68.
暗い森の中に突如響いた叫び、いや絶叫と言ったらいいのだろうか?
反射的に耳を塞いでしまう程の雄叫びとも悲鳴ともとれる声
なんなの?一体何なの?
全く状況が見えなかった。
「ふっ」
隣から竜氏の噴き出す様な息遣いが聞こえた。
ぎょっとして竜氏を見ると、口元が笑っている。
「り 竜さん?」
「あ、いや失礼。これだから人族は面白い。隠れた英雄の登場ですな」
「隠れた英雄?だれ?それ」
「普段は役に立って居なくても、ここぞの所で役に立つ、なかなか面白い御仁じゃあないですか。ほっほっほっ」
誰?なんなの、それ?そんな人材・・・居た?
「カエル討伐の時、どなたに助けられましたか覚えておいでですか?」
「カエル?カエルって、、、、、、えっ!?えっ!?まさか?うそ?」
絶叫の響いて来る前方の真っ暗な森の奥を凝視するが、やはり真っ暗なので何も見えない。
それでもしばらく見て居ると、何やら白い物がぼうっと暗闇の中に浮かんで来た。
「お お化けっ!?」
やがて、その白い物は次第に輪郭をはっきりとさせてきた。
「シャツ?シャツよね?誰よっ、あんな真っ暗な森の中誰が歩いているのよ!」
その声色から、みんな腰が引けているのが良く分る。あたしだって、お化けは苦手だ。
「あれ、大先生とちゃうん?イシワータ商会の」
「あ、ホントだー、大先生じゃない」
真っ暗闇の森の奥からぴょこぴょこと変なリズムで出て来たのは、みんなが言う通り、イシワータ商会の厄介者である大先生だった。
右手に木の棒を持って、こちらに向かって歩いて来たのだった。
「大先生、あんたこんな所で何やってはるん?」
ポーリンは、何でも無かったかに様に話し掛けた。話しかけても、どうせまともに話せないだろうに。
だが、それはあたしの単なる思い込みだったみたいだった。
「あー、寝て 寝てたら あー誰かが森の中の悪い苛めっ子を こここらしめろって」
何だかいまいち要領を得ないが、悪い苛めっ子って、あの変態異能者の事?彼には奴の所在が判るの?
「大先生、あなた、その、、、苛めっ子の居場所がわかるの?」
一瞬ビクっとしたが、おどおどしながら話し始めた。
「わかる。教えてくれるから」
えっ!?教えてくれるって?何それっ。
「どういう事なの?教えてくれるって、誰が?どうやって教えてくれるの?何で教えてくれるの?どうやって奴を見付けるの?」
あたしは、思いつく限りの質問をぶつけてみたのだが・・・。
「姐さん、あかんで。大先生にそないに一杯質問したら頭が固まっちゃって答えられへんわ。聞くなら一つづつ。いっぺんに一つの事しかできひんよって」
ポーリンのダメ出しがでた。
「だって、普通これ位は答えられるでしょうに」
「ちっちっちっ、彼は普通やないから、普通って考え方は捨てなきゃダメや」
あ 頭が痛くなりそう。あたしにはとってもじゃないけど、付き合えない人種だわ。
だが、この後それ以上大先生の相手をする必要がなくなった。
そう、話題の当人が現れたからだ。
「おー痛てぇ、痛てぇ、とんでもねー奴だ。何なんだ?このおっさんは」
暗闇からそんな声が聞こえて来た。
ギョッとして森の奥を見て居ると、やがて尻をさすりながら見覚えのある男がひょこひょこ歩き出て来た。
「やっと姿を現わしたわね。今度は何を企んでいるの?」
あたしは、キッと奴を睨みつけた。
睨みつけられた奴は、何で睨まれたのかわからないと言った顔でぽかーんと見返して来た。
そして、あたし達の視線は、痛そうに両手で抑えている奴の汚い尻に集中した。
・・・・・・?
不思議そうな顔をしているあたし達の顔に気が付いた奴は、聞いても居ないのにとめどもなく愚痴を言い始めた。
「あー痛い、痛い、何であちきがこんな酷い目に遭わなけりゃいけないのよぉ。あちきの天使の様なおちりがひりひりしちゃってるわよぉ」
天使のおちり?みんなで呆れて聞いていると、大先生が両手で木の棒を握りしめて、奴の後ろに回り込もうとしていた。
大先生の姿を、と言うか大先生の持つ木の棒を見た奴は、「ひいいいいいっ!!」とお尻を抑えて飛び上がった。
大先生は、木の棒をふるふると振り回しながら不思議そうな顔をしている。
奴の視線は、大先生の持つ木の棒に釘付けになっていた。と同時にお尻を抑えた両手に力がこもったのをあたしは見逃さなかった。
「こいつ・・・一体なんなのよおおぉぉ。何であちきの後ろにいとも簡単に周り込めるのよおぉぉっ?」
見ると後ずさりしながらあからさまに焦っている。何故そんなに焦っている?
大先生が木の棒を振り回す度に奴はビビッていたが、まさか・・・。
いや、まさかじゃない。大先生は後ろから奴に近づいて、あの棒を、お おし お尻に その 突き立てたのだろう。
まさに、お尻に対しての俗に言うクリティカルヒットを決めたのだったのだろう。そりゃあ、痛いわな。同情するわ。
「も もしかして、あの木の棒は、ヒノキの棒?伝説の勇者のヒノキの棒なの?」
思わず、訳の分からない事を口走っていた。
「はははは、あれは只の木の棒ですよ。勇者なのはあの木の棒では無く、彼自身なのではないでしょうか?」
「彼が・・・勇者? ありえないんですけどぉ」
「勇者と呼ぶのに抵抗がおありでしたら、異能者・・・ならいかがでしょうか?」
「異能者・・・」
「先だってのカエル退治の時も、相手方の異能者の能力を彼だけが跳ね返しておりましたが・・・」
「それが、彼の能力・・・だと?」
「はい、そう考えるのが妥当かと」
「相手の能力を無効にする能力?だから、奴の背後にやすやすと周り込めた?」
悔しいが、これは認めるしかないのだろうか。
そんな思考が、再び上がった叫び声により中断させられた。
「ええいっ!く 来るなーっ!来るな、来るな、来るなっ!なんでこっちに来る?あっち行けえぇっ!!」
何故だろう、奴が大先生に追い詰められている。これは、奴と決着をつけるチャンスか?
「みんなっ、チャンスよ!一気に追い詰めるわよっ!」
剣を抜き、一気に奴を追い詰めようと包囲しようとみんなして駆け出した、その時だった。
奴のちゃらちゃらした表情が一瞬消え、鋭い眼光と共に奴の周囲に禍々しい気配が溢れ出した。
「ええいっ、遊ぶのもここまでよっ!もう、面倒になってきたわ。一気に滅んでしまいなさいっ!!」
奴がそう叫ぶと、突然全身の自由が奪われてしまった。カエルの時と一緒だった。目以外は一切動かせなかった。
しまった!やられたっ!やつもこの力が使えたのか、ここまでなのかっ!?
だが、驚愕の表情をしていたのは、あたし達だけではなかった。奴もまた驚愕、、、というか、恐怖の表情を纏っていた。
なぜなら、完全に動きを止めているあたし達の中にあって、唯一大先生だけが変わらずに奴に向かって歩を進めていたのだ。握りしめた木の棒を突き出しながら。
「な なぜだっ!なぜ動ける、なぜ効かない、ありえない、ありえない。来るなっ!来るなっ!!」
大先生が一歩進むと、奴は一歩下がる。一歩進むと、一歩下がる。そして、とうとう尻餅をついてしまった。
その瞬間、あたし達に掛けられていた戒めが解け、身体が自由になった。
やはり、大先生は異能者だったのか?認めたくは無かったが、認めざるおえないのか。無能者だと侮っていたが、間違いだったのか?
考えるのは後だ、まずは奴を捕えるのが先決だ。
「みんな、奴を捕えるよ、油断しないでっ!」
あたし達は態勢を整え、奴を包囲しつつ、じわじわと間合いを詰めて行った。
「来るなっ!来るなっ!それ以上近寄ったら、どうなっても知らないわよっ!」
哀れにも地べたを這いながら奴は叫んでいる、実にみじめな姿だと思った。
本当なら、ここで一気に止めを刺すのが正解だったのだろう、だが勝ったと思ったあたし達に油断があったのは否めなかった。
あたし達が一瞬見せた隙を見逃さなかった奴は、さっと袖を振った。
すると、なにも無かったはずの右手には、あろうことか一振りの剣が握られていた。
「あっ!あたしのレイピアっ!!」
思わず叫んでしまっていた。
「ちっ、ちっ、ちっ、違うわよ。あちきが貸して上げたレイピアよ」
そう言うと、さっと鞘から剣を抜き去ると一気に地面に突き立てた。
レイピアは鍔の所まで地面に刺さった。
その瞬間、あたしは背筋が凍り付く感じがした。おそらく顔から血の気が引いていた事だろう。
「な な あんた、なんて事を・・・」
「あんた達がいけないのよぉ。あちきの邪魔ばかりするからぁ、あちきを追い詰めるからぁ」
「まさか、石の巨人を呼んだの?」
あたしの声は震えていた。
「ほほほ、他に何があるのかしらねぇ。竜脈の力を目一杯蓄えて、最強になっているわよお。精々頑張る事ねぇ」
「なっ・・・」
はっとして、周りを見回すと周囲には既に砂埃が舞い始めていた。
まずいっ!
「みんな、後退してっ!!急いでっ!!」
言うと同時に、あたしもレイピアから一歩でも遠くへと走り出した。
あたしと並走するポーリンが走りながら、不思議そうに聞いて来た。
「姐さん、どうしたんやねん?」
「化け物が召喚されるのよっ、急いで離れてっ!」
「姐さんとうちの波動攻撃があったら、何が現れてもいけるんとちゃいまっか?」
「無理っ、あんなの何の役にも立たなかったわ。更にパワーアップしているみたいだから、もうお手上げよ。領民を取り戻すどころの話じゃなくなったわ。ごめんね、巻き込んじゃって」
「そんなぁ」
あたし達の後ろにぴったり息も乱さず付いて走って来て居る竜氏に、振り返らずそのまま走りながら聞いて見た。
「竜さん、何かいい手があったりしないかなぁ?」
「・・・・ありませんな。パワーアップしているのだとしたら、私の全力をもってしても、歯が立たない可能性があります」
それを聞いたポーリン達は立ち止まってしまった。
あたしもゆっくりと速度を落として立ち止まり、後方を振り返った。
そこにそそり立っていたのは、以前見た巨人が子供に見える位に大きな、それはそれは巨大な山と見紛う位の大巨人だった。
さすがのあたしも、顎が落ちる程の衝撃だった。身の丈は百、、、いや二百メートトルはあるだろうか?まだまだ成長している様で、どこまで大きくなるのか想像も出来なかった。
(1メートトル = 約1メートル)
その時、なんかあまりにも現実離れした現実を突きつけられたせいか、逆に冷静になっていくあたしを感じて居た。
「ポーリン、あなた達六人で市にいるみんなを避難させて貰える?ああ、これは命令ね、直ぐに行って頂戴」
「聞こえませーん。この状態で姐さん置いて行けまへんよ。最後までご一緒するわ。ねぇみんな?」
「「「「「そうでぇ~すっ」」」」」
なんで、こんな時ばかり息がぴったりなのよ。
「もう、好きにしなさい。竜さん、どうしよう。あんなに大きくちゃ、なす術がないわよ」
流石の竜氏もあの大きさに唖然としている様だった。
「竜王様にお伺いを立てようと思いましたが、返事がありませんでした。さて、どうしたものでしょう?あそこまで大きいと、私のドラゴンブレスが効くとも思えませんがやるだけやってみますかね」
「あれって、弱点ってないのかなぁ、心臓部みたいなところが」
「全身を組織している砂粒一つ一つが生き物みたいなものですからねぇ。心臓部は・・・無いかと」
「むううううう、一つの目的の為に集まっただけの集合体って事かぁ」
「一つの目的?」
「あたしの抹殺」
「なるほど、ほなら姐さんが抹殺されはったら奴は仕事を終えて消え去るんですかね?」
「うーん、おそらく って、あんた何考えてるのよ!恐ろしい子ねぇ」
まもなく街道に出るはずなのだが、なぜか周りの視界が良くない。
さっきまで月明りでうっすらと視界が確保出来ていたはずなのだったのだが、何故か周囲が真っ暗になって来ている気がする。
そのせいか、走る速度も次第に低下し続け、街道に出る頃には歩くのと変わらない速度だった。
街道に出て、さてどうしようかと思案していると暗闇の中から、馬車の接近して来る音が聞こえて来た。
「こんな時に、誰?」
次第に近寄って来る馬車の音に訝しんで注視していると、馬車の走る音と共にうっすらとランタンの灯りの様なものも見えて来た。さらに、こちらを呼ぶ声も聞こえてきた。
「おーいっ!!おーいっ!!」
あれ?あの声は・・・。
「おーいっ!!おーいっ!!」
近寄って来る声は、アウラだった。
「お嬢っ!馬車を調達してきましたーっ!!」
次第に見えてきたのは、幌も無い様な小さな馬車とそれを操るアウラだった。
「アウラっ、でかしたっ!」
駆け寄り、そう声を掛けると、みんなで馬車に飛び乗った。
「お嬢っ、この後どうします?」
満面の笑みのアウラに、こちらも満面の笑みで答えた。
「手の打ちようが無いから、取り敢えず逃げるわよ。あの化け物から出来るだけ離れて頂戴っ!なるべく人の居ない方にねー」
「はあぁぁい、了解しましたあぁぁっ!」
そのとたん、馬車は真っ暗な中、街道を北へとダッシュを始めた。
「アウラ、前見えるの?」
「大丈夫です、この馬に任せておけば。見て下さいよ、この馬のしているマスク。これは暗闇走行の訓練をしているベッツ商会の馬ですよ、恐らくこれは早飛脚用の馬車でしょう、安心して任せられますよ」
「そ そうなんだぁ。でもさぁ、安心はいいんだけど、そんな訓練をした馬車、、、、いったいどうしたの?」
一瞬の間の後、そーっと振り返ったアウラの表情は・・・・悪だった。
「聞くんですかぁ?」
「あ、いや、いい。聞かなかった事にして頂戴。今はここから離れるのが第一だから、ある程度の事は目をつぶるわ。それより、お頭たちは?」
「馬車を調達して、後を付いて来ているはずですよ」
調達・・・深く考えない事にしよう。頭が痛くなりそうだから。