3-9「1+8、1&1」
そして回廊の階段を登っていけば、まもなくその先は天守閣の懐だった。
ゴールアーチにも見える物々しい大扉があった。
今度こそ居合いの構えで備えつつ、肩でぶつかって一気に踏み込んだ。
「よく来たのう」
「っ?」
すると。ハナが天守閣内に至ったのをしかと確認するように、背後の大扉は瞬く間に閉ざされた。
それどころか、大扉や窓へからくり仕掛けに鎧戸が落とされたのである。
外の月明かりが鎧戸で断たれ、不意な薄闇に視界が惑わされかける。
だが、その部屋の中心にあった火を捉えることで目を即座に慣らした。
そこは茶室だった。
火の正体は風炉という茶の湯用の設備であり、1枚だけ畳の無い中心にせり上がっていた。
……そこに据えられていた茶釜は、からくりの脚こそ無いがあの笑蜘蛛と同じ形のものだった。
「見ておったぞ。城の者を誰も殺さずここまで上がってくるとは、そちが初めてじゃ」
そして風炉の前で、城の内部を防犯モニターよろしく投影した眼鏡が鈍く光る。
声の主が肉球付きの手をモフモフと翻せば、ハンドサインに呼応して壁のガス灯たちが起動した。
「お目当ての『じあくほうと』はこの上ぞ。中の金を頂いたら、転移の陣がそばにあるゆえそれで帰ればよい」
と、上階への階段を見もせずに指差したのは……狐狗狸族の美女だった。
白金色の毛並みのキツネだ。狐耳と尻尾が生えただけのコスプレ的獣人ではなく、全身もれなく獣毛に包まれているしマズルも伸びている。
眼鏡の奥には厭世感漂う老練な眼差しがあり、刀も抜けず突っ立ったままのハナを一瞥した。
「……なんじゃ? わらわが何故止めぬのか、盗人のくせにそちも気になるクチかえ?」
「まあ、うん。それだけじゃないけど」
彼女は、蜘蛛脚がごとき8本ものからくり尻尾でメカを錬成していた。
今から茶でも点てるように座しているのに。いわゆるサイドアームらしいからくり尻尾たちから光線状の霊気が発せられると、ソレを浴びた素材たちが分解&再構築されていった。
そして出来上がっていったのは、形状も大きさも様々なあの自爆からくり『笑蜘蛛』だった。
「茶菓子は無いが一杯点ててやろう。飲んでゆけい」
「なんでよ」
霊媒師めいた雅な白装束姿で、合計9本の尾を持つキツネ美女は本当に茶を点てはじめた。
「わらわは弾御前こと札沼 久藻、扶桑城主莢心の正室である。……一応はの」
「はあ。あのジジ……あーいや城主様の」
「気を遣わずともよい。彼奴に一物あるのはわらわも同じじゃ」
茄子っぽい茶入れから取り出した抹茶を、ギョロ目のような模様の茶碗へ投入。そして笑蜘蛛の茶釜から煮えくりかえった湯を注いだ。
「四鬼事変の後、莢心は“千方の安寧を護る”という妄執に取り憑かれてしもうた。上辺は以前と変わらず豪気じゃが、このわらわにさえ目もくれぬ。そちを止めぬのはつまらぬ嫌がらせよ」
(あたし何聞かされてんの? 人妻の愚痴?)
空気を含ませる為にハケで整えられた後、2杯の茶の出来上がり。その内の1杯がハナへ差し出された。
「案ずるでない、毒にあらず。生命力と気力が全回復するぞよ」
「どっちも減ってないんだけど」
久藻が自分の分へ無遠慮に口を付けたのを見てから、ハナは風炉の脇に正座した。
「お点前頂戴いたします」
お辞儀の後、掬い上げた茶碗を時計回りに2回し。そうして少しずつ飲んだ…………とても苦かったし熱かった。
ーー 生命力 気力 全回復 ーー
腹の底から霊力が湧き上がったが、ノーダメージでノースキルなハナに意味は無かった。
茶碗の飲み口を指で拭って清めていると、同じく霊気を光らせた手によって懐紙を差し出された。
光りながら、肉球ハンドから人間のモノへ変わっていった手によって。
「うんっ……!?」
「……わらわも『傾国の奸雄』などと呼ばれながら方々を爆破してきたものじゃが、何故未だにこの城を守っておるのか。惚れた女の弱みよの」
ケモノなキツネ美女は、狐耳と尻尾だけが残った衆生族風の美女へ変じていた。
張り巡らされた蜘蛛の巣を想起させる乱れ髪、陰がある一方であどけなさも香る輪郭。ケモナーでなくとも心酔しかねないだろう、庇護欲を掻き立てるような美女だった。
「けほっ、げほごほっ……!」
「じゃから案ずるでないと言うておろう。そちらが飲んでもべつに獣になったりはせぬわ」
「いや、もうさっきから情報量多すぎなんだけど……!?」
彼女のペースに呑まれかけていたハナは、己が為すべき事を思い出して立ち上がった。
「要するにダンナが気に食わないから通してくれるってだけの話でしょ? 痴話喧嘩まで聞く気は無いから悪いけど他当たって。……結構なお手間でした」
「つまらぬことを言うのう……わらわと話さんが為にここまで上る輩もおるというのに。ああつまらぬ……どいつもこいつもモノの弾みで爆死してしまえばよい……」
(人妻っていうか隠居のお婆ちゃんみたいね……)
懐紙で指を拭いて、差し出されていたくずかごへポイ。階段へ歩きだしたハナに興味が失せた様子の久藻は、またからくり尻尾からの霊気で爆弾笑蜘蛛を錬成しはじめた……。
「まったく……約束の時は1年も過ぎておるぞよ……小憎たらしいチカも話し相手ぐらいにはなったものじゃが……」
(……チカ……?)
そんな独り言に何か引っ掛かりを覚えたハナだったが。振り返ったらまた長話に引きずり込まれる気もしたので、とっとと階段の向こうへ上がってしまうのだった。
扶桑城の最上たる天守閣、そのまた最上階へ……。
えてして城の頂上に据えられる天守閣は、『要』としての様々な意味を内包しうるものだ。
城下の全てを俯瞰する櫓として。戦時の司令塔として。事有れば避難所として。権威を示す客間として。
あるいは儀式的な祭祀所として。
いかにも、そこは四方八方の封印で閉ざされた祭壇の間だった。
(うわ、なにこの部屋。神秘的っていうよりオカルトっぽいんだけど)
注連縄、御幣、御札、仮面、枝葉、宝珠、経文、剣、鏡、勾玉。
なんとも無節操に魔除けの品々が括りつけられているせいで、天井は低く感じるし床も散らかり放題。外へ通じているはずの戸さえどれも開かなくなっていた。
そして中心地には、儀式的な法陣を敷いた座が一段高く据えられていた。
(村鞘が見せてくれた四鬼城の天守閣と似てるような……)
旧バージョンの終末から扶桑国を救ったという『四鬼』たちの名残が、霊気の影として焼きついた祭壇のスクショだったか。アレのように何も焼きついてはいなかったが形式はよく似ていた。
そしてそこには、妙なモノが納められていたのだ。
(これが『じあくほうと』?)
1人では抱えがたいサイズ、大小1対の四角形……、
(葛籠なんだけど。大きい葛籠と小さい葛籠)
大きい黒と小さい白、2つの葛籠だった。
ーー 狐狗狸族 ーー
ーー 日芙における種族が1つ。獣の特徴を有した人間 ーー
ーー 残念ながら獣が有する優れた嗅覚や視野などは発揮できない。彼らはあくまでも獣性の憑いた人間であり、人間性が憑いて世に仇なすようになった獣人とは異なるのだ ーー




