36.
◆◆◆◆◆ラムズボーン要塞攻略軍◆◆◆◆◆
日没が近づきあたりはうっすらと暗くなって来た。あたし達は夜間のハイキング、いや山登りの時間となった。
場には緊張感が漂って、、、いなかった。みんな思い思いに近くに居る者と談笑、いやバカ騒ぎしている。いいのか?こんなだらけていて。
あたしは、少し不安になってきたが。
「いいんだよ、あれで」
例によって例の如く、突然お頭が後ろから声を掛けて来た。さすがのあたしも、もう慣れたもんで、平然と振り返る。
思った反応がなかったので、つまらなそうな顔をしたお頭が居た(笑)
「みんな、生きて帰れるかわからないからな、騒げる時に騒いでおくんだよ、死んだら騒げないからな。良く見ておくんだ、お嬢が命令を出す時、末端の者はいつもこうやって恐怖を忘れて居るんだって事をな」
ああ、そうだったんだよね。あたし、そんな基本的な事忘れてた。そう言えば父様言ってたな、命令をだす時は、必ず誰かが死を覚悟しているんだって。だから、命令を出す者は心して命令を出さなくてはいけないって。あたし、全然わかっていなかった。
「うん、あたし絶対に現場の人の事、忘れない。んーん、忘れる事なんて出来ないよ」
「それでいい」
心なしか、お頭の表情が優しい。
「お頭、おとうさんみたい」
あたしは、何気なしに呟いたんだが、悪気も無く呟いただけなんだが、、、。
あたし、変な事言ったかなぁ、お頭、盛大に噴き出したと思ったら、今度は顔を真っ赤にして苦しそうにむせ始めた。ひーひーぜーぜー言ってる。
「そんなにむせなくたって・・・」
地面に四つん這いになってむせ返って居るお頭は、涙目でこちらを見上げた。
「おっ、おまえなぁ、俺はそんな歳じゃあねえぞっ!馬鹿な事言うんじゃねえっ げほごほぶほっ」
「おやおや、天下のムスケル様も、お嬢にはかなわないんだねぇ。ガンバレ お と う さ ん」
そう言うと、笑いながら走って行ったのは、しかめっつら女王のメアリー さんだった。あんなたのしそうな笑顔、できるんだぁ。あたしは驚いた。
トドメはアウラだった。こいつは、からかうつもり満載だった。
「そろそろ行くわよぉ パ パ」
お頭は、、、、、憤死していた。
そして、落ち込んでいるお頭をみんなで引きずる様にして集合場所に連れて行った時だった。
集合場所がなんだかざわざわしていた。
「あ、姐さん、妙な奴が来てるんでさぁ」
駆け寄って来てそう報告するのは『うさぎ』の若い衆だった。
「妙な奴?あの変なおかま野郎が来たの?」
足早に歩きながら若い衆に問いただしてみたが、帰って来た返事じゃあさっぱりわからない。
「あいつとは違ってまっとうなんですがね、まっとう過ぎてまっとうで無いっていうか・・・変なんでさぁ」
狐につままれた面持ちで妙な奴とやらの待つ場所に向かった。
そこには、一人の男が立っており大勢に囲まれて居た。歳の頃は三十台なかば位のすらっとして知的な印象のする長身の男だった。
これだけ大勢に囲まれても表情を変えないあたり、相当の腕の持ち主なんだろうか?
あたしが近づくと人混みが割れて道が出来た。その道を彼の元へと歩くが、顔をこちらに向けてじっとあたしを見つめている。その切れ長の目からは一切の感情は読み取れなかった。
あたしは、彼の五メートル手前で立ち止まった。もちろん気は抜かない、何があったも対処出来る様にやや腰を落として対峙する。すると、こちらに向き直るや否や片膝をついて頭を下げた。そのスピードの速さにあたしはビクッと反応した。後ろに控えていたアウラも腰の剣に手をやっていた。
そんなあたし達の心情など気に掛ける様子も無く口を開いた。
「某はラムズボーン要塞より参りました。反カーン伯爵派であり現在要塞の指揮を執っておられるハンス・ブリュッケン子爵様のお言葉を届けに罷り越しました、騎士爵のアルフレート・ローテンシュタインと申します。何卒お聞き届けくださります様お願い申し上げる」
なかなか礼儀正しい様だが、一体何を言いに来たのかさっぱりわからない。降伏でもするのか?まさかな。
悩んでいると、後ろからアウラがぴょこっと出て来てあたしの横に立った。
「この方は、恐れ多くもシュトラウス大公国聖騎士団の団長兼国軍総司令官を務めるリンクシュタット侯爵家当主のご息女、シャルロッテ・フォン・リンクシュタット様であらせられます」
胸を張っていきなりの口上にあたしは焦ってしまった。
「ちょっ、まってまって、まってよ!そんな物々しい紹介されちゃったらあたしが困るよお」
あたしは、慌ててアウラを止めた。
「えっ?でもお」
不満そうなアウラを押し留めて、使者の方に向き直った。
「ごめんなさい、ええっと、ローテンシュタインさんで宜しかったかしら?状況がわからないのですが、説明をお願いしてもよろしいでしょうか」
初めて彼が驚きの表情をしている。
「ここは、聖女様が率いる部隊だったのでは?」
「いらっしゃるわよ、アナスタシア様。でも、この部隊を任されているのはあたしなの。ご理解頂けるかしら?」
「まさか、聖騎士団長のご息女が出張って来られているとは正直驚きましたが、了解致しました。現在、ラムズボーン要塞内は強硬派のカーン伯爵派と保守派であるブリュッケン子爵の二つに別れております」
「カーン伯爵?彼は死んだのじゃなかったの?」
「確かに亡くなりました。現在は伯爵のご子息であるシャンブルー・カーン男爵が伯爵を名乗っております」
「どういう事?陞爵は、国王陛下の認可が必要なはず。勝手に名乗っていい訳ないのは知って居るでしょう?」
「あの方は、あの通り身勝手なお方でして、諫言を呈する者は例外なく処罰されてしまいます。アーリントン男爵の様に」
「情報は本当だったのね」
「ご存じでしたか」
「まあ、おおまかな事はね。で?要塞内はどうなっているの?そちらは何がしたいの?」
ローテンシュタイン氏は顔を下げたまま続けた。
「我が主、カーン伯爵が何を考えているのかは、私達家臣にもさっぱりわかりません。おそらく場当たり的に我が身の安泰を図ろうとしているのでしょう。その為には領民の命など一切お構いなしのその考えに我々家臣団は反旗を翻したのです」
周りを取り囲んでいる配下の兵達もみな腕組みをしながら頷いている。
「我々反カーン派は、ブリュッケン子爵を中心に立ち上がったのです。血を分けた伯父上であるアーリントン男爵でさえも、拷問をうけ現在は寝たきりの状態です。このまま戦いが始まればラムズボーン要塞内が惨劇に見舞われるのが必定。そこで、伯爵には外に出て戦って貰う様作戦を立てました」
「出て来れば、必ず負けるぜ。いいのかい?」
今まで黙って聞いていたお頭が、腕を組んで難しい顔をしながら前に出て来た。その声を聞いたローテンシュタイン氏は驚いた様に顔を上げ、更に口を大きく開いて固まった。
「お、お前は・・・まさか ムスケル?ムスケルか?」
信じられないと言う顔だった。
「俺が居たのが、そんなに驚く事か?」
お頭はニヤニヤしている。知り合いだったの?お頭の顔の広さには毎度驚かされるわ。
「そりゃあ驚くだろうよ。お前は誰にも組しない主義じゃなかったのか?」
「色々訳アリでな。で?どうなんだ?俺達で退治しちゃっていいのか?」
あー、また頭をボリボリしてるし。やらないでって言ったのにぃ、汚い。
「最初からそのつもりだ」
一言そう言うと、ローさんはあたしに向き直って、深々と頭を下げた。
「我々幕僚は騒動終了後は如何様なご処置も甘んじて受ける所存に御座います。勝手な言い分とは承知しておりますが、ここは伏してお願い致します。何卒、あの痴れ者の退治にお力をお貸し願います。この通りに御座います」
完璧に土下座になって地面に伏せているローテンシュタインだった。あたしはと言うと、おろおろとしてしまい無意識にお頭を見上げ助けを求めて居た。
すると、お頭は世界一怖いウインク(当社比)で見返して来た。
「こいつは、まじめで頭が良く顔が良いのが玉に瑕でな、世が世なら一国の宰相にもなれる器の男だ。ただな、人を見る目がなくって下に着く相手を間違えてしまったのがこいつの唯一の失敗だな」
お頭がこんなに褒めるなんて珍しい。
「状況はわかりました。どうかお顔を上げて下さい。ここじゃなんですから、あたしの幕舎でお話を聞きましょう。宜しいですね」
すると、突然ローテンローテンシュタイン氏は慌て始めた。
「待って下さいっ、実はもう作戦は開始しているのです。のんびり話をしている場合じゃないんです」
「では、どうしたらよろしいのでしょうか?」
はっとして後ろを振り返ると、アナスタシア様が立っておられた。ローテンシュタイン氏もはっとしてあたしの後ろを見上げている。
「わたくし・・・」
「はっ、良く存じ上げております。この国に居てあなた様を存じ上げない人は居りません。アナスタシア・ド・リンデンバーム様、ご尊顔を拝し奉りまして光栄至極に御座います」
「ほほほ、そんなに堅苦しくする必要はありませんよ。どうかお顔を上げて下さいな」
アナ様は優しく微笑んで、土下座しているローテンシュタイン氏に声を掛けておられる。
「そうだぜ、時間が無いんだろ?どうなっているんだ、そっちの手はずは」
おもむろに顔を上げたローテンシュタイン氏は、真剣な表情で話し始めた。
「奴は十数名の子飼いの手練れを連れて配下の兵と共に湖を渡る予定です。配下の兵と言うのは、実はアーリントン男爵の兵なのです」
「なるほど、主人を拷問にかけられ恨みを持っている兵達か。そいつらに始末させるつもりだな。いい考えだが、その手練れの十数名って言うのが気になるな、まさか・・・」
「ああ、ディープパープルだよ」
突如場が静寂につつまれた。誰も一言も発せずに只棒立ちになっている。あたしは意味がわからず周りを見回してしまった。
「ディープパープルって言うのはな、先代のカーン伯爵の秘密兵器なんだよ。一騎当千どころか一騎当万の部隊だ。詳しくはわかっておらんのだが、十数名の戦闘団でな、みんななんらかの特殊技能を持って居て、命令であれば赤子の命でも容赦なしだ。悪魔の生まれ変わりとも言われている」
何もわかっていないであろうあたしの為にお頭が説明してくれている。悔しいが、わかっていないのは本当だからしかたがない。
「特殊技能?それって異能者って事?」
「確かに異能者の可能性がありますね。我々も、存在は知って居るものの、実際に見たのは初めてなんですよ。謎に包まれた存在なんです」
「お頭なら対抗出来そう?」
あ、何言ってんだって嫌な顔された。
「お前、俺の事何だと思っているんだ?人間だぞ?あんな連中、相手に出来る訳ねーだろが!一対一だって怖ええのに、何人居ると思ってるんだよ」
「そうですよ、流石にムスケルでもあれの相手は無理って言うもんですよ。一応決死隊として五千の精鋭で一気に取り囲んで片を付けようと思うのですが、どうしても心配で助力をお願いに参った次第です」
そう下から上目遣いで訴えて来るローテンシュタイン氏の目が心なしかうるうるしていた。
「お前、馬鹿かっ!たかだか五千で何とかなると本気で思って居るのか?」
「いや、無理なのはわかってる。でも、仕方がないんだ、奴を野放しにしたら、もっと多くの犠牲が出る事は火を見るよりも明らかだ。だから、ここは戦いを始めた我ら軍人で決着をつける。狙うは伯爵ただ一人。五千人でディープパープルの気を逸らして、その間に・・・。無茶なのはわかって居る。だが我々にはこれしか思いつかなかった。俺達が失敗したら後を頼みたい、頼む」
「愚かな・・・そんな事をしたって「シャルロッテ様、直ちに全員に出発の合図をお願いします。今回はわたくしも参ります。急いでっ!!」
お頭の言葉に被せる様に、アナ様が怒鳴った。初めてだった、あの温厚なアナ様が怒鳴るだなんて。言いかけたお頭も口を開けたまま硬直している。アナ様にスイッチが入っちゃったから、もう止められない。
「みんなぁ、聞いてたわよね、支度の出来た者から出発してぇ!!一気に山の上まで登るわよーっ!短期決戦だから装備は最小限にねぇ」
集合地点はハチの巣を突いたみたいな騒ぎになっていた。大急ぎで装備を身に着ける者、武器を抱えて山に向かって走り出す者、まさに大混乱状態だった。
アナ様もご自分の幕舎に戻り純白の鎧に身を固めて戦う気満々だった。もう止めても聞かないだろうから、気休めだけど周囲をあたしにタレス、メアリー、アウラ、ジェイ、竜氏、オレンジの悪魔、それと『うさぎ』の精鋭で固めて山に向かった。
お頭は自由に動いて貰った方が力を発揮するので自由に動いて貰う事にした。総勢三千名、どう考えても戦力不足だが、想定外の事態なので致し方が無い。
すっかり日が暮れた中、二百メートルとも三百メートルとも言われる外輪山の斜面を兵達が這いながら登って行く。山男さん達が総出で山の斜面に立って兵達のフォローをしてくれているがみんなの苦労は並大抵な事ではないと思う。
あたし達もアナ様を護衛しながら山の斜面を登って行くのだが、驚くべき事に、どう考えても一番体力のなさそうなアナ様が一番元気に上って行くのだった。
有り得ない事だろう。普段全く運動も訓練もしないアナ様に、毎日体を鍛えているあたし達が置いて行かれるなんて。護衛をするなんてとんでもない、アナ様について行くのが精一杯のあたし達だった。普通について行ってるのは、ジェイと竜氏、それとメアリー さんだけだった。
あの爺さんズの体力も異常なのだが。
山の上がどうなって居るのか気懸りではあるのだが、いかんせん足が思う様に動いてくれない。気持ちばっかり焦って、体はぐたぐただった。ああ、アナ様があんな前を行って居る、急いで追い付かないとと焦るものの遅々として前に進んで行かない。息も上がって来て、歯痒い事この上ない。
現実逃避に後ろを振り返ると、みんなハアハア言いながら、自分の剣や槍を杖にして上がって来て居る。
山頂が近づくに(本当に近づいているのか?)つれて、頭上から何やら物音が聞こえ始めた。まだ、微かな音なので何が起こって居るのかはわからないのだが、どうやら叫び声じゃあないだろうか?急がなきゃ、もう始まっているのかも知れない。急がないと手遅れになってしまう。大勢の命がどんどん消えていってしまう、ここは根性を出さねば。
「なにくそおおおおぉぉぉぉっ!!!」
あたしは、剣を支えに頭の中を空っぽにして歯を食いしばった。元々空っぽのくせにとか突っ込んだらやーよ、これでも真剣なんだから。
どの位の時間がたったのだろうか。辺りは月明りだけなのでほぼ真っ暗といった感じで状況がわからないのだが、前方で登って居るアナ様だけは何となくわかった。うっすらと全身が発光しているから。敵に見付からないといいのだけど。
だいぶ山頂に近づいたはずなんだが、上からの叫び声ははっきりと聞こえて来ない、むしろどんどん聞こえなくなって来て居る気がするのだけど、気のせいなんだろうか?
更に登って行くと、アナ様が立ち止まっておられるのがわかった。やったぁ、やっと山頂に着いたのか?こんな過酷な山登りは、二度とごめんだ。残った気力を振り絞ってアナ様の元へと、よろよろ駆け寄った。
その時はやっと過酷な山登りが終わった喜びで場の違和感に全く気が付かなかった。
ゼイゼイハアハアしていたので喉がからからだったので、背中にしょった水筒を右手でまさぐりながらよろよろと歩を進め、やっとの事アナ様の所まで辿り着いた所で水筒の栓を外しアナ様に差し出した。本当は今直ぐにでも飲み干したかったのだが、アナ様を差し置いて飲む訳にはいかなかった。
「アナ様、よろしかったらお水を・・・」
そこまで言った所で、遅まきなからその場の違和感に気が付いた。そこはついさっきまで戦場のはずだった場所だ、それなのに今は音がしないのだ。
注意して耳を澄ますと、かすかにうめき声がそこかしこから聞こえて来る。いったいこれは・・・。
頭が正常に機能し始めるまで、何秒かかかっただろうか。右手に持ったはずの水筒が地面に落ちて辺りに水を撒き散らす音で、はっと我に返った。
「この静寂は、、、まさか」
あたしはアナ様の横に立ち目を凝らした。山を登り切ったこの場所からは正面には平地が数キロに渡り広がっているはずで、その向こうに広大な湖が月の光を反射してキラキラ輝いているのがわかる。しかし、湖までの平地には動く者は見えなかった。所々に月の光をはね返すきらめきが見えるのだがあれは恐らく・・・。
「あのキラキラは刀か槍の刃が月の光を反射しているのね」
後から登って来たアウラがあたしの疑問に答える様に言った。
ふいに、辺りが明るくなって来た。はっと思い振り返りアナ様を見上げる、数日前の夜の様にアナ様が発光されていた、さらに見えない圧を感じてあたしはアナ様から遠ざかる様に二歩三歩とよろけてしまった。と言うか見えない手に押された様な感覚だった。
光の中心にいらっしゃるアナ様は胸の前で両手を固く握りしめ、その両の目からは涙が溢れていた。山頂は風があるせいなのか、その髪の毛が逆立って生き物の様にうねっていた。
あたしは咄嗟にアナ様にお掛けする言葉が見つからず呆然と光り輝くアナ様を見つめていた。他のもんなもただ唖然と見つめるのみだった、一人を除いては。
「聖女の嬢ちゃん、そんなに光っていたらヤバイぜ、敵から丸見えだぞ。直ぐに灯りを消すんだ!」
そう言うと、お頭はアナ様の前に立ちはだかった。おそらくどこから飛んで来るかわからない矢を警戒しての事だろう。だからって・・・
「灯りを消せって、アナ様は松明じゃないのよ!」
「そんな事言ってる場合か!こっちは丸見え、敵は闇の中だ。いつでも殺して下さいって言って居る様なもんなんだぞ!」
「確かに、ムスケル殿の仰るとおりで御座います、非常にまずい状況で御座いますよ、お嬢様」
さすがは安定のジェイ。一度あなたの慌てる様子を見てみたいわよ。
「そうですな、お一人いらっしゃってますな」
「えっ?そうなの?」
「はい、暗闇に紛れてひたひたといらしております」
「おい、どういう事だ?なんで一人なんだ?他の奴らはどうした?」
お頭の疑問ももっともだ。伯爵と他の十数人は一体どこ行ったのだろう。逃げたのだろうか?
「他の者の気配は無い様ですな、お一人様でいらしております」
「素直に喜んでもいられんな、一人でも俺には荷が重いぜ」
「あんたにしては珍しく弱気なのね」
お頭をおちょくるメアリーは、なんか余裕そう?
「くそったれめが!あんな化け物、誰が好き好んで相手にするかよ。出来るなら逃げ出したいぜ」
「だったら、後ろで見てていいわよぉ。わたしが行くから」
「それが出来れば苦労しねえよ。しかし、どうするかな、どんな奴が来てるんだかわからない所が悩ましいなぁ」
「ねぇ竜さん、何処まで来てるかわかります?」
珍しくメアリー さんが竜さんに声を掛けた。だが帰って来た答えは別の所からだった。
「来ました。すぐそこに来ています」
ぎょっとして振り返った先は、、、アナスタシア様だった。険しい表情で暗闇の一点を凝視している。まさか、アナ様も気配がわかるの?
すると、アナ様の聖なる力とも取れる光が一段と輝きを増して来た。
「ヤバイ、ヤバイって。そんなに光ったら狙われるよぉ」
アウラが悲鳴にも似た叫び声をあげている。
そんな周りの気持ちを知ってか知らないでか、アナ様は一歩二歩と歩を進める。まだ相手からの反応は無い。
突然、アナ様は暗闇に向かって話し始めた。
「あなたは この様な殺戮を行って何とも思わないのでしょうか?心が痛んだりしませんでしょうか?」
「おいっ、やめろっ。こいつらは心なんて持ち合わせていないんだぞ、命令通りに人を殺すだけの存在なんだよっ!」
お頭がそう叫んでアナ様の前に出ようとしたその瞬間、暗闇から月の光を反射して何かがアナ様に向かって飛んできた。当然、誰も反応出来るはずもなく、これまでかと思ったのだが、その飛来物はアナ様に届く事無く、アナ様の前方ニメートルの空中で静止していた。
更に第二弾、第三弾と飛来して来たが、みんな第一弾と同じく空中で静止してしまっている。まさに怪奇現象だった。
飛んできたのは、暗殺者が良く使う小型の投擲用のナイフだった。あたし達も驚いているが、投げた本人はもっと驚いて居るのではないだろうか。
なぜ、こんな事が起きているのかはさっぱりわからないけど、このアナ様の光のせいではないかと言う事は容易に想像出来る。
「そこかっ!!」
叫ぶと同時にメアリー さんが草むらに飛び込んで行った。直ぐにお頭も後を追ったが、それと同時に草むらから黒装束の男が短剣を両手に構えて飛び出して来てアナ様に肉薄して来た。
これはヤバイと、あたしも後先考えずに賊とアナ様の間に飛び込んで行ったのだが、、、飛び込んで行ったハズ なんだけど、何か見えないものに弾き返されてしまい、後方にごろんごろんと三回、四回と転がり、今は地面の上に転がってしまっている。何が起こったんだ?
転がったまま見て居ると、賊も何かにぶち当たった様で、後ろに転がってしまった様だったが、あたしとは違い、直ぐに立ち上がり再びアナ様に向かって突進して行った。
が、今回も目的は果たせず、見えない壁に阻まれた形で立ち往生してしまっていた。後ろからはメアリー さんとお頭がじわじわと詰め寄って来て居る。
すると、大きくため息をついたアナ様が静かに右手を上に上げ、静かにその腕を降ろしていった。するとその動きに合わせる様に賊の身体がじわじわと地面にめり込んでいくではないか。
『異能者』と言う言葉が、脳裏に浮かんだ。
足から杭の様に地面にめり込まされた賊は瞬く間に頭部を地上に出すだけになった。
アナ様は、賊に向かって静かに語り出した。
「あなたは人権と言う言葉を聞いた事があるでしょうか?文字通り、人の権利と書きます。人には男性も女性も、大人も子供も、お年寄りにだって人権はあります。ですので、どんな人に対してもその人の持つ人権と尊厳は尊重しなければなりません」
そこまで一気に言うと、又大きく深呼吸をした。
「ですが、全ての生き物が人権を持っている訳ではありません。犬にも猫にも鳥にも魚にも、魔物にも人権はありません。では誰が人権を持つのでしょう?それは人間だけなんです。人間だけが人権を持ちその尊厳が守られるのです。勿論、どんな事にも例外と言う物は存在します。人の皮を被って居ても、中身が人でなければ人権は認められません」
アナ様は話しながら段々と悲しげな顔になって来て居る。
「人とそうでない者をどうやって区別するか、それはルールを守る事が出来るかどうかです。ルールの中でも、本当に基本的なルール、これを守れない人は人権を持つとは言えません。それはそれほど多い内容でも難しい事でもはありません。他人の物を盗んではいけない。他人を騙してはいけない。そして、他人を殺してはいけない。これだけです。簡単な事でしょ?これを守れない者は、人とは認められません、ヒトモドキです。ですから人権は主張出来ないのです」
みんな、片膝をつき両手を胸の前で組み、静かに聞き入っている。
「ですから、わたくしはあなたの人権も尊厳も認める事は出来ません。よって、このまま天に召されて下さいませ」
そう言うと、右手を再度上に上げ、大きく降り下ろした。
その瞬間、鈍いくぐもったうめき声と共に賊は地中深く潜って見えなくなってしまった。
ことが終わったからだろうか、アナ様の輝きは次第に弱くなっていき、完全に無くなると同時にそのまま意識を失ってしまった。
アナ様はアウラとメアリー さんに抱えられ、急遽設営された幕舎に運ばれて行った。
「はあぁ、たまげました。今の聖女殿から放出された気というかオーラは今までに経験した事の無い強さでした。人族にも凄い方がいらっしゃったものですなあ」
竜氏は心底驚いた様だった。隣でジェイも、うんうんと聞いている。
「強い能力を持つと、竜穴の力を利用して自らのパワーをかさ上げ出来ると聞きますが、それも竜穴の真上に立った時に限るそうです。それなのにあのお方は、竜穴から離れたこの場所でそれをやってしまわれた。もはや、人族や我が竜族よりも女神様に近いと言わざるを得ないでしょう」
「そんなに凄いのか?」
驚いた様にお頭が聞いてくる。そりゃあ、お頭でなくても信じられない話しではある。
「はい、もし潜在能力をフルに引き出す事が出来たなら・・・」
「「「出来たなら?」」」
みんなが身を乗り出して来た。
「どうなるんでしょお?」
みんな、がくっと肩透かしを喰らった様に前のめりにずっこけてしまった。
「りゅうさあああぁん」
「そんな事よりも、まだ息のある方があちこちにいらっしゃる様でございますよ。まずは、その方たちをお助けするべきでは?」
この方も、常に冷静だった。常温動物ならぬ常感動物?
その後、あたし達は上がって来た兵を総動員して、この草原で息も絶え絶えに転がって居る兵士達の救助に奔走した。勿論竜氏に付近の安全を確認して貰ってからであるのは言うまでも無い。
「でも、不思議ねぇ、伯爵達どこ行ったんだろう?逃げ出したのか、他にもまだ知られていないアジトがあるのか」
あたしは、無い頭を振り絞って考えたがさっぱりわからない。
「要塞に戻った可能性も捨てきれんぞ。今、バイン兄弟に要塞の様子を見に行って貰っているが、もし要塞に戻っていたとしたら、更なる惨劇は免れんぞ」
お頭は深刻そうな顔をしてそう言った。
「それって、どういう事?自分のテリトリーに戻ったんなら、暫くは睨み合いになるんじゃないの?」
「だから、あんたは考え足らずだって言うのよ。この現状を見て何とも思わない?伯爵は誰に襲われたの?」
相変わらず、言葉が容赦ないわぁ、メアリー さん。
「えーと、味方? あっ、そうか味方に裏切られたんだから、帰ったらって・・・・まずいじゃない!帰ったら残った兵達を裏切り者として皆殺しにしちゃうんじゃない?」
「だから、まずいって言ってるんでしょうが!兵だけじゃないわよ、あの島の中で農業や商業をしている一般の領民達だって安全じゃないのよ。あの感情優先で動く馬鹿垂れの事だから、全領民の皆殺しだってやりかねないわよ」
「!!!!」
まずいまずいまずいまずいまずい、万が一伯爵が要塞に戻ったらやばい事になっちゃう。どうしよう、どうしよう。
「で、でも、もしかしたらサリチアに逃げたかもしれないわよね」
「だから、要塞に偵察を出しているんだろうが。俺達に出来るのは、どんな状況にも対応出来る様に態勢を整えておく事だと思うのだが?」
「そ そうね、準備しないとだわね」
焦ってるのってあたしだけ?大人ってなんでこうも落ち着いて先を見通して動けるんだろう、あたしもいつかはこうなれるんだろうか。などと将来に思いをはせていると、あらゆる事を否定する様な冷たい声に現実に引き戻された。
「無理だね。絶対に無理だ、ありえない!!」
ガーン!!そんな速攻で否定しなくたって・・・
涙目で、声の方をみるとお頭とメアリー さんが話して いや、怒鳴り合っていた。ああ、あたしの事じゃあなかったのね、良かった。
「じゃあ、どうしろって言うのよっ!あのメンバーで閉じ籠られたら、外からの攻撃で落とすなんて不可能なのよ。だからっ、わたしが少数の兵を連れて忍び込んで、一人づつ始末して来るって言ってるのよ。あんたは大人しく湖の周りを封鎖していればいいわ」
「だからっ、そんな事無理だって何度も言ってるだろうがっ!あんた、どんだけ死体の山を築くつもりだ?百人行ったら百人、千人行ったら千人の死体の山が築かれるだけだ」
「そんな事言ってたら、連中が寿命で死ぬまで何も出来ないじゃないのよ。何でこの国の男共は口先ばっかりで腰抜けばかりなのよ!ホントっ頭に来るっ!」
「腰抜けでもなんでもいいっ、俺はお前に死んで貰いたくないだけだっ!あ、いや、その、聖女の嬢ちゃんを護衛するのにお前の腕が必要なんだよ、俺は、、、その、各地を転々としているからあてにならないしよ」
なにそれ、この忙しい時に何口説いてるのよ、お頭。そんな時じゃあないでしょうに。
あたしは呆れて、二人の会話?を聞いていた。すると、奇妙な事に二人同時にこちらに振り返った。あらぁ、息がぴったり。
「お嬢っ!何傍観者みたいに見物してるんだよ、お前が考えなきゃならん事だろうがっ!」
「あんたっ、他人事みたいに見て居ないで自分で今後の方針とか考えられないの!?」
うわあぁぁぁぁぁっ、仲良く同時に言わないでよおぉ、聞き取れないわよお。
「あ、あたしだって、、、、考えているわよぉ。でも、あいつらに対抗できる適任者って、、、一人しかおもいつかなくって、でも、そんなの論外だし、でも・・・」
「そんなの無理に決まってるだろうがっ!!」
「本気でそんな馬鹿な事考えていたのっ?」
「えっ、まだ、何も言っていないんですけど・・・」
「「そんなの、聞くまでもないっ!!」」
またまた、息ぴったりなんですけど・・・
「とにかくだなあ、まだ推測の域を出ない話ではあるが、早急にこちらも体制を整えなければならない事はわかるよな。一番の悩みの種はディープパープルの所在だ。その為に、各地に偵察を出して情報を収集している訳だが、まず、お前がトップとして基本方針を打ちださないとみんなも動けない事は理解してくれ」
「この子にそんな優しく言ったって無駄よ。理解出来っこない」
「そ っそんな事・・・」
その時、湖のほうから誰か駆けて来る気配があった。
「ごほうこーくっ!」
駆けて来た者は、片膝をついてはあはあと荒い息を吐きながら報告してきた。
「バイン兄弟からの報告です。伯爵とディープパープルの一団はラムズボーン要塞に入りました」
その場に緊張が走った。想定していた中で、一番恐れていた、そして一番可能性が高いと思っていた結果だった。