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3  『ふたつの世界』


 あの頃学校に居場所がなかったからこそ彼女と出会うことができたのだと考えれば、一人ぼっちも悪くなかったのかなとは思えるのだが、それでも学校に居場所がなければ大抵の子どもは家が自分の居場所になる。


 だけど僕は違った。僕は家にも居場所がなかった。自分が暮らす家なのに他人の家のようにしか思えなかった。


 親から暴行を受けていたとかじゃない。むしろ逆だった。僕は徹底的に親から興味を持たれていなかった。他人をどうでもいいと思ってしまうのは自分を産んだ存在からそう思われていたからじゃないだろうか。父親は物心ついたときからいなかった。何ともまあ厄介な親から生まれてきてしまったものである。


      ●


 この廃墟は決して狭くはない。むしろかなり大きい。でもここがもとは何の建物だったのかはいまだによくわからない。病院かホテルか保養施設か。調べても出てこない。建物全体が鉛筆で描かれたみたいに薄暗い灰色をしていた。


 僕たちはとある一室にいた。


 ここは僕が勝手に使っている部屋だった。窓からの眺めがよかったのだ。窓ガラスには盛大にヒビが入っていて壁はぼろぼろだったが不思議と落ち着いた、いい雰囲気だと感じていた。


「きみはいつもここに?」

「うん。ここで本を読むのが好きなんだ」

 机と椅子とベッドが二つずつあった。


「わかるよ。いいよね、そういうの」

 僕は嬉しくなった。そんなこと今まで一度も言われたことがなかったから。僕はランドセルと傘を、彼女は鞄を机の上に置くとそれぞれ椅子に座った。雨の音が聴こえる。とても静かだった。


「きみはいつからここに?」

「二週間前くらい」


 クラスの女子の噂話を聞いたのだ。いわく町はずれの森のなかに、それはそれは怖い廃墟があると。いったん足を踏み入れると二度と生きて帰ってこれないという恐ろしい場所があると。女子たちはやばーいとはしゃいでたけど、何がやばいのか僕にはわからなかった。


 そんなわけでその森に入って道すらない道を進んでいくと、果たして本当に廃墟があった。それからというもの、ここを自分のなかで秘密基地のような位置づけにした。


「そっか」彼女はうなずく。「そう言われてみれば最近何となく自分以外の気配を感じてたよ」


「お姉さんはいつからここに?」

「まあそんなに昔からいたわけじゃないよ」彼女の椅子が軋む。「たまに学校サボってここに来るんだ。一人になりたくて。こんなとこ誰も来ないからね。だからここで誰かに会ったのは初めてだよ。びっくりしたなあ、足音がするから誰だろうって警戒してたら、きみみたいなちっこい男の子だよ。何事かと思ったよ」

「やっぱりぼく小さいんだ」

 ちょっと落ち込む。身長の低さは子どもながらにコンプレックスだった。


「大丈夫、男の子なんてすぐおっきくなるよ」

「そうなの?」

「うん。そういうもんだよ」

 彼女はなぜか確信めいて言った。根拠はないのに妙な説得力を感じた。まあ実際これは正しかったわけなのだけど。


「ね、さっき本が好きって言ってたじゃない? どんなの読むの?」


 僕はランドセルから図書館で借りた本を見せる。

「あ、それ知ってる。小学生のとき読んだよ」彼女はページをめくり「うわ、懐かしいなあ」と言う。


「お姉さんも本読むの?」

「うん。何でも読むよ」

「そうなんだ」


 彼女は窓の外を見て「雨すごいね」と呟く。


「きみは雨のとき、傘は差す?」

「差すよ。当たり前じゃん」

「まあそうだよね」彼女は小さく笑う。

「お姉さんは差さないの?」

「差さないよ。せっかくの雨なんだから傘を差すなんて野暮だよ」

「野暮」

「ああ、何て言ったらいいかな。雨のときは、雨に打たれたほうがいいよってこと。わかりづらかったね」

「ううん、何となくわかるから、大丈夫」


 僕たちはそんな他愛のない会話をぽつぽつと繋いでいった。静かなやりとりだった。会話がないときは窓の外や彼女の横顔を見たり、互いに本を読んだりした。時間は平等に過ぎていき、そして夕方になった。


「お姉さんは、自分の家って好き?」

「まあ、あまり好きじゃないかな」


 急な問いだったのに、彼女は答えてくれた。


「でも、たまには好きになるよ」

「たまに?」

「うん。どんなに嫌いになっても自分の家って嫌いになりきれないんだよ。でもやっぱり好きじゃないけどね。きみは嫌い?」


 僕はうなずく。


「そっか。でもそれはね、きっと悪いことじゃないと思うよ」


 どういうことだろう。その意味を訊こうとしたら「あ、私そろそろ帰らなきゃ」と彼女が立ち上がった。


「どんなに嫌でも家には帰らなきゃ。門限きついんだ私の家。きみはどうする?」

「もうちょっとここにいる」


 僕はきっぱりと言った。彼女は微笑んで僕の頭を撫でた。僕は大人しく撫でられた。


「じゃああまり遅くならないように。この辺暗くなると危ないからね」

「わかってる」


 彼女は鞄を持って部屋から出ようとする。その背中に僕は「ねえ」と声をかける。


「明日もここにいる?」

 彼女は少しの間の後「いるよ」と言った。


「きみは?」

「僕もいる」

「そっか。じゃあまた明日ね」

「うん、また明日」


 一人になると急に部屋が暗くなったように感じた。いや本当に暗くなっていたのだろう。闇の気配がした。僕は視線を汚い天井に向けてぼうっとした。夢から覚めたみたいに落ち着かない気分だった。ここは一人になりたくて見つけた場所なのに。ここは言わば僕の聖域で、何より落ち着ける場所だったのに。こんな気持ちになったのは初めてだった。


 だけど僕はまだこの気持ちの名前を知らない。


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