174.
今、船上は大パニックになっている。
なってしまったのだから、仕方が無い。
状況を整理してみよう。
十二体の天使と呼ばれる存在が、先刻あたし達が蛮族を焼き払ったばかりのまだくすぶっている草原に向かって飛んで来たんだ。そこまではいい。
決して勝てる相手ではない事はアドから聞いていたので、あたし達は船の中で息を潜めて刺激をしないようにしていたんだ。
最初に肉眼で彼らの姿を捕えたのはジェームズさん達三兄弟だった。
彼らが言うには、飛んで来た天使とやらは、古い文献にあるように人型をしていたそうだ。アドの情報が正しかった事がここで証明された。
さらに、その人型の天使は彼らの言う事には、髪の長い女性でスタイルが良く、とっても美人なのだそうだ。みんな鼻の穴を膨らませて力説していたので、間違いは無いそうだ。その時までは。
ここからが問題だった。やがて、天使たちはまだそこかしこで煙を上げている草原に降り立ち、思い思いにしゃがみこむと・・・異形のモノへと変貌していったのだそうだ。
美しかった顔は、目が真っ赤に染まり、口は耳まで裂けていったそうだ。その細くしなやかな手の指には禍々しい鋭い爪が伸びて行ったのだとか。
その後地面に顔を突っ込むかのような勢いで何かを・・・何をしているのかは明らかだったが、みんな現実を認めたくないので、何かをしていたとしか言わなかったが・・・。
それまで視認できなかったほぼ透明であった六枚の羽が、次第に朱に染まっていき、その姿が露わになっていった。
距離があるので、音が聞こえて来ないのは幸いだったのかもしれなかった。
それでも、頭の中では彼ら・・・彼女らがガツガツと蛮族の遺体にむしゃぶりついている音が再現されてしまっているのだろう、みんなは頭を抱えて甲板上でのたうち回っていた。
このような状況により、みんな甲板上でパニックになっていたのだった。
あたし?あたしだって、この想像の斜めを行く状況に驚いているさ。
驚いてはいるんだけど、あまりにも強烈すぎる状況に、なんか却って落ち着いてしまって居る自分に驚いている。
あたしは特に何もする事がなかったので、傍にいたアドに話し掛けた。
「ねぇ、アド。アレ・・・もう間違いないんだよね。そのダーク・エンジェルだっけ?」
「そうですね。そうとしか思えませんね」
「でもさ、天使って、あーやって屍肉を貪り喰うものなの?あれじゃあ悪魔だよお」
「名前は後世の人間が勝手につけたものですからね、何の根拠もないって言えばないんですよ」
「ネーミングって、そんなにいい加減なんだ」
「そんなものですよ。まあ私に言わせれば、天使は天使でも堕天使って認識ですけどね」
「堕天使?」
「まあ、天使と言ってはいますが、ほとんど悪魔って意味ですけどね。本来、人間界には降りて来るようなモノではないんですが、誰かが呼んだのでしょうかねぇ?知らないですけど・・・」
「・・・!!!」
あ あたしが呼んだの?あたしが悪いの?
「今は竜王様も動けないっていうのに・・・」
あたしはがっくりと肩を落としたが、アドはそんなあたしにはお構いなしに毒を吐き続ける。
「竜王様がいらっしゃったとしても、勝てるとは限りませんがね。アレに弱点があるとも思えませんしね。覚悟は決めて置いた方が良いかもしれませんね」
「あんた、なんでこんな時まで冷静なの?」
「へ?いえいえ、こう見えても興奮してはいるんですよ?ダーク・エンジェルが屍肉をむさぼり喰うって事が判明したのですからね。この事を記録に残せれば歴史的偉業ですよ」
あんたってひとは・・・。
今更ながら、アドはアドだった。
なんか疲れてしまった。何か考えるのも億劫になってしまったあたしは、どさっと甲板上に力なくへたり込んでしまった。
そのまま、ぼーっと取り留めも無い事をぼんやりと考えていたのだが、気が付くといつの間にかあたりは薄暗くなりつつあった。
ああ、まだあいつらは食べ続けているんだ。一体どんだけ食べれば気が済むのだろう。大食い選手権に出れるんじゃないのか?
「シャルロッテ様」
呼ばれて顔を上げると、そこにはアンジェラさんが申し訳なさそうな顔をして立って居た。
「申し訳ありません、シャルロッテ様。私が不甲斐ないが為に、逃げることもできず、このような・・・」
全ての責任を一人で背負ったような顔のアンジェラさんだったが、これはあなたのせいじゃないでしょうに。
「あなたは全く悪くなんかないわよ、ひとりで思いつめたらだめよ」
「でも・・・・」
「そういえば、アンジェラさん何で急に具合が悪くなったの?それまでは元気だったわよね?」
「それが、、、、ぜんぜんわからないんです。急に意識が遠ざかってしまって・・・。あ、関係があるかどうかはわからないんですが、意識を失う直前に変な感覚があったんです」
「変な感覚?」
「はい、感覚でしか言い表せないのですが、急に意識が身体から引きはがされそうになったと言うか…そんな感じがしました」
「意識が?」
それってどういう事なんだろう、そんな事ってあるものなの?などと自問自答していると、珍しくウキウキしたようなアドの声が聞こえて来た。
「わおうっ♬」
ハッとして振り返ると、アドがなんか上気した顔で食い入るようにアンジェラさんを見ていた。
「あ ど?」
いったいどうしたんだ?こんなアドを見たの初めてかもしれない。
「それって・・・その意識を引きはがされそうになったのって・・・もしかして・・・もしかするのかも?」
顔面が真っ赤に染まっていて、おまけに・・・嫁入り前の娘なのに・・・鼻の穴を膨らまして、フンフンしちゃっている。そうしたの?アド、壊れた?
「わた 私は、今、世紀の瞬間に立ち会ったのかもしれないわ。いや、きっとそうに違いない。ダーク・エンジェルに関して新たな項目を記入する栄誉を手にしたんだわ。これで私も歴史に残る研究者の仲間入りだわ」
アドが上気した顔で、何やら聞こえるか、聞こえない程の小さな声で呟いている。なんか、危ない人みたいだ。
「ねえ、アド?どうしちゃったの?」
危ない人を見るようなあたしの問い掛けに、急に可哀想な人を見るかのような顔でアドが反応してきた。
「いいですか?あのダーク・エンジェルに関しての情報は何百年、いや何千年もの間一切なくて、ずっと更新されないで来たのですよ。今、私の手でその情報が更新されようとしているんですよ。これは、学者として最高の栄誉な事なのですよ。ああっ、これから何百年の後の世になっても私の功績は永遠に残るんだわ。なんて素晴らしい瞬間なんでしょう」
だめだ、完全に自分の世界に閉じ籠ってしまってるわ。
だけど、まだまだアドの暴走は収まらなかった。
「今回のアンジェラさんの急な体調不良、あまりにも不自然です。これは・・・もしかして精神感応?もしくは精神波によって彼女の頭に干渉してきたのだとしたら、これは精神感応波による精神攻撃の可能性が高いと言えるのではないでしょうか?むむむむむ、これは一大事ですよ」
なにを言っているのか、さっぱりわからないんだけど、わかるのは、アドが向こうの世界に行ってしまったって事だ。もう、あたし達が何言っても聞こえないんだろうなぁ。
アド先生の暴走は、まだまだ続いた。
「屍肉を貪り食べる事に加えて、精神感応波による攻撃を仕掛けて来る可能性がある事がわかったんですよ。これは、歴史的大発見です!ここは、何としても生き残って、後世にこの事実を残さないと人類の大損失になる事まちがいありません。何としても逃げ出さなければ、にげだして詳細な記録を残さないといけません・・・。さて、どうしたものか・・・」
なんか、逃げ出す事を考え出したみたいだ。あの子の事だから、あたしをおとりにしてでも逃げだすんだ。なんて言いかねないわね、どうしようか、何か対策をを考えないといけないかなぁ・・・。
などと考えていると、また、とんでもない事を言われてしまった。
「姐さん、どうでしょうか?ここは潔く囮になって、みんなを逃がしたり出来ませんかね?」
また、あたしの頭の中を覗かれた?
「あ あんた なんてことを・・・」
思いがけない言葉にビックリしてしまったが、更にビックリする言葉をミリーとメイから投げかけられてしまった。
「姐さんが・・・おとり?美味しそうじゃあないのに、喰いついてくれるのかな」
「あっ、こらっミリー、そういう事は思っても言うもんじゃあないわよ。失礼でしょうに」
どっちもどっちだった。
そんな中、アウラだけがまともな疑問をアドに投げかけた。
「ところでアドさん。ちょっと疑問なのですが、なぜこれだけ人が居る中でアンジェラさんだけが攻撃を受けたのでしょう?」
「せやな、ほんまになんでやろ?適当に攻撃を仕掛けたら、たまたまアンジェラさんにヒットしたとか?」
アウラの質問に少しの間思案に耽っていたアドだったが、やがて静かに話し始めた。
「そうですね、正直私にも正確な事は分かり兼ねますが、推測をするとしたら、アンジェラさんがデリケートだった・・・って事なのではないでしょうかね」
「「「デリケート?」」」
「ええ、あの時は全神経を集中させて操船をしていましたので、アンジェラさんの頭の中は無防備だったので、奴らの精神波をもモロに受け止めてしまったのではないでしょうか?」
「ほーほー、じゃあ何か?鈍い奴なら奴らの攻撃による被害は受けにくいって事なんだな?」
そこまで言うと、お頭はあたしの方を振り向きニヤリと笑った。
「な なによ、その不気味な笑いは・・・」
「いーや、何でもねーぜ。にぶいおめーなら奴らの攻撃の被害はなさそーだから囮に最適だろうななんて、思っても言わねーぜww」
「言ってるじゃないのよ」
もう、いっつも、いっつも失礼なんだから。昔はそんなじゃなかったのに・・・。
「あ そうか、そうよね、うっかりしていたわ」突然アドが呟いた。
「え?なに?どうしたの?」
思わず聞き返したが、アドは再び自分の世界に没入してしまったみたいで、黙りこくったままだった。
「アド?」肩を揺すって声を掛けたので、やっとこっちの世界に帰って来た。
「ああ、失礼しました。そもそもの根本的な所が間違って居た事に気が付きました」
「根本的な所?」
「ええ、姐さんは道端を歩くアリを踏んづけるのに、いちいち戦闘行動を起こしますか?しませんよね?」
「そうね、しないわ」
「意識もせずに気が付いた時は踏んづけていますよね?そういう事なんですよ」
「どういう事?」
「やつらにとっては、我々人族なんてアリにも等しいって事なんだって忘れてました」
「せやさかい、それがなんやてゆうのよ!?」
意味がわからずイライラしてきたポーリンを尻目にアドは淡々と話を続けた。
「アンジェラさんが受けたのは、精神波の攻撃なんかではなく、ただ単に奴らの精神の波動が漏れ出ただけだったんですよ。やつらにとって我々は、わざわざ攻撃なんて仕掛けるような存在じゃなかったって事ですよ」
「うーん、そらそれでむかつくわぁ」
「なぜです?もし対等な敵認定なんかされていたら、今頃は皆殺しにされてますよ。ここは取るに足りない存在だと思われていて幸運なんです。奴らが食事を終えてお帰りになるのを静かに待ちましょう」
結局、我々には何が出来る訳もなく、ただ彼女?達が食事を終えて帰ってくれるのをひたすら待つだけとなった。
しかし、もう日が暮れると言うのに、いったいいつまで食べて居るんだろうか?
ああやってガツガツ食べて居る姿は、口にはだせないけれど、天使と言うよりも、まるで意地汚い豚のようだ。
あ、蛮族の足を取り合って喧嘩を始めたし。どんだけ意地汚いのだろう?
最初の頃は、いつ襲われるかという恐怖の為、みんなで連中の食事を見ていたのだけど、次第に気分が悪くなったので、今は当番が監視しているだけになった。
あたし達も甲板上でやつらに背を向けてアドの話しに耳を傾けていた。
「あれっ?あの足の速い兄さんはどないしたん?ずっと見えへんけど?」
不意にポーリンがそう呟いた。
「ああ、アセット氏ね、彼には王国までひとっ走りしてもらっているわ」
「なんでや?」
「ダーク・エンジェルに関しての情報共有とあたし達やアナ様達の事を知らせにね」
「へぇぇ、そうなんや。知らんかったわ」
納得したのか、ポーリンは静かになった。
そして、次はアウラだった。みんな何か話していないと不安に押し潰されそうになるのだろうか、話のネタを欲しているようだった。
「お嬢、あいつらが食事を終えても帰らなかったら・・・どうするので?」
みんなの視線が自然とあたしに集まった。
でも、あたしに答えられる事はひとつしかなかった。
「どうしようかしらね。どうしたらいいか、あたしが知りたいわよww」
あ、まずかった?しーんとなっちゃった。
どうしよう、何か別の話題、別の話題、わぁーっ、だめだぁあ、他の話題が思い浮かばなあぁい。
焦っていると、新たな話題が提起された。それは監視の当番をしていたボッシュさんからだった。
「メシの時間、終わったみたいですよ!」
甲板上の全員がさっと立ち上がり、一斉にダーク・エンジェルが食事をしていたであろう草原に注目した。
もう日没の時間を迎え、あたりはすっかり薄暗くなってきていたので、草原の様子もはっきりとは見えなかった。
「おい、暗くてわからんが、メシは喰い終わってんのか?」
おかしらが、目を擦りながら叫んでいる。
「よー見えへんのやけど、なんか変やで?」
ポーリンには目でなく、生命反応だかなんかの感じを受け止められる能力がある。その超感覚で何かが起こっている事を察知したのだろう。目をつぶったまま前方に神経を集中しているようだった。
「何が変なんだ?もっとハッキリ報告しろや!」
そもそもがはっきりとしない感覚によるものを、ハッキリとなど無理な話しなのだが・・・。
「なんかが奴らに襲い掛かっておる?そないな感じやねん。混戦になっとうよ」
それは、驚きの、想定外の報告だった。
「なにかが?なにかって・・・・」
「あんな化け物に向かって行くようなアホな奴らっていったら・・・あいつらしか考えられませんわな」
全員の意見もアウラと全く同じだったようで、ピタッと声がそろってしまった。
「「「「「蛮族・・・」」」」」
「アド、どうしよう?このまま連中を刺激し続けたら、又天変地異を起こされかねないんじゃ」
あたしは、もうおどおどするしかなかった。
「本当に天変地異を起こすものなのか、この目で確かめたい気持ちもあるのですが、今は抑えましょう。ですが、どうしたもんだか。こまりましたねぇ、蛮族に下がれって言っても通じないでしょうからね」
「だったら・・・」
「そうですね、アンジェラさんが大丈夫でしたら、このどさくさに紛れて逃げ出すのが一番なのですが・・・、東部要塞を見捨てては行けないのでしょ?」
「う うん」
そんな責める様に言われたって、あたしだって辛いんだよぉ。
「姐さんの不幸体質がどこまで被害を拡大していくのか、腰を据えて見守るしかないですねぇ、私に出来る事は、今の所ありませんね。私は事の一部始終を記録するだけです。何が起こるのか、ワクワクします」
だめだぁ、アドが変態モードに入ってしまっている。
その時だ、あたしはポーリンから一番聞きたくない報告を受けてしまうことになる。
「あ 姐さん、来るっ!来るでぇ、一匹。こっちに向かって飛んできよるでぇ」
・・・・・・おわった。