5-1「天使の啓蒙」
日芙。
この世界が壊れた起こりは、数十年前の戦乱の時代に遡る。
永らく続いた戦乱の終わりとなるはずだったのは、ある籠城戦だった。
『天下分け目』の大戦に敗れた兵どもの意志を継ぎ、日輪の王に忠を尽くす者たちが総力を結集させたのだ。
だが、彼らは善きにしろ悪しきにしろ持たざる者たち。2つの季節に渡ってよくよく戦ったが、ついに異界の兵器の前に落城した。
……天獄の遣いたちの目算では、これを以て数百年余りの太平が世に訪れるはずだった。
この先で戦と呼べるものが起こったとしても。例えばそれは異界のモノが流入し続ける是非を問うような、癇癪じみた小競り合いにすぎないだろうと。
だが、実際に起こったのは。そもそも人と人との争いではなかった。
人と、地獄から溢れた魔との終わりなき生存競争だった。
異変の始まりを、後の者たちは『逢魔時』と呼んだ。
「地獄の管理者たちが次々に消失しています。我の権能でも追跡できません」
鉢に似たサイバーな“籠”を被った女、千方は御殿の奥の間で立ち上がった。
そこは平安の都を思わせる様式の御殿だった。
回廊の向こうに見える空は赤色。現世を映す鏡の天が広がっている。
そこはまさしく地獄だった。
御殿が据えられた浮島の眼下には、魔物の大海が満ちていた。
1振ごとに龍のように大きな双刃刀が無数に廻り続け、屠った魔物たちを安らかな霊気へと昇華させていたが……。
限界を超えて魔物の数は飽和し続けている。
現在進行形で、天の鏡越しに妖気が降って魔物となっている。
妖気の糸でできた柱が地獄の端々に垂らされ、それを登っていく魔物の脱出すら完全には阻めていなかったのだ。
「あの気色わりぃ『糸柱』もなんだってんだ? 私ら総出で殴っても切れやしねぇ」
と。千方の前に集っていた4人の内の1人、巫女装束姿の衆生族少女が後ろ髪を掻いた。
といってもその頭部は、人が幽霊の足を見ようとするがごとくぼやけていたが。
「明らか、地獄の機能を崩壊させようとしてるッスね。先の戦乱で死人も自分らもいっぱいいっぱいなのに、冗談キツいッス……」
4人の内の1人、足軽軽鎧姿の狐狗狸族少年が頭痛を誤魔化す調子で額をノックした。
またしてもその頭部はぼやけていたが。
「日芙のほうではたくさんの『逢魔』も台頭してるのよねん? 何かの偶然が重なった最悪の奇跡……なワケないわよねえ」
4人の内の1人、踊り浴衣姿の月兎族青年が頬杖とともにしなを作った。
やはりその頭部はぼやけていたが。
「扶桑国に限っても、残った拙者たちだけで戦うには限界がありますぞ。異界からやって来た『稀人』なる同志たちとも共同戦線を張るべきでござう!」
4人の内の1人、帷子姿の蕗下族幼女が締まらない語尾とともに敬礼をした。
当然のように、その頭部はぼやけていたが。
「是非もありません。我は地獄の混乱を抑えます、皆は日芙へ赴き知恵を集めてください」
「「「「応!」」」」
号令一下、四鬼たちは御殿を飛び出すと四方へ。亡者の海へ浮島から身を投げていった……。
言わずもがな、決意に満ちていたはずの顔は全員ぼやけていたが……、
「まって。なんでみんな顔が無いのよ」
そうして最後に割り込んだ声は、この“記憶”の中ではなく外からの声である……。
◯ ◯ ◯ ◯
「まって。なんでみんな顔が無いのよ」
「カオ。ああ、そなたたちは個体識別において頭部の構成情報を重視するのでしたね」
ハナが階段を降りながらツッコんだが、前を歩いていた千方は歩みを止めないどころか振り向きもしなかった。
ここは地獄と扶桑城天守閣を繋ぐ、不思議な葛籠『じあくほうと』内の闇。
手元に鬼火を発した千方の先導で、2人は現世への帰路たる長い長い階段を進んでいた。
そして両者の間では、千方が表示したウィンドウがある映像を流していた。
「“再構成した記憶”だか何だか知らないけど。なんかバグってない?」
例の『四鬼』らしき4人と千方が話し合っている、実話系番組の再現ドラマじみた映像だった。
「否定。電脳上の欠陥ではありませんが陳謝します。“そふとうぇあ”ではなく“はーどうぇあ”として我の受肉体が未だ完全ではないため、描画の一部に欠落が発生しているのです」
「小難しいなあ。……ん? ていうかあんた、『バグ』とか『ソフトウェア』とかそういう言葉も理解できるんだ?」
「肯定。異界の言語には嗜みがあります。ゆえに日芙の人々へ話すように言い換えずとも問題ありません」
「へえ、ラクで助かるんだけど。まあとにかく、この顔無したちが例の四鬼だっていうのは分かったから続けて」
四鬼。この扶桑国の四方を司る守り神的存在。
旧バージョンの世界ではNPCとして存在していたが、力を使い果たして魔を祓った今は四鬼境の土地そのものと化しているらしい。
……全て、ゲーム仲間の村鞘 市郎からの受け売りだが。
ただ、世界観や考察好きの彼でも知らないモノがハナの前に在る。
「肯定。皆は良き仲間であり、良き臣下でした」
千方。四鬼の像の中心に隠されていた首無し女にして、ハナが介錯してやった狂える龍『千方火』より現れた“友”。
守り神とまで評された四鬼たちを『臣下』と述べた彼女は、人間離れした言動やサイバーな狩衣姿からしても異質だった。
「そういえば皆にも言われたことがあります、我は人の顔を覚えないのだと。しかし堕浮冥人は御魂の構成情報で他者を識別するので、顔を覚えるというのはどうにも……慣れません」
「本人に顔が無いんだからそうでしょうね。そもそもその堕浮冥人ってなんなのよ、天獄から遣わされた地獄の管理者とかなんとか……」
「その通りの意味です。天獄という世界があり、日芙の調和を保つべく地獄の亡者たちの輪廻転生を管理しているのです」
千方は映像ウィンドウの前に1つの立体図を展開させた。
4枚の皿が等間隔に浮き上がったような図であり、色付けもされていない1枚1枚に注釈が添えられている。
端から順に、
『異界』、『日芙』、『地獄』、『天獄』。
あるいは、
『天獄』、『地獄』、『日芙』、『異界』。
というのも4枚の皿は……4つの世界は、それぞれの間を繋ぐ川か枝のような流れとともに回転していたからだ。
『天獄』が天上にあるかと思えば深淵にあり、『地獄』の下にこそ『日芙』があったりする。
一般的な死生観で世界の連なりを考えてしまうと上下がどうにも不条理だ。
いやそもそも“上下”を認識しようとする事自体を嘲笑されるような、啓蒙を揺さぶられる多元世界図だった。
「ふうん。じゃああんたは亡者の神様ってとこ?」
「それは飛躍です。堕浮冥人は言うなれば端末であり、そなたたちが“神”と呼称する大いなる御方がたの先触れにすぎません」
「またなんか話のスケールが広がったんだけど」
「肯定。我々の上位存在にまで話を広げてしまうと、今のそなたたちの脳髄では受容しきれない智慧になってしまいますから自重しましょう。……そうですね、異界の言葉で敢えて表現するのなら我は“天使”でしょうか」
「なるほど。ピッタリね」
いろんな意味で皮肉だが言い得て妙だ。なにせハナ自身、双刃刀という光輪を戴いた“天使”の目に1度殺されたのだから。
ーー 堕浮冥人 ーー
ーー 天獄より遣わされた地獄の管理者たちの自称。地獄が輪廻の通過点にすぎない死者たちと異なり、ひとえに“冥”土に生きる“人”であるという自負ゆえの名だろうか ーー
ーー “堕”ちて“浮”かぶとはこれいかに。そも誰が言い出したかも知れない自称を顔無き管理者たちが用いるのは、己を定義する第一歩なのかもしれない ーー




