84.
この矢は、、、奴らの使っている旧式な矢とは全く違う、私達の使って居る物と同じレベルの物だ。
私は矢で負傷した兵士の元に跪いて具合を伺った。苦しそうではあるが、会話は出来そうだった。
「ねぇ、ちょっと聞いてもいいかな?」
「はあ、はあ、はあ、だいじょうぶ です」
「背中の矢は、どの方向から飛んで来たのかな?」
背中の傷の痛みに耐えている者に残酷な事はわかっているが、これは大事な事だった。
「私は、、、壁の近くで巡回して警備をして・・・おりました。その際、いきなり矢が。ぐふっ・・・」
「大丈夫っ!?」
突然血を噴き出したので驚いてしまった。
「だいじょう ぶ です。あの時は、、、壁を背に立って居ましたので、矢が飛んで来た方向は壁の向こうかと、、、はあはあ」
「それは、間違いないのね」
「ええ、間違いは ありません。はあはあはあ」
「わかったわ。ありがとう、ゆっくり治療に専念して頂戴」
そう声を掛けてから立ち上がって、皆の元に戻った。
みんなは私の行動を黙って見守っていてくれていた。
「どうだった?」
閣下が心配そうに聞いてくる。
「はあぁ~。最悪ですねぇ、やっぱりあの矢は奴らが撃って来たみたいですね」
「なんだと!?それって・・・」
「ええ、壁のこっちに居れば安全だと思って居たんだけど、そうはいかなくなって来たみたいですね。まさか、最新の矢を装備していたなんて思ってもいませんでした」
「そうか、最新の矢を装備していたって事は、射程も互角って事だな。射程外からの一方的な攻撃は出来なくなってしまったな」
大好きな、射程外からの一方的なたこ殴り攻撃が出来なくなって、閣下は残念そうだった。
以前なにげに聞いたのだけど、閣下は遠距離から一方的に敵を叩くのと、闇討ちが大好きなのだそうだ。
栄光有る聖騎士の指揮官がなんて卑怯なと思ったのだけど、卑怯ではないのだと言う。
遠距離から攻撃を仕掛ければ、味方に被害を出さない最高の攻撃法だと言う事は、私でも理解は出来るので何も言うまい。
だけど、闇討ちは誇り高い聖騎士の戦い方として如何な物だろう。
だが、閣下は笑いながら飄々(ひょうひょう)と答えたのだった。
「闇討ちもな、後ろから正々堂々とやれば、立派な正攻法となるのだよ」
だそうだ。
なんなんだ、その理論は・・・。
正々堂々とやればいいのか?そうなのか?あまりにも高尚な問題なので、孤児の私には理解し難い。
そんな事を思い出していたが、閣下の声で我に返った。
「時代遅れの蛮族相手だから、劣勢でもなんとかなると思っていたが、相手が我々と対等の武器を持って居るとなると話が違って来るぞ。ここは、全面撤退するしかあるまい。アナスタシア様、ここは軍を引いて対抗できる立地の所まで下がらねば、皆犬死にしてしまいますぞ、どうか撤退のご許可を」
みんなの視線がアナ様に集中した。
室内の空気は緊迫の度合いを増して来て居る。
一旦目をつぶったアナ様は、静かに立ち上がった。
「致し方ありません。人命を第一に考えればここは引くのが最善かと思います。早急に全軍に撤退の指示を出して下さい。この街の皆さんにも避難を呼び掛けて下さいね」
「はっ、有難う存じます。では、アナ様もお支度を・・・」
「わたくしは、ここでみなさんの避難を見届けてから最後に出発致します」
そう言うんじゃないかと思ったよ。アナ様、異常に頭が堅いからなぁ。それなら、こっちも対応させて頂きますとも。
「了解致しました。こちらも準備で慌ただしくなりますので、アナ様は二階でお待ち下さい」
そうアナ様にお声掛けして閣下にウインクして合図した。
私の合図に気が付いた閣下がそっと寄って来て、こそっと話し掛けてくる。
「おいっ、どうするつもりだ?撤退しないのか?」
「撤退するわよぉ。ただし、私はアナ様を護衛しながら撤退する事にするから、閣下の配下の兵達貸してね」
「それはいいんだが・・・」
「それだけじゃ足りないからお頭以下の『うさぎの手』も全力で護衛する必要があるわね。義勇団の面々にも護衛をお願いして、約一万人で輪形陣を敷いてお守りすれば、なんとかアナ様を護衛しながら後退できるかなあって。えへへへ」
「をい・・・」
「閣下は、街の人を誘導して先に避難しますかあ?」
「うぬぬぬ・・・」
普段クールな閣下が百面相をしているシーンは、なかなかの見物ではあったが、今はゆっくり見ている時間は無かった。
「で?いかが致します?」
「えーい、わかったわい!ほんとうにムスケルの愛弟子だけあって意地の悪さはそっくりだな。もう時間がない、大急ぎでこの街の外壁の強化をしよう。気休めくらいにはなるだろうて」」
「そんなのは、もうとっくに俺の部下がやってるぜ。おせーんだよ」
憎々しげに、というか閣下を焚きつける様に言うのはお頭だった。
「外壁の内側には石を組んで無数の釜も造らせていて、出来た物から火をくべて油を煮る用意をしている」
「おお、そうか、それなら薪が大量に必要だな。至急部下に集めさせよう」
そう言うと、閣下はそそくさと走り去ってしまった。去り際に、一言・・・
「さすがだな、ムスケル」
お頭は、ニャッとした表情を浮かべたまま、何も言わなかった。
今、このヘマトキシリンの街の中はごった返していた。
兵士は勿論の事、街の住人も走り回っている。
ある者は大量の薪を抱えて走っている。大きな鍋を持った見るからにおっかさんという感じのおばさんも小さな子供を引き連れて外壁の方へ向かって走っている。
リアカーに何やら液体の入った壺を載せて急いでいるおじいさんも居た。
みんな、忙しそうだ。各家庭の煙突からは、煙が立って居る。差し入れ用の食事でも作っているのだろうか、大きな戦いを目の前にして、みんな思い思いに自分の出来る事を頑張って居るようだ。
危機が迫った事によって、団結力が強まったのだろう。
今、私に出来る事、、、何があるだろうか?
本当なら、みんなと一緒に薪を運んだり、釜の設営を手伝いたい。でも、だめだ。そんな事をしていたら、視野が狭くなってしまい周りが見えなくなってしまうから、いざ戦端が開かれた時、指揮が後手後手に回ってしまう。ここは、一歩下がった所から全体を見ていないといけない。幼少の頃から、そう教わっていたはずだ。
奴らが壁を越えて来た際、どこで迎え撃つか、どこまで抵抗したら民間人を逃がすか、逃がす際の護衛方法は、考える事は沢山ある。
ああ、お嬢。お嬢は何をやっているのだろう。まだ、立ち直れないのだろうか?そんなに繊細とも思えなかったのだが、深窓のお嬢様だから意外と打たれ弱いのだろうか?
本当なら、みんなの先頭に立って、士気を鼓舞して欲しいところなんだが、王都を出てから連戦に次ぐ連戦だったから、お疲れになったのだろう。
お嬢が立ち直るまでは、頑張ろう。お頭も閣下もメアリーさんだって居てくれる。心を強く持つんだ。頑張れ、私。頑張れ、アウラ。雑草パワーを見せてやるんだ。
あの化け物みたいな三人に加え、アナ様にお嬢まで居るんだ、過剰戦力と言ってもいいだろう。きっと何とかなる。何とかなって欲しい。何とかなってよお~っ。
今、そんな事を考えながら、街の中をふらふらと視察しているのだが、昨日までと空気感が違って見えた。
昨日までは、追いかけっこ等して遊んでいた子供たちが、今日は薪や矢の束を抱えて外壁へと走っている。
自作であろう竹やりを掲げて街中をパトロールしている男の子の集団も居た。
あくまでも、この街、自分達の故郷を守り抜くんだという意気込みが一人一人から伝わってくる。
みんな頑張って居るんだなぁ。彼らの目を見れば誰も諦めて居ない、絶望して居ない、自分達にだって何かが出来る、そう信じている事がありありと分かる。
あんな小さな子供ですら諦めていないんだ、戦う力を持った私達がなんで諦められようか。
何か出来る事があるはずだ。アナ様も、それを信じているからここに残ると仰られているのに違いない。
考えなくちゃ。このピンチを打開する方法がどこかに眠っているはずだ。
なんとかそれを見つけ出さなくては。そう考えながら歩いて居ると、泣いて居る少女に出くわした。その娘は持っていた瓶を落としてしまった様だった。中に入って居た赤い液体が川の様になって流れて行ってる。あの赤い液体はズールの実のジュースだろう。あれは、疲労回復には良いらしいが酸っぱくて私は苦手なんだよなぁ。
遠目に泣きじゃくる少女と流れる赤い川を見ていた時、突然アイデアが閃いた。
その少女を助けてあげたいのはやまやまだったが、時間が無い。近くに居た友達らしい子供も何人か駆け寄っているから後の事は大丈夫だろう。
私は速攻でその場を離れ、司令部に向かって走っていた。まだ、頭の中では纏まってはいなかったが、何となく方向性は見えて居た。
司令部に駆け込むと、閣下と副官のフランク氏、そしてポーリンが地図を睨みながら撤退時の退路を検討していた。
勢いよく駆け込んだ私を見て、訝し気な表情の閣下が声を掛けて来た。
「どうされた?アウラ嬢」
はあはあと荒い息を吐きながら、思いついた事を披露した。
「あのね、あのね、いい事思いついたのっ!」
「ほう?どうしたのかな?」
「あぶら!油よっ!壁の外にアブラを撒くのよっ!そうして火を点ければ、壁際の奴らを撃退出来るでしょ?定期的に火の海にしてやれば奴らも火を恐れて退散するのではないかしら」
「まあまあ落ち着きなさい。壁際を火の海にしようというのだね」
「はい、獣は火を恐れると言います。奴らは見た目こそ人間ですが、中身は獣と変わりないので、火を恐れてくれるかなと。そのまま引き上げてくれれば、お互いに被害が少ないと思うのです」
「なるほど。無駄な殺生をしないで済むと言うのは素晴らしいな。で、どうやって油を壁の向こうに撒いて火を点けるのかな?」
「それは・・・・」
その時、スティーブ氏がポンと手を叩いた。
「放り込めばいいのでは?」
「放り込む?」
「ええ、そうですねぇ、例えば紐を付けた小さな焼き物の壺に油を詰めて、くるくる振り回して投げ入れればいいでしょう」
「なるほどね。その後火矢を撃ち込むのか、火を点けてから放り込むのかは、後で考えればいいとして・・・。とりあえず試してみる価値はあるって事だな」
「油なら、かなりの量をご用立て出来ますぞ。壺に関しましても、相当数用意が出来る、必要とあれば言ってくれればご用意しますだ」
入り口を見ると、声を掛けて来たのは白く長い顎髭を蓄え年季の入った杖を携えたた老人だった。この街ヘマトキシリンの長老だ。
「我が街には小さいながら油の湧き出る泉が有りましてな。多少なら融通が利きますわ」
「ほう、その様な泉があるのですか」
「はい、地面から染み出している場所がありましてな、大昔から神泉として大事にしております。染み出す量はそれ程でもないですが、日頃から採取して蓄えておりますでな、それなりの量は提供出来ますだ」
「それは素晴らしい。油が調達できるのなら、アウラ嬢の作戦、やってみる価値はありそうだな。何が起こるか分らんから、万が一に備えて兵を集めて防備を固めてから、まずは一か所やってみて、効果が有る様なら範囲を広げていけばいい」
閣下が乗り気になって下さって良かった。反対されたら説得が大変そうだもの。お頭とメアリーさんにも賛同を取りつけなくっちゃ。
「では閣下、準備の方宜しくお願い致します。私はお頭とメアリーさんに作戦の事を知らせて、守りの為の人を集めて貰って来ます」
作戦の準備を閣下にお任せして、私は司令部を飛び出そうとしたんだけど、入り口の所で急停止せざる負えなくなった。
二頭のドラゴンが、、、あ、いやいや二人の人間が立ち塞がっていたのだった。
「話は聞かせて貰ったぜ、面白いじゃねーか、部下を集めればいいんだな」
そう言ったのは、愉快そうににやにや笑うお頭だった。
「で、最初に仕掛ける場所はどこだい?」
続けて聞いて来たのは、地獄耳のメアリーさんだった。
さすが、壁に耳あり障子にメアリーと言われるだけの事はある。素早い反応だ。
「ここから東にちょっと行った所に、大きな岩がゴロゴロしている所があるので、そこなら奴らが壁を越えて来ても、岩を盾に出来るので対応しやすいかなと」
私は、焦りながらそう答えた。本当はまだ正式には決まって居なかったのだが、ここは勢いで言ってしまった。
「ふむ、あそこか。あそこなら、岩を盾に出来るから抵抗しやすいか。承知!部下を集めるぞ!伝令を出せーっ!!」
声を張り上げながらお頭はドシドシ大股で走って行ってしまった。
「さすがね、アウラ。いい目の付け所だわ。上手く行く様に頑張りましょう」
珍しくにこやかに手を振りながら走って行くメアリーさんに、少々驚いてしまった。あんな笑顔もできるんだなぁ。
街の広場には、各家庭から小さな素焼きの壺がどんどん持ち寄られていた。荷車に載せられた油の入った瓶も集まって来て居た。
長老から話を聞いた若者達がどんどん広場に集結してきて、壺に油を詰め始めて居た。油を詰めた壺には、街の女性陣がボロ布で栓をして振り回す為の紐を巻き付けて居る。
気が付くと、小さな子供までが作業に加わって居た。さすがに力仕事は出来ないので、各家庭を回って紐やボロ布を集め回って居た。
いつの間にか広場には櫓が組まれ、その上では袖をまくった若者が太鼓を叩いて居る。戦意高揚の為なのだろうか?
出来上がった油の入った壺は、荷車に積まれ投擲現場へと運ばれて行く。
投擲現場では、万が一に備えて、竹で柵が作られて居た。
又、投擲要員として、筋肉ムキムキな若者が壁際に集まって来ていて、肩を回しながら準備に余念がなかった。
点火用の松明の為の竈も壁から離れた所に設営され、火の準備がなされていた。
気が付くと、万が一要員として、剣を握りしめた戦士が大勢集まって来て居た。まだまだ集まって来そうだった。
そんな時、わっと声が上がった。
みんな上空を見上げ、空を指差しながら口々に何かを叫んでいる。
なんなんだ?何が起こった?と、見上げて見ると、小型の竜が東の方に飛んで行くのが見えた。
「あ あれは、、、竜さん?竜さんなの?もしかして、勝ち目が無いので帰っちゃった?」
先頭に立って戦わなくても、アナ様の護衛くらいはして貰えるものと思って居たのに、ここに来て一体どうしたのだろうか?
竜さんが飛び去って行った東の空をいつまでも見て居ると、肩に激痛と物凄い重さを感じた。
「なああにぼおおっとしてるんだぁ?もう直ぐ攻撃開始なんだから、ぼけーっとしてるなよ」
いつの間に戻って来たお頭に肩を叩かれたのだった。
「あ、お頭、、、。竜さんが、、、竜さんがお山に帰っちゃった。見捨てられたのかなぁ」
「ああっ?竜のぢぢいがぁ?へっ、他人は当てにするなって教えただろうが、そんなのに気を取られていねーで、自分に今出来る事をやれや!」
言うだけ言って、又走って行っちゃった。冷たいなぁ、お頭。
「たまにはあいつも良い事言うね。あいつの言う通りだ、今は自分のやる事に専念しなっ!」
メアリーさんは、周りに指示を出すのに忙しそうだったのに、よく私の事に迄気が付いたものだ。
私は、頬を両手でパンパンと叩き気合を入れ、状況査察を続けようとして、なにげに本部の入った石造りの三階建ての建物に視線が走った時、二階の窓の所で視線が止まってしまった。
そう、建物の二階、壁を一望出来る窓、そこにはアナスタシアと一緒に窓から外をみているシャルロッテの姿があったのだった。
「お嬢っ!戻って来れたんですねー。これで肩の荷が降りますぅ~っ!」
嬉しくて、気が付くと司令部の建物に向かって叫びながら駆け出していた。
他人の空似?とか影武者?とか、一切思わなかった。あれはお嬢だ。間違いなくお嬢だ!そう心から信じて走って居た。
火の海攻撃の為、壁に向かって大急ぎで荷物を運んで居る荷馬車をかわす様に流れに逆行して走る私は、さぞや迷惑であったろうと、後になって思うのだった。
だが、その時の私は、重すぎる大役から解放されると勝手に思い込み、開放の喜びで頭の中が一杯になった頭で、周りを思いやれる心の余裕がなかったのだ。
それだけ、その時のアウラはシャルロッテを切望していたのだろう。