20.
初対面のその初老の男は静かに頭を下げ自己紹介をしてきた。
「わたくし、イシワータ商会の会頭のローデシア・シュードモナスと申します。いつも、お世話になっております」
丁寧なのはいいのだが、時と場合を考えて欲しいんだよ。よりによってこんな大事な時にさあ。だから、ついついキツイ言い方になってしまうのはしょうがないんだよね。
「シュードモナスさん、大変申し訳ないんですけど、今、ゆっくりとお話ししている時間がないんですの。話なら、後日にして頂けます?」
そう言って立ち去ろうとしたあたしの剣幕にも動じる事なく淡々と話を続けるおっさんだった。
「家の手代がアナスタシア様からの伝言を承って居た様で御座いまして、急ぎお知らせにと・・・」
アナスタシア様 という言葉に反応したあたしは、思わず立ち止まって振り返ってしまった。
「で ん ご ん ?」
隣に立って居る若い奴、、、見覚えのある奴。そう、奴は修道院でぼーっとしていたイシワータ商会の大先生だった。
大先生はシュードモナス氏に頭を押さえられてジタバタあがいていた。
「店内にアナスタシア様の失踪の話しが伝わって来た時、こいつが呟いていたんです。『イルなんとかに出掛けたのになぁ』って」
「出掛け た?」
「ええ、直ぐに問い詰めましたら、本人から直接聞いていたのにその事を伝えて無かったらしいので、慌てて連れて来ました」
「えっ?伝えて な か っ た ???」
「その様で御座います」
「じゃあ、もしかして・・・さっき、修道院で会った時には、知って居たって事?なんで、言わなか っ た の ?」
手が、知らず知らずの内にプルプルと震えて来たが、ここは理性を総動員してやさしく、やさしく・・・。しかし、語尾は知らず知らず震えて裏返っていた・・・
「ぼそぼそぼそ・・・」
「はあぁ????」
「こらっ、はっきりと聞こえる様に言わんかっ!」
大先生は頭に拳骨を落とされ、頭を抱えながら文句たらたらの顔をこちらに向けていた。
「だって、、、、、聞かれなかったんだもん。何してるのかしか聞かれなかったから、立って居るって答えたもん」
「あ あんた、それ・・・おかしいって 思わない??」
プルプル臨界間近・・。
「今話したから悪くないもん。聞かない方が悪いもん。僕悪く無いのになんで殴られるの?」
ぶちっ!!
何かが頭の中で弾けた!! 臨界突破!!
次の瞬間、あたしは風の様に舞って居て、大先生は後方に吹き飛んでいた。そして、あたしの右手の拳が激しく痛んだ。シュードモナス氏も拳を振り上げてみたものの、対象物が吹き飛んでしまったので、振り上げた拳を持て余していた。
「このおっ!スカタンがああぁぁぁぁっ!!!!!!」
「一度、死んで人間やり直して来いっっっ!!!!!!!!」
話を聞いたとたん、あたしは無意識に大先生に殴りかかっていたのだった。
こんな奴に構っている暇は無かった。
「ブライアン・ロジャース中佐!何人でもいいですから、今直ぐ出発出来る騎兵を纏めてイルクートに出発してっ!アナスタシア様をお守りしなくてはっ!!」
「相分かった。直ちに兵を集めて出発します!」
「お願い!あたしも残りの兵を連れて後を追います」
そう言うと、ロジャース中佐は駆け出して行った。
この世界では、学習障害やら発達障害やらの認識は無く、一纏めに『役立たず』で済まされていた。まさにこの大先生がその代表格だった。
思考の仕方が普通の人と異なり独特なだけなのだが、一般人には理解しづらいものがあった。それと、まわりの人の感情を推し量る能力が著しく劣って居る為KYなどと言われるのだった。
普通、そんな事くらいわかるだろう!と思うから、周りに居る者はストレスを感じるのだが、彼らには彼らの普通があって、それは一般人の普通とは大きくかけ離れているのだから、言ってもしょうがないのだが、それを理解するのは並大抵の事では無くそれこそ聖女様クラスにでもならないと理解出来ないのだった。
それからの中央情報処理センターは、と言うかベルクヴェルクの街を含むその辺り一帯は、ハチの巣をつついた様な騒ぎとなり、出発準備の出来た兵士達が三々五々にイルクートに向けて出発して行った。騎馬兵は後ろにも兵を乗せてタンデムで走って行く。歩兵は荷物をしょって歩き出す者、出発する馬車に便乗して行く者、思い思いの方法で出発して行った。
また、イシワータ商会から供出された六頭立ての大型の馬車が多数到着したので、みんな転がる様に荷台に乗り込み、荷台から溢れて鈴なりになって乗って行った。
事態はそれだけで終わらず、中央情報処理センターの情報によると、話を聞きつけた周辺の市民が自発的に民兵集団を組織し、各々が槍や剣を調達してイルクートに向けて進行を始めたと言う。現在把握しているだけでも、五十を超す集団数で、その数は一万人を下らないそうだ。
「まずい、みんながてんでバラバラにイルクートに突っ込んだら、民間人の犠牲者がとんでもない数になるわ。どうしよう、ねえぇ、アウラ、どうしよう?」
「そうですねぇ、取り敢えず、イルクートに向かってアナスタシア様を取り押さえるのが肝要かと。アナスタシア様に、家に帰る様に言って頂ければみんなも指示に従う かなあぁ?って思うのですけど」
「そ そうね、とにかくいそぎましょう」
「ハイデン・ハイン将軍から、通常の三倍の速度で走れる名馬を預かって来ているんですよ、それ使いましょう。今、用意しますね」
「それって、、、、まさか、真っ赤な馬 とか?」
「いえ、オレンジの鞍が乗ったちょっと大きめの馬ですよ。名前は何て言いましたっけ・・・・うーん、『鮭とば』だったかなあ?」
「それ、絶対に違うと思う。美味しそうではあるけど・・・」
そんなこんなで、あたしとアウラはタンデミでイルクートに向かった。
途中、延々と続く兵達を追い抜いてひたすら走った。途中何か所かの休憩地で休んだが、馬から降りるともう二度と戻らないのではないかと言う位に足がガニ股になって居たのが悲しかった。二人でガニ股で歩く様は、実に滑稽で情けなかった。周囲の視線も痛かった。
イルクート一歩手前の休憩地ウーフーに着いた頃には、ガニ股歩きを完全にマスターして、自然に歩ける様になって居た。
が、それでも尻から太ももにわたって出来た股ずれには閉口した。レディがガニ股で、股間を押さえて歩いている様は、筆舌に尽くし難い物があった。
ウーフーには、流石に『うさぎ』のメンバーによるキャンプが出来ていて食事の心配も無く、彼らの護衛の元、久々に安心してゆっくりと痛みに苛まれながら寝る事が出来たのだった。
ここまで来ると、流石にベルクヴェルクを出発した兵はまだ到着して居なかった。夕食を食べてから周囲に居る商人達にイルクートの様子を聞いて回ったのだが、その内容は拍子抜けする位に平和なものだったのに驚いた。
第一に、クーデターが起きている事を一般市民みんなが知らなかった。イルクートの街は普段と変わらず、普通に出て来れたそうだった。
これは驚きであった。もし、彼らの言う通り平和なのだったら、アナスタシア様はどこへ行ったと言うのか?
これまで集まった情報を元に考えると、アナスタシア様は百名以下の兵を連れてイルクートに入ったらしい。しかし、イルクートは平和そのものだと言う。つまり、実はアナスタシア様は、イルクートに到着していない?
いや、待て!そんなばかな。兵が百名近くも居て、道を間違えるか?
一体どこにいらっしゃるのだ?考えれば考える程、謎は深まる一方だった。
そんな時、ふと周りの喧噪が耳に入って来たので、一旦思考を止め辺りを見渡してみた。なんか、野営地の外れの方で騒ぎが起こっている。
「なにごと?」
思わず呟いた。
「あれは、カエルが出たんですよ」
「カエル?」
「はい、ここの野営地の外れは湿地帯になっていまして、時々牛みたいに大きなカエルが出るんですよ」
「なんでカエルごときでこんなに大騒ぎをするの?アウラは知って居るの?そのカエル」
「はい、滅多に出て来ないんですが、鎧の素材になるので人気なんですよ」
「ええっ!?カエルが鎧の素材?あの、ぬるぬるした皮がぁ?気持ち悪っ!」
「いえいえ、ここのカエルは全身が固いウロコで覆われているんですよ。装甲ガエル、又はアーマーガエルと呼ばれています」
「いやいや、名前は置いとくとして、カエルのウロコって役に立つの?」
「はいいっ、我ら『うさぎ』の間でも大人気なんですよ。軽くて硬くて、超高級品なんですよ。剣もはじきます。お頭のライトアーマーの胸の所にも使っていますし、なにせ、あのお頭でさえ一撃で仕留められない位固いんですよ」
「へえぇ、あのお頭がねぇ」
「ですから、アーマーガエルが出た時は大勢で取り囲んで全員でタコ殴りが基本ですね。で、みんなで少しづつアーマーを分け合うんです」
「そうなんだ。それであんなに大勢でさわいでいるんだ」
遠くからでも何かを取り囲んでいるのが見て取れる。その中央で、牛みたいな、、、いやいや、牛より完全にでかいだろう。牛の何倍もある小山みたいのがのそのそ動いている。
で、時々取り囲んでいる人間が吹き飛んでいるが・・・?
あれはなに?と、アウラを見ると、なぜか得意げに胸を張って居る。
「あれは、奴の舌で吹き飛ばされているんですよ。奴の最大の武器ですね。舌を高速で吐き出すんです、奴の正面に回るとあれでやられます。動きはのろいんですが、舌だけは素早いんですよ」
「なんとまあ」
「通常は単独で上陸して来るんですが、複数で上がって来た時は逃げた方がいいですね、リスクが大きいですから」
「そんなに危険な奴が上がって来るのに、なんでこんな所に野営地が出来てるの?寝ている間に襲われたら危ないじゃないのよ」
「ロマンなんです、冒険者の。滅多に現れないですから、出会えればラッキー。倒せれば、大金が手に入るし、戦績に箔が付く」
「でも、冒険者はいいけど、一般の旅行者や商人には迷惑じゃない」
「そういう人達は、湿地から離れた所に野営しますし、商人は護衛を連れていますので安心なんです」
「ふーん」
あたしは興味ないので、物好きがいるもんだと人混みを見ていたが、気のせいか人の輪が段々沼の方に移動している感じがする。
隣で騒ぎを見ていたアウラが、ふふっと笑った気がした。
「あらあら残念ですねぇ、今回は戦力が足りなかったみたいです。カエルが沼に帰って行きますよ」
「アウラは参加しなくて良かったの?」
「うーん、興味はありますけど、いまはそれどころではないので、いずれ落ち着いたら挑戦しいますよ。それに、あたいのアーマーにも一枚縫い付けてあるんですよ、ほら、ここ」
アウラが着ているライトアーマーの胸の所を見せてくれた。そこには、手のひら大のグリーンメタリックの鱗が縫い付けてあった。
「お頭から貰ったんです。主要メンバーはみんな一枚づつ付けていますよ」
ふーん、あんたも主要メンバーなんだって言いたいのね。ふふっ。
カエルの撤退と共に、徐々に宿営地に静寂が・・・・戻らなかった。
狩りに参加した連中が、あちこちで焚火を囲んで武勇伝を披露しあっているので、まだまだ暫くは賑わいそうだわ。
そんな時だった。正面から声を掛けながら近寄って来る者が居た。
「おお、ここにおいででしたか、シャルロッテ様」
まだ若い青年は砂色の髪を後方に撫でつけた精悍な顔つきをしていた。残念な事に背はあたしよりも低かった。
「あらぁ、ネーコゼット中隊長、おひさぁ」
手をひらひらさせながら挨拶をするアウラは彼を知っている様だった。
「あなたは、『うさぎ』の?」
「はい、この周辺で情報収集をしておりました。詳しくはテントの中で」
あたしとアウラとネーコゼットと呼ばれた『うさぎ』の偵察員はテントに入った。
「改めまして、『うさぎ』のネーコゼットと申します、以後お見知り置きを」
軽く頭を下げるネーコゼット氏だったが、早く情報を知りたかったあたしは先を促した」
「今、イルクートはどうなっているの?アナスタシア様は?敵の動きは?」
彼は、矢継ぎ早なあたしの質問にも表情を変える事も無く、淡々と話し始めた。
「まず、ここにはアナスタシア様はいらっしゃいません。アナスタシア様ご一行は、ここでは無くパレス・ブランに向かわれた可能性が大きいです」
「パレス・ブランにですって?もしかして、エレノア様を探しにって事?」
「おそらくは・・・」
「ち ちょっと待った!ねぇ、おかしいよ。なんで?なんで大陸一の情報収集能力を誇っている『うさぎ』の情報部が、そんなあやふやな報告しか出来ないの?一般人の動向ならいざ知らず、アナスタシア様よ?寝て立って動向は探れるわよね?」
ネーコゼット氏はアウラに突っ込まれ、痛い所を突かれたといわんばかりの顔で、ひたすら汗を拭いている。
「アウラ殿の仰りたい事、いちいち全てごもっとも。ですが、なんでしょうかねぇ、手練れの者がいとも簡単に巻かれてしまうのです。追跡担当からの体調不良による離脱の報告が多いのも気になっております」
「お嬢っ!それって・・・」
「うん、アナスタシア様のマイナススキルが発揮されているんだろうねぇ。それで?どこまで掴めているの?」
「はい、ご存じの様にベルクヴェルクからイルクートを経由して王都に向かう中央の大動脈とは別に途中から別れてイルクートを迂回してパレス・ブランに向かう北回りの街道がありますが、おそらく現在アナスタシア様は北回りのコースを通っておられるものと考えられます」
「えっ?えっ?どういう事?リンデンバーム家の御旗を押し立ててイルクートを目指しているっていう話しは?」
「イルクート兵に御旗を預けてイルクートの開放を任せ、アナスタシア様のご一行は北回りで移動している様で御座います。アナスタシア様の事は追えないのですが、ムスケル様でしたら所在は確認出来ていますので、おそらく一緒におられるかと」
なんなんだ、この状態はっ!あのイシワータ商会の大先生がハッキリと報告していてくれれば、こんな面倒な事にならないで済んだんじゃないのかあ?
いや、それは只の八つ当たりに過ぎないか。今更言ってもしょうがない。とにかくアナスタシア様の後を追うのが最優先だわね、
「ここから真っ直ぐ北に向かえば、北回りの街道に出られるのかな?」
「はい、裏道なので道幅は広くありませんが、問題はありません」
「じゃあ、今から向かおう。後続には、そのままイルクートに向かう様に連絡を出してちょうだい」
「了解致しました、大急ぎで支度をさせますので少々お待ち下さい」
「わかった、頼みます」
みんなが出発の準備をしてくれている間、アウラと二人でその作業の様子を見守っていたのだが、大先生に対する感情はむくむくと際限なく湧き上がり続けていた。
修道院で出掛けるのを見たんなら、お止めしろよ!直ぐにあたし達に知らせろよ!もう、ここまで来たら只の八つ当たりに過ぎないと自分でも分って居るのだが、胸の中で消化するには、シャルロッテは若すぎたのだった。
悶々としているシャルロッテを尻目に、『うさぎ』のメンバーによって既にテントは片づけられ食料などの荷物も馬に載せられていた。手際の良さは流石だった。
さらに、四十六騎の騎馬隊が集まって来た。
「どうか、彼らを連れて行って下さい。何かとお役に立つと思います」
「ありがとう、じゃあ出発するよ!」
闇が支配する荒野に護衛の騎馬隊を引き連れて、四十七騎の武者達が飛び出して行った。その先頭は、オレンジの鞍を載せたひときわ大きな馬と少女が二人だった。