41.
帽子の影から現れたその顔は、、、忘れもしない、あいつだった。
「お お前は・・・・お前だな」
「なんですかあぁ、それわっ、忘れちゃったんですかあ?ひどいなぁ」
この男は、心底意外そうな甘ったれた様な声をだしてきた。
いや、覚えているよ、その嫌らしい顔、嫌らしい話し方は。ちゃんとどこかで会った記憶はある。だが、頭のどこかで無意識の内に思い出してはいけないと囁いている感じがあるのも事実だった。
「いや、覚えているよ。ねぇ、お頭」
急に振られたお頭は、咄嗟にそっぽを向いた。
アウラを見ると、アウラもそっぽを向いた。
「俺の心の中の何かが思い出すんじゃねえって囁いているんだよ。だからしらん」
と、お頭はそっぽを向いたままぼそぼそっと呟いた。
みんな、関わり合いになりたくないんじゃない。あたしも、心が拒否している様だった。
そんな中、一人だけ通常運転の人(?)が居た。竜氏だった。
「あなた、腕はどうなされたのですか?」
腕?腕・・・なんか以前に何かあった気がするけどなんだろう?
「腕かあ?貴様にむしり取られた腕は、、、ほらっ、この通り腕は両方共しっかりありますよ、しっかりとねえ」
嫌ぁな笑いを浮かべたあの顔、絶対に見た覚えがあるんだが、どこでみたんだろう?貴様って言うあの言い方は敵なのか?
駄目だ、思い出せない。どうしてなんだろう、なんか、こう思い出そうとすると頭の中に霧が立ち込める様な感じがして映像が出て来ない。
「あんただけ、僕の術が通じないのですかぁ、面倒くさいですねぇ。あんた人ですか?それとも魔物の一種なのですか?僕が人間に後れを取るなど有り得ない事なんですよ、あんた魔物でしょ?」
術?何を言って居るのだ?
「あなたこそ、千切れた腕が元通りになるなど人族とは思えませんが?それに、なにやら臭い臭いがいたします。そう、魔物の臭いが」
なに?なんなの?あたし、こいつを知って居るの?それに術って?
振り向くとみんなも不思議そうな顔をしている。違和感を覚えているのはあたしだけではないみたいだ。
魔物と言われて、この男の頬がピクリとした。
「ふっ、まあいいでしょう。目的は果たしましたし、焦る必要はないので、今日はこれで失礼いたしましょう」
「なにっ!!どういう事だ。貴様は何を言って居るんだ!」
怒り心頭に発していたお頭は剣を握りしめながら今にも飛び掛かりそうだった。
「おたくの聖女様は危害を加える気持ちを押さえてさえおけば影響が無いってわかった事は大きな収穫だったかなぁ」
まるで勝ち誇ったかの様な物言いとその態度に、あたし達は腹が煮えくりかえっていた。
だが、それに反して奴を包囲したあたし達はその不気味さから、手を出す事が出来ずに遠巻きに見ているしかなかった。
じりじりと包囲を狭めるあたし達を見回しても奴は慌てる事もなかった。
「ああ、じりじりと寄って来ても無駄ですよ。あなた方ではどうする事もできないんですからねぇ」
「なにっ!!」
包囲しているみんなはいきり立った。
「もっとも、そこの魔族だけは要注意ですけどねぇ。まあ、二度と油断するつもりはありませんけどねぇ」
竜氏の事を魔族と呼んだこの男、どうしても思い出せない。
「そうそう、そこの僕の後ろに隠れて近づいている人、あなたも無駄な事は辞めましょうね、大怪我しますよ」
えっ?後ろ?
奴の後ろに目をやると、草むらの中からゆらっと立ち上がったメアリーさんが居た。
あらあ、居ないと思ったらあんなところに。でも、何でばれちゃったんだろう。あいつ、どんな感覚してるんだろうか。
「さあて、それではこの辺で・・・」
そう言うと、奴の姿は次第に霞んでいく。
慌てて取り囲んでいた数人の警備の兵が剣を構えて突っ込んで行ったが、既に奴の姿は半分透き通っていて、突っ込んだ兵は奴の残像を突き抜けてしまった。
「ー----消えた?」
みんなが見ている前でまさに煙の様に消えてしまった。
奴の残像を突き抜けた兵達は突き抜けた瞬間、たたらを踏んだ様に急停止して周りをきょろきょろと見回している。
そりゃあ信じられない事だろう。
「逃げ足だけは大したもんだ。だが、誰なんだ?あいつ」
お頭も奴についての記憶は無い様だった。
そんな中、竜氏は難しい顔をして奴が消えた空間を見据えていた。
「竜さんは奴に覚えがあります?」
急に声を掛けられた竜氏は、黙ってこちらを見たが、その顔は無表情だった。無表情のまま暫くこちらを見た後、ゆっくりと話し出した。
「そうですか、みなさんは記憶操作をされたのですね」
「記憶操作?」
「はい、あの男、かなりの異能者の様ですね。あの男は自分の事を周りの者の記憶に残らない様にさせる能力を持っている様です」
「記憶に残らない?だから、会っているのに会った記憶が無いの?」
「はい、その様です。でも、人族にその様な能力が有るとは考えられませんね。おまけに、あの消えた技は有り得ません」
みんなもうんうんと頷いている。
「もっと言うと、前回奴の右腕をむしり取ったんですが、それが元通りになっていました」
「ああーっ、それ覚えてるっ! って、あれ?なんで覚えているんだろう?あれ?なんか段々思い出して来た?なんで?」
アウラは大きな声を出して驚いていた。
「おそらくですが、彼が近くに居る間は記憶が操作されてしまい、思い出せなくなり、居なくなると記憶が戻って来るのではないのでしょうか?」
「そんな事が人間に出来るもんなの?」
あたしが訝しんで居ると、メアリーさんが口を開いた。
「さっき言ってましたよね?魔族の臭いがするって。もし、魔族と関係があるのなら、有り得るのですか?」
自分の足元をじっと見つめてからおもむろに顔を上げ、竜氏は静かに語り出した。
「これは、あくまでも推測に基づく可能性の話しになりますが、魔族がどの程度関与しているかにもよると思うのですが、完全に否定は出来ないかと思われます。なぜなら魔族というものの実態は、竜王様ですら完全にその能力を把握出来ていないものですので、肯定も出来ない代わりに否定も出来ないのです」
「随分いい加減な話なんだな。まあ、実際にこの目で見ちまったからなぁ、信じるしかねえか」
お頭がみんなの気持ちを代弁してくれた。
「それでよお、奴の狙いはなんなんだ?」
「まあ、恐らく聖女様の暗殺を実行するにあたって、その能力を確認しに来たのではないかと」
「そうね。アナ様を手強い相手と認定して、慎重になったって事なら納得出来るわね」
メアリーさんは腕を組んでうんうんと何度も頷きながらそう言った。
「それに、強力な竜のお爺ちゃんが付いて居るから、余計に慎重なんだね」
アウラは相変わらず、天然なのかわざとなのか、陽気にはしゃいでいた。
攻撃の先手番は向こうにあって、こちらは常に受け身なので悩んでいてもしょうがないと、先に進む事にした。
これだけの騒ぎにもアナ様は出て来られなかったという事は、体調が思わしくないのだろうから、一日も早くゆっくりとして欲しかったと言う思いもあったので、誰も異議を唱える者は居なかった。
一行はそれまでとは打って変わって行軍速度を上げて旅を急いだ。徒のものが居らず、全員が騎馬か馬車だったので可能なのだった。
「ねえ、お頭。あいつ、なんでアナ様を狙うんだろう?誰かに頼まれているのかな?腕を失っているのに、まだ付け狙って来るなんて普通じゃない気がするのよ」
「ほう、お前さんもたまには頭を使うんだな」
「それって、かなり失礼なんですけど」
「どこがだ?」
「どこがって、、、全部ですよ。あたしだって色々考える事位あるんだから」
「今夜の飯は何喰おうかって?」
「うん、昨日は魚だったから、今夜は肉がいいかなあって、、、、ってそんな訳ないでしょうが!」
「あははは、冗談だ。」
「もうっ」
「あれだけの異能者だ、只もんじゃねえ、能力に関しては超一流だな。もっとも性格はかなり残念だがな」
「うんうん、性格はかなり変だよねぇ、きっと友達いないよねぇ、めっちゃ鬱陶しいもん」
アウラさん、かなり力が入ってますよ、よっぽど鬱陶しかったんだね。
「あいつとは何度も遭遇していたんだよね、今なら思い出せるんだよね。奴を目の前にすると忘れちゃうって、性格以上に鬱陶しい能力だわよね」
「性格に似て鬱陶しい能力だとも言えるわね」
むすっとした顔でメアリーさんが呟く。
みんな、奴には相当うんざりしているのがわかる。
その後、数日間は何事も無く平和だった。
ああ、一度だけ三十人規模の盗賊に襲われたのだけど、一瞬で壊滅させたので全く進行には影響がなかったのだが、問題は盗賊ではなく盗賊襲来の間のお頭の様子だった。
結果から言うと、盗賊は大した戦力ではなかったので、お頭が出るまでもなく一瞬で撃退出来たので問題はなかったのだが、その間お頭はじっと手元をみたまま周りで起こっている事にも気が付かない様だった。
いつもなら止めても真っ先に飛び出して行くお頭なので、どう考えても異常な状況だった。
盗賊の最後の一人が討ち取られるのを横目で見ながら、お頭の隣へと寄って行った。
「お頭、どうしたの?何かあった?」
急に声を掛けられてびっくりした様にこちらを見たお頭は、不思議そうな顔をしている。
「な なんだ、急に。何かあったのか?」
あらら、完全に自分の世界に入っていたのね。
「んーん、何もないわよ。ただ、盗賊の一団に襲われただけだから」
「えっ!?」
慌てて周りを見回すお頭が妙におかしかった。
「なに笑ってやがる・・・」
「なーんにもぉ。笑ってなんかないわよぉ」
お頭は、めっちゃばつが悪そうだった。
「お前は、ラムズボーン要塞を追い出された事、どう思ってるよ」
「えっ?そんなの、命令なんだから仕方がないじゃない」
「それでいいのか?お前は自分の頭で考えないのか?何故って思わないのか?」
「ええっ?なになに、どうしたの突然」
「俺はなぁ、ずっと引っかかるものが有って考えていたんだよ。お前はラムズボーン要塞の件、決着がついたと思うか?」
「そ そりゃあ決着がついて居ないのに追い出されたから、悶々としているわよ」
「俺はお前の親父さんの事、良く知って居る。視野が広く決して場当たり的な命令は出さないと思っている」
「うん」
「それが、今回の命令だ。けりがついて居ないのに何故追い出された?おかしいと思わないか?」
「そりゃあ、思うけどさ」
「もう一つ疑問がある。フントハイム男爵だよ」
「それが何かおかしいの?」
「奴はイルクートを貰えない程度の奴だろう?それなのに、何で今回はすんなりラムズボーン要塞を貰えたんだ?おかしくかいか?」
「言われてみれば、、、例えばイルクートと違って王都から遠い田舎だからとか?」
「それも考えたが、しっくりこない。そこで、一つの考えに行きついた」
「一つの考え?」
「ああ、お前と聖女の姉ちゃんを守る為じゃないかってな」
「あたしを?」
「ラムズボーン要塞を押さえていた俺達とフントハイム男爵の戦力、客観的に見てどちらが強いと思う?もしくは、どっちが奴らにとって厄介だと思う?」
「そりゃあ、自慢じゃないけど、あたし達の方が上だと思うけど・・・」
「そうだろ?まだ決着がついていないのに、敢えて戦力を低下させる意味はなんだ?」
「えーっ、そんな事いわれても・・・」
「これは俺個人の考えだがな、首脳部は敵の反抗が近々ラムズボーン要塞であると考えていると思っている。だから、お前を要塞から退去させた」
「そんな、、、じゃあフントハイム男爵達は?」
「おそらく、おとりだろう。どうせ、要塞を寄越せとうるさく詰め寄っていたんだろう。いい機会だから、政権に批判的な勢力は排除してしまおうって腹じゃあねえのか?」
「えーっ、どうしよう。一般の兵には罪は無いよね。あんな異能者軍団とやりあったら壊滅しちゃうよ!なんとかしないと」
「あくまで、俺一人の考えだからなあ、思い過ごしかもしれんし」
「いや、私もお頭の考えに賛成だな。あまりにも不自然な命令だからな」
いつの間にか、剣の血糊を拭きながらメアリーさんが会話に参加して来た。
「あたいも、そうおもいまーす」
いつでもノーテンキなアウラも参加して来た。
「どうしよう、今から戻ったら、、、、あ、でもみんな帰っちゃったから戦力が足りない。あたし達だけじゃどうしようもない。えーっ、どうしよう」
「お嬢はどうしたいんだ?戻るのは命令無視だから、後でどんなお咎めがあるかわからんぞ。それでも戻りたいか?」
「ううううううううんんんんんんんん 戻りたい。出来る事をしないで後悔したくない。後で後悔する位ならやるだけやって叱られたい」
「ふっ、そう言うと思ったぜ。お前らはどうするよ?」
やれやれと肩をすくめ、両手を上に上げたメアリーさんは言う事を聞かない駄々っ子を見る様な目でこちらを見て来た。
「ふん、乗りかかった船だ。最後まで付き合ってやるよ。ただし・・・」
「アナ様の安全が最優先 でしょ?」
あたしがそう返すと、メアリーさんはニヤッと笑って
「そういう事だ」
一言、そう言うと身を翻してアナ様の馬車の方へ走って行った。
「それで、今から取って返してどうするつもりだ?作戦は・・・当然無いんだろ?」
「はい、ありません。臨機応変に行こうかと」
あ、お頭疲れた様な顔をしている。
「あのなあ、そういうのは、臨機応変じゃなくって行き当たりばったりって言うんだ。覚えて置け」
そう言うと、お頭も離れて行った。失礼ねぇ。
それからあたし達は、今来た道をラムズボーン要塞に向かって引き返して行った。
街道を全力で駆け抜ける我々の騎馬集団に、一般の旅行者達は右に左に逃げ惑って居た。
あたし達が行った所で追い返されるのが関の山だとわかっていたが、じっとして居られなかった。考え無しと言われればそれまでなのだが、あたしにはそれしか出来なかった。ようするに、、、バカなのだ」
ラムズボーン要塞を出てから十日経ってからのUターンなので、当然帰りも十日かかる。急ぎで戻るのでやや早く戻れそうだが、それでも八日はかかる。
「お頭、兵力をもっと増やせないかな?いかにも兵力が足りないと思うんだけど」
殆どの兵は帰ってしまったので、ここには護衛に必要な最小限の兵しか居なかったのだ。
「大丈夫だ。どうせ兵力を増やしても、あの紫の連中が来たら無駄に犠牲者が増えるだけだしな。犠牲者は少ない方がいい、そうだろ?」
どこが大丈夫なんだか。あたし達は犠牲になってもいいんかい。
周りを見回すと、みんなこみ上げて来る笑いを必死に堪えていた。
あんたらも、その犠牲者リストに載ってるんだよって言いたかったよ、ほんとにもう。
心配なのはアナ様だった。何故ならラムズボーン要塞を出て今まで全く馬車から顔を見せないのだった。
良くわからないのだけど、精神力を使い果たす事ってそんなに大変な事なのだろうか?
もし、次に紫の奴らが現れても、もうアナ様を前面に押し出す事は出来ない相談だったが、アナ様の代わりをどうするかと言う問題が解決しないままだった。
そして五日程戻った時、奴はふたたび我々の前に現れた。
今度は、ひっそり、、、ではなく街道の真ん中に自分を誇示するかの様に立ち塞がっていた。
「----!」
あたし達は唐突に現れた邪魔者に一時停止を余儀なくされた。
あたしは、アウラと共に馬を列の先頭へと移動させ、奴と対峙したのだった。
「あんた、性懲りもなく又現れてどういうつもりかしら?又腕をむしり取られたいの?」
この忙しい時に現れやがって、とあたしはすこぶる機嫌が悪くなった。だが、奴は愛変わらずのマイペースなのは同じなのだが、何故かいつもののんびりとした口調ではなかった。
「悪いことは言わないから、しばらくここでのんびりキャンプでもしていてくれないかしら。と言うか、あなた達にはここに居てほしいのよ、死にたくはないでしょ?」
「はあぁ?あんた何言ってるの?寝言なら寝て言いなさいって諺があるでしょ?あんたこそ死にたくなかったらさっさとどきなさいっ、悪いけど今はあんたに構っている暇はないのよ」
奴は盛大にため息をついていた。それはそれでむかつくんですけど・・・。
「しょうがないなぁ、ここで言いたくはなかったんだけど、聞き訳が無いから教えるけど、今行ったらみんな死ぬよ。聖女様も一緒にね。それでもいいのかな?わざわざ教えに来てやったんだから、大人しく言う事を聞いてよね」
「なっ、どういう事?なんであんたがそんな事知って居るのよ」
「内緒。ただね、あんた達には恨みつらみが一杯あるからね、こんな所であっけなくおっ死んでもらいたくないって事よ。あんたらは、この僕がたっぷりと苦しめてからとどめを刺してあげるんだから、それまでは生きていて欲しいのよ、わかった?」
それを聞いた瞬間、あたしは剣を抜きざま馬上に立ち上がり、空中に飛び出していた。
「あのバカっ!」
お頭の声が聞こえた気がしたが、あたしは奴に飛び掛かっていた。
飛び掛かるあたしを見上げる奴の姿が視界に大きく広がっていったが、それと同時に驚愕も大きく広がって行った。
近づくにつれて奴の姿が薄れていくのだった。そう、この間みたいに。
あたしの剣が届く瞬間にはその姿はほとんど見えなくなっていた、そして。
「しっかり伝えたからね」
と言う、声を残して奴は煙の様に消えて行ってしまった。
あたしは、着地して地面にしゃがんだまま身動きが出来なくなっていた。そして、頭上からのお頭の声に我を取り戻した。
「何やってるんだ、このバカ!」
その後、あたし達は周囲を警戒しながら前進を再開した。
「なんなんだろうねぇ、何で要塞に行ったら死ぬんだろう?」
アウラはしきりに首をひねっていた。
「また、あの野郎なにか企んで要るんじゃねえのか?気味が悪いからここにとどまって様子見するか?」
お頭も訝しんでいる。
「でも、そうなると今ラムズボーンに居る人達が心配。知らせたからといって、どうなるもんじゃないかもだけど、黙って見ていられないの。お頭、何とかならない?」
「なんとかと言ってもなぁ、今からじゃあなぁ。せいぜいハトで知らせる位しかないが、たぶん耳を貸してくれないと思うぞ?」
「それでも、出来る事はしたいの。お願い」
頭をボリボリ掻きながらお頭は列の後方へと走って行った。
「良かった、これで一人でも二人でも助かってくれれば。自己満足かもしれないけれど、じっとはしていられない」
「それがお嬢の良い所なんですね。それで、あたい達はどうします?やはりここはこの場に留まって様子を見ますよね?」
「でもぉぉ・・・」
「あんたは、アナ様の護衛なんだよ。わかって居る?あんたの自己満足でアナ様を危険に晒すなんて本末転倒だよ!」
相変わらず、メアリーさんは容赦がない。その位はわかっていますよ。でも、わかっていても心が落ち着かないの。
「あんた、自分の任務わかってる?何をするべきかわかってる?」
振り向くと、メアリーさんが怖い顔でこちらを睨んでいた。
「そ そんなに、睨まなくても・・・」
「で?どうするんだい?この後どうするんだい?」
メアリーさんは、畳み込む様にそう言った。あたしは重大な決断を迫られてしまった。
だがあたしは返事が出来ずに下を向いたまま、ただ両の拳を握りしめるだけだった。
あたし個人としては、今直ぐに駆けつけたかった。でも、死ぬぞと言われた所にアナ様を連れて行くのははばかられた。アナ様をここに置いて二手に別れるのは戦力的にまずいのは分って居る。だから、あたしは決断が出来なかったのだ。
「ああーっ、もうじれったいねぇ。お頭っ、こんな自分が何をしたいかもわからない役立たず、置いて出発するよ。さっさと先頭に立っておくれよ」
そう言うとメアリーさんはさっさと進んで行ってしまった。ラムズボーン要塞に向かって。
唖然としていると、お頭もその後に続く様に馬の手綱を取り、右腕を振り上げみんなに声を掛けた。
「やれやれ、いらん時間を食ってしまった。さっさと後れを取り戻すぞぉ!」
隊列は、何事も無かったかの様にあたしの前をラムズボーン要塞に向けて再度進行を始めた。
あたしは、ただ茫然とその様子を見ていたのだった。
そんなあたしを気遣ってアウラがあたしの方にやって来て
「さ、お嬢行きますよ。メアリーさん、素直じゃないからあんな言い方していますが、気持ちはお嬢と同じなんですよ」
なんだか、この時ばかりはアウラが不思議と大人に見えたのだが、その事は本人には内緒だ。
あたしは目の前の車列をぼおっと見ていたのだが、ふとある違和感に気が付いた。
あれっ?アナ様の馬車に竜氏が居ない?
ずっと御者の脇に座っていたはずだったのに、どこへ行ったの?
あたしは、「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、兵士をかき分けアナ様の馬車へと近寄った。
ドキドキしながら御者をしている青年、トビーに話し掛けた。
「トビー?竜氏はどちらに行かれたのかしら?」
急に声を掛けられてドギマギしたグレーのショートヘアーの青年は、焦った様に話し出した。
「あ、あの竜のおじいさんは、昨日の昨夜、何かが途切れたって言って、突然どこかに飛び立って行ったまま、まだ戻って来ておりません」
完全にてんぱってしまっている。何故そんなに怯える?あたしは、そんなに怖くないぞ?
「昨日の昨夜?どこかに?さっぱり要領を得ないわねぇ」
と、あたしが呟くと
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
御者台に突っ伏して泣き出してしまった。
「あーあー、お嬢、苛めたら駄目ですってぇ」
おい!どこをどう見たら、あたしが苛めてる様に見えるんだ?と、アウラを睨んだ瞬間、地面が大きく揺れ、身体が真横に振られた。
思わず手綱にしがみつくが、こんどは馬が前足を高々と天に向かって振り上げ、いななきと共に二本足で立ち上がってしまった。
必然的にあたしは馬から振り落とされ、地べたをゴロゴロと転がってしまった。良く他の馬に踏まれなかったものだ。
周りを見回すと、他の馬も、いななきながら二本足で立ち上がって居た。
あたしは素早く起き上が・・・れず、足元が右に振られるのに合わせて、体が左に持って行かれた。
さらに、下から何度も何度も突き上げられ、立ち上がれなかった。
どの位揺れていたのだろうか、気が付くとあちこちで馬が逃げ出したり、馬車が暴走して走って行ってしまっていたり、隊列は滅茶苦茶になって居た。
そうだ、最初の揺れから数秒の後、物凄い爆発音がしていたのだった。あの爆音は何だったのだろうと周りを見回すと、すぐに原因がわかった。
それは、遥か彼方に見え始めていたラムズボーン要塞のあるランゲ山だった。
あろうことか、山頂部にあるナンシー湖のあるであろう場所から黒煙が立ち上がって居るのだった。それも、この距離からはっきり見えるという事は、煙の太さは相当な物であろう事が見て取れる。
さらに、太い黒煙の出所あたりは赤い物が見え隠れしている。あれから時間が経って居るのだが、未だに不定期に激しい揺れが繰り替えし襲って来て居る。
この激しい轟音と揺れの原因はランゲ山であることは明確だった。
「なんてこった。あの山が、要塞が噴火するなど信じられん」
信じられないのはお頭の方だった。あれだけ馬が暴れたと言うのにまだ平然と馬上の人でいるのだった。同じ人間とは思えなかった。
「これの事だったのね?あたい達に山に近づくなって・・・」
ランゲ山の上空は立ち昇った煙で真っ黒に染まっていた。そして、その黒い雲は次第にこちらにも広がって来て居た。
まさに 天変地異 だった。