24.
おかしら・・・おかしら・・・
「ん んー、なんだ?」
いつの間にか寝入ってしまったらしい、枕もとで側近のオグマが呼んでいる。
「お頭、お休みの所申し訳ありません」
「んー、寝ちまっていたのか。今何時だ?」
「もう日が昇りました」
まだ眠い目を擦りながら上体を起こし大きな欠伸をした。熊の叫び声の様な大きな欠伸に驚き部屋の前で立哨をしていた部下が部屋の中を覗き込んでいる。
「朝か。てぇ事は、あれからあのバカは動かなかったって事か?」
オグマの顔は、違うと言っているようだが?
「パレス・ブランの外で監視をしている者から報告が入りました。やはり、あのわざとらしい攻撃は囮だった様です」
「やはりな。で?どこにちょっかい出して来た?」
「想像通り、アルドラ山の反対側の斜面です」
「だろうな。ちょっかいを出して来た兵力は?」
「約五十名でした」
「ほうほう、ママに代わって悪戯っ子にはそれ相応のしつけをしてやらなければな」
「いえ、それには及びません。全員ママより怖い折檻を受けましたので・・・」
「素早いな。誰が折檻してやったんだ?」
「お山です。と言いますか、お山の守護者によって全員山肌に骸を晒しております」
「守護者? 守護・・・・まさか・・・」
「はい、毒虫共です」
「あれは、言い伝えじゃなかったのか?」
「いえ、事実の様です。そもそも、聖神マルティシオンを崇め奉る総本山のアルドラ山に近寄ろうなんていう不届き者は、ここ数百年居りませんでしたからね。すっかり伝説となっておりましたが、どっこい機能していた様ですな」
「おっかねえなぁ、ここは大丈夫なんだろうな?」
「はい、伝承が正しければここは安全です」
「そ そうか。ならいいんだが・・・。それで、オバカはどうしている?」
「アルドラ・パレス正門前方一キロ程の所に陣を張って対峙しております」
「鬱陶しい奴だなぁ。目障りだから蹴散らしてやるか?」
ベッドから立ち上がって、腕をブンブン振り回しながらそう言うと、オグマはいい手があると言って来た。
「良い手とは?」
オグマが手を叩くと、お世辞にも綺麗とは言えない小柄で初老の男が入って来た。頭には藁で編んだ様な笠を被り、熊系の毛皮で出来た上着を着ている。顔も手も真っ黒に日焼けしており左手にはボウガンを持ち、まるでマタギの様な身なりだった。
「この者が、良い策があると申しております」
くたびれた様ないで立ちではあるが、眼光は鋭かった。見るからに山の人であった。
「良い策があるとな?聞こう」
その男は、静かに俺の前にやって来た。
「お初にお目に掛かる。閣下が面倒を抱えている様なので、お手伝いをしに来たのだが」
「ほう、どうするのだ?兵は何人必要かな?」
すると、その男はニヤッと微笑んだ。
「必要ない。馬が一頭あれば良い。任されよ」
馬が一頭?それだけでいいのか?
「ちなみに、参考までにどうやるのか教えて貰っても?」
「なあに、大した事じゃあない。この山に住んでいるレッドガーディアンと呼ばれる軍隊赤毒蜂を一匹捕まえて、そいつを馬の尻尾に括りつけて送り出すだけよ。あいつら、仲間意識が強くてな、一匹送り込むだけで、巣の中に居る奴らが大挙して押し寄せるってわけだ」
「「うへぇ」」」
「ただし、馬に括りつけるまで、眠らせていないとこっちが襲われるから、麻酔薬の調合に技術がいるのが難点だな」
「聞くだけで恐ろしいな。こっちには襲って来ないのか?」
「大丈夫だ。仲間を助け出したらすぐ帰るだろうが、もし、迂闊に手を出しようもんなら・・・」
「出しようもんなら?」
「無数の蜂に襲われる事になるだろうな。あいつら売られた喧嘩は徹底的に買うからな」
「わかった、お任せする。馬はどこに?」
「城門の所に繋いでおいてくれればいい」
その時、伝令が駆け込んで来た。
「お頭っ!」
「どうした?」
「敵兵が徐々に増えてきていやす。一度、ご覧になってくだせい」
「おうっ!」
急いで城壁に上がって見ると、確かに敵兵が増えている。いや、増えているなんてもんじゃない、爆増していた。
「いったいいつの間に・・・」
「お頭、今度の兵は伯爵直属の兵の様ですな。どうします?」
少し見ない間に敵兵の数は膨れ上がり、一万は越えているのではというレベルに達していた。
「流石にあの数はやばいな。あのアホウを少し舐めていたかもしれん」
焦る俺とオグマとは正反対に山男は冷静だった。
「今こそ儂の出番ですな。お任せねがいましょうか」
そう言うと、踵を返し慌てず焦らず城壁から降りて行く。
それを見て、俺も覚悟を決めた。
「頼んだぞ。ああ、それからな、俺は『閣下』ではなく、只の山賊の頭だ。忘れるなよ」
一瞬立ち止まった山男だったが、何もなかったかの様に再び歩き始めたが、その顔にはささやかな笑顔が浮かんでいた。
「どっちでも、大勢に影響はなかんべよ。些細な事さね」
そして、高らかな笑い声と共に角を曲がって消えて行った。
「さーて、凶とでるか、吉と出ないか・・・」
「それ、一緒ですよ」
一瞬、城壁の上の一部分に笑い声が溢れた。
「おーい、何笑ってるんだぁ。あまりの戦力差に気でも触れたかぁ?」
戦場に緊張感の無い声が響き渡った。そう、声の主は自他共に認めるアホウ者ジョージ・マッケンジーだった。
「どうだい?凄いだろう。これだけの軍勢があれば、そんなチンケな砦なんか一飲みだぞう(笑)」
相変わらず能天気で軽い御仁だぜ。確かにこれだけの兵を貰っておいて負けでもしようものなら、無能の烙印を押される事は決定だろうなあ。
「どう?どう?おどろいた?おどろいたよね?降参するなら今の内だよお。僕も魔王じゃあないから、大人しく降参して聖女様を渡してくれるのなら、君達には温情を持って接するよお。どう?どう?悪い話じゃあないでしょう?」
「なんか、聞けば聞くほど奴の部下が不憫に思えてくるんだが・・・」
「ですなぁ、不憫と言うか、哀れと言うか、気の毒と言うか、可哀相と言うか、哀れと言うか、痛痛しいと言うか、痛ましいと言うか・・・」
「だよな。しかたがねえ、少し奴に付き合ってやるか」
俺は、良く見える様に城壁の上に立ち上がった。
「わかった!!確かに戦力差はいかんともしがたい。お前の要求を受け入れよう。だが、内部の意思の統一をしたい、少し時間をくれんか?」
聞いたとたん、奴は馬上で両手を上げてぴょんぴょんと喜びを表している。分り易い奴だ。
「わかった。だが、多くはやらんぞ。そうだなあ、十分だけやろう。十分たったら聖女様を差し出しなさーい」
「温情感謝する!正門より馬に乗せて送り出す。門から離れ後退し、しばし待たれい!」
「わかったぁ!聖女様さえ大人しく渡してくれるのなら、貴殿達に危害は加えん。安心なされよ!」
側近の兵が静かに傍に寄って来て小声で囁いた。
「(門が開き次第突入します)」
「(まあ待て。聖女様を確認してからでも遅くはあるまい。突入準備をして待機だ。僕をコケにしたんだ、確認でき次第、奴らは皆殺しにしてやる)」
「(御意)」
笑顔で手を振りながらこんな話をしている時点で天罰必至だったが、この後起こる惨劇を知る者はまだ誰も居なかった。
この地が阿鼻叫喚の地獄絵になろうとはムスケルですら知る由も無かった。何故知る由もないかは、知る由もなかった。
「お頭、正門に藁人形を乗せた馬を用意しました。後は、山男氏が蜂を取って来るだけです」
「うむ、俺達も正門前広場に行こう」
急いで正門前の広場に向かうと、そこには高貴そうな衣装を着てベールを深々と被せられた藁人形が馬に乗せられていた。
兵達は取り囲む様に集まっていて、何が起こるのかと固唾を飲んで見守っていた。
こんなので、万を超える敵兵を退けられるとは、未だに信じがたいのだが・・・。
「おかしらーっ!まだかまだかと奴らが騒いでいるんですがねえ、どうします?」
上から敵を監視している兵が指示を仰いできた。
「聖女様のお支度に時間がかかると言っておけ~」
「大丈夫なのでしょうか?」
後ろから、当の本人が話し掛けて来た。
「聖女の嬢ちゃん、ここは危険ですから一番奥で待機していてくだせい。たのんます」
「わかりました。奥で皆様のご無事をお祈りしております」
そう言うと、ベルとレイラの双子の姉妹に付き添われ奥に消えて行った。
あんたが居ない方が俺達は安全なんだよ。とは思っても言えないムスケルだった。
消えて行った麗しい聖女様と入れ違いにむさ苦しい山男が広場に入って来た。
「おう、首尾はどうだった?」
山男は、ニヤリと悪そうな笑顔を浮かべ、両腕に抱えた麻袋を差し出して見せた。
「首尾は上々だ。普段は一匹がやっとなんだが、今日に限って二匹も獲れたぞ。これも聖女様のご加護なんだろうなぁ。ご加護なんて信じてねえがな」
山男が抱えた麻袋は人間の子供位の大きさがあった。
「そんなに大きいのか。初めてみたぞ」
「これでも小さいほうだがな。さっ、薬は短時間しか効いて無いからさっさとやるぞ。今目覚めたらエライ事になるからな」
そう言うと、馬の所に行き藁人形の中に一匹潜り込ませた。もう一匹は荷物として藁人形の後ろに括りつけた。時折羽音がするのは、薬が切れて来たのだろう。取り囲む野次馬の輪は、一段と大きくなっていたが、みんな怖くて少しずつ後ずさっている様だった。
「さあ、いいぞ!急いで門を開けてくれ」
山男の一声で、正門に取り付いていた兵が慌ただしく門を開けていった。門の外にはなだらかな斜面を埋め尽す様に伯爵軍の兵が展開していた。
山男が馬の尻を軽く叩くと、馬はゆっくりと敵陣に向かって歩いて行った。それを見届けると、大急ぎで門を閉め戦闘配置だ。
城壁に登ると敵兵の中に進んで行く一頭の馬が見て取れた。
馬が進むと、人垣がすっと割れて馬を飲み込んで行くのだが、馬の周りは常に一定の距離を置いて空間が出来上がっていて、人波に埋もれる事はなかった。
その不思議な空間はゆっくりと敵兵の海の奥深くに進んで行き立ち止まった。どうやらオバカの所に着いたのだろう。奴の反応が楽しみだ。
「うーん、距離があって良く見えないな。おいっ!!ビジー、お前視力がいいだろう、実況しろよ」
「了解っす!」
「どうやら、あのおバカが馬から降りて偽聖女様の足元に跪いています。あ、配下の兵達も次々に跪いていきます」
「なにやら話し掛けていますねぇ、藁人形に。滑稽きわまりないっすw」
「おっ、反応が無いのにイライラしていますねぇ。あ、立ち上がって馬から降ろそうとしています。まだ気付かないのかなぁ?やはりおバカ認定ですね」
「あ、ついに手を伸ばして偽聖女様の腕を・・・・ああ!腕がもげましたっwww」
それを聞いた城内は大爆笑だった。
「おバカは、藁の束を握りしめたまま、尻餅をつきましたっ!」
「怒り狂ったおバカは偽聖女様を馬から引き摺り下ろしましたwww」
「おーっと、蜂様のお目覚めです。引き摺り下ろされたショックで目が醒めたのでしょうか、藁の中から真っ赤な蜂が出て来ました。蜂様はしきりに羽ばたきをしています」
「兵達は、、、、逃げ出しましたっ!偽聖女様の周りの空白がどんどん広がっていきますw」
「もう一匹の蜂様も出て来ました。あ、勇敢な兵が槍で突っつこうとしていますが、見事なへっぴり腰なので槍が届かず、蜂様はお怒りモード突入しました」
「二匹の蜂様は上空に向かって口を開いています。何か叫んでいるのでしょうか?」
その時だった。城壁の上で観戦していた兵達がせわしなくきょろきょろと周りを見回し始めた。どこからか微かな振動音が聞こえてきたのだ。最初は気が付かない程度の小さな音だったのだが、次第に大きくなる音に不安になり周りを確認し始めた、そしてその振動音が山全体を震わせるに至った時、背後の山から黒い煙の様なものが立ち上って来た。
その煙が次第に大きな振動音と共に上空に達した時、人々はその煙が無数の真っ赤な蜂の集合体であると認識したのだった。
やがて丘の上に達すると、一斉に散開して、丘を逃げ惑う二万に届こうかという伯爵軍へ向かって降下して行った。
城壁の上でその状況を見て居た我が軍の兵達は、身を隠す事も忘れ、只々呆然と事の成り行きを見守っていた。ある程度想像はしていたものの、実際に目の前で繰り広げられている惨状は、想像の遥か斜め上を行っていた。
遠目にもはっきりと見える子供程もある巨大な赤い蜂の群れが縦横無尽に丘の斜面を飛び回り、降下と上昇を繰り返していた。降下する度に兵士が倒れていき、勇敢に剣や槍で立ち向かった兵も、羽でなぎ倒され、お尻の針で刺され、強大な顎で噛みつかれ、次第にその数を減らしていった。
後方に居た兵達は蜂の飛来を見るや否や、武器を投げ出して遁走していたので、いったいどのくらいの兵が蜂にやられたのかは不明だったが、かなりの数がその犠牲になったのではないかと思われる。
城壁で見て居た味方も、目はこぼれんばかりに見開き、口は顎が外れたんじゃないかと思える程開ききっていた。
阿鼻叫喚、地獄絵図、言葉にすれば簡単なのだが、現実にはそういうレベルのものではなかった。一生トラウマにでもなりそうな衝撃だった。
今までに、数々の修羅場を潜り抜けてきた俺だったが、さすがにこの光景を目の当たりにして、背中が汗でびっしょりだった。膝がガクガクと震えていたのは内緒だ。
蜂の飛来から十分もする頃には、丘の斜面で動いているのは巨大な真っ赤な蜂だけとなていた。
やがて攻撃対象が居なくなったと見ると、巨大な赤い蜂は、一匹、又一匹と戦場を離れ始めた。その口には、動かなくなった兵士が咥えられていて、そのまま巣に持ち帰るのだろう。持ち帰ってどうするのかは、、、さすがに怖くて考えられなかった。
蜂達は、我々には一切手を出さずに、真っ直ぐ山に向かって帰って行った。城壁の上や城壁内では、兵士達がうずくまって後頭部の所で両手を組んで、なにやらぶつぶつと呟いていた。おそらく、聖女様に永遠の忠誠を誓って居たのだろう。
「いかがですかな?」
いつのまにか、例の山男が横に来て居た。
「おい、確かに助かったんだが、あれはあまりにもやり過ぎじゃあないか?」
「儂がお助けしなかったら、閣下達が蹂躙されていたと思いますが?聖女様も無事では無かったでしょうな」
「むむ、確かに否定はしないが・・・」
「それに、これは聖神マルティシオン様の思し召しでありますぞ。レッドガーディアンは聖神様の守護者でもあるので蜂があそこまで怒ったのは彼らが罰すべき対象であったという事。我々人間が口を挟んでいい事ではあるますまい」
確かにこいつの言っている事は一見理屈が通っている様に思えるが、ホントにそうなのか?
ま、考えても仕方がないか。俺の頭で考えられる事は限られているしな。
「あんたの言う通りかもな。取り敢えず助かった。みんなを代表して礼を言う。この通りだ、ありがとう」
俺は、山男に深々と頭を下げた。横で、オグマも頭を下げている。
「いや、礼には及びませんぞ。これも聖神マルティシオン様のお導きですからな。それよりも、今後の事を考えないといけませんな」
「そうだな、みんなが落ち着いたら、守りを固めよう。忙しくなりそうだぞ」
俺は丘の斜面の惨状の跡を見ながら思わず呟いていた。
「あの、アホウは生き延びたかなぁ?」
「ははは、あの御仁はしぶとそうですからねぇ、上手く生き延びたのではないでしょうか」
「だな、真っ先に逃げ出しただろうな」
殺伐とした戦場のその城壁の上から、高らかな笑い声が山裾に広がっていた。
◆◆◆◆◆ 行方不明のカーン伯爵 ◆◆◆◆◆
「御館様、物見からの報告が入りました。聖女確保は失敗したそうです」
カーン伯爵の側近の中で一番信頼が出来るホッジス枢機卿がうやうやしく報告をした。移動中の伯爵専用の天幕の中だった。
食後のお茶を飲んでいた伯爵はカップを置き、明らかに不快そうな顔をした。
「失敗 だと?どういう事か?十分な兵力は与えなかったのか?」
「いえ、二万程与えてありました。ですが、どこからか巨大な蜂の大群が現れ・・・全滅したそうであります」
「蜂だと?もっとましな言い訳をしたらどうだ?」
「いえ、報告では確かに蜂だと」
ハンカチで吹き出る汗を拭きながらしどろもどろの枢機卿だった。
「もうよいわ。たかが聖女の分際でワシに刃向うなどと生意気な小娘だ。そっちは放っておけ、それより全軍に北に向かう様に通達をだせ。当初の予定通りサリチアに向かう」
「ははーっ、直ちに」
ちっ、イルクートも裏切るし、聖女の求心力がこれほどのものとはな。少し舐めておったわ。しかし、武力こそが正義。ワシにはまだ強力な後ろ盾がある。裏切った奴らは皆殺しにしてくれる、今に見ておれよ!