172.
眼下を見渡すと高度を下げたおかげで、視界一面を埋め尽くす様に無数の蛮族が蠢いて居るのがよく見えた。いったいどれだけの数がここに集まって来ているんだろう?
こちらを見上げて何やら叫んでいるようだけど、まあ無理もないだろう。あたしだってこんな怪しい船が飛んで来れば、困惑もするだろう。
下の方でカンカンと音がしているのは、おそらく蛮族が打ち上げてきている矢が船底に当たる音なのだろう。だが、船底はワイバーンの骨や皮で強化してあるので全く心配はなかった。
蛮族の集団を取り囲むように、ゆっくりと胞子を撒きながら飛行していると、遥か東の山々が連なる辺りの斜面に、自然の物とは思えないではない明らかに人工的な建造物と思われる物が微かに見えて来た。
ここからでは、まだはっきりとはしないが、あれがマイヤー兄様が率いると言われている東部要塞なのではないのだろうか?
胞子を撒きながらゆっくりと近づいて行くにつれて、その実態は段々とはっきり視界に入って来た。
今、山裾を横に切り裂くように見えてきている白い線のような建造物はおそらく、蛮族から民を守る為の城壁なのではないのかと思われた。
兄様、もう少しで助けに参ります。あと少し、頑張ってください。
気が付くと、両手を握りしめて必死にお祈りをしていた。
船の船尾では、今もみんなが必死で胞子を撒いてくれている。
後少しだ。後少し我慢すればやっと兄様と合流できる。焦る気持ちを押さえながら、作業の進捗をただただ見守る事しか出来ないこの状況は、とってもストレスが溜まるがここは甘んじて受け入れなくてはならなかった。
あたしに出来る事は、巻き終わった胞子に思いっ切り放火・・・でなく、点火する事だけだった。
焦りの為に身悶えしながら待機していると、アドがおもいっきり渋い顔でやって来た。
「姐さん、ある程度予想はしていたのですが、ちょっと失敗しましたね」
いきなりなんなんだと思ったが、何を言いだすんだ?
「ありていに言って、花粉の総量が足りませんでした。蛮族の集団をすっかり取り囲んで殲滅する予定でしたが、その包囲の輪が完全に閉じれなくて、逃げ道が出来てしまいました。ふふふ」
ふふふって・・・・。
「蛮族の集団に対して、こう五時の方角からぐるっと花粉を撒き始めたのですが、現在位置は三時の方角になります。もう直ぐ花粉の在庫が切れますので、四時の方角に安全地帯が出来るという訳です。まあ殲滅はできませんが、かなりの数を減らす事にはなると思いますので、このまま作戦を続行しましょう」
ほどなくして、船尾より声があがった。
「姐さーん、花粉の在庫がなくなりましたぁ!花粉散布終了でえ~す」
「さ、姐さん、すかさず放火ねがいます」
「だからあぁ、放火でなくって点火 ね。間違えないでちょうだい」
あたしは船尾に駆け寄り、両手の平に意識を集中した。
撒かれた花粉を目で確認する事はできなかったが、おそらく撒かれているであろう後方の大地にむけて両の腕を伸ばし、精一杯の気を送った。
五秒・・十秒・・なんの変化も起きなかった。
あたしは不安になってアドの方を振り返ったが、アドは慌てていなかった。
「放火に失敗したのでしたら、さっさと何回でも放火を繰り返す!ぼけっとしている暇なんかないと思いますが?」
た 確かにその通りなんだが・・・。他に言い方・・・。
「姐さん、うちも一緒に手伝うさかい、ちゃっちゃとやっつけてしまいまひょ!」
ポーリンがさっとあたしの脇に来て気を練り始めてくれた。
こりゃあ、ぼけーっとしてられないわ。あたしも再度気を練り始めた。
船は点火に備えて空中で停止してくれている。
その後、何回か気を送った時、船の後方百メートル位の所に黒い煙の細い筋が一本立ち昇って来た。
おっ!?と見ていると、みるみる内にその糸の様な細い煙は太くなっていき、肉眼でもはっきりと見えるくらいになったと思った時、立ち昇った煙の根元付近が一瞬眩く輝いたと同時に激しく爆発して炎が巻き起こった。
その炎は赤くはなく、白く輝くような炎だった。おそらく半端なく高温の炎だったのではないだろうか。
やがて、その白い炎は一本の筋のようになって、船の進んで来た航跡のように、今来た道を周囲の物を燃やし尽しながら戻って行った。
すかさずアンジェラさんによって、船はダッシュするかのように飛び出してその場を離れて行った。同時に急上昇をしていた為、走り続けている炎はみるみる小さくなっていったが、逆に全体像がよりくっきりと見えて来た。
その時に至ってアンジェラさんの操船がどれほど素晴らしいものであったのかが、自分の目でもって実感できたのだった。
炎は正しく円を描くように草原を走り続け、一部が開いた円を描き切った。
すると今度は細かった炎の線が横に急速に横に広がり始めて、円の内部を燃やし尽くしていった。
大急ぎで緊急離脱したつもりだったが、物凄い上昇気流が発生したのだろう、船は右に左にと川を流れる木の葉のように揉みくちゃにされてしまい、アンジェラさんは船を安定させるのに必死になっていた。
激しい上昇気流から逃れて、船の姿勢が安定した頃には、下界で猛威を振るっていた炎も沈静化しつつあり所々から立ち昇る黒煙だけがその激しさを物語っていた。
「一気に爆発するように燃え上って、あっという間に鎮火したわね。ほんとうになんなのかしら、あの花粉」アウラが呆れるように独り言ちた。
すると船縁から身を乗り出しながら下界の様子を見ていたミリーが不意に呟いた。
「なんか、焼き肉のにおいがする~。お腹すいたぁ~」
「「「「「・・・・・」」」」」
当然、みんなドン引きだった。
みんなで唖然としてミリーを見ていると、アンジェラさんが声を掛けて来た。
「あのぉ、シャルロッテ様、コースはいかがしましょう。東方要塞とやらに向かってよろしい?」
そうだった、こんなところでぼやぼやしてはいられないんだった。一刻も早くマイヤー兄様の元に向かわないと。
「うん、進路は真っ直ぐ東部要塞があると思われる方向に向けてちょうだい。日没までには着けるでしょ?」
「りょうか~い♪」
はあぁ、やっと兄様の所に合流出来るわとホッとしていたのだったが、ポーリンの一言で再びおあずけをくらったのだった。
「姐さん、あきまへんがな。ミリーと同じ事考えとる輩がおるで」
「どういう事?ミリーと同じって・・・」
あたしには、さっぱり意味がわからなかったが、アドにはピンとくるものがあったのだろう。すぐに反応してきた」
「風は西から東に吹いて居るのよ。あんな遠方に匂いが届くものなの?」
何を言ってるの?匂い?
「そっちとちゃうで、今回は東の山脈の方に生息している種族みたいや」
「なるほど・・・・」
「ちょっ、ちょっ、意味がわからないんですけど。わかるように説明してくれない?」
あれっ?意味がわかっていないのって、あたしだけ?みんな理解したみたいな顔しているけど・・・。
「東部要塞の方から飛行体が接近してきてるんや。肉の焼ける臭いに引き付けられて、わざわざ山越えて飛んで来たんとちゃうんか?そうとうな食いしん坊やなぁ」
ポーリンは目をつむったまま進行方向に意識を集中している。
「数は?」
数は非常に大事な情報だ。種族もわかればベストなんだけどね。
「うーん、そやな。感じたんは十から二十 くらいなんやないかな?おっきさは、まだ遠くてよくはわからへんけど、ワイバーンなんかよりめっちゃ小さそうやな」
「それで、どーするんだ?引き付けてこっちで処理すんのか?逃げるんか?」
野太い声の正体は、そう、おかしらだった。大剣を握った右腕をぐるぐると回しながらヤル気満々だ。
「どすんだよお」
なによなによ、既に戦う気一択のくせになんてあたしに決定だけ任せるのぉ?。
「ねぇ、ポーリン、どうなの?戦えそうな奴かしら?」
「分かりませ~ん。ですが、気配がとっても弱弱しいから、十分戦えるかもしれませんが、確証はないですねぇ」
困った時は・・・とばかりにアドを見たが、アドは腕組みをしたまま思案中だった。
「そいつらの目的が何か・・・ですね。奴らの目的が焼けた蛮族の死体なのだったら傍観もありですが、万が一、このままこっちまで来ないで、途中にある東部要塞に興味を示した場合、大変な事になりますね」
「うげっ、それってひじょーにまずいじゃない」
「そうですね、我々にとっては非常にまずいですが、選択権は向こうにありますから、いかんともしがたいですね」
その時、それまで沈黙を守っていたアンジェラさんが提案をしてきた。
「あのお、わたしまだまだ元気です。どうでしょう、このままあいつらの所に突っ込んで行くっていうのは?」
「突っ込むのお?この船で?」あたしは思いもかけない提案に思わず声が裏返ってしまった。
「そうかぁ、あいつらをこっちに引き付けるっていうんだな?」
お おかしらがなんか嬉しそうなんですけど・・・。
「ええ、出来たらこっちまで引っ張って来れば、要塞に被害は出ないし、後の事はおかしらが何とかしてくれるかなあって。無理そうでしたら逃げるって手もありでしょ?ww」
「アンジェラさんが大丈夫でしたら、それは大変良い提案なんじゃないですかね。うんうん、相手の正体もわからない状況ですから、ここは悩んで居てもしょうがないので、取り敢えずはこのまま突っ込んでみましょう。この船は守備力も半端なく高いですからいきなりボロボロにはされないでしょう。相手の正体がわかる所まで接近して、正体がわかった所で又考えましょう」
「はーい、では行きますねぇ♪」
どこまでも明るいアンジェラさんが不思議なんですけどお。
アンジェラさんの自己申告は間違っていなかったようで、その後船は速度をグングンと上げて行った。
「もう少し高度を上げて、連中の注意を下界でなくこっちにむけましょう」
アドの指示で高度をあげつつ、未確認飛行生物にむかってあたし達は進んで行った。
甲板上では、みんな各々の武器を構えて、迎え撃つ気満々だ。
「姐さ~ん、あいつらワイバーンどころかもっとちんまいで。そうやな、うちらと変わらへん位ちんまいわ。あまり強い気は感じへんで」
ポーリンから新たな敵情報がもたらされた。
「なんでい、そんな弱い相手なんかよ、期待していたのにがっかりだぜ。んじゃあ俺は寝ててもいいかあぁ?」
お頭は大剣を放り出して、甲板上で寝ころんでしまった。
まあ、強敵でなくて良かったって所かな。ホッとしていたあたしだったが、アドの考えは違って居たようだった。
「おかしら?この船には姐さんが乗っているんですよ、わかっていますか?そんなに簡単に事が済むはずがないとは思いませんか?」
「おっ、おお。そうだったな。こいつが居るんだった。そりゃあ只ではすまんだろうな」
ひ ひどい!なんでそんなに納得して頷いているのよ、失礼ね。
おかしらとアドの失礼な対応にプンプンしていると、更なる追い打ちが・・・。
「そうですねぇ、お嬢がいらしゃるんですから、用心して過ぎる事はありませんね」
あ アウラまで?
「実は、小さいけどドラゴンだったり・・・」
「近づいたら、いきなり見上げる位に大きくなるとか?ww」
みんな酷い・・・。
「なあ、兄貴。もしかして猛毒を吐いて来るなんてないよな」
「ボッシュよ、猛毒程度では済まないかもしれんぞ。なにせ、歩く天変地異って言われる方が呼び寄せてるんだからな」
ジェームズさんまで酷い。
そんな言い合いの中、アドだけは我関せずの姿勢を崩していなかった。
じっと前方を凝視したまま何事もなかったかのようにポーリンに問い掛ける。
「謎の集団はこっちの動きに反応してるの?」
みんなの言い合いを呆然とした表情で見ていたポーリンは、ハッとしたように再び前方に視線を移した。
そして、何かに気が付いたように「あっ!」と声を上げた。
「どうしたの?こっちに向かって来た?」
静かなアドの質問に、ポーリンはぶんぶんと顔を横に振り、怖々と話し出した。
「あいつらは・・・まっすぐに蛮族の焼け跡に向かっとります・・・が、そないな事よりも・・・」
「そんな事よりも・・・?」
なんだろう、ポーリンの顔がなんか引きつっているのは、気のせい?
「飛んで来ている奴らの・・やつらの・・・感覚が・・・まるで・・・ヒト族やねん。ヒト族の感じやねん」
「「「「「「!!!」」」」」
「おいっ!いったいそれはどういう事だ。人が飛んで来たってか?寝言は寝て言えや!」
おかしらでなくても、みんな同じ気持ちだろう。どういう事なんだ?
だが、この状況でも、アドは冷静だった。
「ヒトが飛んで来ている と言うのね?」
「ああ、うち 嘘は言わへんよー。ほんまにおっきさといいヒトの感じやねんな」
うん、ポーリンはこんな時に嘘を言う子じゃない事は十分しってるけど・・・人が飛んで来ているなんて・・・。
「そうですか。さすがの私も、ヒトが空を飛んだなんて記録は見た覚えがありませんね。でも、それが真実だとすると、いささか厄介な事になるかも知れませんね。アンジェラさん、念の為もう少し高度を取ってもらえますか?それから、みなさんは相手の正体がはっきりするまで一切の手出しは無用に願います」
「了解」
さっきまで陽気だったアンジェラさんが緊張したように返事をしている。なにか感じる事があったのだろうか?
ここにきて、あたしは緊張した顔のアドから腰が抜ける程の事実を聞かされてしまった。
「姐さん、状況によってはあの東部要塞を見捨てる事も覚悟してくださいね」
「ど どういう事?見捨てる?放棄する?多くの民が居るはずなのよ?それを見捨てるっていう事?」
もうショックとしか言いようのないセリフだった。
「おい!どういう事なんでぃ、俺にもわかるように説明しろや!俺達が戦っても勝ち目がないって事なんか?」
おおぉっ、久々におかしらが真っ赤になって、目が血走ってるわ。
「もし、あの竜王様と戦って勝てる自信がおありなら止めたりはしませんが」
「なにっ!?それはどういうこった?まさか、あの空飛ぶ人族に竜王並の力があるって言うんじゃねーだろうな?ああ?」
「そうだと申し上げているんですが、ご理解出来ませんでしたか?」
鬼の様な形相のおかしらを目の前にして、相変わらずアドは淡々としていた。
まわりで取り囲むように事態の推移を見守っていたみんなも、石のように固まったまま、誰も言葉を発せないでいた。
「お おめーっ・・・」
冗談を言っているようには見えないアドの堂々とした姿勢に、おかしらもそれ以上言葉を発せなくなっていた。
「まだ あくまで可能性の段階なのですが、膨大な過去の文献の中にも空飛ぶ人の姿の事を書いてあるものはわずかしかないのですよ」
ここで、くるっとみんなに背を向けると、大きく息を吐き、思い出すようにゆっくりと話を再開した。
「そのモノは、人族の女性の姿をしていたそうです。そして、、、、背中には六枚の半透明の翼が認められたそうです」
「つばさ・・・」
「他にはなにか書いてなかったんか?」
「かの者が現れた後は、天変地異に襲われたと記録されており、目撃者は全くいなかったそうです」
「じゃあ、なんで女の姿をしてたって分かるんだ?目撃者もいねーのにおかしーじゃねーかよ」
「それは、後の時代にある探検家が山の中で見付けた、ミイラの持っていた日記のような物に書かれていたそうです」
「その天変地異を起こした奴と、今こっちに向かって来ている奴が一緒だっていうんか?」
「ですから、それはあくまで可能性にすぎないと申して居るんですよ。もし、そうだったら逃げるしかないと言う事です」
いきなりおかしらが睨んで来た。お?なんであたしの方を睨む?
「なんで、おめーはいつもいつもいつも、とんでもねーもん呼んでくるんだよー!」
「そんな事言ったって、そんなのあたしのせいじゃないでしょーがっ!!」
あたしも必死に言い返したりもしたが、いまいち呼び寄せて居ないって言い切る自信がない。
おかしらと睨み合っていると、ポーリンが叫んだ。
「あ あれ あれって・・・」
いつも豪胆なポーリンが土気色の顔色になってる。
「ポーリン?」
「にげるんやああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ポーリンの絶叫が甲板上に響き渡った。