33.
◆◆◆◆◆ナンシー湖ラムズボーン要塞◆◆◆◆◆
ラムズボーン要塞は、シュトラウス大公国北部に位置し、今は死火山となったランゲ山のカルデラ湖である東西南北約四十キロもあるナンシー湖の中央にある島に建設されている巨大な都市要塞で、カーン伯爵の末弟であるアーリントン男爵が治めている。
カーン伯爵がクーデターを起こす事は半年前に知らされており、ここラムズボーン要塞は後方支援基地として機能する計画だった。
ラムズボーン要塞は、ナンシー湖が外堀を兼ねている為、立て籠もってしまえば、何年でも籠城が出来る難攻不落の要塞だったし、心配性のアーリントン男爵は食料備蓄に余念が無かった為、こまめに非常用食料が蓄えられていたので、兵糧攻めの心配はなかった。食料の他にも、武器の備蓄、傭兵の雇い入れも抜かりが無かった。
さらに、カルデラ湖の中央にある要塞都市を擁するこの島は、ちょっとした小国くらいの面積があり、中央に広がる広大な畑と相まって全く食料の心配はなかった。
また、島の周囲は堅牢な城壁でかこまれており、例え湖を渡っても、内部には容易には入れない構造になっている。都市と畑、居住地はその城壁の中に広がっていた。
当初の予定では、兄であるカーン伯爵が王都を制圧後、王都奪還の兵が王都に迫った際、後方から挟撃する予定になっていた。また、また、万が一失敗した時には要塞で匿う事になっていた。
兄からは、状況が不透明の場合は決して兵を動かすなと厳命されていたので、今回はまったく動かなかったのだった。
クーデター成功を疑っていなかったアーリントン男爵にとって、カーン伯爵が行方不明という事態は、想定外であった。もちろん間者を王都方面に数多く派遣して情報を集め様としたのだが、足取りは掴めなかったのだ。
そんな事情があったので、サンビト要塞で味方が苦戦していても兵を出せずに静観するしかなかったのだった。
さて、盟主もいないし、どうしたものかと思案しかねていた時だった。間者が情報をもたらしたのは。
カーン伯爵の長男である、シャンブルー・カーン男爵がこちらに逃れて来ると言うのだった。シャンブルーはまだ十代の若者で、アーリントン男爵の甥に当たった。
シャンブルーは気難しい性格の為、万難を排してお出迎えの準備を進めなくてはならなかった。それは几帳面というのとはまた違っていた、甘やかされて育ったので視野が狭く我儘だったのだ。それだけならまだいいのだが、持って生まれた激しい性格と親の七光りが相まって、やりたい放題で、周りの者にとっては只の迷惑でしかなかった。
アーリントン男爵はため息を漏らし、今後の事を憂いた。全く人の言葉を聞かない事で有名な甥っ子だったので、どう扱おうかと考えあぐねていた。
やがて、夜陰に紛れてシャンブルー男爵は少数の兵と共にラムズボーン要塞に上陸を果たした。
全員、全身が泥にまみれており武器すら持たない者も一人や二人ではなかった。まさに落ち武者の一団だった。
幕僚を従え、城門まで出迎えたアーリントン男爵は、その姿に驚いたのだが、更にそこで有り得ない仕打ちを受けたのだった。
「シャンブルー殿、ようこそ我がラムズボーンへ・・・」
アーリントン男爵は深々と頭を下げ、そこまで言った所でいきなり腹部への強烈な痛みを感じ、そのまま後ろに吹き飛んで地面で二回程転がってしまった。シャンブルー男爵の蹴りをもろに受けたのだった。
何が起こったのか全くわからなかったアーリントン男爵の頭上からは情け容赦ない罵声が浴びせられた。
「貴様!今まで後方で何をしておったっ!!」
「王都を撤退した時!我が故郷イルクートが陥落した時!サンビト要塞が落とされた時!お前は何をしておったっ!!」
「安全なここで、高みの見物を決め込んでいたであろうがっ!!これは、明らかな反逆であるぞっ!!」
「シ シャンブルー殿、それは誤解で・・・」
「黙れっ!!」
弁明すら許さないシャンブルー男爵は、つかつかと前へ出ると、地面に這いつくばったままのアーリントン男爵の頭部を二度、三度と力任せに踏みつけた。
さらに、抵抗の出来なくなったアーリントン男爵の脇腹に情け容赦の居ない蹴りを、意識が無くなりぐったりするまで見舞い続けた。
あまりにも残酷な仕打ちに、周りに居る者は目を背けたが、意見を言う者はいなかった。言ったが最後、次の標的が自分になるからだった。
頭部から、鼻から、口から、耳から血を流して、ぴくぴくと痙攣しているアーリントン男爵には興味を失ったのか、シャンブルー男爵は出迎えの幕僚へと向き直った。
幕僚達は、皆一歩下がって身構えた。
「何か文句のある奴はいるかっ!?」
もちろん、誰も文句どころか一言も発言出来なかった。
「余は疲れた。寝所へ案内せよ!グズグズするなっ!!」
幕僚達は、皆案内役を嫌がった。何が気に食わなくて蹴りが飛んで来るのかわからないからだ。結局、一番階級の低い者に白羽の矢が立ち、ビクビクしながら一行を案内して行った。
問題児が居なくなった後に残った幕僚は、アーリントン男爵を介抱しつつため息をついていた。
「態度がわるいとは噂には聞いていたが、想像以上だな」
「ありゃぁ態度と言うより性格が悪い、ねじ曲がってやがる」
「それに、アーリントン男爵は自分の叔父じゃあないか、叔父にこんな仕打ちをするなんて、人間じゃない」
「おいおい、やめとけよ、奴の手先に聞かれたら大変な事になるぞ」
「にしても、どうするよ?あんな奴の下では働けんぞ」
「だよなぁ、どうするか。いっそ、ここから逃げ出すか?あいつの下じゃあ、戦いに勝てるわけがない」
「本来、ここが一番安全なんだがなぁ、あいつに理解出来るかどうか だな」
「そうだな、打って出るって言いだしそうだもんなぁ」
「いっその事、殺っちまうか?」
「おいおい、こんな往来でする話しじゃあないだろう。場所を変えようぜ」
「違いない。では、一時間後に例の所で・・・」
そして、物騒な夜が明けて翌日。
三々五々に幕僚達が、アーリントン男爵の執務室に集まってきている。
主の椅子に座って、デスクに足を乗せてふんぞり返っているのは、シャンブルー男爵だった。背後には腹心の部下が五人窓を背に立って居る。
アーリントン男爵は、昨日の怪我によりベッドで寝込んでいた。
「これで全員そろったな。今よりこのラムズボーン要塞は余の支配下に置く事にする。よもや反対する者は居らんだろうな?えっ?どうなんだ?」
有無を言わさない物言いに、みんなは顔を見合わせたが、反論出来る訳も無く従う事となった。
「では、最初の命令を申し渡す」
シャンブルー男爵は、ニヤニヤ口元に嫌な笑いを浮かべていた。みんな、何だろうと訝しんでいると、爆弾が落とされた。
「アーリントン及び、その幕僚はお払い箱とする。これ以後は余と我が幕僚が指揮を執る。お前達は一兵卒として最前線で が ん ば れ よ。頑張り次第では褒美くらいはとらせてやらない事もないぞ。はっはっはっはっはっ」
みんなあまりの物言いに怒りを通り越して、呆れてしまった。この要塞ももう終わりだなと誰もが思った一瞬だった。
「ほれ、もう下がってよいぞ。お前らに用はないからな。暇なら、城壁で見張りをする位は許可をするぞ(笑)」
そこまで言われた所で、みんなは両の手をぎりぎりと握りしめながら部屋を出て行った。
「よろしいので?アーリントン男爵はカーン伯爵の末弟、坊ちゃんの叔父上に当たるお方。あまり粗末に扱いますと・・・」
「坊ちゃんは止めてくれ、かまうものかよ。もう余は一人前だ。父の後を継いで今日から伯爵を名乗る事にするからな」
「いや、しかし、正規の手続きを取らずに勝手に称号を変えるのはなにかと問題が・・・」
「こんな混乱時に、そんな悠長な事はやっておれん。事後報告でよかろう」
「御意」
「不運にも父上が死んだのだ、ここは跡取りの余が立たねばなるまいて。父上が死んだ位でみんなが王都を放棄して逃げ出したのは想定外だったが、まだ終わったわけじゃない。ここを拠点に再び王都に攻め上るぞ」
「はっ、ここは難攻不落の要塞、国軍が攻め寄せて来ても守り通せます。十分な戦力も食料もあります。サリチアの軍を合わせれば互角以上の戦いは可能です」
「サリチアの戦況はどうなっている?」
「はい、国軍に囲まれておりますが、持ち堪えております」
「そうか、ここへは?」
「そうですね、少数の部隊が寄せて来ておりますが、問題はないでしょう」
「うむ、そうか。それなら生意気にも攻め寄せて来て居る奴らを迎え撃ってやろうじゃないか」
「お待ちください、ここは守りに徹するのが最善の策に御座います。今一度お考え直しを・・・」
「なにっ?貴様、余に意見をするつもりか!余を誰だと思っているかっ!誰ぞ、こやつを引き立てぃ!見せしめに処刑だ!」
「若っ!彼は御父上の右腕だった男、我が軍一の知恵者です。処刑はなりませぬ!」
「なんだと?貴様も一緒に処刑されたいか?えっ?どうなんだ?」
「う・・・・それは」
「皆の者、ようく聞け。余に意見する者、逆らう者は全て処刑する。余は父上の様には甘くはないぞ!役立たずはいらん!しかと心に刻み込んでおけっ!」
場はしーんとして、誰も口を開く者は居なかった。
周りを見回して、誰も何も言わないのを見て満足したシャンブルー男爵、いや今日からカーン伯爵を名乗る事にしたシャンブルー元男爵は、意気揚々と指示を出していく。
「この要塞の兵力はどうなっておるか」
「はっ、正規の訓練を受けている兵は約八万、平民を徴発すれば更に十五万は集まります」
幕僚の末席に居た男がそう答えたが、実際にはその半分も居なかったが、居ないと言えば又新伯爵は癇癪を起こすと思ったこの男は、こんな事で処罰を受けたくなかったので大げさに言ったのだった。これは忖度では無く、自衛の為だった。
もし、本来の主であるアーリントン男爵もしくはその幕閣がこの場に居たら、すかさず訂正していたであろうが、悲しいかな、元々の主も幕閣も追い払われていたので、真実を知る者は誰も居なかった。居たとしても、この若造は他人の意見などはなから聞く男では無かったので、処罰を受ける危険を承知で意を唱える者は居なかったのだ。
虚栄心と支配欲の塊の駄目な支配者の見本とも言える男だったが、彼の下に付いた者にとっては歩く災いと言っていいだろう。
その後、新伯爵はこの要塞で一番高い所にある物見の塔に登り周囲の湖を見渡して今後の作戦について思案していた。
と、周りの側近は思っていたのだが、実際には再び王都を奪回した時の事を妄想してニヤニヤしていたのだった。
自分には才能があると思い込んでいるこの男は今まで失敗した時の事を考えた事は無かった。幼少のころからそう教育されて来たのだった。失敗しても、周りがこっそりとフォローしていたので、生まれてこのかた、失敗などした事は無いと自分が戦えば常に勝つとそう信じて来たのだった。
なので、今回も自分が動けば、たちどころに王都は奪還できるものと信じて居たので真剣に作戦など考えて居なかった、と言うか、元々物事を深く考える習慣が無かったのだ。
そんな時、ふと湖を取り巻く外輪山の一角に佇む人工物の様な物が目に入った。よくよく見ると、城の様にも見えた。
「あれはなんじゃ!あの対岸に見える城の様なものは一体なんじゃ!!」
しかし、当然ながら誰も知る由も無かった。よそ者の集まりなので、みんなお互いに顔を見合わせるだけだった。
「おまえらぁ、右往左往するだけで、誰かに聞いて来ようと言う奴はおらんのかっ!!」
突然の剣幕に、何人かが大急ぎで駆け出して行った。
「ほんんっとに使えない奴らだ。自分で考えて動こうと考える奴は一人もおらんのかっ!!」
あなたが、そういう様に仕込んだんでしょうが。 と、みんなの頭によぎったが、誰も思っても言わなかった。
・・・・・・・死にたくなかったから。
やがて、一人の男が息を切らせながら展望室に駆け込んで来た。
「わ わかりましたぁあ。あの建造物は水門とそれを守る砦だそうです」
「雨が続くと水位が上がって、この要塞が水没するので、水門で調節しているそうです」
「アーリントンが作ったのか・・・あんな腰抜けが造った施設など目障りだ。速攻で破壊せよ!」
さすがに、正気とは思えない発言に幕僚最年長の男、ハンス・ブリュッケン子爵が口を出した。
「坊、正気か?流石にそれは自殺行為だぞ」
「坊はやめろと言ったはずだ!今日から余はカーン伯爵であるぞ、例えハンスであろうと例外は認めん」
「だったら、カーン伯爵として恥ずかしくない言動をお願いしたい。もし、あの水門を破壊したら、この要塞はまず百%陥落する。それだけは言っておくぞ」
「なんだと!なんの根拠があって・・」
「でしたら、お伺い致す。何の根拠があってあの水門を破壊してもここが安全だと言うのか?」
「うっ、それは・・・。それは余が作戦の指揮を執るからじゃ。それ以外に確実な根拠は無いだろうが。違うか?」
「お話しになりませんな。それがしは、今後軍議には一切顔を出さず、部下と農業でも勤しむ事にしよう。もうお主に付き合うのは疲れた、処罰したいなら好きにしたらよかろう。どの道、水門を破壊すればみんな枕を並べて討ち死にする事が決まった様なものだ。死ぬのが数日早まるかどうかの差でしかない。それじゃあな」
踵を返して展望室から退室しようとするブリュッケン子爵に慌てて若いカーン伯爵は追いすがった。
「わわわ、わかった。撤回する、だからそんな事言わないでくれぇ」
さすがの傍若無人が服を着ているようなこの男も、この最年長の参謀を無視は出来なかったらしい。
そんな子爵の立ち居振る舞いに、歯ぎしりをして拳を握りしめている男が居た。盟主の片腕を自負しているプファルツ男爵だった。
勿論、片腕と言うのは自称なのであるが、この男も自惚れが強い男で、この先、ことある毎にブリュッケン子爵に対抗してくるのだった。
軍が敗北してしまったら片腕もくそもないのだが、ブリュッケン憎しで、足を引っ張り続けるのだった。それが自分の命をも縮める事にもなると言う所まで思考が回らないところが如何にもこの男らしい。
結局、渋々ではあるが基本は守りを固めて相手の消耗を誘う事に決まった。当然の様にプファルツ男爵はその方針を消極的だと非難し、迎え撃ってこその騎士道であると言う、意味の分からない主張を展開したが、カーン伯爵の心を掴むまでには至らなかった。
しょせん寄せ集めの要塞運用なので、盤石の一枚岩になるはずも無く、唯一一枚岩を作れる人材を最初に排除してしまった時点で、敗北は決定していたのだった。
歴史にIFは禁物だが、もし、アーリントン男爵を旗頭に据えて、要塞が一丸になって当たっていたら半年や一年は持ち堪えて、少しは違う未来があったのかも知れないと思うラムズボーン要塞古参の兵達の共通の認識だった。
それとは別に違う意見もあった。
それは、ナンシー湖から遥か遠くベルク・ヴェルクの山奥で竜族の持つ特殊能力である千里眼で事態の推移を見て居た、竜王こと黒龍だった。
「人族も忙しいものよ。が、まあ、所詮竜殺しであり熊殺しであるあの嬢ちゃんを敵に回した時点で勝敗は決しておるがの。あの嬢ちゃんはまだまだ隠れた人外の力を持って居る、我に向かって使われなくて本当に良かったわい。しかし、あの気は、懐かしい感じがする。そう、数百年前にも感じた事があった様な気がするが、まあいい、どうでも良い事だ。もう少し寝る事にしよう」
そう独り言ちると黒龍は深い眠りへとついたのだった。
その頃、人質を解放したシャルロッテを指揮官とするラムズボーン要塞攻略軍は味方のせいでにっちもさっちも行かない状況に追い込まれていて、要塞攻略どころでは無くなっていたが、要塞側は知る由も無かった。