈴木の号令で全員が目を閉じ、頭を下げ、両手を汲んで黙祷をした。

 木島は信じられなかった。親友である篤が死ぬ筈がない。彼は良いライバルであったのだ。

 特進クラスでも不動の一位と呼ばれた康太を幾度も脅かし、幾度か破れた。中学時代一度も譲ったこともない不動の一位は外部から来た特大の爆弾によって破られた。


 しかしそれを康太は嬉しいと思っていた。同等のライバルが居る。自身以上に勉強し、康太の不動の一位伝説を破ったのだ。

 中学生に進学して一位しか見たことのなかった康太には新鮮な体験だった。

 それだけではないが、この二年余りの時間で、康太と篤は親友と呼べるほど仲良くなったのだ。幼稚舎から一緒の友人たちよりも篤と話すことの方が多くなった。上流階級の世界しか知らない康太に篤は色々な事を教えてくれた。康太も篤に色々と教えた。お互い様だ。


(篤と、それに三条さんもか。何があったと言うんだ? 一体。なんで彼らが死ぬんだ。仲良かったじゃないか。篤も一時期落ち込んでいたが三条さんが慰めて立ち直っていた。少なくとも俺達クラスメイトはそう見ていた。違ったのか? 何か見逃していたのか? なんで相談してくれなかったんだ。死ぬほどのことか? 溟海で一位を取り、生徒会長も努めていた篤の将来など明るい未来しか存在しない。俺と一緒に医者になってうちの病院で最高の条件で雇ってやっても良かった。どこの企業も篤ほどの人物なら取り合うだろう。それほどの男だ。頭もよく、体も鍛えていて球技なんかのスポーツは苦手だったが足は速い。そして性格も多少外部生ということで遠慮しているところはあったが芯は強かった。どんな未来も篤にはあった筈なのに……。それに三条さんもおかしい。あいつは幼稚舎の頃から知っているが自殺するような奴じゃない。責任感の高い良い女だ。三条さんに惚れて夢破れた男は数知れない。本当に何があったと言うんだ)


 康太は親友と、学級委員を同じく努めていた三条恵麻の死にショックを受けると同時に、その謎に迫りたくなった。

 なぜ彼らは死んだのか。死ななくてはならなかったのか。その謎が解けねば、自身の夢である病院を継ぐなど考えられなかった。


 最高のライバルであり最高の親友。桐生篤。そして三条家の令嬢にして学園のマドンナの一人として数えられる才色兼備の幼稚舎からの付き合いがある三条恵麻。

 その二人が同時に自殺する。意味がわからなかった。あり得ないと思った。それほど康太は二人の事を理解していたつもりだった。

 だが単に「つもり」であって理解し難い悩みがあったのであろう。でなければあの二人は自殺などという安易な選択肢は取らない。

 二人ともそんな性格ではないのだ。篤はどんな障害さえ乗り越えただろうと康太は信じていた。


 篤も恵麻も芯の通った強い男女だ。自殺など選ばず、もっと他の選択肢を幾らでも思いついたし取れたはずだ。少なくとも康太に相談してくれれば幾らでも相談に乗った。他にも彼らの相談になら親身になる者たちはたくさんいる。親の力でも何でも使って彼らを助けたことだろう。

 金が欲しいと言うなら百万でも二百万でも融通しよう。一千万でも良い。そのくらいは親に土下座すれば用意してくれるだろう。将来稼ぐ金を前借りするだけだ。

 知り合いの弁護士や会計士、医者の紹介もしよう。実際篤の母親が倒れた時は康太の病院に入院した。親に頭を下げ、個室を用意し、最高の医療を施した。


 だがどんな名医でも死んだ者たちを生き返らせることは出来ない。

 康太は生まれて初めて授業に集中できないという経験をした。


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