182.
「これは・・・」
廊下に出てみて驚いた。
誰もいない?門番をしていた人以外に誰もいないとは、どういう事だろう?逃げてもいいって事?
「あたし達って、軽く見られているって事なのかなぁ?」
あたしは立尽したまま呆れたように呟いていたが、アドは何事もなかったかのようにさっさと門番の詰所に使われている部屋に入って行った。
入って驚いたのだが、その部屋には真ん中に机と椅子が一対あるだけで、他にはなんの調度品もない殺風景な部屋だった。
「なんや、ここ。自由に外出られるだけで、うちらの居た牢屋とちーとも変わらんやんか。どないになってんのや?」
後から入って来たポーリンも室内を見て呆れている。
「本当にリンクシュタット派の者は迫害されているのですね。話には聞いてましたが、実際に見てドン引きですよぉ」
もちろん、アウラも驚きを通り越して呆れている。
ここは、こちらに有利に事が運んで居ると思っていいのだろうか?
いや、いや、いや、そんな事言おうもんなら、絶対にみんなに寄ってたかってバカにされるに違いないわ。危ない、危ない。
こう見えて、あたしだって学習しているんだからね!ふんっ。
だが、不意にアドから掛けられた言葉に、あたしは再び固まってしまった。
「今の所、こちらに有利に事が運んで居ると思っていいのでしょうね。しばらくはゆっくりさせてもらいましょうよ」
そう言うと、アドは部屋の隅にとことこと歩いて行き、ぺたりと座って、そのまま横になってしまった。
あ あんた、又あたしの頭の中読んだわね、と睨みつけてやったのだが、彼女はそんなあたしの事などまるっきり意に介さず、地面に垂直に立てた右腕に頭を乗せ、リラックスモードに突入してしまった。
その後もリラックスムードのまま時間が過ぎた。
どたばたと激しい足音とかん高い聞き覚えの叫び声が聞こえて来るまでは・・・。
甲高い叫び声は、食事係のサキさんだった。
「ちよっとおおぉぉぉっ!!ちょっと、ちょっと、ちょっとおおおおぉぉぉっ!!いったいどうなってんのよおおおぉぉぉっ!!」
ドカッ!!と言う扉の開放音・・・いや、破壊音とともに扉は消し飛び、そこに颯爽と現れたのは、毎回の食事時にパンを持って来てくれるお姉さん、サキさんだった。
いつもはふわっとした長ーいスカートをはいていて大人しい雰囲気で感じのいいお姉さんだったが、今の姿はまったくの正反対だ。ひらひらは一切無く、皮製の胸当て、肘当て、膝当てを着けた戦いに特化したいでたちをしていて腰には剣まで帯刀しているので驚いたのだが、本来持っていた安心感や頼もしさは微塵も変わらなかった。
「サキさん、そのいでたちは・・・」
「そんな事は今はどうでもいいわ。それよりも、どうなってるの?」
あまりの勢いに、あたし達は圧倒されてしまった。
「行動に移すのは明日じゃなかったの?なんで、敵側にあなた方が脱獄した事が漏れているの?なんで、あなた方の目的が敵側に知られているの?今、何が起こっているの?」
アドを見ると、矢継ぎ早の質問にも動じた様子は見えなく、黙ってサキさんの言葉が途切れるのを待っているようだった。
サキさんは、一通り質問をアドにぶつけると、ハアハアと荒い息を吐いていた。
サキさんが大きく深呼吸を始めたタイミングで、アドが口を開いた。
「申し訳ありません。守衛さんが思ったよりも好意的だったものですから、作戦の開始を早めてしまいました。連絡が取れずに申し訳ありませんでした」
「そ そういう事情があったのでしたら、それはしょうがないとは思います。ですが、こうもこちらの動きが筒抜けでは・・・」
「筒抜け・・・というのとはちょっと違いまして、敢えて逃げましたよおって宣伝して回って貰ったのですよ。護りを固めて貰いたくて」
「あ あのう・・・意味が・・・ちょっと・・・」
「あなた達は、リンクシュタット家の方々の行方がまるっきりわからないと聞きましたが?」
「確かに、我々には全ての事が隠されており、全く情報が洩れてこないのです。リンクシュタット家の方々?」
「ですから、私達が逃げ出して王族の開放を目指して居ると言って回れば、拘束している場所の警備を固めるのではないのかと思ったのですよ」
「は はあ。そういう理由が・・・」
サキさんは、いまいち納得がいかなそうな表情をしているようにみえるが、アドは気にもしていなさそうだ。
もう少しだ。もう少しで兄様に会える。その時は本当にそう思っていたし、その時がもう目の前に迫ったと思っていたのだったが、世の中そう上手くはいかないようだ。あたしのせい?
夜半過ぎ、バタバタと慌てた感じの足音が聞こえて来た。
動きがあったのか?と、みんな自然に扉に注目していた。
足音の大きさで、走って来る人間のおおよその距離がわかる。そろそろだな、と思った時、扉が大きな音をたてて開かれた。
飛び込んで来たのは、さっきまで牢屋の警備をしていた長身で髭面の男・・・・えーと、んー、警備兵A だった。
「おかしいっ!おかしいですぜ、奴ら全然動かねー。みなさんが逃亡したってふれ回ったのによお、なあーんも反応がねーんでさぁ」
はあはあと息をしながら、一気にまくし立てた警備兵A。嘘を言っているようには見えなかった。
「なめられましたかね?たかが女・子供と」
アウラが楽しそうに呟いた。
「向こうが荒事をご所望やったら・・・期待にはこたえなきゃ ね」
ポーリンは嬉しそうだった。
「まずはサキさんの持って来てくれた見取り図を見ながら、今後の動きを検討しましょ」
アドは・・・・いつもと変わらなかった。
机の上に広げられた東部要塞の地図は、見るからに精密に見える仕上がりで、作成した人が凝り性である事が伺えた。なかなかに信憑性が高そうだった。
「サキさん、ここは造られた当初はリンクシュタット家が統治していたのですよね?」
「ええ、お爺様からは、そう聞いて居ます」
「当時の事を覚えている方で、いいまだ健在の方にお会いする事って可能かしら?」
アドったら、今度は何を考えているのだろう?
「ええ、ええ、まだ何人もおりますよ。今直ぐにお連れしましょうか?」
サキさんも、どことなく嬉しそうだ。
「それでしたら、お手数ですがお願いしようかしら?」
「はいっ!それでは、しばらくお待ちください。直ぐに連れて参ります。失礼しますっ!」
そう言い残すと、サキさんは脱兎のごとく部屋を飛び出して行った。
走りながら近くに居た何人かになにやら声を掛けている感じだった。手分けして該当者を連れて来ようっていうのだろう。
後は待つだけだなと思っていたのだったが、アドは警備兵Aになにやら囁いていた。
囁かれた警備兵Aは、これも脱兎のように廊下へと駆け出して行った。
キョトンとその様子を見送っていると、アドはクスっと笑いながらあたしの疑問に答えてくれた。
「万が一にですが、奴らがここに押し寄せて来た時に備え、見張り兼伝令を所々に配置してくれるようにお願いしただけですよ」
「はあ」
どうして、そんなに気が回るんだろう。
一人で悶々としているあたしだったが、そんな事などお構いなしに、アドは広げた東部要塞の地図に見入っていた。
この東部要塞は、簡単に言うと急峻なV字型の谷の出口を巨大な城壁で塞いで形成されていた。
今あたし達が居る石牢は、この城壁の基部部分にあった。
V字谷の最底部には、そこそこの平地が広がっており、農作物は主にその谷底平野で作られているとの事だった。
リンクシュタット家のゆかりの者は要塞の中心地から遠く離れたこの城壁及びその近くに住まわされているみたいだ。
この要塞の中心地は、どうも谷の一番奥にあるらしく、フィレッチア一派の人しか入れないので、こちら側には詳細は不明なんだとか。
「どうやら見たところ、この一番奥のあたりが怪しいですね」
怪しいと言いながらも、ほぼ確信を持った言い方は、さすがアドだと言っていいだろう。
「確かに怪しい事は怪しいのですが、私達は近寄れないので、状況は全くわかりませんが、長老なら覚えているかも知れませんね」食事係Bが説明をしてくれた。
「ほんまやねー。城壁はこないに精密に書かれとるのに、奥の方は雑やねんなぁww」
ポーリンも、物珍しそうに覗き込んでいる。
しかし、この要塞は見れば見る程不思議な地形をしている。
V字谷に造られているのに、何故か川が無いのだ。普通、V字谷は川の水が山を削って出来ていると思ったのだが、ここには川がなかった。
雨が降ったら、雨水はどこを流れるのだろうか?知識の少ないあたしでも、不思議に思うのだけど・・・。