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教室に稲妻  作者: フリオ
3/33

3話 幼いころから知っているけど、馴染んではいない

 

 おじぎをした黄金の稲のように、長い黒髪が少女から垂れていた。


 俺は少女の頬に流れる汗を見つけ、それは少女によって刹那に、指で伸ばされた半袖によって拭われた。右手に握られていた小さな鎌が少女の頭上に浮かび、太陽の光に照らされて今朝の青い空にどんよりと浮かんでいた時間外れの三日月のように鈍く輝いていた。


 少女の頭には麦わら帽子。

 風が吹けば、白い首筋が見える。

 背伸びをした稲を左手で束ね、狙いを定めて鎌で刈る。



「ふう」



 黒髪を揺らした風が、そのままため息を運んできた。

 どうして少女は、一生懸命に稲を刈るのだろうか。

 周りを見ても、まじめにやっている生徒は少ない。


 田植え体験の時には頑張っていた生徒たちも、稲刈り体験になると興味を無くした。

 俺もそのうちの一人。


 土で固められた田んぼの縁に座って、仲間と談笑しながら、揺れる女の子を見ている。

 つまりサボっている。


 俺の近くには赤いコンバインがあった。


 生徒が刈り切れなかった稲は、これで一気に収穫される。

 それが分かっているから、多くの生徒がまじめに稲を刈ろうとしない。


 こんなに大きくて赤い機械を見せられたら、やる気もなくなる。

 しかも今日はクソ暑い。


 だけど少女は違った。

 流れる汗を拭いながら、下を向いて稲と向き合う。

 周りと違う女の子は、男の子にとって気になるものだ。


 少なくとも、俺は気にする。



「あの子、なんて名前?」



 芝山 涼というのが俺の名前だった。このときは小学五年生。両親と姉と四人で暮らしていて、姉はそろそろ家出をする。俺はその背中を押すことになる。俺の自我や夢や希望は、そのとき姉と一緒に旅立った。ずいぶんと立派な旅立ちだった。



「うん? どの子?」


「あの、稲みたいな子」



 俺が女の子の名前を聞いたのは、隣に座って一緒になってサボっていた友人。


 名前は上沢 和樹。なにかと詳しいやつだ。噂が好きだから上沢なのか、上沢だから噂が好きなのか。卵が先か鶏が先かとは少し違う。上沢はヒヨコだった。


 上沢は稲みたいな子を探した。稲みたいな子なんて一人しかいない。

 目の前に見つけて、当然、その子の名前を知っている。


 ああ、あの子はね、って感じの表情で口を開く。



「清水 稲穂」


「見たまんまだ」



 彼女の黒髪は清い水のように流れているし、そこに鏡があるかのように目の前には稲穂。



「どんなやつ?」


「見たまんま」



 上沢はオウムのように、ふざけて返した。

 ふざけた野郎だ。


 空模様を見ても、今日の気温は分からない。すごい晴れているのに、寒い冬もある。

 俺は立ち上がった。



「どした?」



 上沢が声を掛けてくるが、俺は手をひらひらさせて応える。

 答えにはなっていないけど、反対の手には小さな鎌を握る。


 迷子の子供に話しかけるようにして、しゃがんで稲と目線を合わせている稲穂の、小さく丸まった背中から近づき、少しだけ離れて、隣にしゃがんだ。


 俺の目の前には、いくつかの稲。



「ねえ」



 声をかけると、黒髪から覗いた耳がピクっと反応した。

 顔をこちらに向けた稲穂の前髪は汗で額にピタンとくっついている。


 俺は左手で適量を掴み、稲を束ね、根本の近い部分に小さな鎌の刃を当て、刈る。

 さてこの稲からどのくらいのお米になるのだろうか。


 想像もできないが。

 俺の左手に握られた稲は太陽に照らされ黄金に輝いている。



「これ楽しいか?」



 俺は稲を刈っても楽しくはない。


 野球のグラウンドに生えた雑草をむしり取る程度の感動しかない。


 そしたらやっぱり、どうして稲穂は一生懸命なのか分からない。



「べつに……」



 稲穂の左手にも稲があった。



「ならどうしてそんなに一生懸命なの?」


「どうしてって……」



 稲穂は少し考えた。



「誰かが握ったおにぎりよりも、自分が握ったおにぎりが一番美味しく、感じるから」



 少しだけ食いしん坊な理由だった。

 小さく息継ぎをした後、言葉を続ける。



「だから、もっと、ずっとその前の、自分で作ったお米で握ったおにぎりなら、さらに美味しくなるかなって」



 そう、でも、ない気がする。



「それは、気のせいじゃない?」


「気のせいじゃない」



 稲穂はゆったりと立ち上がった。


 下から見上げる女の子は眩しくて、思わず目を細めてしまう。

 上から俺を見下す稲穂は、なぜかドヤ顔だった。



「自分で握って食べてみたら分かるよ」


「母さんが握ったおにぎりが一番美味しいけどな」


「……マザコン」


「違うよ。母さんなにもできない人だけど、おにぎり握るのだけは頑張ったんだ」


「ふーん?」



 稲穂は左手の稲をひらひらさせた。



「じゃあ調理実習が楽しみ。君のおにぎりもいつかは食べてみたいな」





◇◇◇





 太陽が空の一番高いところに登れば、目の前を赤いコンバインが赤とんぼを二匹、引き連れながら駆ける。田んぼのあぜ道で生徒が一列に並び、それを見ていた。人力の虚しさと文明の爽快感が芽生え、裸になっていく田んぼは冬の訪れを予期させた。降るまでは楽しみな雪へ、今年も思いを馳せる。



「で、どうだった?」



 ぼそぼそと聞こえてくる雑談の音に混じって、上沢の抑揚のない声がする。

 稲刈りはつまらなかったけど、稲穂は良いやつそうだった。


 俺は口を腕に埋める。

 体育座りをしている俺の横に、上沢は三角座りでいた。



「どうって、なにかあったの?」



 その奥で安座をしていた山瀬 莉子が顔を出して聞いてくる。

 みんな同じ座り方だ。


 何もなかった稲刈りだから、何かあったのか気になるのだろう。

 口を腕で塞いでいる俺を見た山瀬が、上沢に説明を求めた。



「涼が清水に話かけたんだ」


「え、好きなの?」



 山瀬は恋バナが好きな女の子だった。何かにつけて恋愛話にするから、俺は山瀬が苦手だった。恋愛よりも大切なものってあると思う。なにより山瀬のことが苦手なのは、彼女が自分の恋愛よりも他人の恋愛に興味を持っていること。


 自分の恋愛に一生懸命になった彼女にならきっと好感が持てると思う。



「教えてよ」



 これくらいの年の女の子はみんな恋バナが好きだし、図書室で恋占いの本を借りている。


 自然教室のときも男子に好きな人がいるかアンケートを取って回っていたのを覚えている。


 きっとその後で女子部屋で恋バナが行われていたのも想像できる。

 俺はそのとき「いない」って答えた。


 つまんないやつって反応をした山瀬に、ちょっと恨みを持っているのかもしれない。



「違うよ」



 だから今回も教えない。


 山瀬の好きな人も知らないのだから、俺の好きな人も「いない」って答える。


 口を開いたついでに、上沢の質問にも答える。



「どうって聞かれても困る」


「なんだよ。なんの話をしてたかくらい教えろよ」


「そんな気になる?」



 上沢はにやけた。

 山瀬はその奥で何度も頷いていた。



「清水 稲穂は男の子から一番人気、芝山 涼は女の子から一番人気」


「なにが?」


「好きな人」


「俺が?」


「君が」


「君は?」



 山瀬は俺に向かって、人差し指の指紋を見せつけた。

 上沢は「へへっ」と声を出してにやけ続けた。


 女の子の奇襲をくらってしまった。

 人差し指から飛び出した何かは俺のお腹を貫通して、背中をむず痒くさせる。

 赤いコンバインが稲を飲み込んでいく。



「べつに、おにぎりの話だよ」



 話を変えるために、稲穂と喋ったおにぎりのことを話す。



「おにぎりの話って、なに?」


「誰が握ったおにぎりが一番美味しいのかって話」


「そんなのは簡単だよ」



 山瀬はもう一度、俺を指さす。



「好きな人が握ったおにぎり」


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