186.
「準備が出来ておりますっ!そろそろ乗船をお願いしますっ!」
もそもそとパンを食べていると、迎えに来た若い兵士らしき青年が直立不動でそう申告して来た。
さあて、長い一日の始まり、始まり~。
当初の予定では、深夜にフィレッチアの居城を奇襲攻撃をして、マイヤー兄様とそのご家族を救出する手はずだったはずが、真昼間の強襲にいなってしまった。
敵にも味方にも出来るだけ被害を出さないようにと思っていたんだけど、そうもいかなくなってしまった。
独断専行をしてフィレッチアの駐屯地を制圧したお頭達を責めるつもりはないんだけど、もう少し指示には従って欲しかったなとは思わないでもない。
だけど、お頭にしても十分に反省しているようだし、今更うだうだ言ってもしょうがない。お頭が独断専行をする事を見抜けなかったあたしも悪いんだし、今は出来る事を精一杯やるだけだ。
あれ?今、ふと気が付いた。あたしは見抜けないのは仕方が無いとして、アドが見抜けないって事・・・ある?
アドだったら、お頭の独断専行なんて事余裕で見通すんじゃないの?
だとしたら、この真昼間の強襲も、アドの想定内ってことなんじゃ?
迎えの青年兵士の後を追って部屋を出たあたしは暗く狭い階段をひたすら登りながらそんな事を考えていた。
やがて、薄暗い階段から眩しい光に包まれた巨大城壁の屋上へと到着した。
すると屋上にはいつの間にか我らが空飛ぶ船が到着して居て、城壁に係留されていた。
いつまでも“空飛ぶ船”と言う呼称もどうかと思うのだが、これといった名前が思いつかないし、お頭の案もなんだかねぇ。だもんで、なあなあで“空飛ぶ船”と呼んでいた。
まぁ、それで何か支障がある訳でもないので、今後もこのままだろうな。
「シャルロッテ様ぁ~、エスポちゃんの出発準備はできてますよぉ~。いつでも行けまぁ~す」
船上では元気にアンジェラさんが元気に手をぶんぶんと振っている。
ん?ナニちゃんだってぇ?
「アンジェラさん、その何とかちゃんとは?」
思わず突っ込んだのだが、アンジェラさんは急に真っ赤になって口ごもり始めた。
「え えーと、エスポワール です。あ あの、私が勝手に呼んでいるだけですので、気にしないでくださ~い」
あーあ、顔が茹で上がっちゃってるわ。あんまり突っ込んで今後の飛行に差し障るといけないから、ここは放置ね。
改めて甲板上を見渡すと一面に大きな瓶が所狭しと並んで居た。きっと農地を焼き払う為の油が入っているのだろう。
瓶を避けるように第一次降下の予定の兵士さん達が比較的軽装備で待機している。お頭とジェームズさん達も兵士達に混じって待機して居た。
渡し板を使って甲板に上がったあたしとポーリンだったが、もう既に足の踏み場も無い位に込み合っていた。
こんな状況で向こうまで飛んで行くのかぁ、まあ少しの我慢だからいいけど。
「すぐに出発しましょう。降下地点は向こうに着いたら私が指示しますので、舷側からたらしたロープを使って迅速に降りて下さいね」
船倉から階段を登って来たアドにそう声を掛けられた。
「アドも行くの?危険じゃない?」
「わたしが降下地点を指示しなければ、どこに降りるのかわかったもんではないでしょ?皆さんが降下しましたら、私は戻って増援部隊を連れて戻って来ます。姐さん達は、人質を奪還する事だけを考えていて下さい。失敗は死を意味します。大胆にかつ慎重に、又出来る限り迅速に行動をして下さい」
うーん、言うのは簡単なんだけどねぇ。
「人質奪還はあたし達だけでなんとかするから、増援のご老人達は送り込まなくてもいいからね」
これは本心だった。増援はとってもありがたいと思うんだけど、みすみす犠牲者を増やしたくない。
だが、あたしの声は誰の耳にも届いていないようだった。
「おいっ、ぐちゃぐちゃ言ってねーで、さっさと出発するぞ!運転手のねーちゃん、出してくれっ!」
お頭の大きな声にビクっとしながらも、アンジェラさんが応える。
「はい、では出航します!みなさん何かに掴まって下さいねー」
そう言うと、城壁と船を繋いでいたもやいが解かれ、船はゆっくりと上昇を始めた。
そのままゆっくりと方向を変えながら上昇を続け、城壁よりも高くなった時点で前進を始め、城壁を越えて要塞内部へと侵入して行った。
要塞内を見るのはあたしも初めてだった。城壁の足元にリンクシュタット派の集落が城壁と高い塀に囲まれて、まさにこじんまりと存在していた。
上空から見ると、周囲をぐるっと高い塀に囲まれていて、迫害?虐げ?そんな言葉がぴったりとくる感じに見えた。
やがて集落を包囲していた高い壁を越えると、そこには黄金色の平地が広がっていた。
両側を急峻な山に囲まれたV字型の谷に造られた要塞の唯一の平地がこの黄金色の平地だった。今は麦がたわわに実っていて、収穫目前だった。
要塞唯一の平地は、全てフィレッチア派の腹を満たす為の麦畑になっていて、我がリンクシュタット派の者にはその恩恵はほとんど与えられていないと言う。
唯一与えられていたのは、過酷な労働だけだそうだ。
どんなに一生懸命農地を耕しても、自分達の口には入らないのなら、この際だ、一気に燃やし尽くしても問題はないだろう。どうせ困るのはフィレッチア派の連中だけなのだから。
連中の食料補給を絶つと言う意味でも、この焼き討ちは意義のある事だった。ホント、アドはえげつない事を考えるものだ。
「効率の良い作戦と言って欲しいものですね」
げっ、また心の声が駄々洩れだった?
リンクシュタット集落と農地を隔てて居た高い塀を越えると、アドの指示で船は高度を下げていった。まだ、連中は事態を把握していないのだろうか、何の反応もなかった。
アドの合図で船は大きく蛇行を始め、それに呼応して全員の協力で舷側から瓶に入った油を撒き始めた。
大の大人でも流石に油の入った瓶は重かった、そこで船の舷側中央両舷には乗降する為に手摺りが設置されていない場所があったので、そこまで壺を引きずって行き、手摺りの間隙から押し出して下界に投下したのだった。
「ポーリン、いいわよ、火を点けちゃってちょうだい」
「ほな、いくでぇ」
船尾に駆けて行ったポーリンは何故か、と言うか実に楽しそうに放火魔と化していったのだった。
地上では物凄い勢いで炎が吹きあがり、広大な農地があっという間に火に包まれていった。
連中はパニックになっていたのだろうか?こんな状態になってもこちらにはなんの反撃もなかった。
油を撒き終えた船は速度を上げ、農地上空を渡っていく。しばらく行くとその先には急峻なV字谷の最奥が迫って来ていた。
そこには岩肌に貼りつくように造られた石造りの巨大な建造物が見えて来た。
きっと、これがフィレッチア派の心臓部、裏切者フィレッチアの邸宅兼防衛陣地なのだろう。
後ろは切り立った谷壁に守られていて、全面にだけ注意を払えばいい、まさに難攻不落の要塞となっていた。
「アド、どこから攻めればいいかな?なんか、大きすぎてこんな兵力じゃ兄様にたどり着けないわよー」
要塞に圧倒されつつアドに不安をぶつけた。
だが、アドは不敵な笑みを浮かべていた。
「敵がどんなに大きくても、問題ありませんね。大丈夫ですよ」
いやいや、十分に問題だってぇ。問題しかないですってえぇぇ。
「いいですか?今回の作戦の最大の目標はご領主様およびそのご家族の救出になります。打倒フィレッチアではありません。この点、ゆめゆめ忘れませんように。でないと、無駄に全滅してしまいますからね。いいですね?おかしら」
アドが珍しく語気を強めて言い放った。
その語気に押されたのか、お頭もなにも言えないようだった。
「お おう。わかった・・・」
「姐さん?姐さんでしたら、人質を最も日当たりの良い快適な部屋に監禁しますか?」
いきなり話を振られて変な声が出てしまった。
「ほへっ?そ そんな訳ないじゃん。憎い相手なら尚更劣悪な環境で監禁するわ」
「劣悪な環境とは?」
「そうねぇ、最下層の日の当たらない場所・・・とか?」
「正解です」
パチパチと手を叩きながら褒められてしまった。
「ま、こんな事は基本中の基本なんですがね、答えられないようではリーダー失格ですよ」
「う・・・」
「と言う事で、一番劣悪な所といったら地下ですね。捜索隊は地下を目指して下さい。そしてひたすら駆け抜けて下さい。帰り道確保の為、すぐに増援を送りますので人質確保ののちは、即時撤退の用意をお願いします」
「あ う うん。わかった」
「まもなく敵中枢です~。降下地点の指示おねがいしま~す」
アンジェラさんの声に、さっと欄干から下を見下ろすと、遠目に見えていた要塞が後わずかの距離に迫って来ていた。
「うひょ~、こうして近くから見ると、ごっつうおっきいんやなぁ」
「俺の隠れ家に匹敵する大きさじゃあねーか。どこに降りたらいいんだぁ?」
みんな、てんでに感想を述べているが、もちろんお頭の戯言はスルーだ。確かに見れば見る程呆れるくらいに大きな建造物だよ。
V字型の谷の最奥部、左右から迫って来る急な斜面の合わさった部分に、恐らくは何年もかけて継ぎ足し継ぎ足しで造り続けたであろう複雑な形状の城と言うか要塞が形成されていた。
見た所、地上十数階は有るであろうその造りは、最上部がフィレッチアの住居であろう事以外は、何が何処にあるのか想像しずらかった。
ずっと広がって居た麦畑は突然ここで終わっていた。ここにも五メートルはあると思われる高い塀が張り巡らされていて麦畑とフィレッチア要塞を区切っていた。良く見ると、高い塀には監視塔が等間隔に造られていて、農作業をする我々を監視しているようだった。
その高い塀の向こう側にはかなりの数の居住区が広がって居て、居住区と要塞の間には何に使うのか、広い平地が要塞の下部にまで広がって居た、
「おっと!」
さすがに事ここに至って敵側も異変に気付いたのだろう、まだ散発ではあるが船に向かって矢が飛んで来始めた。
もっとも、伝説の金属で補強され、ワイバーンの頑丈な表皮で覆われたこの船の船体にそんな矢が刺さる訳もないが、乗り組んで居るあたしたちは別だ。当たれば痛い。
敵が本格的に反撃に出て来る前に突入しないと、ってもう既に奇襲でなく強襲になっている気はするんだけど、アドはどう思っているんだ?
振り返ってアドを見ると、何やらポーリンに指示をだして いる?
と思っていると、今度はあたしの方にやって来た。
「姐さん、よく聞いて下さいね。この真下に広がって居る居住地群、ここにフィレッチア軍の兵士の多くが住んで居ると思われます。ここと要塞を分離して下さい。そうすれば、要塞には敵の増援は入って来れません。要塞内での行動が楽になるはずです」
「ええーっ、分離って?」
「今、船を横に向けます。姐さんの例の伝家の宝刀、あの気の刃で要塞と居住区を分けるように地面に線を引いてくれればいいんです。さ、早くやっちゃって下さい」
珍しくアドが早口になっている。
あたしも心を決めて竜王様の剣を抜いた。丁度船が横を向いたので、あたしは欄干から身を乗り出して思いっ切り気を込めて剣を振った。
「えいっ!」
「ああ、思いっ切り気を込めたらだめですよ。かるーくでいいんです」
そお言うのは、最初に言ってよおおおおおぉぉぉぉ。もうやちゃったよぉぉぉぉ。
恐る恐る下を覗き込むと、要塞と居住区の間には行き来を許さない大きな谷が形成されていた。あれ、あたしがやったんだよね。思わず自問自答してしまった。
うん、確かに分離は出来た。出来たけど、あの谷どんだけ深いの?あたし、しらないよー。
「あーあ、だから言ったのに」ぼやくアド。
言ったのは後からだけどね。
「とにかく、敵の増援は遮断したんだろ?ならいいじゃねーか。さっさと降りるぜー」
おかしらは、もう行く気まんまんだ。
「しょうがないですね。いいですわ、でしたらあの地上部分の最下層、地上一階に降りて一階を索敵した後、地下に行く道を探して下さいね。おそらく監禁場所は地下ですから。それとですね、あの要塞は・・・・」
「よっしゃああぁ、そうと決まれば突撃だぜえええぇぇぇ!さっさと船を降ろしやがれっ!!」
そう叫ぶとロープに取り付くお頭。
「ああ、だから、あの要塞は・・・・・」叫ぶ、いや静かに言うアド。
船が降下を始めると、待ちきれないとばかりにお頭はロープを降りて行ってしまった。
「我々も後に続きます」
ジェームズさん達も降りて行ってしまった。
「だから、あの要塞は・・・」呟くアド。もはや誰も聞いて居なかった。
こうなると、もう止められなかった。あたしの護衛にと乗り込んでいた兵士達も何本も降ろされていたロープに我先にと掴まって降りて行ってしまった。なんの為の護衛なんだか。もっとも護衛なんかいらないのだけどね。
「仕方が無いわ、あたし達も行くわよ」
あたしとポーリンも彼らを追ってロープを降りて行く。
静かになった船上でため息を吐くアド。怪訝な表情で質問をするアンジェラさん。
「あの・・・」
「もういいわ、戻ってちょうだい。増援を積むわよ」
「了解しました・・・・が、いいのですか?先ほどはなんか言いたそうでしたが?」
船を急上昇しつつ旋回させたアンジェラさんがアドに問い掛ける。
「はぁ、あなたならわかるのでわ?あのお姫さんのやらかした事」
肩を落として手摺りにもたれかかったアドだった。
「ああ、あれですね。出て来るのは熱いのでなく、冷たいのだといいですねぇ」
アンジェラさんにはアドの問い掛けがわかっているようだった。
「そうなのよねぇ、渡って来れない程度の深さがあればそれで良かったんだけど、あんなに深く掘ってしまってはねぇ」
「これも想定内だったのでは?少し高度を上げますね」
麦畑上空に達したとたんに船は激しい揺れに見舞われたのだった。それは下で燃え盛っている麦畑から昇って来る熱い上昇気流のせいで、それなりに大き船ではあったが揉みくちゃにされてしまっていた。
「うーん、ポーリンが無理だって言うからお姫さんに頼んだのだけどねぇ、軽率だったかしらね。まあ頼んだ時点でこうなる事は想定内?なのかも」
「あははは、歩く天変地異の面目躍如ってところですか?ww」
「そうならないといいのだけど。あんだけ深く掘ってしまったのだから、溶岩が吹き出して来るか、地下水が吹き出して来るか、神のみぞ知るだわね。どちらが吹き出して来たにせよ、地下部分は壊滅的被害を被るから、急いで作戦を済ませて下さいと言いたかったんだけどねぇ。今更言ってもしょうがないわね。今後の作戦の変更も視野に入れないといけないかもね」
「かみのみそしるって、どんな味噌汁なのお?」
独り言を言っていると置いて来たはずのミリーがひょっこり現れた。
「あらあら、密航してたの?しょうがない子ね。飲み物の味噌汁の事ではなく、神様だけが知っているって意味よ。危ないから中に入っていなさいね」
ミリーは食べ物の話でなかったので、興ざめしたのか大人しく船室に戻って行ったのだった。
「さあて、歩く天変地異に逆らったのだから、彼らにどんな罰が当たるのか見ものですわね」
そう呟き、ニヤッと笑うアドラーは・・・とても怖い顔をしていたと、その後アンジェラさんから聞くこととなった。