六、きぼうのひかり
かりかりかり……ペンを走らせる音が虚しく響く。
大量に摘まれた書類の山、昼間からまた増えたが、なんとか時間を見つけて処理し。
放課後になってしばらく経ってから、ようやく全てが片付いた。
「……はぁぁぁぁ」
椅子の背凭れに背中を預けて、脱力する。
今日の嫌がらせは、取り敢えずこれで終わりだろう……書かせる物がなくなったのだから。
もしかしたら、書いた物を後から隠したり捨てられたりするかもしれない。その前に、さっさと職員室に持って行かなければ。
けれど、今はまだ動けなかった。
体が、心が重くて起き上がれない。疲れ切っていて頭も働かない。
慣れた、と強気でいられればいいのだが、それは無理だ。
周りが敵ばかりでは、心が休まる暇などあるわけがないのだから。
「―――深月? いま、大丈夫?」
その声に、死にかけていた深月の目に光が戻る。
満面の笑みを浮かべて起き上がろうとして、しかしすぐに表情を引き締める。
「…大丈夫だって、周りに誰もいないから。心配しすぎ」
「だ、だって……うん、ごめん」
「謝んないの、悪いのは全部あいつらなんだから。……それより、ごめんね、いつも助けてあげられなくて」
困った顔で笑いながら、教室の入り口からひょこっと顔を出した少女。
隣の学級の生徒―――深月のただ一人の味方、幼い頃からの親友、長峰樹希だ。
「うっわ…こんな大量の書類、放課後までに処理しきるとかあんたホント、化け物みたいなスペックしてるわよね」
「酷いよ、樹希……別に普通だよ。お母さんがこういうの苦手だから、昔から代わりにやってたってだけで」
「それが凄いのよ。ていうか、苦労体質は昔からだったのね」
書類の山から一枚手に取り、しっかりと書き込まれている事を確かめて顔を顰める樹希。
深月に戦慄の眼差しを向け、次いで真顔になると親友の目を覗き込んだ。
「……あんた、マジで大丈夫? 顔色悪いよ? 保健室行ったら?」
「だ、大丈夫。これ持って行かないとだし」
「無理しないでよ。……見てるだけのあたしが言うのもなんだけど、本当に苦しかったら、先生たちに助けを求めるなり何なり、さ?」
相当に酷い顔をしているのだろう、不安気に顔を歪めて樹希が肩に触れる。
深月は苦笑し、樹希の手を取り、そっと握る。温かさに涙が滲みそうになるが、ぐっと堪える。
「大丈夫、本当に……こんな事で騒いだら、お母さんに迷惑かけちゃうから」
「こんな事って……まぁ、うん。お店、一人で大変だもんね」
「本当は、高校なんか行かないでお店手伝いたかったんだけど……『一度しかない人生、自分の為に生きなさい』って。学費もお父さんの貯金があるから大丈夫、って」
「…ほんといいお母さんだよね」
樹希に言われ、誇らしさを抱くも……その時の母の表情を思い出し、目を逸らす。
大丈夫なわけが、ない。
だが、それを親友に話してはさらに心配をかける事となる……余計な事は、口にしたくない。
家族以外で、たった一人の味方だから。
「…あたしにできる事あったら、言ってね。絶対助けるから」
真剣な眼差しと共に、樹希は力強く深月に言ってくれる。
そこらの男子よりも遥かに男前で……周りが碌でもない人間ばかりだから仕方がないが……惚れ惚れする言葉に胸が高鳴りそうになる。
「…うん、ありがとう」
「きにすんなし、友達なんだから当たり前でしょ?」
本当に優しい友人だ……自分の味方をしていると周りに知られれば、自身も標的にされかねないのに。
こうして隙を見て話しかけに来てくれる、それだけで随分心が軽くなる。
見ている事しかできない、いや、違う。苦しむ自分を知ってくれているだけで、十分な助けなのだ。
「もう、行くね? また明日……」
「今度お店にも行くから! 売り上げにも貢献してあげなきゃね~」
「ふふっ…その時は私が定食、作ってあげるね?」
「えー、あんたの定食の味、微妙なんだけど~」
「酷いよ、樹希ぃ……」
軽口を叩きながら、書類の山を抱えて立ち上がる。
急ごう、途中で邪魔が入るかもしれない。廊下でぶつか手床にぶちまけられたり、何枚か奪われたりするかもしれない。実際に何度かされた事があるから、注意しなければ。
「……深月!」
教室を後にしようとしたその時。
強く響いた樹希の声に、立ち止まって振り向く。
「あたしはさ……ずっとあんたの味方だからね?」
「……うんっ」
親友からの心強い、優しさに溢れた声援を受け。
深月は晴れやかな気持ちで、歩き出した―――彼女を、絶対に傷つけさせはしない。そう心に決めて。