81.
タフニアの街を出て街道を進むこと約半日。
それは、平和な道のりではなかった。
街道を進むにつれ、向こうからやって来る旅人の数が次第に増えて来る事に気が付いた。
向こうから来るって事は、国境方面からと言う事になるのだが、みんな馬車に詰めるだけ荷物を積んで居て、まるで夜逃げみたいだった。
夜逃げ?夜逃げってあんなに大勢が集団で逃げ出して来ないだろう?
この感じは夜逃げではなく、集団疎開なんじゃないだろうか?。
いったい何が起こって居るのか?
急ぎ足で走り去って行く領民達を呆然と見ていたが、やがて息せき切って一目散に走って来る一頭の騎馬が視界に入って来た。
どうやら走って来た騎馬は国境周辺の調査をしていた味方の偵察員の内の一人の様だった。
その偵察員からもたらされた報告内容は、我々の動揺を招くには十分過ぎるものがあった。
「報告します。蛮族が現れました」
あたし達の馬車の前で馬を降り地面に片膝をついて発した第一声は、短くも強烈な内容だった。
「なにっ!?」
一瞬その場は、静寂に包まれた。
なにを言って居るのか、直ぐには理解できなかった。
思考が動き出したのは、お頭の怒号を耳にしてからだった。
「どういう事だっ!!壁が突破されたって事なのかっ!?」
だが、偵察員の返答は更なる謎をもたらした。
「壁も守備に就いて居る国境警備隊も健在なり!ただ、突然少数の蛮族のグループがいくつも壁のこちら側に出現しました」
「・・・・・・」
「どういうこった?壁が健在で、何故奴らが現れるんだ?おかしーじゃねーかよ!!」
「詳細はまだ不明なれど、いくつかの村が襲われ、村人達は逃げ始めております」
「なんだと・・・?」
あたしは咄嗟に叫んでいた。
「みんな、手分けして逃げ出して来る村人から事情を聴いてぇ!!」
恐怖に駆られて逃げ出して来る村人達を停止させて事情を聴く作業は困難を極めた。
みんな、極度の緊張と恐怖とで、逃げる事が最優先でまともに会話が出来る状態では無かったからだ。
我先にと逃げようとする彼らを無理やり停止させても、大概が大声を上げて半狂乱に叫んで暴れるだけで埒が明かなかったが、こんな時にお頭の顔と大きな声は役に立った。
「落ち着かんかあぁぁっ!!」
まるで雷が落ちたかの様なお頭の怒声は、一瞬で彼らを現実に引き戻した。
苦労して難民達から集めた情報により、国境付近は抜き差しならない状況になりつつある事がわかった。
蛮族が現れたのは間違いのない現実だった。
問題なのは、その現れ方だった。みんなが一様に口を揃えて言うには、少数のグループが突然村の周囲に現れたのだそうだ。
まだ、確証はとれていないが、誰に聞いても同じ事を言うことから、間違えではなさそうだった。
現れた蛮族の目当ては、食料と、、、、、女性だったそうだ。
獲物を手にすると、担いで国境の壁に向かって帰って行くのだそうだ。
「女性を・・・?」
「恐らく、繁殖の為でしょうな」
呆然とするあたしに、竜さんは説明する。
「竜王様より、彼らに与えられた唯一のギフトは、生殖だと聞いております。妊娠期間は五か月ほどで、まだ脳が完全に成熟する前に産まれてくる為、知能は低く、基本行動原理は本能によるものだそうです」
「それって、種族は人族、、、になるの?」
「はい、正確には亜種と言えば良いのでしょうか?特徴は短い妊娠期間と多産です」
「多産?」
「はい、産まれて来る子供は三から六人。一人一人が小さいので可能な様ですな。稀にではありますが異種交配も可能との事です」
「本当に人族なの?亜種とは言え、有り得ないんだけど。アンジェラ、あなた達知って居たの?彼らの存在」
アンジェラとジュディは顔を見合わせて、話してもいいものか相談をしている様だった。
意を決した表情でこちらを見返して来た二人は、重い口を開いた。
「私達は情報部ですので、当然仕事柄彼らの存在は知っておりました。ですが、彼らに関する事は特一級の極秘事項となっておりましたので、口外は厳禁でありました。勿論現在も最重要極秘事項である事には変わりはありません」
「言って良かったの?」
「おいおい、聞いておいてそれはないんじゃねーか?」
お頭は、呆れた様に口を挟んで来る。
「もう、こうして直接接触してしまっているのです、戦時特例法適用って事でいいのではないでしょうか?」
肩をすくめ、ぺろっと舌を出して言うその表情は、確信犯で間違いなかった。
「もう一つ聞いても良い?何で、そんなに厳重な情報管理をしていたの?」
「返事を聞く前に質問しやがってよ、聞いても良い?じゃあねえだろうがよ」
「あ、大丈夫です。シャルロッテ様とお付き合いをしている内にそこの所は慣れて来ましたから」
ええっ、ひどーい。あたしそんなにずうずうしかった?ショックだわあ~。
「知られたら、国民が大混乱をおこすからってとこか?」
あ、なるほど・・・。
「はい、繁殖の為に女性をさらって来る様な生き物が隣に居ると知られれば、国民に与える影響が大き過ぎます。なので、国境線に壁を作り接触を絶とうとしたと聞いております」
「接触を絶つんであれば、滅ぼしてしまえば手っ取り早くて安全なのではなくて?」
「そこは、良心の呵責なのではないのでしょうか?外見は我々と変わらないのですから。もっとも、大昔に決定された事ですので、想像するしかありませんが」
「おいおい、今はそんな事どーでもいーんじゃねえか?それよりも、壁を超えて来た奴らをどうするかを考えるのが先だろう!」
「そ そうよね。話し合いは不可能であるなら、領民の命を最優先に動くべきだと思う。早急に戦力を派遣して領民を守りましょう。アナ様、国内に入って来た奴らに関しては絶滅させようと思いますが、宜しいですね?」
「はい、今は国民の皆様のお命を最優先に考えるべき時です。シャルロッテ様に全てお任せ致します、思う様に動いて下さいませ」
うーん、そうやっていちいち九十度に腰を折られると、緊張感が削がれるんですけどお。
あたしの周りには、『うさぎ』のメンバーが二千三百、密かに王都を抜け出して来た聖騎士団員が三百、何故かずっと一緒に居てくれるレッド・ショルダーの面々が三百、合計三千弱の戦力が居た。
聖騎士団遠方派遣旅団の動きが気にならなくは無いのだが、今は全力で目の前の問題を解決する事が最優先事項だろう。
あたしは、兵達を十名程のグループに分けて直ちに国境線に向かわせた。勿論、命令は蛮族を見掛けたら、壊滅すべし。この一点だった。
「ねぇ、アンジェラ。連中どうやって壁を越えて来たんだろう?一人二人じゃあないんだよ。こんなに騒ぎになる程の数が壁を越えて来て、気が付かないものなの?」
アンジェラもジュディも腕を組んだまま、難しい顔をしている。
そして、長い沈黙のすえに口を開いた。
「通常では有り得ない事ではありますが、ここは現実を認めなくてはなりません。実際に連中は越えて来ております。壁に問題が無いのだとしたら、別の要因を考えないとなりません」
「そうです、壁を越える方法はいくつか考えられます。まずは国境警備隊が敵対勢力に買収されていて、こっそり連中を招き入れて居るケース」
「そんな・・・」
「ですが、これだとその場に居る国境警備隊の身に危険が及びます。それなので、壁を破壊した直後その場を離れなければなりません。その際、敵の侵入は少数には留まらず大量に纏まって流入して来るはずですが、実際には少数のグループが散在している様なのでこれは無いでしょう」
「なるほど・・・」
「壁に穴を開ければ、必ず気が付くはずなので、穴意外、、、地下、、、ですか?」
「地下・・・?穴を掘ったと?」
「可能性ではありますが・・・、無くはないかと」
「侵入数が意外と多いので、複数個所の可能性も考慮に入れておかねばなりません」
「うん、そうだね。とにかく国境に急ごう。話はそれからだ」
あたし達は、次第に増えて来る難民に心穏やかでなかったが、急いで国境に向かわなければならなかった。
あたしは、決心をした。
その夜、あたしは竜さんにお願いして、国境まで運んで貰う事にした。
みんなに話すと、どうせ止められるからこっそりとあたしだけで行こうとしていたのだが、なんでみんな察しがいいのだろう、支度をしてテントの外に出ると、、、既にみんなが待って居た。
「えっ?えっ?なんで?」
「へっ、単純なお前の考える事位、みんなお見通しだぜ。本来ならここは止める所なのだが、今回は急いだ方がよさそうなのでな、行かせてやるよ。ただし、護衛は付けるからな」
「そうですよ、お一人で行ってはいけません。私とポーリンが付いて参ります」
すっかりと準備が出来てたアウラとポーリンが、背中に大きな荷物をしょったまま腕を組んで仁王立ちになっていた。
「俺もこの後馬で国境に向かうが、ここはガーランドの爺いが指揮してくれるから安心しろ」
お頭にかかったら、おじ様も爺いなんだぁ。
「おいっ!誰が爺いだっ!」
「ああ、そうだ、メアリーも国境に向かって居るそうだから、揉め事起こすなよ!」
そう言うと、手を振り笑いながらお頭は走って行ってしまった。
メアリーさん、、、来るんだ。戦力的には心強いんだけど、なんか、あの人は怖いから苦手だなぁ。
ちょっとどんよりしたが、落ち込んでいる時間はなかった。
あたしは、竜化した竜さんの背に乗り、アウラとポーリンはそれぞれ足に捕まって夜空に飛び立って行った。
眼下には一面に漆黒の闇が広がっていた。
その為、あたしには眼下に存在しているであろう国境線の壁が全く見えなかった。
そんな中、竜さんはどれだけ夜目が効くのだろう、迷うことなく一直線に飛行を続けていた。
しばらく星空を堪能していると、徐々に高度が下がって来たのが感覚でわかった。今回の夜間飛行は、比較的に短距離だったのであっという間に国境上空に到着したみたいだった。
さすがに空を飛ぶのって早い。いつも自由に飛べる様になったら便利でいいのになぁ。
「降ります」
その声に身構えると、一瞬の浮遊感の後、どすんと着地した。
地面に降りたものの、周囲は漆黒の闇でなにも見えない。
松明を点けないと何も見えない。だが松明を点けるとこちらの姿が丸見えになってしまうので蛮族が近くに居たら、いい目標になってしまうのだが、致し方が無い。
「松明点けるよ!奴ら、近くに居たら襲って来るから注意してよ!」
剣をすらりと抜くと松明を掲げ、周りに注意しながら火を灯した。
慎重に周りを見回すが、どうやらこの辺りにはまだ蛮族は居ないみたいだった。
ふーっと息を吐くと、緊張をほぐす様に肩をぐるっと回すと、あたし達は前進を始めた。
この辺りには人家は無く、低い草むらが広がっていた。
この位背丈の低い草なら、奴らが潜んで居る危険も無いだろう。
「行くよ!離れないでねっ」
「「はいっ」」
あたし達四人は、姿勢を低くして音も無く暗闇を走って行く。
「止まって!」
あたしは、松明の揺れる炎に照らされ突然前方に姿を現わした民家に視線を送っていた。
何かが、頭の中で警報を鳴らしていた。
さっと脇に立ったアウラが小さく話し掛けて来た。
「お嬢、あの民家がどうしました?」
「ん、ドアが開いたままだ。家の中に灯りが見えないか?おそらく囲炉裏の火だろうね」
「はい、微かに見えますね。ドアが開けっぱなしって事は、大急ぎで逃げ出したって事でしょうか?」
「うん、と言う事は?」
「家の中か付近に蛮族がおるって事なん?」
「おそらく・・・散って!」
あたし達は松明を消して草むらに散開した。
しゃがんだまま、息を潜めていると民家の入り口付近に何者かが動く気配があった。
僅かに見えて居た囲炉裏の炎が突然遮蔽されたのだ。何者かが炎を遮ったのだろう。
出て来るっ!!
その瞬間、緊張が走った。
暗闇で目を凝らして居たお陰で夜目にも慣れて来たみたいで、僅かな月明りの下でも奴らの姿が良く見えた。
どうやら、四人のグループみたいだった。
周りには他のグループは見えなかった。やるか・・・。
二人を見るとあたしを見ている。奴らに向かい手を振った。前進と。
あたし達は、姿勢を最大限に下げた姿勢のままじわじわと前進を始めた。何故か竜さんの姿は見えなかった。居るはずなのに・・・。
幸いにも、奴らのすぐ目の前、絶好の襲撃位置まで見付からずに辿り着けた。
奴らは油断していたのか、そもそも敵が居る可能性を認識していないのか、民家から出て来た奴らはなにやら食べながらふらふらしている。
緊張感は全く感じられなかった。
これは絶好のチャンスだった。
三人顔を見合わせると、アイコンタクトだけで何も言わずとも意思は通じた。
三人同時に飛び出すと勝負は一瞬で決まった。
改めて動かなくなった四人?四匹?の蛮族の亡骸を見下ろしたが、何も感じなかった。
同じ人族の命を奪ったのだから、もっと罪悪感に苛まれるかと思って居たのだけど、家を追い出された人の事を考えた際の、怒りの感情の方が勝ったのだろうか?
自分の感情を持て余していると、アウラに叱られた。
「お嬢!急ぎませんと」
アウラの声ではっと我に返り、落としていた松明を拾うと再度火を点け、より慎重に周囲を警戒しつつ前進を再開した。
「やっぱり奴ら、侵入しとったんやね?」
「そうね、でも訓練をしている様には見えなかったわ。全く無防備だった」
「そうやね、兵士には見えへんかったわ。その辺にたむろしとる不良の方がまだましやわ。こんな奴ら、脅威でもなんでもないんとちゃう?」」
「いけませんな、ポーリン殿。その思い上がりが油断に繋がり、己の命を代償に払う事になるのですよ。確かに彼らにはこれといって何の能力も御座いません」
「やろ?やったら怖くないやん」
「そうですね、知能も力もありません。ですが、彼らには‘集団'と言う能力があります。一頭のドラゴンも無数の蟻の群れには屈する事もあるのですよ」
「うっ、そらいややわ。わかった、気を付ける」
「ふふふ、ポーリン殿は良いお子で御座いますな。そういう素直な子はどんどん伸びるのですよ。ポーリン殿の将来が楽しみで御座います」
「こ 子供扱いしないでよお、そりゃあ、何百年も生きている竜族から見たらお子ちゃまかもしれないけど、うちは一人前や」
「ほっほっほっ、失礼しましたね。ポーリン殿は誰が見ても立派なレディで御座いますよ。ご心配なく」
まんざらでも無かったらしいポーリンは、へへへと頭を掻きながらそれ以後は黙って黙々と周囲の警戒に勤しんでいた。
その後しばらくは蛮族との遭遇はなかったが、精神がかなり削られてしまった。削ったのは、そこかしこに転がっていた村人の息絶えた姿だった。
これを見るにつれ、あたしの中に残っていた僅かな禁忌感が徐々に無くなっていき、今現在は全く残って居ない事を実感した。
同族に限らず、生きとし生ける物の命をむやみに奪う事は人として決して行ってはいけない行為であると教育されてきた。
自ら進んでの殺傷行為にはずっと禁忌感を持っていた。だから他人に剣を向ける事に対して消極的になっていた。
だけど、奴らの行為をこの目で見て、考えが変わった。
あたしは亡くなった彼らに誓った。奴ら蛮族は一人、いや一匹たりとも許さない。今後、発見したら躊躇なく殲滅する。
例え、魔物に落ちようともあいつらは許さない。エレノア様やアナ様に止められ様とも、非難され様とも、その道を分かつことになっても、あたしはあいつらの存在を許さない。
例え、リンクシュタット家から追放され様とも、あたしはあいつらの存在を許さない。
あたしは、密かにそう誓った。
亡くなった方々は埋葬したかったが、そうしている間に新たな犠牲者が出る事が分って居るので、涙を飲んで手を合わせつつ先へと進んだ。
その後も、蛮族の小規模な集団には何度も出くわした。
どの集団も、戦技の練度は低く、一瞬で片が付いた。
「お嬢、段々と奴らの数が増えて来てませんか?」
「構わないわよ!片っ端から切り捨てていくだけよ。あんなゴミ共はこの地上から一匹残らず消し去ってやるわ、ははははははは」
アウラとポーリンが顔を見合わせていたが、構うもんか。きっとあたしは奴らをこの世から消し去る為に産まれてきたんだわ。
なんか、気分が上がって来たわぁ。斬って斬って、斬りまくってやるわあああぁ。
あたしは、上機嫌で笑いながら明るくなって来て視界が開けて来たいくつかめの村を駆け抜けていた。
きっと、この時のあたしの心は壊れかけていたのだろうが、自分では全く気が付いていなかった。
この時のあたしは、蛮族を切り殺す事に快感を見出していた。きっと傍から見たら只の殺人鬼にでも見えて居ただろう。
笑いながら、敵に斬りかかって行く姿は、他人には魔物にでも見えた事だろう。