90.
「いやーねぇ、あちきは何にもしていないわよ。誤解よぉ」
間延びした様な女言葉で話し掛けられると、心の底から嫌悪感が手を繋いで沸き上がって来る。
あたしは、痛い腰を庇いながら顔を奴に向けた。顧留節戸を装着したおかげか、だいぶ痛みは和らいでいるが、それでもかなり痛い。絶叫ものよ。
「あ あんたは、何だってこんなに頻繁に現れるのよ!呼んだ覚えは無いわよ」
いつの間にかちゃっかりと馬車の縁に腰かけているのには驚いたが、周りにも兵士が何人も居たはずなんだけど、何故誰も気が付かなかったんだ?
隣に居たポーリンは剣に手を掛けて臨戦態勢なの対して、御者席の竜さんが動かない所を見るとこいつに戦意は無いって事なのか?
こいつには全く危機感が無いのか、周りを敵にかこまれているのに、と言うか敢えて敵の中に飛び込んで来て居るのに、顔色ひとつ変えていないって、どんだけ舐められているの?って感じなんだけど、天上の存在なんだからしょうがないのか。
「相変わらずつれないのねぇ。せっかく助けに来て上げたのに」
「なにっ!」
斬りかかりそうなポーリンを制して、あたしは極力感情を抑えて問い質した。
「それで?あなたは何を助けに来たって言うのかしら」
あたしが素直に返事をしたものだから、ニコニコと機嫌が良さそうだった。
「んふふ。それはねぇ、、、、」
そう言うと、奴はあたしの横に擦り寄って来た。
ん?なんだなんだ?
「はいはい、じっとしていてねぇ」
って、何するつもりだ?
不安になって居ると、突如背中に、いや腰に圧を感じた。顧留節戸越しだったからはっきりとは判らなかったけど、これは手の平の感触か?
「じっとしていてよぉ~」
なんて、緊張感の無い声がしたと思ったら、ん?背中が温まって来た?
背中全体が手の圧を中心にポカポカしてきた?なんだなんだ、どうなっているの?
「ほええぇ」
思わず変な声が出てしまった。
すると段々と圧が強くなって来た。え?なに?それ以上押されたら何かが出てしまう~。
上から押さえつけられ、加圧&加温されたあたしは、身動きも出来ずに悶えるのみだったが、ふいにその時が来た。
奴が気合と共に一気にあたしの腰を圧し潰したのだった。
いや、実際にはぐんと強く押されただけなんだろうけど、あたしには押し潰された様に感じた。
「ふんっ!」
「あひゃあああぁぁぁぁ」
「あれ?死ぬかと思ったんだけど、何ともない?」
あたしはきつねにつままれた感じだった。
「いやあねぇ、そんなお下品なお声を上げちゃって。あちきがあんたを殺す訳ないじゃないのよ。ほほほほほ。それより、どう?腰の調子は?」
「へっ?腰?腰がどうかした、、、、、、って、えっ?えっ?ウソ?あれ?そんな・・・。何で?何で腰の痛みが消え去ったの?あんた、何したのよっ!!」
あたしはむくりと起き上がり、床にぺたんとお尻を着けた状態で座り、腰を左右に回して今置かれている状況をなんとか理解しようとしていた。
「あらあら、せっかく助けてあげたのに、ずいぶんな物の言い様ね。他に言う事はないのかしらねぇ」
「うそっ!あれだけ痛かったのに、痛みが全くない。いったいどうなっているの?やっぱりあたしの若さのなせる事なのかしら。あたしってすごーい」
後でアウラに聞いたんだけど、この時の奴は『なんだ?こいつ』って訝し気な顔をしていたそうだ。
「おいおい、あんた何言っているのよ?この状況を見れば一目瞭然でしょうに。あちきが治してあげたのよ。あんただって判っているんでしょお?」
あんたに借りなんか作りたくないから、その事に触れない様にしているって判りなさいよ。本当に空気が読めないんだから。
「そんな事よりもさ、なんで敵であるあたしを助けるのよ!?意味が分からないわよ」
「へっ?」
なによ、そのばかにした様な顔は。ばかにした様、、、でなく、馬鹿にしているの?
「うーんと、敵って?あちきはあんたを敵だなんて思ってはいないわよお?」
「はあああ?敵じゃあないだってえぇ?良く言うよ。敵じゃないんだったら何だってこれまで散々とあたしの命を狙って来たのよ!」
みんなもうんうんと頷いて居る。
「うーん、そうねぇ、面白いから?あのくらい大丈夫だって思ったのよぉ。実際大丈夫だったでしょ?ね?」
「あああああああんたねぇ。結果的には辛うじて切り抜けたけど、どんだけ辛い思いをしたと思ってんのよっ!何度も死ぬかと思ったのよ!判るっ?この気持ちがっ!!」
これだけきつく言っているのに、奴はニコニコしたままだった。バカなのっ?
「色々あちきの想像の斜め上の結果を出してくれるんで、楽しくてつい遊んじゃったんだけどね、どうもそうも言ってられなくなってきたんでねぇ、遊びはここまでにするわ」
「なっ、それってどういう事よ!」
こいつ、又訳の分からない事を言いだしたし。
「いい?良く聞くのよ。判断誤ると国が無くなるんだからね」
訳が分からないどころか、目一杯不穏な発言に、堪らずポーリンが口を挟んで来た。
「何訳の分かれへん事言うてるのや。もう十分国の存亡の危機をあじわったわよ、あんたんせいでねっ!」
噛みつかんばかりのポーリンの勢いにも、全く動揺する風もなくスルーしてあたしの方を真っ直ぐに見つめ、一言発すると煙の様に消えてしまった。
「今、あんたの国で動いている奴は人族じゃあないわ。その昔魔族と呼ばれた一族の末裔の可能性が高い。なんたら伯爵は只の操り人形に過ぎないわ。全力で対応しなさいね。あたしが言えるのはここまでよ。頑張ってね」
奴が居た場所、煙の様に消えて行った場所を見つめたまま、誰も言葉を発せなかった。
今の出来事って、、、夢?魔族の末裔だって?そんな途方も無い事言われたって・・・。
みんなの視線が自然と御者席の竜さんに集まった。
竜さんはみんなに背を向けたまま暫く無言だったが、意を決した様にこちらに向き直った。
だが、何も発しないで視線は空中を漂ったままだが、誰も声を掛けられないまま時間だけが過ぎ去っていった。
そして、おもむろに話し出した。
「あの者の申した事は、どこまで信憑性があるのかは、わたしには判断が出来ません。可能性で話すのであれば、有り得る話しではあります。そもそも、魔族という一族は元をただせば我々と共にこの大地を管理していた者。ですが、思想が過激過ぎた為我々とは行動が出来ず、袂を分かったと聞いております。その後、消息不明になったとも」
「と言う事は、陰で悪さをしている可能性も有ると?」
「はい、否定は出来ません。が、なぜあの者はその事に気が付いたのでしょう?ともかく、今は魔族の事を詮索している時ではないかと」
そうだ、そうだった。今しなくてはならない事は、魔族の詮索ではなかった。
あたしは馬車の中から身を乗り出してみんなに号令を発した。
「全力で『ムラ』に向かうわよ!みんな付いて来てよぉ!」
「シャルロッテ様、腰はいいのですか?」なんて言う疑問は放置して、あたし達は街道をばく進した。
街道を歩いて居た旅人達は慌てて道の端に避難している。
聖騎士団の二人は先行偵察として一足早く先行して行った。
あたしは竜さんの横の席に移動した。
竜さんは器用に車軸が折れそうな速度で馬車を走らせている。もはや走って居るのだか、ジャンプして居るのだかわからない位の凄まじい振動だった。
あたしは、舌を噛みそうになりながらも竜さんに話し掛ける。
「さっきの話しだと、魔族も管理者だったって事なの?」
「はい、その様にお聞きしております」
「他の管理者と足並みを うわっ 揃えられなかったと?」
「はい、思考が過激過ぎたのです。思う通りに人族が発展しないと、直ぐにリセットしてしまうのだそうです」
「リ セット?」
「はい、なんでも一族を率いて攻めこんで行き、自らの手で大量殺戮をするのだそうです。その殺戮の中で快楽を覚えたのでしょう」
「文字通り悪魔なんだ」
「他の管理者達が、殺戮をしている魔族を発見する度に止めに入っていたそうで、ここ数百年は鳴りを潜めていた様ですが、再び動き始めたみたいですな」
「もし、今回の事が魔族のせいだったと あうっ して、あたし達で太刀打ち出来るの? うはっ」
なぜ、竜さんはこの振動の中平然と話せるの?不思議でしかないんだけど。
竜さんは、相変わらず無表情で前方を見つめたまま手綱を握りしめている。現状起こっている事態に興味が無いのか、まったく慌てた感じは無かった。
興味が無いのかなぁ。
「いえいえ、そんな事はありませんよ。深刻な事だと考えております。ただ、相手が相手だけにどうしたら良いか思案中です」
「魔族だから、、、か」
「いえ、それよりも管理者の一員であるあの者が我々の支援をして来た事を考えておりました」
「支援って?」
「シャルロッテ殿の腰ですよ。すっかり元通りでしょ?」
「ああ、そう言えば・・・」
「正確には元通りとは違うのですが、まあ今の所はいいでしょう」
「えっ?それ、どういう事よぉ」
「何か危機感を感じたのでしょうか?それとも、ただの気まぐれなのでしょうか?私達に尻拭いをさせようとしているのかもしれません。わたしには判断がつきませんね」
その後、一休みしたお頭を先頭に聖騎士団と山賊の混成部隊と言う一風変わった一団が追い付いて来た。
正式な鎧を着ていない上に、みんな血しぶきを浴びた様な凄まじいいでたちなので、一見すると一仕事を終わった後の盗賊団の集団にしか見えない。
道端に避難して、彼らを見つめる旅人の眼つきを見れば、みんなからはどの様に見えて居るのかは一目瞭然だった。
「おーい、お嬢っ、もう起き上がれる様になったんかあぁ~っ!」
後方からノー天気な声が聞こえて来た。
「おめ~、えれ~簡単な造りしてんだなぁww驚きだぜえww」
誰のせいで、死ぬ思いしたと思ってんのよぉ~。激オコなんだからねぇ。
そんなあたしの気持ちなんか全く気にしていないお頭は、普段通りノー天気で話し掛けて来る。
「今度は人間相手だから気楽でいいなあぁ~ww」
いやいや、あんたはいつだって気楽だろうがああ、、、、って思っても言わないけどね。
「それで?状況はどうなんでぃ?」
馬車に並びながら、ノー天気モードから突然お仕事モードに変わるのも、いつもの事だ。
「今、偵察に二人出しているから、報告待ちよ」
「そっかぁ、取り敢えずは前進あるのみだな。今回は変な蛮族や泥人形は出て来ないだろうな?お前が絡むと災いのオンパレードだからよお」
ぶちっ、、、あ、何かが切れた音がした 気がする。
「期待通りで悪いんだけど、今度はもっとたちが悪いかも知れないわよ」
「げっ!お前、今度は何連れて来たんだあ?」
しつれいなっ!!
「あたしが連れて来たんじゃないわよ!お頭が連れて来たんじゃないの?」
「ハッハッハッ、みんなで連れて来たって事かもしれんなぁ」
なに言ってるのよ。あんたが連れて来たに決まってるでしょうに。
そんなやり取りをしながら、ムラの街まで後半日の距離の所迄やって来たのだが、何か様子が変だった。
先行偵察に出した者からの連絡が一切無かった。
「おい、なんかおかしくねえか?なんで何の報告もこねえんだ?先乗りの偵察員は出しているんだろ?」
「うん、おかしいわね。このまま進むのは危険かしらねぇ、もう一回偵察を出すべきなのかな」
「いいよ、私が行って来るから、みんなはこの辺りでキャンプを張っていて頂戴。ムスケル、足の速い奴を二~三人借りるよ」
名乗り出たのは、メアリーさんだった。
「おうっ、いいぜ。足に自信のある奴、ついて行きなっ!なんなら俺も行くか?」
「よしてよっ!足手纏いだよ。迷惑掛けないでおくれっ、あんたはここでお嬢さんのお守をしているのがお似合いだよっ!さあ、行くよっ」
お頭の反論も聞かず、飛び出して行ってしまった。
あまりの血相に、怖くて声を出す事も出来なかった。お頭も反論出来ずに口をパクパクしているだけだった。
他のみんなも、唖然として立ち尽くしていた。そんな中冷静だったのはジュディだった。
「メアリー様がお出ましになったのでしたら安心かとは思いますが、念の為私も後を追って、離れた所から状況を監視したいと思います。では、ごめん」
走り去って行く後ろ姿を暫く眺めていると、正気に返ったアウラが動き出した。
「そろそろ日も暮れて参ります。街道から離れて野営の準備をしたいと思います」
みんな野営はもうお手の物だった。それぞれが自分の役割を心得ており、なんの指示もされないのにテキパキと作業を初めていた。
やがて、夕飯も終わり、辺りはすっかり漆黒の闇に包まれていたのだが、、、、深夜になってもメアリーさんもジュディも帰って来なかった。
あのメアリーさんが敵に後れを取るとは考えづらい。いったい何が起こっているのだろう?
「お嬢、如何しますか?助けに向かいます?」
アウラは不安げな表情だった。
「いいえ、夜間に地理に明るくない所に進出するのは危険よ。夜明けと共に全員で出発するわ。用意する様にみんなに伝えて頂戴」
「はい」
暗闇の中に駆けだして行くアウラの後ろ姿を見ながら、大きく深呼吸をするのだった。