49.
◆◆◆◆◆ まだまだムスケル side ◆◆◆◆◆
その夜の事だった。俺達非番の者は、大きな木の根元で焚火を囲んで干し肉をあてに酒を吞んでいた。
夜警当番に当たると呑めねえから、非番の時にまとめて吞むのだ。
だいぶ、降って来る火山灰は減って来たのだが、まだ若干降って来ているので、頭上にはタープが張ってある。
しかし、それでも細かい灰が風に乗って横から入って来るので、酒がジャリジャリして不愉快極まりない、
そんな事を思いながら酒を呑んでいると、なにやら騒がしくなってきた。
「ん?なんだぁ?なんか、騒がしいなぁ。何騒いでるんだ?」
一緒に焚火を囲んで吞んでいた『うさぎ』の仲間もきょろきょろ周りを見回している。
「森の奥の方ですかねぇ?ちょっと見て来ましょう」
ムスケルの向かいで呑んでいた細身の男が立ち上がって森の方に向かって駆け出して行った。
「オットー、気を付けろよ!」
そう言うと、ムスケルは手に持っていた酒を一気にあおった。
「ちっ、酒ものんびり呑めねえなんて、世も末だぜ」
そう独りごちると、ムスケルは酒のビンを右手に握りしめて立ち上がり森の奥に向かって歩き出した。
相当呑んでいたはずなのだが、その足取りはしっかりしていた。かなりの酒豪だ。
そうこうしている間にも、森の奥の騒ぎは沈静化するどころか、激しさを増していた。何やら叫び声やら怒号の様な声が聞こえて来る。敵か?
やがて、先程駆けて行ったオットーが森の奥から駆け出して いや、逃げ出して来た。
「お頭ぁーっ!!てーへんだあぁっ!!カールの奴が狂ったぁっ!!」
なんだと?何訳の分からない事言ってやがる。あの大人しいカールが狂うわけがねえじゃねえか。
逃げ出して来たオットーを捕まえて問い質した。
「おいっ!どうなってる。なぜカールが狂うんだ?意味がわからんぞっ!説明しろっ!」
説明せよと言われても動揺しているのか、要領を得ないオットーだった。
「血が! 血が! カ カールが暴れて・・・狂って、狂っちゃって・・・」
狂った?暴れてる?カールが?どういう事だ?
「お頭ぁ~っ、駄目だぁ~っ、手に負えないっす」
右腕から血を流しながら、『うさぎ』の仲間が森の奥から駆け出して来た。
「カイル、どうしたっ?何が起こっている?」
駆け寄って来たカイルと呼ばれた男は、俺の元に倒れ込むと、息を切らしながら状況を説明しだした。
「歩哨に立って居たんすが、、、森の奥からゲッコーが現れたんでさぁ、、、」
「ゲッコー?あのトカゲ野郎がこんな場所にか?」
「はい、普通は人の居る所には来ないはずなんすが、、、今夜に限ってやって来たっす。それも複数」
「複数か、、、それで何でこんな騒動になっているんだ?退治して干し肉にしてやればいいじゃねえか」
「カールが掃討しに行ったんすが、突如狂った様に暴れ出したんでさぁ」
何が起こっているんだ?一体何なんだ?
「もしかして、そのゲッコーは背中が黄色くありませんでしたか?」
竜の爺さんが現れてそう質問して来た。
「はい、背中が黄色くて眉間に白い縦帯が、、、ありました」
竜の爺さんはうんうんと納得している様だった。
「爺さん、知っているのか?」
爺さんを見ると渋い顔をしていた。
「そのゲッコーは恐らく、いえ間違いなくカーズ・ゲッコーでしょう。夜行性のトカゲでして、通常は人里には近寄って来ないはずですが」
「そうなんだ。で、どうしてこんな騒ぎに?」
「あのトカゲはウロコが異常に硬く、奴に噛まれるとバーサク状態になるのですよ」
「夜な夜な忍び寄って来るゲッコーか、まるで忍者みたいだな」
ぼそっと呟いた。
「忍者って?」
聞きつけたアウラが聞いて来た。
「遥か東方の国の職業だ。そういう暗殺を司る部隊があるって言う話だ」
「へぇ~、忍者部隊みたいなゲッコーか」
しかし、どうしたもんか・・・
「ムスケル殿、早急に手を打たねば被害が拡大しますぞ」
いつもはぼーっとしている爺さんが、今回ばかりは積極的に動こうとしていた。
「わ わかってる!」
「わかっているとは思いますが、あのトカゲの牙と唾液には猛毒が御座います。噛まれたり唾液に触れますとバーサーカー状態になりますので、お気をつけてくださいませ」
「お おう。それで、噛まれておかしくなった奴はどうなる?」
「手足を拘束して、毒が抜けるのを待つしかありませんな。それでも、回復するかどうかは保証はできませんが」
「そうか・・・取り敢えず被害を最小限に抑えないとな」
俺はこれ以上被害を出さない為に兵を下げさせた。
そして、俺は慎重にカールが一人で暴れている森の中に入って行った。
居たっ、カールが狂ったみたいに剣を振り回している。あまりに力任せに剣を降り回している為、時々足元がふらついていた。
「おーい、カール!こっちだっ!!」
奴の注意を引く為に声を掛けた。
俺の声に気が付いたカールは、振り向くと同時に剣を構えて突っかかって来た。
よしっ、いいぞぉ。俺は心の中でほくそ笑んだ。
毒のせいか、普段のカールの剣筋ではなかった。ただ、力任せに剣を振り回しているだけなので、剣筋を見切るのはたやすいのだが・・・。
「うおっ、なんとっ」
パワーとスピードだけは侮れなかった。それと、躊躇と迷いというものが全く無かった。
思いっきりが良いと言うか、思いっきりの塊の様になって突っ込んで来るので、危ない事この上ない。
ま、脳がまともに機能していないのだろう、駆け引きが全く出来ずにただ突っ込んで来るだけなので、俺になら対処は簡単だ。
普段ならこんな事はしないのだが、剣を弾き飛ばしてから、足を引っかけて転ばして、その背中に飛び乗り縄で手足を拘束して無事捕獲終了となった。
もちろん、舌を噛まない様にさるぐつわを噛ませるのは忘れない。
毒のどんな効能かはわからんが、力を極限まで引き出されているらしく、まるで熊みたいな怪力になっていたので縄はいとも簡単に切られてしまった。再び取り押さえワイバーンの皮で作った紐で縛り直し、五人がかりで運び出した。貴重な紐だったが仕方がない。
たいした運動でも無かったので、俺は引き続きトカゲ野郎の討伐に移る事にした。
よっコラショと立ち上がった際、少し足元がふらついたが気にしない。
「さーて、トカゲ野郎はどこだ?」
と、森の奥の方を睨んだ。
野郎は全高が低いから、視認しずらい。仲間が松明を手に手に集まって来てくれているので、周りは昼間の様に明るいのだが、それでも良くわからん。
すると、左手の方からふいに声を掛けられた。
「お頭っ、目の前だっ!!」
前方に視線を戻すと同時に倒木の影がごそごそ動いた。
影だと思っていたのは、全長ニメートル程のトカゲだった。
よほど怖いもの知らずなのか、ガードに自信があるのか、なんの工夫も無く真っ直ぐに向かって来た。その距離三メートル。
「なまいきなっ!!」
俺はダッシュと同時に自慢の大剣を上から叩き下ろした。
寸分たがわぬ正確さでトカゲの頭部に命中し、奴は後方に吹き飛び木の幹に叩きつけられた。
なんてもろい奴だ。剣が命中する刹那、奴が何かを吐いたみたいだが、俺は反射的に避けていた。
ふん、もう少し手ごたえがあるかと思ったが、拍子抜けだぜ。
次の獲物を求めて前進しようとした時、竜の爺さんに止められた。
「奴の吐いた唾液には触れない様にお願いします。触れると皮膚から吸収されて噛まれたのと同じ状態になる様でございます」
「お、おめー、何落ち着いて爆弾発言してるんだ!!そういう事は早く言えよっ!あぶねーじゃねえかよ」
だが、竜氏は動じなかった。
「今、鑑別を行った結果判明いたしましたもので」
「かーっ、分った分かった、じゃあどうすればいいんだよ」
「どうやら、高温で無力化出来そうなので、火で燃やしてしまえばよろしいかと」
「だそうだ、誰か、奴がつば吐いたこの辺りを焼いておいてくれ、俺は次の獲物を探す」
一歩前に進んだところで、俺は凝固した。
さっき、木の幹に叩きつけられた奴が、、、いない。近くに転がっているのか?
嫌な予感がして、背筋がぞわぞわする。まさか、まだ生きていたりするのか?俺の大剣の直撃を喰らったんだぞ?有り得ない。
「有り得ない事があるなんてあり得ないと、大昔の賢者様が仰っておられましたな」
しらっとそんな事を言ってのける竜の爺さんだった。
前方に視線を戻し、注意深く観察していると、背の低い草むらがこちらに向かってかさかさと動いて来ている。
さっきの奴なのか?それとも別の奴なのか?
剣を構え、奴が顔を出すのを待った。ほんの十数秒なのだが、何時間にも感じられた。
ひょこっと顔を出した奴の頭を見て、俺は旋律を覚えた。
奴の頭には、、、はっきりと先程の俺の剣が当たった跡があった。
顔を出したゲッコーはペロッと舌を出しながら、ぐげげげっと鳴いている。 こ こいつ、ダメージ受けてないのか?
なんて石頭だよ、こいつ。
さて、どうするか?固いのは頭だけなのか?全身が固いと厄介だぞ。俺は焦りを感じた。
じりじりと奴の側面に回り込むと、奴はゆっくりとこちらに向き直って来るので、顔を突き合わせたままだ。
なんとか側面に回り込みたかったので、俺はダッシュしてみた。
どうやらこちらの方が速度が速かったみたいで、容易に側面に回り込む事が出来たので、その柔らかそうな脇腹に切り込んだ。
が ガキーンという派手な音と共に俺の大剣がはじかれた。
なんだと?どういう事だ?こいつの身体は何で出来てるんだ?
痺れている両手とトカゲ野郎とを交互に見て溜息が出た。
さて、どうしたもんかな。
切りつけられた脇腹を後ろ足でガシガシとのんびり掻いているいる姿を見るとダメージは無い様だ。さてどうしたもんかと思案したのだが、悔しい事に打つ手は思いつかなかった。
だが、茫然としても居られなかった。茂みからは続々とトカゲ達が頭を出して来たからだ。
「下がれ~っ!下がれ~っ!!絶対手を出すなよ~っ!」
取り敢えず、今思いついた最善の策は逃げる事だけだった。
「爺さん、やっつける手立てはなんかねえのかっ?」
さすがの俺もてんぱってきた。
「ねえねえ、ここで焚火したら逃げて行かないかなぁ?」
間延びした声でアウラが提案してきた。
「ダメだ、見て見ろ、火を見ても全然ひるんでいないぞ。それよりも下がるんだ」
もう駄目だめだな、ここから退避するしかないか。
いや、駄目だ。今俺達が引いたら他の旅人が被害に遇ってしまう。ここで何とか抑えないと、、、。
「おいっ、モリー!ここは俺に任せろ。お前はみんなを連れて撤退する準備だっ!」
モリーとは、メアリーの愛称だ。
「なに、バカ言ってんの!あんただけでなんとかなる訳ないだろう。死ぬつもり!?」
「へっ、俺が死ぬかよ。俺は死ぬまでは不死身だぜ!さっさと行きなっ」
「お頭っ、あっしらも残りますぜ。有終の美を飾りましょうやっ!」
『うさぎ』のメンバーが集まり剣を振りかざしながら盛り上がっていた。
全く勝算はなかったのだが、もう後戻りは出来なかった。やるしかない。
だが、俺達が盛り上がっていると、トカゲ達の様子がおかしかった。
顔を高く持ち上げて周りをきょろきょろと見回しては、かん高い声でぎゃーぎゃーと鳴いている。
なんだぁ?何が起こってるんだ?
他のメンバーも異変に気が付き、そわそわと周りを見回している。
そして、人垣がさーっと別れると、そこにはレイピアを手にしたお嬢が現れ、トカゲに向かって歩き出して来た。
「ばっっ、ばかっ!戻れっ、お前には無理だっ!」
俺のこの大剣を跳ね返したんだぞ、お前のその今にも折れそうな細っこい剣じゃ真っ二つにされる。
「馬鹿な事考えていないで戻るんだっ!!」
ちっと舌打ちと同時に俺は駆け出した。なんで、次から次へと面倒ばっかり起こすんだよ、この娘わっ!!
もう、こうなったら作戦も糞も無い、ただ突っ込むのみ!
そう思った時だった。
お嬢がその細い、頼りなく細い剣を顔の前に立てたと思うと、切っ先がまばゆく光り出した。そして、その光が剣全体に広がったその瞬間、お嬢は跳んだ。トカゲに向かって。
普段からは考えられない速度でトカゲに向かって駆け出したお嬢は、その懐に潜り込み剣を一閃。
次の瞬間、俺の口は限界まで開かれていた。
俺の視線の先には、信じられない物が舞っていた。トカゲの頭部だった。
「なっ・・・」
お嬢に視線を移すと、もう次のトカゲの正面に達して居た。
ひるんだトカゲに向かって剣を一振り下から上に振り上げると、次の瞬間にはトカゲの頭が宙に舞っていた。
周りに居た仲間のトカゲはお嬢に向かって一斉に唾を吐き出していた。
「まずいっ!!」
しかし、俺が一歩も動けない間に、お嬢を覆う様に四方から吐きかけられた毒の唾は空中で、、、蒸発?
蒸発したのか?剣の光が輝きを強めたと思ったら、次の瞬間霧散していた。
何が起こっているのか理解が追い付かない間に、更に三つの頭が宙に舞い、残りのトカゲ野郎達は草むらの中に消えて行った。
お嬢が剣を頭上に掲げると、付近の草むらから蒸気が立ち上がった。
まさか・・・毒が中和・・・された・・・のか?
お嬢の剣の輝きが徐々に収まって来て、やがてその輝きを失った時、周囲から歓声が沸き起こった。
死ななくてすんだ喜びか、近くに居る者同士抱き合って飛び跳ねている。その顔からは満面の笑みがこぼれていた。
た 助かった のか。
面倒掛けたのは、、、、、俺の方、、、、、だったのか?
あの細っこい剣のどこに、俺の大剣以上の力があるっていうんだ?
あれも、異能の力なのか?それとも、あれは魔剣だったのか?
「爺さん・・・」
「恐らく、両方なのでしょう。シャルロッテ殿は異能者であって、あの剣の秘めた力を開放しつつある そう考えるのが妥当なのではないでしょうか?」
爺さん、、、ひとの顔色で考えている事を察知するのはやめてくれないか?
「これは、、、その様な事は致しておりませんが」
してるじゃねえか。充分しているから。
「そんな事より」
そんな事かいっ!
「シャルロッテ殿とあのレイピアの相性は素晴らしいものがありますな」
おいっ、人の話し聞けやっ!!
「これにアナスタシア様の剣が加われば、あの異能者軍団と渡り合えるかも知れませんな」
よせやい、俺は一般市民なんだぞ、あんなデタラメ軍団なんかと渡り合いたくなんかないぞ!
不幸だ。俺はなんて不幸なんだ。ただ、静かに真っ当に賊をして暮らしたかっただけなのに・・・。
気が付くとお嬢は居なくなって居た。おそらく寝に行ったのだろう。
俺は茫然自失して、暫く立ち尽くす事となった。
その夜は、警戒を厳重にしてビクビクしながら寝る事になった。
しかし、こんな状況では安眠する事など出来なかった。些細な物音にも目が醒め身構える一夜を送る事になった。
幸いな事に、その夜はそれ以上トカゲが出て来る事はなかったのだが、こんな状況では満足した睡眠は願うべくもなかった。
翌朝は、みんな寝不足でふらふらになりながら出発する事になった。
夜が明けてもまだうす暗い街道を、疲れ切って進んで居るとテンションダダ下がりだった。
だいぶ降って来る火山灰の量は減って来て居るのだが、まだ空はくすんでいる。
そんな灰色の空を見上げながら、俺はため息を吐いた。
「先の事を思うと気が思いなぁ」
「お頭、どうしたの?」
「ああ、なんだかな、段々俺達もあの化け物共と同じ土俵に登ってしまったのかと思うとなぁ」
「化け物って、紫の連中の事?」
きょとんとした様にアウラが訊ねて来た。
「ああ、俺もな、腕には自信があって誰にも負ける気はしてなかったんだ、今まではな」
「うんうん」
「だがな、あの異能者の中に入ると、俺も只の凡人になっちまった気がしてなぁ」
「確かにねー、お頭が凡人って有り得ないわよねぇ」
「あのお嬢に負ける日が来るとはなぁ、あいつもいつの間にか化け物の仲間入りしちまったしなぁ」
俺は自分の右手をしみじみと見つめた。
「俺の全力の一撃ですらあのトカゲに傷ひとつ付けられなかったのに、あいつはあのか細いレイピアでいとも簡単にトカゲの首を首を刎ねていたのは衝撃だったぜ」
「うんうん、ビックリよねぇ」
「あいつも、ビックリ出鱈目人間の仲間入りしちまうとはなぁ、あいつの親父さんに顔向けできねえぜ」
「でもさぁ、向こうにビックリ出鱈目人間が大勢居るんなら、こっちにも居ないと太刀打ち出来ないんじゃないですかぁ?しかたがないですよー」
この動じない所は、こいつの良い所なんだろうなぁ、悩みが無くて羨ましいぜ。
その後、しばらくは平和な道中だった。
◆◆◆◆◆ シャルロッテ side ◆◆◆◆◆
時間は昨夜まで遡る。
あたしは自分の天幕の中でうとうとしていたのだが、何やら外が騒がしくなって来たので、天幕から顔を出して周りを見回す。
どうやら、森の奥の方が騒がしい。
事情がわからないので、しばらく様子見をしていた。
兵達が右に左に走り回って居る。時々、トカゲ と言う単語が聞こえるが、意味がわからない。
でも、何か大変な事が起こっているのは間違いないだろう。あたしは装備を身に着け来るべき時に備えようと思った。
さっきから皮膚がぴりぴりする感覚も強くなってきている。
そんな中、細身の男性が森の奥に向かって走って行った。
森の奥?奥で何があったんだ?そう訝しんでいると直ぐにその男が戻って来た。だが、驚愕した表情で四つん這いになって戻って来た男、その男こそ『うさぎ』のメンバーであるオットーだったのだが、彼はわき目もふらず今来た道を一目散に戻って行った。
これはただ事では無いと思い、あたしは一旦天幕の中に戻り、装備一式を身に着け、あいつから貰ったレイピアを右手に掴んで天幕の外に飛び出した。
あっちだな。あたしは、騒動の起こっていると思われる森の奥に向かって小走りに走り出そうとしたのだが、目の前をお頭とアウラが森の奥に向かって全力で走って行くのが目に留まった。その後ろから走って居るお頭達と同じ速度で歩いている竜氏にも気が付いたが、今更驚かなくなっている自分に驚いた。
お頭達が行ったのなら急がなくてもいいか。邪魔にならない様に離れた所から傍観する事にして、あたしはゆっくりと普通に歩いて行った。
あたしが騒ぎの起こっている場所に到着すると、お頭が何かと闘っていたが、みんなはその場から少し離れた所で傍観していた。
すると、お頭が「下がれ~っ!下がれ~っ!!絶対手を出すなよ~っ!」と叫んだ。
お頭の見ている方向を良く見ると、草むらの中から額に白い縦線のあるニメートルもあるトカゲが出て来た。その背中は黄色かった。
やがて、お頭がダシュをかけ切り込んで行ったが、がきいいんんっ!と言う金属のぶつかり合う音と共にお頭の剣が弾き飛ばされていた。
お頭は、ビックリした顔をしていたが、あたしもビックリした。あの剣を弾き返すってなに?本当に生き物なの?たかがトカゲじゃないの?
再び攻撃を仕掛けては弾き返されたお頭を見ていたら、なんか頭の中に霧がかかってきたみたいで、何にも考えられなくなってきた。ただ、視線だけはトカゲから離す事が出来ないでいた。
そして、背中がぞわぞわして来たと思ったら、足が自然に前へと進んで居た。ふと視界の端に映ったあたしの剣がぼんやりと光り始めているのに気が付いた時、あたしは記憶を手放してしまったらしく、その後の記憶は全く無かった。
その後、あたしが気が付いたのは夜が明けてからの事で、あたしは自分の天幕の中で寝ていたらしい。自分で戻ったのか、連れて来て貰ったのか気になる所ではあるが、今は考える時ではないだろう。
どうやら、昨夜あたしはあの闘いの場に乱入して、レイピア無双をしたらしい。お頭ですら難儀していたあのトカゲの頭を片っ端から切り落としていたらしい。
今朝起きたら、皆から代わる代わる祝福されたが、まったく記憶がないのでなんか変な気分だった。
第一、この細身のレイピアでお頭の大剣の一撃すらも跳ね返したトカゲの首を切り落とすなど、どう考えても有り得ない。
狐につままれたと言うのは、まさに今のあたしだろう。
そして一行は何もなかったかの様に進軍を始めたのだった。
うーん、今回の旅では常識を放棄した方がいいのだろうか?あたしの思っている常識と今周りを取り巻いている常識は百六十度違う様な気がして来たからだ。
すると、アウラには
「大丈夫ですよぉ、三百六十度違っているだけですからぁ」
と、言われた。三百六十度じゃあ変わってないじゃないかああぁと言い返したのだが、アウラは笑うだけだった。
その後、果てしない元麦畑地帯を抜けると次第に高度が上がって来た。丘陵地帯に入った様だった。
麦畑は次第に姿を消して、ゆるい斜面が続きだした。視界が極端に狭くなってきたので周囲の警戒はランクを上げる事になった。
点々としていた小さな森は、延々と続くもっと大きな森へと変わって居た。
平だった地面も、それほど厳しくはないが、起伏に富んだ地形へと変貌していった、もうじきサリチアに到着するのだろう。
ここからは、魔物だけではなくサリチア兵にも注意しなくてはならない。
その後のハトからの情報によると、兄様の国軍は大きな被害を出して、現在はベルクヴェルクの要塞まで軍を引き、籠城しているらしい。
数を増したサリチア軍は勢いに任せて前進して要塞を包囲しているとの事だった。急がねばならない。が、我々の様な小数兵力に何が出来るんだろう。
出発した時は、何も考えずとにかく前進してきたのだが、冷静になってみると不安材料しかない。
敵の後ろや側面から襲撃しても、こんな少数兵力では痛くもかゆくもくすぐったくもない事は明白である。
ちょっかいを出した時点で包囲殲滅の憂き目を見るのは確実だろう。やるとしたらこれしかない。
そんな事を考えて居ると、まわりは薄暗くなってきており、先頭は今夜の野営地を見つけたのか、街道から逸れて森の中に入っていった。
今夜の軍議で提案してみよう。反対されたらその時だ。又考えればいい。
あたしは馬を降り、今夜の野営に備えて自分用の天幕を張った。
そして夕食後の軍議の席上であたしは考えていた事を提案した。
「提案があるんだけど、いいかな?」
「なにかしら?聞くわよ」
何故かお頭では無く、メアリーさんが応えた。お頭は、珍しく隅っこの方で大人しく下を向いている、
天変地異の先触れじゃあないのかしら。
「あのお、このまま侵攻して敵と接触しても、戦力差が大きすぎて自滅するだけだと思うのよ」
みんな、自分の意見は言わず、ただ黙ってあたしの発言を聞いて居る。
「そこでね、要塞を包囲している敵の本隊は無視して、サリチアを落としたらどうかなって・・・駄目?」
その場はしーんと静まり返って誰も何も言わない。
えっ?えっ?どうしたの?何で誰も何も言ってくれないの?まずかった?
あたしは、物凄く居心地が悪くなってしまった。
すると・・・
「だってさぁ、ムスケル。聞いたかい?あんたらいいコンビじゃない」
そういうとメアリーさんは笑い出した。他のみんなもにこにこしている。
意味がわからない。一体どういう状況なのかしら。
あっけにとられて呆然としていると、お頭が頭をぼりぼり掻きながら話し出した。
だからぁ、頭をぼりぼりするのはやめてって!
「実はなぁ、俺達も話し合っていたんだよ。このまま突っ込んだって数で潰されるのはわかっていたからな。どうすれば奴らに一泡食わせられるかってな」
「そうなの?」
「ああ、それでな、俺達もお前と同じ考えに辿り着いたって事だ」
「ええっ、そうなの?」
「ああ、そうだ。あそこは因縁の場所だからな、いずれリベンジはしたかったから、いい機会だ。下調べも済んでいるから忍び込むのは楽勝だぜ」
「ああ、もしかして、父様に捕まった時の事?」
お頭が、露骨に嫌な顔をした。
「その事は忘れてくれ!生涯で最大の屈辱だっ!!」
お頭の顔が真っ赤になっている、本当に触れられるのが嫌なんだね。ぜひイジラネバ。
「それで?今度は逃げ帰らないで済みそうなのかしら?」
あたしは意地悪っぽく聞いた。
更にお頭の顔が真っ赤になり、肩がぷるぷると震えている。
その場に居た他のみんなは下を向いて震えて居た。恐らく笑いを堪えているのだろう。
「はいはいはい、今はじゃれ合って居る時じゃないでしょ?サリチア突入の詳細を決めなきゃでしょ?」
ぱんぱんと手を叩きながらメアリーさんがそう言った。
「それで?突入の道筋は確保出来ているの?」
拗ねていたお頭は、ぼそぼそと話し出した。
「昔に使った抜け道があるはずだ。今状況を確認させている」
「そう、報告待ちね」
「ああ、明日の朝には戻って来ると思う。動くのはそれからだ」
「そうね、でも突入するには少々兵力が少ないわね」
「少々?いやいや、かなり足りないだろう」
そう言ったのはレッド・ショルダーのブライアン・ロジャース大佐だった。
レッド・ショルダーとは、お隣帝国の最精鋭であるオレンジの悪魔から我が公国に派遣されてきた一部隊の通称だった。
「少し待って貰えないだろうか?本国に連絡して増援を頼みたいと思うのですが」
「そうねぇ、突入メンバーは少数精鋭が基本なんだけど、オレンジの悪魔なら戦力になるわね」
「はい、必ずやお役に立てる事をお約束します」
この言葉でみんなの顔にも明るさが戻って来た様に思えた。ただ、ひとつだけ心配事がひとつあったのであたしは聞いてみた。
「ロジャース大佐、増援を頼んだとして、こちらに着くのにはそれなりに日数がかかりますよね。それでは間に合わないかと思うのですが」
それを聞いた大佐は考え込んでしまった。
「うーん、確かにある程度の日数はかかりますな。では、この人数で成すしかありませんな」
「その点で、いい案があるのだけど」
あたしは、奥の手を出す時だと思い、提案をした。
「あたしの案なら、大量の増援を短時間で呼び寄せる事が出来るわ」
胸を張ってそう宣言した。
「大量?大勢でなく大量?」
みんな、怪訝な顔をしている。
そう、大量の増援なのだ。