表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女様は疫病神?  作者: 黒みゆき
35/168

35.

 現在、日の出少し前、空が白み始めて来た。竜氏達がはるばるイルクートから空輸してくれた食料は既に搬入が終わり、現在は残った兵総出で森の中に分散備蓄をしている最中だ。

 今後は、この森を食料備蓄基地として整備を進める事になった。

 当面は、残った兵で防衛と運用を進める事となる。


 残った兵。そうここに居た兵はほとんどが敵兵迎撃の為に出発して行ったのだった。

 決戦の地は、ここから東に数キロの所にある地図にも乗って居ない無名の草原だった。その手前にこれ見よがしな陣を張り敵の先陣を迎え撃つべく展開しているのだった。

 もちろん、陣はダミーなので、人っ子一人居ない、、、はずだった。

 それなのに、現在はお頭を始めとする少数の『うさぎ』のメンバーが居座って、酒盛りの真っ最中だった。

「陣は無人にしておくよりも、兵が居た方がリアルだろぉ?」

 と、意味の分からない理屈でもって、立て籠もって酒盛りをしているのだった。

 それ以外の兵は湿地を大きく取り囲む様に周囲に潜んでいて、敵の到着を待っていた。


 敵が湿地に設営したダミーの陣地に気づかずに通り過ぎる事が心配だったのだが、竜氏によると敵の偵察部隊が湿地帯に気配を見せた様なので、きっと誘われて湿地に現れるだろう。

 我々は、湿地に設営したダミーの陣を見下ろせる小高い丘の上に目立たない様に本当の本陣を設営して成り行きを見守る事にした。


 丘からは前方の湿地帯が一望出来た。見た感じは丈の低い草が広がる広大な草原であるので敵が前進して来れば、容易に発見が出来る絶好の立地だった。

「この隠れ湿地帯は不思議な性質をしているんです」

 前方を凝視していたあたしの後ろから、案内人氏が話し掛けて来た。

「不思議な?湿地に不思議も何も無いんじゃないの?」

「そうでもないのですよ。あそこは子供には影響がないんですが、大人だと影響が出るのです」

「えっ?どういう事?」

「それはですね、軽い分には影響無いんですが、ある一定以上の重さには反応してずぶずぶと・・・」

「あらら、それじゃあ武装した兵士だったら、、、もろずぶずぶ?」

「はい、軽装備で逃げ出す味方には問題無いのですが、重武装の敵は、、、ずぶずぶと」

「あらあ、随分面白いのねえ。と言うか不思議ねぇ」

 言った本人も良く分って居ないらしく、しきりに首を捻って居る。あたしもわからず、竜氏を見た。そんな視線に気付いた竜氏は静かに語り出した。

「わたくしにも正確な事はわからないのですが、この場所は我が主である竜王様の気の流れと一致する様な気がするのです」

「気の流れ・・・ですか?」

「はい、そうですねぇ、人族の間では、んーと何でしたか  そうそう、龍脈と言って居られましたな」

「龍脈ってなんなのですか?」

 勉強不足のあたしには初めて聞く言葉だった。

「竜王様が、この大地を管理する為に、大地全体に気の流れを張り巡らしているのですが、所々地表にその気の流れが噴き出す場所があると聞き及んでおります。ここがその場所ではないかと思われます」

「龍穴か」

 思案顔のお頭がそう呟いた。

「おお、確かにそんな名前で呼ばれておりましたな。竜王様の気が何かに作用しているのではないでしょうか?」

 なんか、大層な話になってきたけど、言えるのは、、、、あたし達にとって、これは使わない手はないって事よね。


 大草原を見下ろしながら、そんな話をしていると、竜氏のこめかみがピクリと動いた。何かに気が付いた様だった。

「お客様がいらっしゃったみたいですな。丁度正面、数は、、、そう二千という所でしょうか?」

「少し増えたんじゃない?ま、全然問題ないけどね。後は、お頭達よっぱらい部隊がみんなを引き寄せてくれれば全て終了」

 周りの草原に潜んでいる味方の兵は身軽な出で立ちに動けなくなった敵に有効な長槍を持って、密集せずに散開した形で今や遅しとその時を待っている。もっとも、どの位の重さで反応するかは不明なので、おデブちゃんには残って貰ったのは言うまでも無かった。


 暫くすると、草原の遥か彼方にこちらに向かって一見穏やかな草原に侵入して来る敵兵の集団が見えて来た。

 集団は、周りを警戒しているのか、密集隊形で進んで来て居る。予想通りみんな重武装だったのには笑えた。

 お頭達が賑やかに酒盛りしている偽の陣に向かってじりじりと迫って来ていた。振り返って見ると、後少し、後少しと彼らを見つめているみんなの顔がほころんでいると言うか、にやけているのが可笑しかった。もっと緊張感を持とうよ、と思ったあたしの顔もにやけているのが笑えた。真剣な戦場なのにねぇ。


 そして、その時が来た。

 先頭の重厚そうな鎧を着た指揮官と思われる兵士が剣を抜き空に向かって突き出した。そして、何かを叫んでその剣を前方に向けると、喊声が辺りに響き渡り敵兵の集団が各々の武器を振り回しながらお頭の居る陣に向かって突撃を開始した。

 腰位の高さの草原なので、少し走り難そうに見えたが、順調に陣に迫って来た。お頭達はおもむろに立ち上がったが、逃げ出そうともしないで迫って来る敵兵の集団を眺めている。

 後、陣まで五百メートル位の地点で突如、先頭の集団が視界から消えた。すると、それに呼応するかの様に湿地が敵兵を飲み込み始めた。

 距離があるので、音までは聞こえないはずだが、ズボズボと沈んで行く音が聞こえそうな感覚に陥った。

 前を走る味方の兵が突然沈み込んで行ったのに気が付いて、立ち止まろうとした兵士を後続の兵士の一団が押し込んで行く。こうなったら勢いを止める事は不可能で、次々と後ろから押し寄せて来て居る兵に押され、沼の餌食になっていった。

「ん?なに、あれ?ねぇぇあれどういう事っ??」

 あたしは夢中になって隣で見て居る竜氏の袖を引っ張って叫んだ。

「あー---、本当だ、なんか変よお」

 アウラも叫んでいる。

 肩まで沈んだ敵兵が、、、、動いている。いや、動いていると言うよりも流されている?頭だけ出して埋まっている敵兵がゆっくりだが横に移動しているのだ。この離れた場所からでもわかるのだから、相当の速さなのではないかと思われる。唖然として見て居ると、敵兵達は沈んだ場所から左横に大きな渦を描く様に時計回りに流されて行くのが見て取れる。

 竜氏ですら驚きの表情で言葉も無く見つめるだけだった。

 先に嵌まった兵士は横に移動して行くのだから、後から来た兵士は新たな泥には嵌まっていく事になる様だった。

 しばらく見て居ると、大きな渦が草原一杯に広がっていた。所々、運良く複数の沈んだ味方の兵士の頭を踏み台にして地上に横たわったまま流されているちゃっかり者が見える。

 二千人の半数程度が沈んだ所で、泥沼へのダイブが収まったみたいだったが、勿論このまま許す訳にはいかない。周囲で待機して居た兵士達がこのタイミングで草原に火を放った。当然だが、事前にこの草原には油が撒いてあったので火はまたくまに広がって行き、恐怖に駆られた敵兵達は自ら泥沼にダイブして行った。


 草原の戦いは、ほんの一時間弱で雌雄が決してしまった。死者は、数十名で、ほとんどが投降して捕虜となった。

 だが、食料難なシャルロッテ達は捕虜を養えなかった為、情報を取得した後は放逐する事になった。

 ただ、そのまま解き放つと色々と面白くないし問題もあるので、頭の左反面を剃髪してアナ様の公演を聞かせてから放り出した。何割かがアナ様教の信者になってくれたらいいかなと言う思惑があった。

 そして、若干名を要塞に帰してやった。戦況報告の為に。彼らには、二千名は捕虜になっていると話してあった。


 捕虜からの情報は驚くべきものがあった。

 一枚岩だと思っていたラムズボーン要塞だったのだが、まさか最も手強い相手であると思われたアーリントン男爵が排斥され、現在の指揮官は新カーン伯爵になっていたとは驚きだった。

 現在要塞内は、好戦派と守備派とが反目しあっているそうだった。今回攻め寄せて来たのは新カーン伯爵派の好戦派で、男爵派はあくまでも守備を主張していて要塞からは出ようとしないようだ。


「驚いたなぁ、要塞内がこんなにぐたぐただったとはなぁ」

「今後の方針も考え直さないといけませんなぁ」

 お頭だけでなく、他のみんなも目を剥いて驚いていた。

「あの頭の悪いぼんぼんが指揮を執っているんなら、要塞攻略も楽勝ねー」

 アウラは、もう勝ったかの様な顔をしている。


「当座の問題は、捕虜になった仲間を助けに来るか、見殺しにするか だな。それによってこちらの対応も変わってくるんだが、お嬢はどう思う?」

「今回、全滅しているから、そうそう出て来ないんじゃないかと思う。だから近く迄寄ってもいいんじゃないかな?気になるのは、外輪山の一角にある出城?」

「ああ、報告にあったあの城かぁ、城の下から川が流れ出ている所をみると、あの出城の下には湖の推移を管理する水門があるんじゃあねえか?で、あの城は水門を護る為の城じゃねえかな?」

「あのお城の中にある水門が壊されたら、湖の水が無くなって防御力が低下するから護って居るって事かな?」

「恐らくな。まずはあの城から叩くか?」

「それはダメ。あたしが思うに、あの湖はもろ刃の刃なのよ。あの湖があるからうかつに攻められないのは事実なんだけど、逆にあの湖があるから中に立て籠もっていてくれるし、ばらばら逃げ出して来ないって利点もあると思うのよ」

「ふむ。なるほどな。水が無かったら、いつでもどこからでもMr.Gの様にごそごそと出たり入ったりされて鬱陶しい事この上ないって訳か。確かにそうとも言えるな、あの一点に集中していてくれるから、こっちも少ない兵力を広く分散配置しないで済むんだからな」

「そうそう、だからあのお城は無傷で残した方がいいかな と。ただ、お城の下にある程度の兵を集めて、攻めるぞ、攻めるぞって圧をかけ続けるのはいいかもね」

「お前、なんだかんだと良く思いつくよなぁ」

「えへへ、外輪山に登ったら最後の仕掛けを作るわよ。大工さん達の確保は大丈夫?」

「おう、任せとけ!我が『うさぎ』には戦う大工に戦う船大工、戦う内装職人に戦う画家が多数居るからな、腕はばっちりだから安心しろ」

「うん、それじゃあ日が暮れたら山男さん達を先頭に外輪山を登るから準備をしたら十分休憩をとらせてね」


 日没と共に敵の本丸に肉薄する為の準備が始まった。



   ◆◆◆◆◆ナンシー湖ラムズボーン要塞◆◆◆◆◆


「どういう事だっ!!」

 ラムズボーン要塞の一角にある豪華な執務室に怒声が響き渡った。

 今はこの部屋の主になったシャンブルー・カーン伯爵が、執務机の前でこめかみに青筋を立て怒りの形相で立ち上がっていた。その右手は机の天板にめり込んでいて拳からは血が流れ出していた。

 彼の執務机の前では、閣僚達が顔面蒼白で膝をガクガク震わしながら横一列に並んでいた。ただ一人ハンス・ブリュッケン子爵だけは執務机の脇で彼らのやり取りを冷ややかな目で見て居た。

「誰が兵を出す許可を出したかっ!答えよっ!!」

 俯いたままの閣僚を睨みつけながら、更に怒鳴った。

 閣僚達は、お互いに顔を見合わせてから、意を決した一人が震える声で話しだした。

「昨夜遅く、プファルツ男爵が兵二千を引き連れて戦いを挑みまして御座います。お止めしたのですが、我々の身分では強く申し入れる事は叶わず、男爵は「結果が全てだ、敵を蹴散らしてしまえば問題あるまい」と、制止を振り払って出撃されました」

 そのとたん、伯爵のこめかみがピクリと引きつり、それを見た閣僚たちは ヒッ と声にならない悲鳴を上げ、一歩後ずさった。

「全員捕虜になっておいて、結果が全てだとお?どの口が言うかっ!恥さらしが!プファルツはどうしたっ、奴も捕虜になっているのか?」

「いえ、物見からの報告では、兵だけで襲撃をかけさせて、彼は後方で見て居たそうです」

 どごおおおおん!!

 再び、執務机が爆音を立て、今度は左手の拳が机にめり込んだ。

「奴は 奴は無事なのだな?それなら、なぜ、ヤツが自ら報告に来ない?ええっ?なんでこない!!」

 もう、閣僚達は涙目になっていて、もはや会話が出来る状態ではなかった。そこで、やっとハンス・ブリュッケン子爵が助け舟を出した。

「坊・・・いや、伯爵。恐らく奴は逃げたんだろうよ。戻っても、独断専行の責任を取らされるだけだしな」

「うぬぬぬぬ、どいつもこいつも腰抜けばかりで使えん奴らだ!」

 机から血だらけの両腕の拳を引き抜くと、部屋の隅で控えていた侍女が素早く駆け寄り手当を始めた。

 伯爵は怒りが収まらない様子であったが、椅子に座り大人しく治療を受けていた。

「伯爵、取り敢えず捕虜になった二千人はどうする?」

 すっかり怯えて縮こまっている閣僚にかわってブリュッケン子爵が今後の方針を訊ねた。

 伯爵は、天井を見ながら冷たい声で答えた。

「そんなものはどうでもいい。それよりも余の顔に泥を塗ったあいつらをどうするかだ。どうせ放っておいてもここに来るんだろ?閉籠もって時間を稼いでいれば奴らも食料が無くなって慌てふためくだろうさ、決着を付けるのはそれからでいい。違うか?」

 ふむ、頭の弱い・・・いや、血気にはやる伯爵も流石に分かって来たか。

「それでいい。最善だと思う。ただ・・・」

「ん?ただ何だ?」

「ああ、いや、何でもない」

「変な奴だなぁ。ははははは」

 笑っている場合じゃないんだがな。もっと部下に優しくしないと、肝心な時に逃げられるぞ。まあ言った所であの性格は治らんだろうが・・・。


「取り敢えずは、周囲の警戒を厳として、じっと籠っていれば敵は自滅する。ただ水門だけは、防備を固めておいた方がいいだろう」

「ああ、そうしよう。だが、ここは難攻不落の要塞だ、心配あるまいよ」

 そう言うと、笑いながらシャンブルー・カーン伯爵は部屋を出て行った。

 立て籠もるって事は、逃げ道は無いって事だ。ミスは自らの命で償わなければならない事になるんだが、わかっているのかな?あの御曹司は。それに、要塞を守るのは人間なんだぞ、人心を掴んでおかなければ、どうなるかわかったもんじゃない。

「おい、敵の動きはどうなって・・・」

 残っている幕僚に状況を聞こうとおもったのだが、みんな下を向いたまま身動ぎもしない。こりゃ駄目かなと思っていると、何代にも渡って伯爵家に使えて来た壮年の幕僚の一人が顔を上げてこちらを睨んで来た。

「ハンス、貴殿も知っての通りワシは代々伯爵家に仕えて来た、そりゃあ確かに汚い仕事にも手を染めて来た事もあった。だがな、それもこれも伯爵様が信頼に足るお方だったからだ」

 そこまで一気に吐き出すと、周りに居る幕僚を見回して、更に続けた。

「貴殿は、あの御曹司に信頼して付いて行けるとお考えか?命を懸けてまでお仕えするに足りると本当に思えるのか?本心をお聞きしたい」

 そう語り掛けて来た彼のその眼が真剣である事は、言うまでもなかった。生半可な答えでは納得せんぞ!と全身から強いオーラが出ている様な圧を感じた。

「俺は、、、御曹司が正しいのか間違っているのかをとやかく言える立場にない。間違って居ると思えば忠告はする。するが、聞き入れて貰えなければ、それ以上どうしようもない」

「聞き入れて貰えなければ、逃げ出して百姓をするってか?貴殿はそれでいいだろう。だがな、他の者はどうする?要塞内に居る何万もの町人や百姓はどうする?付いて来た兵士達はどうする?みんな犬死にしろとでも言うのか?どうなんだ!」

「なら、お主はどうしたい?御曹司を討ち取って、それを手土産に国軍に投降して命の安泰を計るか?それとも、御曹司を置いて逃げ出すか?」

 幕僚連中は動揺しておろおろしている。心の中で思っても、恐ろしくて言えなかった事をいきなり言われたからだろう。

「正直、ワシにはどうしたらいいのか判断出来ん。ただ、将来のある若者の未来をこんな事で失わせたくない。女・子供・年寄りも逃がしてやりたい。だが、そんな事をしたら、我が軍、いや、この要塞は総崩れになってしまう。だから、思っても行動に移せないのだ」

「そうだ、この皺首なんか惜しくないわい。もう十分長生きして来た、欲しくればくれてやるさ。だが、若者達にはこの重荷を背負わせたくない、生き永らえてほしいんじゃ」

「そうだ、そうだ!」

 幕僚達は、口々に叫んでいる。みんな思いは同じ様だ。俺は一人一人を見つめながら静かに口を開いた。

「みんなの気持ちは良く分った。俺に考えが無いではない、聞いてくれるか?」

 何かを感じたのだろう、みんなは俺の周りに集まって来た。俺は一旦部屋の外を確認してから彼らの元に歩み寄り、小さな声で話し始めた。

「みんなは、この無駄な戦いをなるべく犠牲者を出さずに速やかに終了させたい。そう思っていいのだな?」

「ああ、そうじゃ。その為なら、ワシらの身の安全は考慮しなくて構わない。というか、最終的には責任はきちんと取りたいとさえ考えておる」

「みんなの覚悟はわかった。では、俺の考えを話す。今、寄せて来て居るのは何故か竜殺しの聖女様が率いる国軍なんだそうだ」

「なんと!それはまことか?」

「そんな事が有り得るのか?」

「聖女様は戦いをするのか?」

 みんな、困惑している。

「これは複数の物見からの情報なので確かだと思う。聖女様なら無駄な殺生は好まんだろう。我々が投降すれば、受け入れてくれるはずだ。もし、受け入れて貰えなければ、俺の首を差し出してもいい」

「それならワシの皺首もくれてやるわい」

「自分もご一緒します」

「これだけ首が揃えば、聖女様も嫌とは言わないでしょう」

 みんなノリノリだったのが、自分の首を差し出すのにノリノリって、どうなんだろう?


「おそらく申し出ても御曹司は聞かんだろう。徹底抗戦を叫んで被害が拡大するのが目に見えているから、ここで戦わずに、出て戦って貰う」

「そんな事が出来るのか?」

「うむ、みんなに協力して貰えばなんとかなるだろう」

「で、どうするんだ?」

 部屋の片隅に大の男が顔を寄せ合っている図は、ある意味異様だったが、みんなそれどころでは無かった。

「明日朝一で緊急閣議を開く。そこで、出陣を促す。諸君には俺の言う事に賛同して御曹司を煽って欲しい」

「どうやって誘い出すんだ?」

「敵が御曹司の悪口を言いふらしている事にする。そして、今なら敵の中枢である聖女が無防備なので一気に叩いて雌雄を決しようと勧める。敵は千名程度に減って居るから、こちらは一万を出すって言えばその気になるだろう。一万の兵は御曹司に恨みを持っているアーリントン男爵の手の者を使う」

「なるほど、男爵の兵に後ろから襲わせるのか。いい案だ」

「では、時間が経つと情報が洩れる恐れがあるから、明日決行しよう」

「「「「「了解だ」」」」


「どういう事だあぁ!」

 翌朝、物凄い剣幕で、靴音をどすどすと乱暴に響かせながらカーン伯爵は執務室に入って来た。

 その険しい、不愉快極まりないといった表情と剣幕を目の当たりにした幕僚達は反射的にビクッと体を引きつらせると下を向いて固まってしまった。

「連中の動きがおかしいとはどういう事だっ、説明せいっ!!」

 幕僚達がみんな下を向いて固まって居る中、ハンス・ブリュッケン子爵がゆっくりと前に歩を進めると、静かな口調で話し出した。

「伯爵、昨夜敵陣に放った物見から報告が入りました。どうやら敵は食料の残りが少なくなって来た所に加え、先日の勝利で多数の捕虜を抱えるに至り、いよいよにっちもさっちも行かなくなったそうです」

「まことかっ!プファルツの独断専行も無駄では無かったと言う事だな」

「御意。その通りで御座います。更に大量の捕虜を食べさせる事が出来なくなった敵は、捕虜を後方に移送する準備を始めたそうに御座います」

「なにっ!後方に護送だと・・・」

 それを聞いた伯爵は一同に背中を向けると、腕を組み何かを考え始めた。みんなは、お互いにそっと顔を見合わせて何を言い出すのか成り行きを見守っている。

「ここは、まだじっと閉じ籠っているのが正解なんだろうな」

 振り向くと伯爵はブリュッケン子爵に確認をとる。だが、その物言いは心なしか揺れ動いている様にも見受けられる。焚きつけるなら今だ。そう思ったブリュッケン子爵は意を決して話し出す。

「伯爵、今までであればその通りであります。ですが、戦略と言う物は臨機応変でなければなりません。敵は捕虜を後方に移送するにあたり護衛と食い扶持を減らす為に相当数の護衛を付ける様であります。これはチャンスです。敵の本陣は千名程度になると思われます。本陣を襲い、聖女を確保さえすれば、一気に形勢逆転になります。聖女を前面に押し立て、我々が中央に返り咲く事も夢ではありません。お父上様の無念を晴らすなら兵力の充実している今しか無いでしょう」

「閣下、兵ならばアーリントン男爵の兵を使いましょう。奴の兵なら消耗しても惜しくはないでしょう。今なら、一万、いや二万でも動員出来ます。直ぐに動員令を出せば、夕刻には軍を出せます」

「そうです、夕刻に兵を出せば夜陰に乗じて敵の本陣を一蹴出来ます」

「閣下が先頭に立って兵達を鼓舞して頂ければ兵達の士気も天を突くものとなりましょう」

「要塞の守りは、我々古参の信頼できる者を中心に固めますので、後顧の憂いは無いはずであります」


「他にも、閣下が聖女を恐れて要塞内で震えていて出て来れないなどと言う話が広がっており国民もその話を信じ始めていると言う別の物見からの報告も御座います。もはや、看過できない状況かと」

 最後の一言が決め手となったのか、みるみる伯爵の顔色が真っ赤になって両の拳がわなわなと震え出した。

「誰が、誰があんな小娘なんぞ恐れるものかよっ!ハンスっ!!貴様の言う通り籠城していたばかりにこのざまだっ!どう責任を取るつもりかっ!!」

「はっ、重ね重ね大変申し訳ございませぬ。この戦いが終わり次第どの様な処分でも甘んじてお受けする所存に御座います。取り急ぎ、今は聖女奪取に全力を傾け下さい」

「その言葉、忘れるでないぞ!!大至急出陣の準備をせよっ!!」

 そう叫ぶと、伯爵は部屋を足早に出て行った。


 残った一同は、お互いに顔を見合わせた後、極度の緊張から解放された解放感からか、ここ何年もの間忘れていた笑顔を取り戻し腹を抱えて暫しの幸せを満喫したのだった。

「さあて、これからが正念場だが、アーリントン男爵の子飼いの兵達は大丈夫か?指示通り動いてくれそうか?」

「安心しろ。アーリントン男爵には会って協力を要請して来た。この事の真意は兵の主だった指揮官にのみ伝達してある。みんな喜んで協力してくれるそうだ」

 ブリュッケン子爵の言葉に一同は安心した様だった。子爵は更に続けた。

「事の仔細は、聖女側にも伝えてある。基本我々で伯爵の首は討ち取るが、万が一の場合は協力を頼むと書面を送ってある。これで、伯爵は要塞を出たが最後、袋の鼠だ」

「流石だ、そこまで根回しをしているとはな」

「それでも、作戦結構までに奴に情報が洩れたらエライ事になるからな、常に見張りを張り付けて監視させてある」

 窓から遠くに見える外輪山の山々を見ながら、ブリュッケン子爵はまだ固い表情を崩せないでいた。これからしようとしている事は大局的に見たら正しい事ながら、長年仕えて来た主家を裏切るのである、その心情は複雑であろう事は容易に察する事が出来る。

「では、作戦決行まで各々で出来る事をお願いしたい。万が一、事が発覚した時は、、、各自で奴を討ちに行って貰いたい。本当に最悪の場合だ、そうならない事を願おう」

 その一言で閣議は解散となった。


 日が暮れかけた頃、閣僚達は執務室に集合していた。ただ一人、一番若いアルツフェルト男爵だけが、この場にいなかった。

 バレたのか?閣僚達の間に緊張が走ったが、目の前の執務机にはカーン伯爵が座っているので顔に出す訳にはいかなかった。


 そんな閣僚達の心情を知って居るのか居ないのか、伯爵はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべて座っている。

「どうした?みんな顔色が悪い様だが?緊張しているのかな?」

 閣僚の一人が腰の剣に手を伸ばそうとしたその時だった。

 伯爵が バンッ と大きな音をたてて一枚の紙を机の上に叩きつけた。

「余が何も知らないとでも思っていたか?ちゃんと報告は上がって来て居るんだよ」

 その紙には、伯爵が女装した絵が描かれていた。思わず、上手い、と言いかけた閣僚がいた位の見事な出来だった。

「こんな物を描いた奴も万死に値する大罪人であるが、余に黙っていたお前達も同罪だ。帰って来たらそれ相応の処罰があると思えよ」

 恐怖の処罰宣告なのだが、場に安堵の空気が広がった事に伯爵は気が付いていなかった。

 立ち上がった伯爵は、笑いながら部屋から出て行こうとしたが、入り口の所で立ち止まると愉快そうに言った。

「ああ、この紙を持っていたアルツフェルトは報告をしなかった罰として、拷問部屋で百叩きにしてやったわ。今頃はボロ布の様になって石の床に転がって居るだろうよ。はははははは」


 伯爵が出て行って、暫くは誰も口が利けなかったが、誰かの大きなため息をきっかけに、ぽつりぽつりと言葉が出始めた。

「一体なんだったんだ」

「息が止まるかと思ったぞ」

「結局、なんだったんだ?何もわかってないって事なのか?」

「あまりの緊張で、眩暈がしてきたよ」

 それぞれが、しゃがみ込んだり、壁にもたれたりして緊張をほぐしていると、伯爵に付けていた見張りが報告に来た。

「報告します。伯爵は船に乗り込み湖に出て行きました。予定通りです」

 それだけを言うと帰って行った。


 ハンス・ブリュッケン子爵は、夜の湖に乗り出して行く船の灯りを表情の無い顔で見送りながら、ひとりごちた。


「これで、いいんだよな」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ