96.
早朝のアルドラ山は靄に包まれていた。
そのせいかパレス・ブランの本来純白だった外壁もくすんで見えた。
だが、先の戦いでかなり荒れたはずの外壁だったが、現在はその痕跡すら見えない。
静かな佇まいは、何も無かったかの様だった。
一瞬無人なのか?とも思ったのだが、近寄ると門を護っている衛兵の姿が見えたので安心した。
さあ、ここからが大変だ。
これからが、正念場だ。
やるっきゃない。当たって砕け・・・る訳にはいかない。当たって砕くつもりでいかないと。
あたしは、大きく深呼吸をして、馬車を正門に向けた。
正門前に馬車を横付けし、あたしは馬車を降りた。
降りた瞬間、しまった!と思った。正式な礼服を着て来るべきだったか?
険しい顔で一斉に槍を向けて来る衛兵を見て、そう思った。
きっと、汚い恰好だったので、怪しい無頼漢にでも見られたのかなあなんて、向けられた槍の切っ先を見ながら、ぼんやりと感じていた。
「なに奴っ!!」
するどい怒気を含んだ誰何の声と、突き付けられた槍の切っ先に現実に戻された。
「今は非常時である。申し訳ないが、ここに一般人の立ち入りは認められない。早々に立ち去りなさいっ!」
反論を一切許さないといった物言いだった。
だが、こちらも黙って引き下がっている訳にはいかなかった。
もう時間がないのだ。多少強引にいっても許されるだろう。
あたしは、向けられた槍をものともせずに一歩前に踏み出した。
同時に向けられた槍も迫って来る。何本かの穂先が皮膚に食い込んで来たが、構っている余裕はなかった。
あたしは、腹の底から声を出した。
「ここの指揮官は誰かっ!」
まさか、そんな事を聞かれるとは思いもよらなかったのだろう、みんなあっけに取られてこちらを見ている。
「指揮官は誰っ?」
再度の問い掛けに、あたしの左前に居た恰幅の良いイケメンの男が訝し気な表情のまま返事を返して来た。
「私が今日の警備班長だが、キミは、、、誰かな?ここがどんな場所だか分かって来ているのかね?」
口調は丁寧だが、言葉の端端に警戒感が滲み出ていた。まあ、ここの警備隊長なら、そうでなくてはいけない。
だが、今はそれが鬱陶しい事この上ない。
「あた わたしは、聖騎士団団長兼国軍総指揮官リンクシュタット侯爵の次女、シャルロッテ・フォン・リンクシュタットである。火急の用の為、エレノア様と謁見したい。早急に手はずを整えよ。これは、聖騎士団団長の命と心得よ!」
みんな困惑した様で、お互いに顔を見合わせてなにやら小声で囁き合っている。
何をやっているんだ!早急にと言っただろうに。
「貴殿の申し入れの内容は理解した。だが、貴殿が総指揮官殿のご息女である事を証明する術がないので、直ぐに信用する訳にはいかない。王都に確認の特使を出すので暫く宮殿の外でお待ち願いたい」
何という事だ。早急と言う意味を理解出来ないのだろうか?臨機応変って言葉を知らない、ただの石頭なの?
あたしは、段々とイライラが募って来ていた。
「わたしは火急と申し上げたはずである。貴殿は理解が出来ないのか?只のバカなのか?国家の存亡の危機に何を呑気な事を言っているのか!」
「バ バカだとっ!?言って良い事と悪い事があるぞ!訂正されよ!」
「バカにバカと言って何が悪い。いいか?国家存亡の危機なのだ。四の五の言っているのなら、力づくでもエレノア様にお会いするまで。その際、貴殿達親衛隊を壊滅させる事もいとわないと心得よ!」
「なっ、何を言うかっ!たかが小娘がっ!!言うに事かいて選ばれしエリート揃いの我々を壊滅だと?面白いっ!出来るものならやって見るが良い。その代わり、どんな事になっても後悔するなよ!」
あらあら、完全に頭に血が昇っちゃったのか、言葉遣いが物凄い事になっているわ。まあ、この方が事態が早く進むからいいか。
「了解した。やって良いと貴殿の許可が下りたので、実力行使をさせてもらう事にする。お頭ぁ!」
その時、この警備班長の頬が引きつったのがわかった。
「お頭だとぉ?ついに正体を現したな!やっぱり盗賊の類であったか!それなら容赦はせん!神聖なる聖女様に仇なす輩は徹底的に成敗するまで!槍を先頭に隊列を組めっ!構わないから徹底的にやってしまえっ!!」
まあ、想定通りではあったが、とうとう正面からやり合う事になった。
戦力的には、向こうは推定ではあるが訓練の行き届いた精鋭が五百以上?こちらは、寄せ集めが約十名・・・こちらがかなりの戦力過多だが、やり合いたいというのだから仕方が無い。
さて、どうしてやろうか。
あちらさんは、やる気満々でフル装備の衛兵が正門前で隊列を組みつつある。
どうやらこちらには弓矢等の飛び道具は無いと見たのだろう、長槍を構えた槍兵を前面に押し立てて近寄らせずに圧倒するつもりなのだろう。
状況分析はほぼ正しいだろう。あくまでこちらが只の盗賊ふぜいであったならの話しだが。
あまり人的被害は出したくはないが、時間も無い。どうせ、この大地もろとも海に沈むのであれば、建物に被害が出ても問題はないだろう。
最初に圧倒的なまでの戦力差を見せつけて、早々に戦意喪失してもらうか。
「ここは、あたしとポーリンでやるわ。ポーリンいいわね?直ぐに準備をして」
宣言と共に前に出た。
「やれるのか?」
お頭は面白そうに聞いて来るが、まったく心配をしている風じゃあなかった。
「一撃で決めるわ。時間がないもの」
「なにをごちゃごちゃと・・・!行けっ!一気に蹴散らしてしまえっ!!」
警備班長の号令で警備隊が突撃をしようとした瞬間、パレス・ブラン後方にそびえていたアルドラ山の山頂部分が突如轟音と共に吹き飛んだ。
当然の事だが、警備隊の面々は腰を抜かしてしまい、完全に戦意喪失してしまったみたいで、吹き飛んだ山とあたし達を交互に見比べて唖然としていた。
もちろん、こちらは言わずもがなの奥の手を初手から繰り出していた。ポーリンの方も威力は十分だった。
よしっ!作戦成功だ。
このまま一気に押し切るぞおっと思って居ると、突然女性の凛とした声があたりに響き渡った。
「何をなされているのですか?」
一瞬で辺りに静寂が訪れた。
その声は、どんな法律よりも影響力があるようだった。
その場に居た警備の兵達は、みな武器を取り落とし、、、直立不動で声の主の方に向き直り、次の瞬間地面にひれ伏してしまった。
当然、あたし達は何が起こったのか分らず、茫然と、、、いや、唖然として立ち尽くしてしまった。
「何をなされているのですか?」
再度誰何・・・いや、質問をされた。
頭は下を向いたまま警備班長がうやうやしく質問に答えた。
「畏れながら申し上げます。不埒にも聖女様を害しようと企む無頼の輩が現れましたので、これから天に代わって成敗する所で御座いました」
おい、こいつ頭大丈夫なのか?本当に精鋭なのか?
もし、あたし達が本当に聖女様を害しに来て居たのだったら、今この瞬間に襲い掛かるだろうに、みんなして武器を手放してどういうつもりなんだよ?
・・・・と、思ったのだが、思わず無意識に、本当に不可抗力で、、、、口走ってしまった。
「バカか、こいつら」
しっかり口走ってしまったので、当然奴らの耳にも届いていたのだろう。頭を下げたままキッとこちらを睨んだまま歯ぎしりしている様だ。
きっと、聖女様の手前身動きが出来ないのだろう。哀れな・・・。
平和な世の中が続いていたので、このざまなのだろうか?
「そこな者、本当にわらわを害しに来られたのですか?」
この聖女様の質問にも頭が痛くなった。
お前は泥棒か?って聞かれたら、ほぼ全員が違いますと答えるだろうって分からないのだろうか?
だが、ここでそんな事を突っ込んで居ても仕方が無い。あたしは、一歩前に進み出て、剣を身体の後ろに隠し膝まづいた。ポーリンもあたしに倣った。
「お初にお目にかかります。わたしは、聖騎士団団長兼国軍総指揮官リンクシュタット侯爵の次女、シャルロッテ・フォン・リンクシュタットと申します。エレノア様に至急申し上げたき儀がありまかり越して御座います」
「こらっ!聖女様の恩名前を直接呼ぶとは不敬なっ!控えよっ!」
時代錯誤じじいが喚いているし・・・頭を下げたまま・・・。
「よい、よい、構わぬ。そうか、リンクシュタット侯爵のお嬢様であったか、ここでは何ですので、謁見の間でお話を伺いましょう。さあ、こちらにおいでなさい」
「聖女様っ!いけませんっ!こんな身元のはっきりしない卑しい者を中に呼び入れる事はなりませぬぞ」
あ、さっきまで膝まづいていたのに立ち上がったよ。いいの?立ち上がってww
「お前はわらわのする事に反対をするのですか?」
おおっ!有無を言わせない物言いだぁ。警備班長、反論出来るのか?
「は 反対など畏れ多いい事で御座います。ですが・・・」
おおっ、しどろもどろながら言ったよぉ、責任感あるねぇ。頑張れ隊長。
「わらわが信じたのです、あなたは外の警備をしっかりお願いします。いいですね?」
「う・・・しかし・・・・」
「いいですね?」
声に圧が掛かった。警備班長には、物凄いプレッシャーなのだろうなぁ。
「・・・・・・は」
がっくりとしてしまった。お腹を押さえながら。
可哀想にと思いながらも、あたしは立ち上がった。
「シャルロッテ様と申されましたね、あなただけ中に招待しましょう」
「有難うございます。エレノア様のご恩情に感謝致します」
あたしは丁寧にお辞儀をした。
頭を下げながら、もっとしっかり正式な作法の勉強をしておけばよかったかと、今更ながら思った。
あたしはエレノア様の後に続いて、宮殿内に入って行った。
アナ様とは違って、あの妙な圧は無いみたいで安心した。
だが、謁見の間でエレノア様と相対したとたん、物凄く緊張してきてしまった。
やばい、話そうと事前に考えて来た事が、綺麗に吹っ飛んでしまった。どうしよう。
今、膝まづいて頭を下げたままなのだが、頭を上げられない。なんなんだ、この圧は。
まずは挨拶をせねば・・・。
「こ このたびは突然の来訪、大変申し訳御座いません。失礼なのは十分判っておりますが、緊急の為ご容赦願います」
こんな感じで良かったかな?
「まあまあ、そんなに固くならなくても宜しいですわ。お顔を上げてくださいな」
あ、気分を害されなかった?良かった。頑固者がへそ曲げると大変なんだもん。
「はっ、有り難き幸せに御座います」
「時に、先程山を吹き飛ばされたのは、シャルロッテ様のお力なのでしょうか?」
「あ、あれは、、、はい、その通りで御座います」
やばっ、冷や汗が出て来た・・・。
「素晴らしいお力ですね。わらわも練習すれば出来る様になりましょうか?」
な 突然何を言い出すんだ、この人は・・・。
「あれは、特別な力でして、誰もが出来るという訳では御座いません」
「あらぁ、そうなのね、残念だわぁ」
だめだ、こっちのペースに引き込まなくては、翻弄されそうだ。
「本日は、エレノア様にお願い事が御座いましてまかり越しました次第で御座います」
「あらぁ、お願い・・・ですの?どんなお願いなのでしょう?」
よし、いいぞ、乗って来た。このまま一気に決めてしまおう。
「はい、お願いというのはですね・・・」
「この大地が沈んでしまう事と関係があるのかしらぁ?」
「・・・・!!!」
エレノア様、、、ぼーっとしておられるのは演技なの?
「あら、知らないと思われてました?国王陛下から一緒に避難する様に言われましたが、民を置いてわらわだけ逃げる事など無理というもの。民を避難させてから最後に避難しますと国王陛下にはお伝えしたのですが、伝わっておりませんか?」
「国民は既に避難を始めております。さすればエレノア様も早急に避難をして頂きたく・・・」
「わらわは最後で・・・」
「ですから、そんな呑気な事を言っておられる状況ではないのです。急いで避難されませんと、カーン派が動き出してしまいます」
「あら?カーン伯爵様は連れて行って差し上げないのですか?人は皆平等なのですわ。差別をする事は教義に反します。カーン伯爵様達も連れて行ってさしあげなければ・・・」
だめだ、ある程度は想像していたけど、ここまで浮世離れしているとは思わなかった。
「エレノア様は、カーン派を連れて行く事によって、再び多くの命が失われる事になっても連れて行けと仰るのですか?」
「人は皆平等なのです。差別、区別はしてはいけないのです。それが教義なのです」
ああ、段々と腹が立って来た。いかんいかん、冷静にならねば・・・。
「エレノア様は教義の為に活動をされているのでしょうか?それとも国民の幸せの為に活動をされているのでしょうか?」
「教義を護る事、それすなわち民の幸せでもあるのです」
だめだ、話しが嚙み合わない。今はこんな事を論議している暇はないんだがなぁ。
「カーン伯爵を連れて行けば、多くの民が命を失うのですよ?それが民の幸せだと仰るのですか?」
あたしも、段々と声が大きくなって来ているのは認識している。だって、イライラするんだもん、話していると。
「誠意をもってお話をすれば、カーン伯爵も分かって下さるはずです。そう経典にも書かれておりますれば、きっとカーン伯爵も分かってくださるはずです」
「彼には彼の教義があるのをご存じですか?目的の障害になる者は全て除外する、それが彼の教義です。全世界を手に入れる、それが彼の最大の教義なのですよ。それでも良いのですか?そんな世の中で良いのですか?経典には、世界征服を是と書いてあるのですか?」
エレノア様は、眉間に皺を寄せて困った顔をしているが、今はそんな事を気にしてはいられない。
「人同士が反目し合うのは、いけない事なのです。話し合えば、話し合えばきっと分かり合えます。経典にもそう書いてあります。経典は絶対なのです」
エレノア様のお声も、大きくなって来ている気がするのは気のせいだろうか?
それにつれて、何だかお腹がきりきりしてきた・・・。
負ける訳にはいかない。でも、どうしよう?頑固と言うよりも、これは、、、、たんなる世間知らず?
だとしたら、説得は難しい?お頭の言う通りに引っ掴んで連れて行くしかないか?
「エレノア様、教典に書いてある事って、絶対なのですか?常に正しい事なのですか?多くの民の命よりも経典が優先なのですか?」
「経典に従って生きて行けば、みなが幸せになるのです。我がご先祖様はそう説いて居られたのです。だから、経典を疑うなどと言う事は絶対有り得ません。してはいけないのです」
「では、あなたはその経典を心から信じていらっしゃるのですね」
「もちろんです。疑う余地など一切ございません」
「では、そこまで信じている根拠をお教え願いますか?」
エレノア様は、「何を馬鹿な事を」と言わんばかりの表情をなされている。ああ、その自信を打ち砕いてしまうのは心が痛むが、致し方ない。
ここは、徹底的に打ち砕かさせて頂きます。後で、アナ様に慰めて貰って下さい。
「根拠も何も、教典は我がご先祖様の手によって書かれたものなのですから、信じるのみです。疑う余地などこれっぽっちも御座いません」
「了解致しました。では、もしご先祖様の手で書かれたのではなかった場合は、疑う余地はある。と言う事で宜しいでしょうか?」
あ、明らかに動揺している?
「そ そんなはずは御座いません。あれは、あれは、我がご先祖様が御自ら・・・」
「エレノア様は、書かれたその場に同席されていたのですか?」
「なっ、そ そんな事・・・」
「では、どうして見てもいない物を信じられるのですか?どうして、ご先祖様が書かれたと言えるのですか?どうして、そんなあやふやないわれも分からないものを大勢の民に広められるのですか?無責任なのではありませんか?」
「う う 聖女であるわらわに向かって無礼ではありませんか?あなたは、なにをもってそんな事を言われるのですか?」
うわあぁっ、又一段と圧が・・・お腹も・・・
しかたがない、一旦落ち着かせるか・・・。
「言い過ぎました。ご無礼を謝罪致します」
あ、圧が弱まった。
・・・と、その時複数のうめき声が後ろから聞こえて来た。
「うううううううう・・・・」
振り返ると、そこにはうずくまってお腹を押さえるポーリン達五人と、柱にもたれかかってお腹を押さえているお頭の姿があった。
「あ あんた達・・・なんでここに?警備の兵は?」
「へっ、あんな腑抜け、問題じゃねーよ。それよりまだ説得できんのか?時間ねーぞ」
「そうや、いつまで我儘に うううう つきおうとんのや」
「お腹いたあぁぁい!!」
そうね、ぐずぐずしていられないわね。もう真実を暴露してしまいましょうかね。
「その方達は、いったいどこから・・・・」
「エレノア様、もう時間が御座いません。これから話す事、良く聞いて考えて、これからの事を判断して下さいませ」
「まず、、、、この事が全ての根幹になるのですが、、、」
あたしは、一呼吸を置いた。そして一気に話し始めた。
「この世に、聖女なるものは存在しません。経典もニセモノなのですよ」
エレノア様の顔面から一切の感情が消えてしまった。あーあ、言っちゃった。もう後戻りは出来ないわぁ。
歴史が変わった瞬間だった。