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8-A「己己己己」


  ◯ ◯ ◯ ◯


 村鞘 市郎は、中学生の半ばまで不良少年だった。

 素行が悪かったというよりは、荒事に自ら首を突っ込んで喧嘩に明け暮れていたのである。


「がっ、はがッッ」


 同じ中学生だろうか、それとも高校生か。どちらでもよかったが、とにかく最後の1人も殴り飛ばせば駐輪自転車の列もろともぶっ倒れていった。

 市郎がコンビニへ行く時に抜けていく駐輪場にて、真夜中の改造スクーター集会を催していた一団はこうして壊滅した。


「っふぅ、っ……はぁ、ぁ……」


 市郎もまた無事ではなかったが。怪我らしい怪我は、殴った反動で赤々と擦りむいた手の甲ぐらいだった。

 這々の体で起き上がった1人が、市郎へ向かってくるでもなく自分のスクーターに縋りついた。


「あ、頭おかしいんじゃねぇのか!? テメェには関係ねぇのにマジで殴りかかってきやがってよぉ!」

「……先に小突いてきたのはそっちだろ。手を出したなら殴り返される覚悟ぐらいしとけよ」

「んだと……!」

「ね、ねえもう行こうよっ、みんな怖いよ……」


 唯一、無事で済んだ女子がもはや虚勢も張れずに怯えていた。立ち上がった男は市郎へよほど挑みかかりたい様子だったが、言葉にならない喚きとともにスクーターへ跨がった。

 そうして市郎が突っ立っている間に、三々五々、彼らは罵詈雑言や嘲笑とともに走り去っていった。


(そんな単車なのにヘルメット着けるのかよ。不良にしても高が知れてるな)


 ヘルメット着用。量販店のスクーターからお約束じみてレフトミラーだけ外し、あとはバイクでもないのにシートへ背もたれを付けたりマフラーをちょっと切ったり。

 市郎が以前見かけた限りでは赤信号でキチンと停止していたし、ワルぶりたいのか暴走したいのかいまいちよく分からない。


(俺が言えた義理じゃないが……)


 倒れた自転車の列を戻しはじめた市郎の目に、遠くから近づいてくるパトランプの光が映っていたが。べつに逃げも隠れもしなかった。


  ◯ ◯ ◯ ◯


「また君か。喧嘩なんか誰の得にもならないって言ってるだろう」

「心配かけてすみません、お巡りさん。コンビニ行こうとしてたら絡まれたんです」

「……そういう打算も聞き飽きてるよ。お望みどおり警察としちゃ何も言えんが、そのぶん親御さんに叱ってもらいなさい」


 不良と自称するのも自信は無かったが。喧嘩ばかりしていたことに、明確な理由があるわけではなかった。

 もっとも、明確な理由があってはぐれ者になるというのも稀だろうけども。

 将来への不安。

 親への反抗。

 見えるものが増えてきた社会への苛立ち。

 同級生より擦れている自分への嫌気。

 どれも漠然としていたし決定打は無かった。

 自分でもよく解っていなかったのだから。

 有り体にいえば『思春期』か。

 しかしそんな一語で自分を解釈してほしくない自覚もあったから、まったくもって(こじ)らせていた。

 形にもならない寄せ集めの感情を混ぜ合わせた、有り余るエネルギーの行き場を求めていた(見失っていた)のかもしれない。


「良い道場があるんだ。市郎、1ヶ月でいいからそこで過ごしてみなさい」


 後から思い返せば、そんな愚息の迷いを家族はよく見抜いてくれたものだと思う。


己己己己(いえしき)道場? 変な名前だな」


 夜明けから間もない時刻。仄暗いような仄明るいような空の下で、1ヶ月分の身支度を背負った市郎は道場の引き戸を開いた。

 ……一礼も無く敷居を跨ごうとしていた足が、宙に浮いたまま止まった。

 人の気配がしない道場だったし、実際、戸の向こうに現れたごく普通の板張りの広間はがらんどうだったのだが……、


「……村鞘 市郎さんですか?」


 隅っこに、座敷わらしがいた。


「え……?」


 いや。

 同い年ぐらいの少女が、引き戸の前からは死角になる壁際に座していたのだ。

 敷居を跨ごうとした者だけがようやく視認できる、「そんな隅っこにいなくても」とさえ思ってしまう壁の角に。


「……今日からの門下生ですよね。それとも違う人ですか?」

「ああ……俺は市郎だが……」


 潔すぎるほど毛先をぱっつんと切り揃えた黒髪おかっぱボブ。中肉中背、鋭い目付きの少女だ。

 だが、それ以外の相貌は秘されていた。

 室内なのにキャスケット帽を目深に被り、髪色と同じ黒マスクをしていたから。

 さりとて外出するのではないだろう部屋着っぽいパーカーとショートパンツ姿で、スマホをいじっていたのだ。

 そんな姿はともすれば無防備で、面食らった市郎はなんだか目を逸らさずにはいられなかった。


「……変なとこ見せてごめんなさい」


 スマホから目を離していないのに、市郎の目の動きを察したかのように少女は呟いた。

 しかし「変なとこ」なんて自嘲しながらも、仕方なくこぼしたようなその口振りには羞恥より諦観が感じられた。


「……時間通りに来る人なんてはじめてで、油断してました。……“視た”感じマジメなんですね」

「……はじめて会ったのに俺の何が分かるんだよ」

「…………ごめんなさい。なんでもありません」


 目を強く拭いながら、彼女は立ち上がった。


「……エル。お婆ちゃん呼んできて」

「わふっ」


 ……傍らに落ちていたコーギーがもっちりと起き上がり、会話が成立しているかのように奥の通用口へ駆け出していった。


「……じゃあ。ここでちょっと待っててください」

「あっ、おい?」


 次いで少女も立ち去ろうとした時、市郎はその後ろ姿を呼び止めてしまった。


(……「大丈夫か?」)


 それは咄嗟に彼女へ投げかけたかった言葉で……自分への打算でもあった。


「……きみの名前をまだ聞いてないぞ」


 結局、突きつけたのは打算寄りの言葉だった。

 対して彼女は、歩みは止めたものの振り返りもしなかった。


「……名前を教えたらあたしを見ないでくれますか? それとも教えないほうが見ないでいてくれますか?」

「は……?」

「…………なんでもありません。ごめんなさい、ごめんなさい。本当になんでもなくて…………」


 目をまた拭って、拭って。


「……看谷 英子です。この己己己己道場の娘です」


 彼女は今度こそ、止める間も無く立ち去っていったのだ。

 後に残された市郎は、今まで首を突っ込んできたどんな喧嘩よりも狼狽えていた。


(……な、泣いてた……? いや……でもそんな……俺は……)


 名前を聞いただけだ。いやそれ以外にも何か泣かせるようなことを言ってしまったか、やってしまったのだろうか。

 それとも、喧嘩の傷だらけの自分はそんなに恐ろしげに見えるのだろうか。

 分からない。

 分かるはずがなかったのだ……。

 【己己己己】

 看谷 英子の母方の姓にして、家が守ってきた道場に掲げられた名。いえしき。

 「私は愛する人の名前が欲しいのです」。1度もワガママを言わなかった娘が一世一代の駄々をこね、これを機にとばかりに因習はあっさり破られた。

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