86.
「あれって・・・・」
口をポカーンと開けたアウラが呟いた。
「ふっふーん、そうだよ、あれはあたしのレイピアよ。ついこの間みんなして散々かき回されたあの忌まわしい奴ね」
「おいっ、まさか最後の一手って・・・まさか」
お頭の顔が面白い事になっていた。まあ、もともと面白いのではあるんだけどね。
「そうだよ、古代の賢人が言って居たでしょ?昨日の敵は今日の友ってね。今回はあたし達の役に立ってもらうわ」
「なるほどね、そういう事か。面白いかもしれんな」
メアリーさんはしきりに頷いて居る。
「をい、何をするつもりだ?」
まだ分って居ないお頭は、素っ頓狂な声を出している。
「まだ分らないのかい?歳は取りたくはないねぇ」
ジト目で見て来るメアリーさんに、お頭は焦りまくっている。
「な な なにをーっ!!」
「まあ、黙ってこの子のやる事をみていれば、その内鈍いあんたでも分かるだろーよ。まあ何にしても、上手く行く事を祈ろうじゃないか」
メアリーさんはニヤニヤしている。楽しくて仕方がない様だった。
白み始めた空に羽の生えた黒い豆粒は次第に大きくなってきていた。
やがて、全身を覆うキラキラと輝くコバルトブルーの綺麗な鱗がはっきりと確認出来る距離まで近づくと、だれもが味方のドラゴンであると認識した。その精悍な表情が分かる所まで降下してきた竜さんは、あたしの目の前約五メートトル上空で人化し、そのままふわりと音も無く着地した。
本当に、羽毛の様にふわりと着地したのだ。だが、羽毛と違ってかなりの重量があるであろう事は、地面にくるぶし迄埋まっている事から分かるというものだった。
「シャルロッテ殿、ご要望の物持参致しましたぞ」
竜氏はあたしのレイピアをうやうやしく差し出して来る。
「ありがとう、竜さん。助かったわ。早速で悪いのですけど、一休みしたらもう一度飛んでくださりますか?」
「はははは、この程度の飛行では疲れなどしませんぞ。やるべき事はさっさと済ましてしまいましょうぞ」
何でも無い事の様に言う竜氏は頼もしい限りだった。
「あんた、成長したって言うか、とんでもない事を考えるわね。普通は思いつかないわよ」
呆れた様にメアリーさんは言うが、思いついてしまったんだからしょうがないっしょ。
「普通じゃ思いつかないって事は、あたしは普通じゃあ無かったって事なんでしょうかねぇww」
呆れる一同を尻目に、竜さんに向き直った。
「じゃあ、お手数なんですどお願いしますね」
「はい、お任せあれ」
そう言うと竜氏は人化を解き、本来の姿である竜の姿に戻りこちらに背を向け姿勢を低くした。
「じゃあ、ちょっと行って来るわ」
あたしは、レイピアをしっかりと握りしめ、竜さんの背中に飛び乗った。緊張のせいかレイピアを握る手が汗でじっとりと濡れていたが、今はそれどころではなかった。
あたしが飛び乗ると、竜さんは大地を思いっ切り蹴って勢いよく空中に躍り出た。そして一回力強く羽ばたくと、あたし達の体は地上の人々が豆粒に見える高さまで登っていた。
とても力強い羽ばたきだった。
あたし達はたちまち国境を越え無数の蛮族が集結している上空へと到達した。
初めて上空から連中を見たのだが、、、暫くは開いた口が塞がらなかった。
なぜかと言うと、地上から見てある程度把握してはいたつもりだったのだけど、上空から見たらまさかここまでとは思ってもみなかったという数だったのだよ。
一言で言うと、見渡す限り蛮族の群れ。
十万、二十万なんて甘い物ではなかった。もはや数百万、いや数千万にもなるのだろうか。もはや数を推測する事の出来るレベルではなかった。
蛮族って、こんなに人口がいたなんて思いもよらなかった。もしかしたら我が公国の全人口より多いのかも知れないと思ったら、背筋がぞくぞくっとした。
こんなに居るんだから、半分くらいは処分しても構わないのではないか、なんて思ってしまったのは内緒なんだけど、、、。
「如何します?こんなに居るのですから、半分位処分しても宜しいのでは?」
その一言に、あたしは竜さんの背から転げ落ちそうになり、あわててしがみついた。
「なっ、、、、、何を突然っ」
「はははははは、只の戯言でございますよ。さて、そろそろ宜しいのでは?」
見下ろすと、蛮族共がみんな上を見上げて、あたし達の事をみて騒いでるし。
「あ、こっちを指差して居る奴が何人もいるわねぇ、もしかして言語を持っていて、仲間に何か知らせて居るのかしら?」
「まあ、犬程度の意思の疎通は出来るかもしれませんね。今は、驚きを表しているのでしょう」
「あっ!矢が飛んで来てるよっ!上がって!上がって!」
見て居ると四方八方から矢が迫って来るのが見れたので慌ててしまった。
「ははは、この高度までは、、、うおっ!? 何本かこちらに届いて居る矢がありますなぁ。こいつは・・・」
竜さんは自分のお腹にカツンカツンと音を立てて跳ね返る矢を感じて、急に高度を上げてくれた。
こちらにまで五本に一本位の矢が届いている感じだった。
「まだ、新式の武装はみんなに行き渡っては居ないって事なのね」
まだ、四方八方から次々と矢が打ち上げられて来て居るんだけど、外れた矢がどうなるか考えていないのだろうか?
まさに天に向かって唾を吐いて居る状態なので、外れた矢は彼らの頭上に降り注いでるのに、一向に気にならないご様子で、じゃんじゃん打ち上げてきている。
「やはり知能が足りなかったって事ね」
やれやれとため息が出た。
下では蛮族が身動きも取れない程の密集状態なので、外れて落下した矢はまさに百発百中で彼らに突き刺さっている事だろう。
「さて、さっさとやっちゃいましょうね」
「そうですな。しかし、良くこんな方法を思いついたものですなぁ」
「えへへへ、なんとなく思いついたんだなぁ、これがww」
「面白いお方だ。あの竜王様がご執心になるはずですな・・・」
「へっ?何か言った?」
「いえ、何も・・・。では宜しくお願いします」
レイピアは見た事の無い模様の布で何重にも包まれていた。それはどうやら結界になっていたみたいだった。その布を一枚一枚ほどいて行きレイピアの柄を剥き出しにした。
あたしは大きく深呼吸をした。まさか、再びこいつを抜く日が来るなんて思ってもみなかったわね。
意を決して、あたしは魔刀とも妖刀とも言えるこのレイピアをすらっと抜き前方に構えた。
相も変わらず気持ちの悪い剣で、背中がぞわぞわする。
「おおう、、、この剣の波動は、気持ちの良いものではありませんなぁ。奇妙な魔力を感じます」
竜さんも、ぞわぞわしているご様子だった。
暫くそのまま構えて居ると、視界中に霧が立ち込めると言うお馴染みの現象が起こり始めた。
やがて、視界のあちこちで濃い影が産まれて来る、そう、あの忌まわしいはずの泥人形の子供だった。
だが、今回は敵で無く味方としての登場のはずだ。
初期の泥人形は、何故かあたしにばっかり執着していたのだったが、後半は周りに居る者全てを攻撃対象にしていたので、今回はその性質を利用しようと思ったのだ。
敵が何百万、何千万と繰り出してくるのだったら、こちらも何百万、何千万の兵士を繰り出せば良い。
すなわち、『めにめにはをはを』である。
解り易く言えば、目には目を、歯には歯を だ。
これは、古代の賢者が提唱していたとされる、尊い教えなのだ。
今や、正義の味方に落ちぶれた悪魔の泥人形は、次々と蛮族のひしめく地上へと降下して行った。
周囲の白かった霧は、灰色に変化しており、既に相当数の泥人形が地上に達して居る事だろう。
あたし達は、満遍なく泥人形を降下させる為に、蛮族の群れの上を行ったり来たりと飛行した。
上から見ただけでは、成果があがっているのか分からないので歯痒い思いだった。
あれだけ大口を叩いたんだ、成果が上がっていなかったら、何を言われるか分からない。みんな、頑張って~っ!
「しかし、あれだけの数です。皆殺しに出来ますでしょうかな?」
竜氏はゆっくりと飛びながら下界を見下ろして、そう呟く。
「いいの、いいの、最初から殲滅は考えていないから」
「ほう?」
「斬っても斬っても死なない泥人形と戦って、恐怖を感じて引き上げてくれればいいかなあってww」
「なるほど、戦う内に泥人形は巨大になりますからなぁ、恐怖感も半端ない事でしょう」
「問題は、恐怖を感じる知能が奴らにあるかなんだけどねぇ、こればっかりはやってみないとってところよね」
「仰る通りですな。奴らの知能に期待って所ですが、良い作戦だと思いますな。作戦が終わった後は、剣を仕舞えば泥人形達は綺麗さっぱり居なくなるのですから、後腐れが無くて良いですな」
「でしょ~ww」
恐らく地上は得体の知れない泥人形の出現で阿鼻叫喚の地獄に晒されているだろう。おまけに空からは味方の矢が雨あれれと降って来てきるのだから、逃げる場所も無く悲惨な状況で有る事は想像に難くない。
それに対して、攻撃を仕掛ける側は空の上から欠伸をしながら、反撃を受ける事も無く、のんびりとしたものだった。
「竜さん、疲れませんか?大丈夫ですか?」
現在地は、国境からは馬車で半日位の奥地に迄進出して来て居る。
相当な距離を飛んで来たのだが、下を見るとまだまだ蛮族の群れは無くならない。一体どんだけ集まって来ているのだろう。
これだけの人口が一体どうやって食料を確保して食べているのだろう?農業や畜産と言う産業も無く、その日暮らしの生活で食べていけるのだろうか?
疑問は尽きなかった。
「恐らく、共食いでもしているのではないでしょうかね。それとも、我々の知らない食料を持っているのか・・・」
「我々の知らない食料かぁ、、、ねぇ、お腹が一杯になる魔法って、、、あるのかなぁ?」
ギョッとした表情で竜さんが振り返って来た。
えっ?あたし、変な事言った?
焦るあたしに、竜さんは元の優しい表情に戻ると、穏やかに返事をくれた。
「ははは、そうですな、あるといいとは思いますが、その様な魔法は私の知識には御座いませんなぁ。機会が有りましたら、竜王様にでもお尋ねになったら如何でしょう?竜王様のお気に入りのシャルロッテ殿なら、教えて頂けるかもしれませんよ」
「そ そうかなぁ」
あれから時間が経ち、陽も高く登って来ているが、下界の様子がいまいち判らない。
もう、相当数の泥人形達が降下して、奴らと熾烈な戦いを始めている頃合いなのだが、如何せん上空からは効果が有るのか無いのか判断がつかない。
しれつな戦いにしろ、しりめつれつな戦いにしろ、何らかの変化が有ってもいいと思うのだけどねぇ。
もっと高度を下げれば見やすいのだろうけど、如何せん未だに飛んで来る矢が減らないので無理だった。
「だめだわぁ、効果が有るのか無いのか判らないわ。申し訳ないのだけれど、もう少しお付き合い願います?」
あたしは、恐る恐る作戦の継続を竜さんにお願いした。
でも、あたしの心配をよそに竜さんの返事は半分冗談交じりで優しかった。
「全然構いませんぞ。なんなら夜までぶっ通しでも宜しいですよww」
「あらあぁ、それだったらお背中でお漏らしする事になってしまいますけど構わないのかしらぁ?」
「おうっ!残念ながら私にはその様な尿を浴びる趣味は御座いませんので、ぜひご辞退させて頂きたいww」
「大きい方かもよおぉぉww」
「これっ!淑女がその様な事を申されてはいけませんぞ、ご両親がお悲しみになりますぞ」
「あははは、冗談、冗談ww 意地悪を言うからよおぉ~ww」
その後、満遍なく蛮族の上空を飛び回っていたので、気が付くと太陽が丁度真上に差し掛かっていた。
「竜さ~ん、そろそろ一旦戻って休憩しませんかぁ?」
「承知」
これにて午前中の攻撃は、一旦終了することになった。
壁の内側に泥人形をばらまく訳にはいかなかったので、レイピアは壁の外で鞘に収めた。
街の広場にゆっくりと着陸すると、みんながわらわらと駆け寄って来た。
「お嬢、お帰りなさい」
「姐さーんっ、おかえりなさーい」
「ロッテ、お疲れだったな」
みんな、口々に労ってくれたのだが、一人だけ・・・。
「おーい、竜の背中でお漏らししなかったかーっ?ww」
悪意満点だったから、スルーしてやった。
「上からじゃあ、良く分らなかったんだけど、多少は効果あった?」
周りを見回しながら、誰とはなく訊ねた。
すると、聖騎士の一人が一歩前に出て来て口を開いた。
「シャルロッテ様、ご報告させて頂きます。まず、奇襲と言う点に於きましては大成功に御座います。蛮族共は大混乱をきたしておりました」
うん?奇襲限定の成果って事?
「シャルロッテ様の狙い通り、例の泥人形はミニマムサイズで降って来て、どんどんと合体を行いつつ戦闘へと突入しておりました。流石に、小さい頃は蛮族の相手にならず一方的に叩き潰されて居りました」
「まあ、仕方がないわね」
「ほとんどの泥人形は子供大に成長する前に潰されてしまっていて、満足に戦える大きさに成長した者は一割にも満たない状況でした」
「あらー、思ったよりも悲惨だったのね」
「更に、満足に戦える大きさになった者も、すかさず周りをびっしりと蛮族に囲まれてしまい、四方八方から滅多切りにあって、ほぼ壊滅してしまいました」
「数の暴力・・・か」
「そうだな、お嬢の作戦は基本的には正解なのだろうが、運用方法が間違った・・・と言う事だな」
「お頭? 運用が間違っていたってどういう事ですの?」
「お前は、あの蛮族の数を見誤ったと言う事だよ。確かに、あの泥人形は強い。だが、それはある程度大きくなってからの話しであって、豆粒大の時は無力なんだよ」
「あっ」
「あの無数の蛮族の中に、いくら豆粒大の泥人形を投入しても、各個撃破されるだけであって、何の意味もなさない」
「そっかぁ、失敗だったかぁ」
あれだけ苦労した泥人形も、数の暴力には敵わなかったって事かぁ。蛮族恐るべし、だな。
しょぼんとしているあたしに向かっておじ様は続けた。
「失敗とは限らない。運用が間違ったと言っただろう?だったら正しい運用に変更をすればいいだけではないか」
「正しい運用?」
そこで突如叫ぶ声が上がった。
「そっかあぁ、そういう訳なんですねぇ!」
「お?アウラ嬢には正しい答えが解ったのかな?」
「はい!解りました。お嬢は満遍なく無数の蛮族の中に泥人形を撒こうとしました。なので、無数の蛮族に飲み込まれ各個撃破されたんだと思います。ですから、こんどは泥人形を一点に集中されればいいんですよ。一か所に留まって泥人形を降らせれば、降らした数がやられる数を上回るのでは?そうしてある程度の大きさに成長させれば蛮族に対して無敵になります。そうしたら次の場所に移動してそこで又泥人形を育てる。それを繰り返せばいいのではないでしょうか?」
「うむ、正解だ。時間はかかるが、それが最も確実な方法だと思うのだが、ロッテ、お前はどう思う?」
「・・・・・んー。んー。んー。そうですね、それが確実かと思います。アウラ?流石だね。午後はおまえの作戦通りにやってみるよ。ありがとう」
「いえっ、お嬢のお役に立てれば嬉しいですよ」
アウラは本当に嬉しそうだった。
「それで、奴らはどうしてるの?」
「おう、暫くはハチの巣を突っついた様な騒ぎだったが、今は静かになっているぞ」
蛮族の様子を観察していたらしいお頭が答えた。
「竜さん、午後もお願い出来ます?」
「うむ、問題無い。一日でも二日でも飛んで居られるが、漏らさない範囲で頼む」
「漏らす?」
みんな、不思議そうな表情であたしと竜さんの会話を聞いて居る。
もう、余計な事を・・・。
「お嬢、炎攻撃はどうしますか?」
さすが、気配りのアウラだ、良く全体を見ている。
「壺の在庫ももう少ないでしょう。あまり燃やされても上空が煙で視界不良になるし、みてよあたしの顔。すすで真っ黒よ。だから、午後からは中断して頂戴ね。その代わりパニクッた蛮族が壁を越えて来ない様に万全の警戒をお願いね」
「わかりました。了解です」
あたしは軽い食事を摂り水分は少な目で昼食を終わらせた。
竜さんは食べなくてもいいらしく、ずっと壁の向こうを見ていた。
そうして一息ついた後、午後の出撃となった。