そうして恋に落ちたのです
【現在】
大草原の真ん中で、男と女は30センチほどの平凡な石を挟んで真剣に向き合っている。
「だーかーら!使用前には手を洗う、心を込めて花を捧げる!そして求愛の舞を踊る!それだけ!何でできないんですか!」
「やってるだろ!」
男は両手を広げて左右に揺れている。その顔は真剣そのものだ。悲しいかなはっきり言ってセンスも情も伝わるものは何もなかった。
女は目を釣り上げて言い放つ。
「それは石を馬鹿にしています!」
「意味がわからん!いい加減に不良品だと認めたらどうだ!」
男はなかなか思い通りに進まない現状に苛立ち唾を飛ばす勢いで言い返す。
「不良品ではないです!あなたが不出来なせいです!」
「はあ!なんだと!じゃあ末下明美、君がやってみろ!」
「いいですとも!」
手を洗い、花を捧げ、舞を踊る。そしてーー
「「光った!!」」
石は沈黙を破り黄金に輝いた。
女は突然慌て出し、その光を止めるように体全体で覆い隠しだした。
「何をやっている!」
「待って待って待って!これってこの場合、誰と誰を結びつけるんですか!」
「ああ!待て、説明書を読む!君は全力で止めろ!」
「言われなくても!」
男が説明書を参照した刹那、ざっと青ざめて大声を上げた。
「注意13、相手を指定しなかった場合最初に会話をした相手が対象となるー」
男と女は数秒沈黙し、その事実に気づいた後、大人2人の悲鳴が大地に響き渡った。
男が勢いよく放り投げた説明書が哀れに宙を舞う。
『異世界商事、自信の商品!「魅了の石」
ーあなたの恋、実らせますー』
【そこに至るまで】
ーSIDE/末下明美ー
異世界商事は複数の世界を股にかけた一大商事である。またその抱える商品サービスも膨大であり、使い方に修理に、相談にと日々様々な問い合わせがお客様相談室と名付けられたコールセンターに寄せられる。
電話は日々の生活に密接したコミュニケーションツールでありながら視覚的な情報が得られない分、慣れ親しんだ相手でもお互いが満足のいくコミュニケーションを得られるかと言うと難しい。まったくの他人同士なら、なおのこと。
(仕事だから、耐えられる)
手首の裏の見えない場所に爪を立てて、ストレスを押し殺す。明美は何度も何度も自分にそう言い聞かせて奮い立たせてきた。
一件対応が終わるたびに、心がボロボロになっていく。そんなふうに感じていた日々も懐かしさすら覚えそうなくらい、明美にとって電話の仕事はもう長い。
ートゥルルル トゥルルル
「もう? ほんと待呼多すぎる…」
パソコン画面の真ん中に表示された『応答』のポップアップ。早く早くと急かすように点滅している。
「もっと人増やしてくれないとトイレにも行けない!」
思わずそうぼやくと隣から鋭い視線を受けて無言で謝った。最近のマイクは小さな音までよく拾うらしい。
明美はいちいち揚げ足を取る客の対応が終わったばかりでくたびれていた。しかし、繁忙期の今休憩も最小限にと全体に通知がされている。
これから始まる長丁場のため、一口水を飲んで喉を潤し、そのボタンを押した。
「お待たせいたしました、異世界商事 担当 まつ「あなたの会社の製品は全くの役立たずなんだが」
開口一番、不機嫌な申し出に明美は否が応でも分かった。これは長丁場になる、と。
名乗りもさせてくれない客に青筋を立てながら言い放つ。
「ご不便をおかけして申し訳ありません。まずはお客さま情報を確認いたしますので、お名前とお電話番号をお願いいたします」
「この間買った魅了の石が全然効かないんだが。貴社は平気で不良品を売るのか?」
すぐさまこの電話の線を切ってやりたいと思ったが、グッと堪えて拝聴する。
「ご不便をおかけして申し訳ございません。恐れ入れますが、まずはお客様の登録情報を確認させていただけますか?」
「マニュアルでしか話ができないのか?話のわかる責任者に代わってくれ」
「確認いたします。少々お待ちください」
「早くし
ピッ
♪〜♪〜♪
「あ、やっちゃった」
当てつけのように保留ボタンを押してしまった。
事情を説明して上司に対応を依頼すると、やれやれとばかりに明美からその客を引き取った。
ちょうど休憩に行けるタイミングだったので荒くヘッドセットを置くと、また隣から鋭い視線が飛んできた。
◇◇◇
「末下さん、影村さんが呼んでる」
「あ、はい、わかりました!」
「突然呼び出してごめんね」
「とんでもないです。…あの、何かやらかしてしまったでしょうか?」
「違う違う。末下さんは勤務態度も良いし、対応も丁寧で、いつも助かってるよ」
「そうでしたか」
「さっき上席対応した客さ、どうしても納得いかないって、検証を求めていてね。訪問サポート行ってくれたら一回につきこれだけ出すよ」
そうしてリーダーの影村は5本指を明美の前に突き出した。
「ご、五万…!」
影村はニヤリと笑う。
「返事は今ここで。どうする?」
五万。五万あればずっと欲しかったあれもこれもそれも買えるだろう。
影村はもうすでに返事など予期しているかのようにニコニコしている。
ごくり、と喉が鳴った。
ーSIDE/トオルー
「カノエ…」
とある惑星の大草原。どんよりしなびた男がいた。男はひとり三角座りで黄昏ていた。
「ううう…カノエぇ…」
その目には涙の膜が浮かんですらいる。寂しい背中を真赤な太陽がじりじりと焼いていく。
「カノエ…」
目の前には勢いだけで通販で買った商品の箱がある。うだうだと、少し前の悪夢のような出来事を思い出しては、なかなか開けられないでいた。
「うううう…カノエ…」
とうとうめそめそと泣き始めてしまった。
しかし涙も枯れ果てた頃、男ははたと顔を上げた。
「待て…俺は高い金を払って、こんなイカサマ商品を買わされたのか?!」
そこから男の行きどころのない思いが怒りに変わるのに時間はかからなかった。
「おのれ…!」
◇◇◇
時は遡る。
「トオル、わたしカノティエの新作の指輪が欲しいの。……もしプレゼントしてくれたら、カノエはトオルにとぉっておきのお返しをするわ」
カノエはトオルにとっての何より大切にしたいお姫様だった。町の権力者の可愛い可愛い一人娘のカノエは誰もが認めるお人形のような美しさを持っていた。
カノエは気まぐれに人をいたぶり、気まぐれに人を助ける。その気まぐれの良い方を与えられたトオルはすっかりカノエの信者だった。
トオルは真面目な青年で、町の役場に勤めていた。収入では彼女の一族には敵わないが、町では人気の安定職である。誠実に愛を伝えれば、必ず思いが届くと信じていた。
だから返事はこうだ、
「カノエ、待っててくれ。君が欲しいものは全て手に入れてあげよう」
「まあ」
カノエの瞳が輝く。
「ねえ、絶対よ。わたしそんなに待てないわ」
「わかっている。少しだけ待っていてくれ」
自信たっぷりにトオルは頷いた。
*
「幸せになるんよ」
「うん、おばあちゃん」
一時間後、すっかりトオルの脳内ではカノエと結婚するのだと、独自の解釈が進んでいた。
ことの次第はこうである、町の役場に勤めるしがない一職員のトオルに、いきなりぼんと高級ブランドの指輪が買えるような蓄えはなかった。だから近くに住む祖母の元を訪ね、結婚する女にあげたいと彼女の持つ婚約指輪を代わりに譲ってもらったのだった。カノティエではないが、祖父が一年分の給料で買ったカノティエを超えるブランドの指輪だ。恋愛経験に乏しく女性にモテないただ真面目なだけの男は、祖母の婚約指輪を貰った時に思考が跳躍してしまったのだった。女性が指輪を欲しがるということは、そういうことなのだと。
足取り軽くルンルンといった様子でトオルはカノエの元へ向かった。
「カノエ、持ってきたよ!」
「まあ、こんなに早く?わたしあなたには無理だと思っていたわ」
カノエの瞳が輝く。トオルは普段はつんとすました彼女が喜びにテンションが上がる時が好きだった。
トオルはニコニコと笑みを浮かべながら彼女の元へ近寄り、片膝をついた。
「ーーえ?」
そして彼女に向けて持っていた指輪のケースを開けた。
「カノティエじゃないわ?」
「ティアリーだよ。カノティエの新作より高価だよ」
「え?ーどういうこと?」
「カノエ、君の気持ちはわかっている。結婚しよう」
「はっ?」
カノエは絶句した。
"君の気持ちはわかっている?" ーーー 目の前の勘違い男に恐怖しかない。
カノエの想像を超える行動を起こしてきた目の前の男に、思いつく限りの言葉でなじり倒したいところだったが身の危険も感じる。
カノエは今までにないほど慎重に振る舞うことを決めた。
「何か勘違いさせてしまったのね。ごめんなさいね、カノティエの指輪が欲しいことになんの意味もないの。ただ欲しかったのよ」
トオルはまさかの事態に狼狽える。
「・・・・・」
カノエはトオルの手を優しく包み、そっと指輪のケースを閉じた。
「あなたが優しいから、ただの友人なのに甘えすぎたわ・・・。プロポーズされても困るのよ。ね、これからもわたしたちは良い友人よ。ーわかるわね?」
包んだ手をぎゅっと握り、カノエは目をうるうるさせた。
「・・・」
もうトオルは息をする方法もわからなくなっていた。
「あなたを見るとまた何かお願いしてしまいそうなの。もう会わないでいましょう。ね? 分かって頂戴ね」
「え、いや・・・・」
「ビル!トオルが帰るって、手伝ってあげて頂戴」
カノエが名を呼ぶとカノエの家の執事がどこからともなく現れて、トオルを立たせて外へ連れて行く。
「いや・・・だって・・・」
言い募ろうとしたトオルの方に優しく手が置かれた。その目は幼児を見るような目をしていた。
「トオル殿、この失敗から学ぶのです。これを乗り越えた時、あなたは一回り大きくなるでしょう。あなたにはあなたにふさわしい幸せがありますよ」
初老を迎えた執事の諭すように優しい声は、逆にトオルに現実を突きつけていた。
*
とぼとぼと家に帰ったトオルだったが、ショックで死にそうだった。
今まで人前で恥をかくことのなかったトオル。間違いや失敗だってしないで生きてきた。そんな自分が、こんなに大切に思う相手に下手を打つだろうか?
ーいやもしかしたらカノエは恥ずかしがって断っただけかも知れない・・・
時が経つほどに、何か手違いがあっただけで、カノエの思いはやはりトオルのプロポーズを待っているような気がしてきた。
ーカノエをこんなに愛しているのに、愛されないはずがない。カノエは自分の愛情に疎いだけかも知れない!いや、そうだ!そうなんだ!
トオルは急に元気を取り戻して、ある商品を手配し始めた。
そして数日後、届いたそれを持って町を散歩するカノエに近寄って行った。カノエは素早く気づいて顔を引き攣らせるが、気を取り直して毅然とした。近くに当然護衛もいる。
「カノエ!待たせた!」
男は爽やかに声をかけた。
「ひっ」
それが逆に恐怖を煽った。
「カノエ、話せばわかる。いや、、、これを見てくれればわかる」
傍に持っていた「魅了の石」を置く。手順を踏めば、相手は恋に落ちるという。
「こわっ・・・。なにその汚い石・・・・」
カノエは冷ややかな目で馬鹿にした。
「愛してるんだ、受け取ってくれ!」
「はあ?」
トオルは説明書通りに花を捧げ、舞を踊った。両手を広げて腰を右、左、右、左。「はあ?」右、左、右、左…
何も光らない。
「愛してる!カノエ。君もそうだろう?!」
トオルは必死に叫んだ。
「はあ?可哀想だから聞いてあげてたけど、もう無理。気持ち悪い。…、ジェイ、早く連れて行って!!!」
「はい」
「カノエ、話せばわかる!君を幸せにするのは「早く連れて行って」
トオル護衛のビルにあっという間に路地に連れて行かれて、これ以上近づけば職を失うと脅され、金輪際近付かない、話しかけないという誓約書を書かされた。
行き場のないトオルはとぼとぼと歩き、やがて先程の草原にたどりつき、クレームの電話を入れるのだった。
【明美とトオル】
5万円の臨時ボーナスにまんまと釣られた明美はトオルの待つ惑星へ急いだ。指定された草原の真ん中に、血走った目をした男が今か今かと待っていた。その姿を認めてすぐに明美は長丁場を覚悟した。
「大変お待たせして申し訳ありません」
相手が怒り出す前にしっかりお詫びし頭を下げる。大抵はそれで少し怒りを緩めてくれるがーー
「遅い!」
(これはやばい・・・)
5万でも断ればよかったかも知れない、と厄介そうな相手を見て明美は思う。
「大変申し訳ありません」
さらに深く下げる。
「こっちは客なんだが。しかもオプション料金まで払った。急いでくれよ」
トオルは語気を強くした。少し鬱憤が晴れるような気がした。
「この度はご不便をおかけして大変申し訳ありません」
明美はスタートからうんざりし始めた。5万円のためとはいっても、何度も頭を下げるのは辛い。
(急いでっていう人ほど遮るのよね。ペースを譲ってくれれば最短で解決するのに、、、)
心の愚痴が止まらない。
「早く」
「え」
「早く検証してくれ」
「あ、はい。かしこまりました」
「しっかりしてくれよ」
そうしてようやく顔を上げた。怒りに顔を歪めた男の顔を見る。
(弱い立場には強く出るタイプかー・・・)
相手の分析を終えた明美は心の声をしまって職務を全うすることにした。相手の怒りに呑み込まれてこちらも怒っても仕方がないのだ。
「木下明美と申します。よろしくお願いいたします」
「ーートオル・イワシタです」
少し憮然とした表情でボソリと名乗る。我を失っていたタケルも本来は真面目な青年だ。勘違いな恋に掻き乱されただけで。立場の弱い相手に何度も頭を下げさせて気持ちよくなった自分の滑稽さに気づいてバツの悪さを覚えていた。
「イワシタ様ですね。さっそくではありますが、この石は手順をしっかり守っていただく必要があります。大変恐れ入りますが、どのような手順を踏まれたのか再現していただいてもよろしいでしょうか」
「ーーわかった」
さて、ここからがまた新しい地獄だった。
「手を洗うだろ。そして花を捧げる」
「はい、ここまでは完璧です」
「舞はこうだ」
手を広げて、右、左、右、左 ーーーその冴えない動きに明美はすぐに分かった。
これが理由だと。
「大変恐れ入りますが、実際の行ったときのように本番だと思って踊ってみていただけますか?」
「・・・・真剣なんだが」
『この女は何を言っている』と顔に書いてある。
一旦落ち着きを見せてくれた客がもう1度炎上しないように明美は細心の注意を払う。
「この石が効果を発揮するには舞が一番重要でして…とにかく全力が必要なのです。決してお客様のせいでないのですが、もう少し感情を込めて再度チャレンジしていただいてもよろしいでしょうか」
「・・・仕方ない」
しかしもう一度踊っても明美には何が違うのか分からなかった。
「大変申し訳ないのですが・・・腰の部分をもう少し滑らかに・・・・」
トオルはまたカッとしそうになった。しかし明美があまりにも申し訳なさそうだったのと、自分の運動神経のなさを知っているので従うことにした。
「・・・仕方ない」
そして話は冒頭に戻る。
【その後】
大草原の真ん中で、くたびれた男と女が石を挟んで体育座りをしている。
疲れ切って丸まった背中が、その甚だしい疲労ぶりを物語っている。
「解除の石があってよかった…」
あれからよくよく説明書を読んだ2人。「魅了の石」を購入すると万が一のために「解除の石」も付属されるらしく。
2人で必死に解除の舞を踊り、黒く石が光ると次第に魅了効果も薄れてなくなったのだった。
「魅了の石」の効果で惹かれ合った2人は手を繋ぎ見つめ合いながら解除の舞を踊った。
久々に好きな人がいるときめきに何度か舞をやめてそのまま魅了されていたかったが、お互いの手のひらに『絶対解除』『5万のため!』とデカデカと油性ペンで描いていたのでそれをみつつ、時に惑わされるお互いをビンタで目を覚ましつつ、魅了解除までやり遂げたのだった。
「ああ…虚無感がものすごい…」
「奇遇だな、俺もだ…」
「仕事でもやってられないですよ」
「それはそうだな。…なあ、末下明美、このまま解散は余計虚しいだろうし、反省という名の打ち上げでもしないか」
「…そうしましょうか」
「肉が食べたい」
「…初めて気が合いましたね」
「何を言う。俺たちは手を取り合って舞を踊った仲だろう」
「いやいやっ!」
妙な表現がツボにハマった明美は大口を開けて笑った。
何気なくそれを目にしたトオルは目を見開く。
「なんです?」
「…解除、されたよな?」
まったく信じられない、というような口振りだった。
「え?」
「笑った君が可愛く見えた」
まさかの一言に明美は目を見開いてトオルを凝視した。そんな彼は自分で言って恥ずかしいのかはにかんでいる。
「…居た堪れないから何か言ってくれないか」
明美はその顔をまじまじと眺めて真意を確認してから、ややゆっくりと慎重に、口を開いた。
「…そんなベタな」
「ベタだよな」
そう言ったふたりの顔は少し笑っている。
ー そうして恋に落ちたのです ー
【END】