2 『男の子と女の子』
僕には友達がいなかった。大切に想う人がいなかったと言い換えてもいい。人間関係を作るのが小さい頃からすごく苦手だった。僕は一人ぼっちだった。教室の隅で静かに本を読みながらクラスメイトの話に聞き耳を立てているような子どもだった。
誰も僕に話しかけなかったし、僕も誰にも話しかけなかった。それが僕の小学校生活だった。
そのときから疑問に思っていた。なぜ僕は誰のこともどうでもいいと思ってしまうのだろうかと。物心ついたときからそうだった。
さてそんな僕がいかにして彼女と出会ったのか、そして彼女と出会ったことで僕の何が変わったのか、その一つ一つを絡まった糸をほどいていくように思い出していこう。
その日も雨が降っていた。
●
「やあ少年、こんなところで何をしているのかな?」
突然そんな声がして、僕は驚いた。まさか僕以外の人間がここにいるなんて思ってもみなかったから。
深い森のなかの、薄暗い廃墟。
静かで、雨の音しか聴こえない。
振り向くとセーラー服を着た女の人がいた。彼女は腕を組んで灰色の壁にもたれていた。
「そんなに驚かないでよ」声音は優しかった。「別にどうもしないから、安心して」
僕は混乱していた。ここは僕だけの秘密基地のはずだったのに。せっかく見つけた一人きりになれる場所だったのに。
「誰?」
僕の声は少し震えていた。だから目は睨みつけるように細めた。しかし彼女はそんなささやかな威嚇に動じる様子はなく、ゆっくり近づいてきた。
「怪しいものじゃないよ」その顔には微笑み。「そんなことより訊いてるのは私のほう。こんなところで何をしているのかな?」
僕は答えない。
「きみ小学生だよね? 学校は?」
「お姉さんこそ、学校は?」
今は月曜日の午前だ。普通なら学校にいるはずだ。だがそうしてないのは彼女もまた同じのはずだった。
「僕だって訊いてるんだよ。お姉さん、誰?」
「だから怪しいものじゃないって」
「怪しいよ、すごく」
怪しいを通り越して不気味でさえあった。
「まあ確かに怪しいよね、今の私」彼女は笑った。「でも誤解しないでほしいな。私はただこんな廃墟に小学生の男の子がいるなんて不思議だな、って思ってるだけなんだから。むしろ私のほうが怖いよ。きみこそ自分が怪しいの、わかってる?」
それはその通りだ。
「きみ、ここで死んだ子どもの幽霊とかじゃないよね?」
「そんなわけないじゃん。お姉さん幽霊がいると思ってるの?」
「あはは。生意気でよろしい」
彼女が手を近づけてきたので払いのけた。
「何すんの」
「ああごめんね。何か急に撫でたくなって」
「何それ、気持ち悪い」
「そうだね、気持ち悪いね。ま、きみが幽霊じゃないように私だって幽霊じゃない。ちゃんと生きてる人間だよ。それで、きみは幽霊じゃないのに何でこんなところにいるのかな?」
僕は答えない。
「いけない子だね、若いうちからサボるのに慣れると大人になったとき大変だよ?」
なぜ見ず知らずのお姉さんに説教をされなきゃいけないのだろう。するとお姉さんが「なんてね」と顔を逸らした。「まあ誰だって言いたくないことくらいあるよね」
そして辺りを見回す。
「ここはいいよね。静かで、誰もいなくて」
「いつからここ知ってるの?」
「たぶんきみより先だよ。私のほうが先輩なんだからな」
彼女が笑う。よく笑う人だな、と僕は思った。
「月曜日って嫌だよね」割れた窓の外を見ながら彼女が言う。「きみはどう思う?」
「僕も嫌だ」
「そっか」
「でも僕は月曜日だけじゃなくて、一週間ぜんぶ嫌だ」
「重症だね。私がきみくらいのときでも、さすがにそこまでは思わなかったな」
まだ状況が呑み込めない。だけど危機感みたいなものは感じなかった。それは彼女の笑顔が年上のくせに無邪気に見えたからだろう。
「お姉さん、名前は?」
気づいたら訊いていた。しかし彼女は「秘密」ともったいぶるように言った。
「何で」
「じゃあきみの名前は?」
「秘密」
「あはは。まあ名前なんて何でもいいんだよ」
彼女が僕の頭を撫でた。今度は手を払わなかったのは別に彼女に心を開いたからとかじゃない。ただ頭を撫でられたことなんて人生で一度もなかったから、どんなものか知りたくなっただけだ。
「顔赤いよ? もしかして照れてるの?」
僕たちは出会ってしまった。何の前触れもなく、よりによってこんな場所で。
ここから僕は、彼女を好きになる。