179.
目の前には見上げんばかりの東方要塞の白い外壁、総石造りの城壁がそそり立っている。
その高さは、十メートルはあるだろうか。
ここは変わった地形をしていた。ここまでまっ平な草原が広がっていたのだったのが、ここから急に険しい岩の壁が垂直に立ち上がっていた。
その垂直に立ち上がる岩の壁の隙間を埋めるように城壁が造られているのだろうか。
問題はそこではなかった。城壁にはあるべきであろうものがここには無かったのだ。
それは・・・。
「垂直に立ち上がる岩の壁の隙間を利用して要塞と言うか都市を造ったのですね、流石としか言えません。ですが、なぜかここには城門?出入口がありませんね。何故でしょう?」
城壁を見上げながらアドが呟いている。
そう、あたしもそう思った。なんで出入り口がないのだろう?出る必要がないのだろうか?
「なんやけったいな要塞やなぁ。なんで出口がないんやぁ?」
ポーリンも訝しがっている。
「我々を受け入れる気がないのでしょうか?」
ジェームズさんも不思議そうに城壁を見上げていた。
その時、人の気配のなかった城壁の上から不意に声を掛けられた。
「おいっ!お前達っ。何者か!?」
突然の誰何の声に、全員が反射的に目の前にそびえ立つ城壁の上を見上げた。
そこにはこちらを見下ろす複数の頭が見えた。
「あ あた・・・」
反射的に返答をしようとしたあたしだったが、不意に後からアドに小声で止められた。
「ここは、全て私に任せて下さい」
「えっ?」
「いいから」有無を言わせない圧だった。
一歩前に出たアドが交渉を始めたのだったが、ここで更に驚いてしまった。
「私は、ここで指揮を執っているはずのマイヤー・リンクシュタットの妹です。兄との面会を求めます」
突っ込み所はいくつもあったが、あんた良く兄様の名前を憶えていたわねぇ。
城壁の上では、動揺しているのだろう、なにやら騒いでいるのが見て取れた。
ぼーっとその様子を見ていると、アドが小声で話し掛けて来た。
「姐さん、何か身分を証明できる物、持って居ませんか?」
突然そんな事言われても・・あ、そうだ。
「これでいい?」
あたしは、首から下げていた父様から貰った細かい細工の入ったメダルを渡した。
「これ、父様から貰ったのだけど、身分を証明する物なんて、これしかないわ」
「では、これでなんとかしましょう」
すると、再び城壁の上から声が降って来た。
「な なら、マイヤー の妹であると証明できる物を持っているか?」
ん?自分の上官を呼び捨て?どういう事なの?ここは兄様の管理下なんじゃあないの?
「やはりねぇ、ここは黙って私にお任せを」
小さくそう言うと、アドはあたしが渡したメダルを頭上に掲げた。
「これよ」
そんな小さな物、上からじゃあ見えないだろうにと思ったが、見えないのを承知での行動であった事が、すぐに分る事になった。
「それじゃあわからん!ゴンドラを降ろすから上がって来い!但し、お前一人でだ」
お前?どうなってるの?ここの兵士。礼儀も知らないの?
「姐さん、理由はまだわかりませんが、どうやらここの要塞は敵地と思って良いのかも知れませんね。暫くは向こうの出方を見る為指示に従いますが、いつでも暴れられる様にしていて下さいね。暫くは私が姐さんを演じますので、皆さんも合わせてくださいね」
向こうと離れているので、こういう打ち合わせを堂々と出来るのはラッキーだわね。
そうこうしている間に、城壁の上から十人位は乗れそうなゴンドラが降りて来た。
「さっさと乗るんだ。乗っていいのは、お前だけだ。いいな!」
上からは相変わらず上から命令口調で怒鳴って来る。
「さあ、みなさん、気にしないでいいのでさっさと乗りましょう」
そう言うと、アドはさっさと乗り込んで行ってしまった。
あたし達も慌ててその後に続いたのだが、あたし達が指示を聞かなかったので、怒ったであろう兵士がさらにがなり立てて来た。
「一人でと言っただろうがっ!言葉がわからないのかっ!!」
だが、われらのアドは全く気にもかけていなかった。
「供の者の同行は当然の事である。不服であるなら、我らはこのまま帰るがいかがいたすか?」
しばらく上では騒いでいたが、ゆるゆるとゴンドラが上昇を始めた。さすがアドだ。
前を向いたままアドが小声で指示を出す。
「第一に調べる事 この要塞の命令系統、特にトップ。姐さんの兄上の消息。一般市民の置かれている状況。剣は取られても取り返せば宜しい、暫くは下手に出て様子を見ます」
みんな、だまって頷く。この要塞内がおかしい事はみんなも理解したようだった。
やがて、ゴンドラは城壁最上部に到着して停止した。
目の前には武装をした十人以上の兵士がこちらに槍やら剣を向けて立って居た。
こちらがジェームズさん以外は女子供だったせいか、兵士にはそれほどの緊張感は見受けられなかった。言うなれば、舐められているのだろう。
アドが先制攻撃に出た。
「兄上はいかがした?ここは兄上が治めている要塞ではなかったのか?どうなのだ?」
兵士達は、お互いに顔を見合わせている。着ている鎧などから見て、王国の兵士で間違いはなさそうなのだが、ほとんどの兵がやる気が無いと言うか、おどおどしていると言うかどこか雰囲気が変だ。おまけに、装備が寄せ集め感満載だった。兄様だったら、こんなだらしがない事は許さないはずだ。
そんな中、一人だけやや高級そうな鎧を着た偉そうな感じの兵士が前に出て来た。
「お前、マイヤーの妹だと言ったな。それなのに何でそんなに若いんだ?嘘をつくのもいい加減にしろよ」
お前の嘘を論破したぞとばかりに鼻の穴を広げてしたり顔をしてはいるが、見るからに中身の無さそうな雰囲気を全身から滲み出していた。五十年の時間差を知らないのだろうか?
「あなたはなぜ上官を呼び捨てにするのですか?上官侮辱罪に相当しますよ」
それを聞いたその偉そうな兵士は、いきなり腹を抱えて笑い出した。
「ぶわっはっはっはっはっはっ!!上官だってぇ?なんの事だ?我々の雇い主はなぁ、フィレッチア家よ。マイヤーだとぉ?が、リンクシュタット家の小僧が主などとはちゃんちゃらおかしいわ。いったい何十年前の話をしているんだ?おまえはよお」
えっ?どういう事?何がどうなってるの?
そんなあたしの困惑など知らないその兵士は更に続けた。
「せっかく来たんだ、良い事を教えてやろう。リンクシュタットの一族はな、今は王国と事を構えた時の人質として、大事に石牢でお暮しになってるぜ。良かったなぁww」
「なっ!!」
あたしは咄嗟に、その兵士の元に駆け出そうとしたのだが、アドがさっとあたしの前に出て遮られてしまった。
「慌てないで」
小さな声ではあったが、強い意思が感じられたので、あたしは立ち止まってしまった。
気が付くと、周囲は無数の敵兵に囲まれつつあった。
アドはどうするつもりなんだろう。兄様達が捕虜になって居なければ、暴れられるのになぁ。
だが、アドの中では既に今後の作戦が決まっていたのだろう、直ぐに行動にでた。
「状況はわかりました。それで、我々をどうなさるおつもりでしょうか?」
とてもあたしよりも年下とは思えない落ち着きだった。
「そう慌てるな。今、上司を呼びに行っている。そうだな、取り敢えず持っている武器を渡してもらおうかww」
もう、勝ちを確信したのか、余裕の態度だった。
下っ端の兵士がやって来て無造作に手を差し出してくる。無言で、武器を要求しているのだ。
癪に障るが、ここは指示に従うしかなかった。
だが、この下っ端、なんだ?なにヘラヘラしてるんだ?
あたし達から没収した剣を両手で抱えながら、仲間の元に戻るこの下っ端兵士が何故かニヤニヤしているのが気になって仕方が無かったのだが、その理由はすぐにわかる事になった。
なぜなら、その下っ端兵士は、仲間の元に戻ると一本の剣を上官に差し出して、声高に話し始めたからだった。
「隊長っ!見てくださいよお、この剣。なんの飾りも無いみすぼらしい癖に、糞みたいに重いんですぜ。こんな貧乏臭い剣なんて、よほどの貧乏人でないと持っちゃいないんじゃあないですかぁ?ww」
言われた隊長とやらも、顎髭を撫でながら唸り始めた。
「確かになぁ、リンクシュタットと言えば落ちぶれたとはいえ、一応貴族だ。その一行がこの様な剣を持っているとは考えにくい事だな。これは、徹底的に身元調査をせんとならんようだな」
その目には、どことなくいやらしさが滲み出ていた。兄様の部下なら、こんな奴は絶対にいないはずだ。間違いなくこいつらは敵だ。
そんな事を思っていると、彼らの上司とやらが数人の部下を伴ってやって来た。
その上司とやらも、その取り巻き達も一目でわかる高級そうな身なりをしていた。城壁の兵隊達とは明らかに異質な存在だと言っても良いだろう。
「侵入者とやらは、その者共であるか?なんだ、女それもまだ子供ではないか」
なんか、いちいちムカつく話し方をする奴だな、こいつは。頭も弱そうだし、腕っぷしも弱そうだが何者なんだ?
ゴマを擦る様に城壁の隊長とやらが、その偉そうな男に揉み手をしながら報告を始めた。
「こいつら、リンクシュタットの身内だとかぬかしてるんですよお。そのくせ、こんな貧相な剣を大事に持っているなんて、怪しくないですかねぇ」
なによ!貧相な剣って失礼ねぇ。それは竜王様から賜った大事な剣なのにい。
「怪しいかどうかは、余が決める事である。貴様が決める事ではないであろう、生意気であるぞ、身分をわきまえよ」
「ははーっ、誠にもって、申し訳御座いませ~ん!!」
城壁の隊長は、飛び跳ねる様に土下座をして、頭を城壁の石に擦り付ける様にして固まってしまった。
そんなに、この変な腹の出た主が恐ろしいのだろうか?
その主とやらは、あたし達をジロジロと見回してきたが、やがて興味を失ったとばかりに、大きくため息を吐くとのっそりと踵を返し歩きだした。
去り際に、一言だけ残して。
「女は石牢に入れておくのじゃ。もう少し大人になれば役にも立とう。男は力仕事の現場にでも送り込んでおけばよいぞ」
その後、あたし達は周囲を武装兵士に囲まれたまま、石牢とやらに連行されて行く事になった。
歩きながら城壁の内側を観察すると、色々な事がわかってきた。
どうやらここは、この要塞都市は元々ここに存在した巨大な谷の出口に巨大な城壁を造成する事によって広大な土地を確保しているようだった。
巨大な城壁と周囲を取り囲むように垂直に近い角度でそそり立つ岩壁に囲まれた要塞内部には、広大な平地が広がっているようだった。
さすが兄様が造り上げた要塞と言ってもいいのだろうか?そんな兄様が石牢に?納得できないわ。
要塞内部を見る事が出来たのは一瞬だけで、すぐにあたし達は城壁の屋上から階段で下の階に降りることになった。
石の階段には窓は一切無く、高い所に明かり取りの隙間が所々にあるだけで薄暗かったが、辛うじて躓かずに歩くことが出来た。
石牢とやらは、薄暗い階段を十階層ほど降りた所にあった。部屋には鉄の扉がはめられており、廊下の壁には油の入った皿が一定間隔で設置されていて、小さな炎がゆらゆらと揺れていた。