⑥
「あぁ〜疲れたぁ〜」
家に帰りついて速攻でベットに倒れ込む。
汗がシーツにつくとか何とか言ってられない。
時計を見ると7時半を指していた。事後処理やらなんやらを済ませていると気づいたらこんな時間になってしまったのだ。
ここから風呂に入ってご飯済ませて……一人暮らしの社会人っていつもこんな感じなのか、大変やな。
気怠い体に鞭打って体を起こす。
えーっと確か冷蔵庫に豚バラ肉と作り置きしてたいい感じのやつがあったはず……
まぁいいや楽に作れるヤツで。
「和兄、なんかリクエストある?」
なんということなく呟く。
俺の家は1DKの一人暮らしだ。もちろんシェアハウスなんてしていない。
けれど返答はある。
『いや、なんでもいいよ。強いて言うなら肉が食べたいくらいかな』
その声は頭の中に直接響き渡るかのように届いた。いや、実際にそれは俺の身体の内で発せられたものだ。
氷浦和夜。同い年の兄にして、この身体の同居人だ。
正確に表現すると俺の身体にもうひとつの意識として和兄が居候していると言った方がいいだろう。
なぜそんなことになったのか。
パニシングツインという現象を知っているだろうか。
胎内で2人以上の赤子が細胞分裂の際に肉体の一部を共有してしまうというものだ。
本来ならば切除するか共倒れしてしまうのだが、何の因果か完全一致という形で1人の人間として生まれることになったのだ。
母親から聞く限り担当した医者も大層驚いていたみたいで、原因としては一卵性双生児だったことが幸いしたとか何とか。
詳しくはよく分からない。
そんなこんなで1人の身体にふたつの意識というどこのラノベだよと言わんばかりな状況になったのだ。
ちなみになんで和兄が兄で俺が弟なのかと言うと純粋に俺が兄を望み、和兄が弟が欲しいと言ったためだ。
性格は似たりよったりなのだが、学習面、運動神経、一般生活、特に料理に関しては全然能力が違っている。
比喩表現なしで同じように育てられたはずなのだが……。
そんな謎多き存在なのだが個人的には全力で信頼している。
兄として頼れるかと言うと悩むどころか即答でNOと言える自信があるのだが、いつも同じ目線で物事を話してくれるので下手なカウンセラーよりよっぽど俺の事を理解してくれる。
まぁ、体の主導権を渡しても何もしないただの駄兄なのだが。
『あれ、なんか俺侮辱されてる気がするぞ?』
ソンナコトナイサ
適当に流しつつ冷蔵庫から食材を取りだしていく。
作るのはもちろん手抜き料理と言うやつだ。
作り方は簡単、ぶっ込んで炒める!以上!!
それで美味しいのが作れるんだから十分だ。
『ちょっと雑じゃないか』
脳内のお兄さまから苦言が呈される。
そんな言うんだったら代わってもらってもええですよ?
『やだ、めんどくさい』
このダメ人間が
口を挟むんだったら手料理のひとつでも覚えてからにしてください。
『また天井燃やす自信しかないぞ?それでもいいのか?』
誇るな!!
あれ何気に修理大変やったんやぞ!!
というか油はあんなに入れるもんじゃありません。
『そうだろ?ならそっちが頑張って下さい。』
俺は寝るからと一言残して返事がなくなってしまった。
はぁ……
いつもの事とはいえなんか余計に疲れた。
おっと、いかんいかん。野菜が焦げるとこだった。
いい感じに出来上がった料理をさらに盛りつける。
「いただきます」
『はい、いただきます』
あ、起きてたのね
特段突っ込むことも無く食べ始める。
うん、いい感じ
なんということも無くふとテレビをつけた。
ちょうどドキュメンタリー系の番組が流れており、少し気になったのでそれを見ることにした。
内容は数年前に起こった日本では珍しい銃乱射事件についての事だった。
思わず手が止まる。
『今映っているのはその現場、北沢小学校。ここがあの悲劇の現場となったのです』
ナレーターの声に合わせて学校の映像が流れる。白塗りの校舎にうんていや登り棒と言ったどこにでもある遊具。
ここで遊んでいた子供たちの姿を俺は「思い出す」。
澄み渡った水の中に一滴の墨が垂れるように意識が黒く染まる。
『ここには当時五百八十人もの生徒たちが在籍しておりました。何事もない平穏な日常。それがあの日、一瞬にして崩れたのです。五十三人もの尊い命を奪いながら』
映し出されたのはクラスの集合写真。誰もが小学生らしい明るく活発な笑顔を浮かべている。
その1番左端。黒髪のツーブロックで、隣の子と肩を組んでいる子に目がいった。
俺だ
薄かったはずの黒が徐々に上から侵食を始める。
『この平和な日本ですら銃という恐怖は失われなかったのです』
思い出すのは顔に絶望の色を浮かべた「友達」。
一切の物音が排除された完全なる沈黙が教室を包んでいた。
背中に銃を突きつけられながら1歩ずつ確かめるように歩を進めていく。
目の前にあるのは屋上の扉。そこで、俺は……
『……っ。…真っ。晴真っ!』
そこまで考えたところでふと我に返った。
少しばかし長考してしまったみたいで料理が覚めてしまった。
『お前が食べなかったら俺も味が分からないん だよ。ぼーっとしてないで早く食べた食べた』
いつもどうりの和兄が今だけは少し安心する。
テレビを他の番組に変えてからもう一度箸を進める。
苦い……
夢を見た。
自分の姿形すら曖昧で、まるで空間に溶けているかのようだった。けれど、それが夢ということだけは分かる、そんな不思議な感覚が体を満たしている。
そこは教室だった。
綺麗に並べられた木製の机。休み時間なのだろうか、小学生くらいの子供達が楽しそうに遊んでいる。
教室の端でその光景を微笑ましげに先生が見守っている。懐かしい……
小さく声がした。
窓際に座る1人の少年。
その子がなにかに囚われるかのように窓の外をしきりに眺めていた。
それは1枚の純白の羽だった。
陽の光を反射してキラキラと輝くそれはこの世のものとは思えない程に美しかった。
ふと、立ち上がった。
僕は窓を開けてその羽へと手を伸ばす。
しかし、少し離れたところにあるから思うように捕まえられない。
あと少し。
窓から身を乗り出してそれをつかもうとする。
その羽は黒く腐り落ちた。
「えっ……」
驚きはそれだけでは終わらない。
次の瞬間窓の外の景色が変わったのだ。
それは当時は初めて、今では見慣れた光景だった。
突然夢全体がノイズがかかったかのように見えなくなってしまう。
何も見えない。その代わりに音と感情が先程より鮮明に感じられるようだ。
困惑、戸惑い、呆然。
誰もが今の状況を理解していなかった。
教室の扉が勢いよく開かれる。
足音と共に何人かの人が入ってくる。
驚き、不可思議、そして恐怖。
突如として入ってきた見知らぬ人達に全員の視線が注がれる。
「あなた達は誰ですか!!一体何をし……」
発砲。
勇ましくも前に出た先生であったがその言葉は1発の銃弾で永遠に遮られた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
あの人たちは誰…
怖い
なんで銃なんか持ってるの…
怖い
先生は……
怖い
圧倒的なまでの恐怖が教室を包み込んだ。誰も何も話せない。
今、目の前で起こったことが理解できない。理解しようとしない。
しかし不幸なことに1人の少年が事実を端的に、そして正確に言い表してしまった。
「死んだ……」
それだけで全員が否応なしに理解してしまった。
人が殺されたのだと……
狂乱
水を打ったかのように静かだった教室が一瞬にして狂気の渦中に陥る。
誰もが平静でいられることが出来ず、泣き、叫び、助けを乞う。
発砲。
ただそれだけでまたしても教室から音が消える。
そして一言
「ガキ共、死にたくなけりゃ子供らしく俺たちの言う事に従っとけ」
視界が戻る。
1人の少年が腕を引かれて教室の外に連れ出されるところであった。
羽を拾った子ー僕だ。
教室にいた子たちは手足を縛られ動かないように壁際に一列で並ばされ、1人ずつどこかへ連れていかれているのだ。
戻ってきた子は誰一人としていない。
僕の心を満たしていたのは絶望、そして一抹の疑問だった。
何故こんなことをしたのか
外の景色はなんだったのか
この人達は一体誰なのか
さっきから会話の中に聞こえる「ボス」とは
疑問は尽きない。しかしそれを確かめる方法もない。なので黙々と指示に従うことしかできない。
階段を登らされた。
向かう先はどうやら屋上だったようだ。
扉の鍵は壊されており、好きに入れるようになっていた。
その先には…
「あれ、その子が次の卵かな〜?」
透き通った美しい声。
たなびく長髪は眩しいほどの黄金で思わず目を奪われる。そしてその「異形」。
背には肩の辺りから生えている一対の白翼。
その姿は神話にて語られるような神の使いたる天使のようであった。
しかし今はその羽が血で染まっている。何故か
「桜木くんっ」
自分の一つ前に連れ出された子である桜木正道が1本の剣によって刺し貫かれていたからだ。
「うーん、この子もダメだったみたいだね。はい、次々。時は金なりだよ」
どこか楽しげにそう言いながら件を抜いて血糊を払う。
その姿は天使と言うより地獄に住まう悪魔であった。
その光景に呆然としているとその男の裏から形容し難い不定形のナニカが出てきた。
強いて例えるならば体を所々赤黒く染め、内部から骨を生やしたスライムだろうか。
再びかかるノイズ。
ごきゅ、ぐちゃ、ゴキっ
生々しい音とともにその死体が喰らわれていく。
骨が折れ、筋肉を食われ、その体を徐々にに溶かされているのだ。
おおよそ人間がしていい死に方では無い。
無感情。
それをみている悪魔は何も思っていなかったのだ。
もしかしたら人としての当然の感情すら持ち合わせていないのかもしれない。
「さぁ、次は君の番だよ」
さっきの美声と一切変わらないはずなのにその声はどこまでも汚く思われた。
僕の中の何かが壊れた。
恐怖?悲しみ?違う。
それは狂的なほどの怒りであった。
怒りという名の業火は自分の身すらも焦がし、壊れた心を新しく形作ってゆく。
お前が生きているだけで人が不幸になる
同じ人間だと言うだけで吐き気がする
お前は俺の命を否定した
お前は他人の命も否定した
だから僕はお前を否定する
「俺」は……
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「はっ……」
そこまでなって飛び起きた。
夢……なんだろう。どう考えてもおかしい。何よりあれは過去の出来事だ。
けれどあまりにもリアルだった。
思わず現実だったのではと考えてしまうほどには。
『ん?どうした晴真。』
起こしてしまったのだろうか、和兄の声がした。
その事でようやく現実と夢の狭間をさまよっていた意識が浮上する。
「ごめん、起こしちゃったか?」
『それに関しては無問題だ。何よりそろそろ起きないといけなかったしな』
枕元の時計に目をやると五時半を指していた。もう一度寝れるとは思えなかったので少しありがたい。
『それよりどうしたんだこんな早く起きて。何かあるんだったらお兄ちゃんが話聞くぞ』
「いや、ちょっと夢見が悪かっただけ」
『そうか…』
和兄がその内容を察したようで無言になってしまった。
原因はわかっている。昨日のテレビのせいだろう。
あれは確かに文字通り夢に出てくる程のトラウマなのだが、同時に超えるべき目標だ。
そう考えると最近は少したるんでいたのでいい薬になったまである。
「気にしなくていいぞ。別に怖いわけじゃないから」
『……そうか』
よし、早く起きたからには少しランニングでもするか。